2-2 TS娘と故郷の幼なじみ
10年くらい前。
同い年で男の幼なじみと新人の五等級ワーカーとして、このサセボで男二人せっせと働いていたころのこと。
もちろん、私がまだ男の身体だったころの話。
私たちは人のかなり少ないエリアの、植物の蔦に覆われて半ば崩れた汚い空き家を住みかにし、もう一人の女の子の幼なじみと三人で仲良く暮らしていた。
金銭的には楽な暮らしではなかったけれど、孤児院で暮らしていたころのようにお腹を空かせることはなくなって。
当時はその三人暮らしで、私たちはちょっぴり大人にでもなったつもりだった。
今思えば、自分たちはなんて無用心で愚かだったことか。
ある雨の日の深夜。
私たちの住みかは、ガラの悪い男たちの襲撃にあった。
鍵すらなく誰でも入り放題の場所に住む私たちは、悪人たちにとっては格好の餌食だったのだろう。
女の子の幼なじみはすぐに捕らえられてしまった。
私ともう一人の男の幼なじみは、目を覚ますのとほとんど同時にそいつらに完膚なきまでに叩きのめされ、床に情けなく転がされていた。
少しずつ貯めたお金でようやく買った一本っきりの短剣は、振るうことすらできないままその男たちに奪われてしまった。
この世界で、人拐いは決して珍しいものではない。
あの頃の女の幼なじみのように、まだ幼くかわいらしい女の子は特に需要もあるらしかった。
殴られ続け床に転がったまま血を流し、必死に身を守っている幼なじみの男の子の姿。
私は悔しくて悔しくて仕方ないのに、情けなく泣きながら誘拐犯の足にしがみつくことしかできなかった。
『……やめろ。やめて下さい、お願いします。なんでも、僕がなんでもするから、そいつをこれ以上殴らないで下さい……』
私のアゴが汚い手に持ち上げられる。
そいつからは、何日も体を洗っていないような悪臭がした。
『……ほう。よく見りゃあお前、男のわりにはきれいな顔してるじゃねえかよ。……アレを試してみるか。……おい、このガキも連れて行くぞ!』
床に倒れたまま動かなくなった、男の幼なじみのその後は知らない。
ただ彼が、今はどこかで幸せに生きてくれていることを願っている。
私と一緒に拐われた女の幼なじみは、その数日後にあっけなく死んだ。
幼く美しい体を汚され、でも最期まで自分のプライドを失わなかった彼女は、誘拐犯の一人の股間を噛みちぎろうとしたらしい。
そして当然のように、誘拐犯たちの機嫌を損ねた彼女はあっさりと殺された。
私はその誘拐犯たちのアジトで男の体を失い、この女の体となり、この世の地獄を味わうことになった。
私の肉体に女体化を引き起こさせた薬は、かつて大昔の人類が、何かの精神の病のようなものを解決するために治療薬として作り出したものだったらしい。
私はその誘拐犯たちがどこかから仕入れた薬の効果の実験台として、無理やりにこのTSをさせられてしまったのだった。
残念なことにその薬の効き目は、もう誰もわからないくらい昔に作られたものだというのに、あまりにも完璧だった。
そしてもう一つ残念だったのは、TSして女になった私の見た目が、このそれなりに見栄えのするものになってしまっていたことだ。
せめて醜い顔にでもなっていれば、あんなふうに男たちの慰みものにはされず、元男としての尊厳を保ったまま早めに殺してもらえたのだろうに。
◇-◇-◇-◇-◇
依頼人の女の子が話してくれたとおりの小高い丘の上、過去の人類の住居だった建物がみすぼらしく植物の蔦に覆われて立ち並ぶ場所に、明らかに複数の人の気配があった。
天辺に十字型の白い板のようなものが付けられた、ひときわ目立つ建物の前に人影が見える。場所はここで間違いない。
二階建てのその建物の入り口、雨の当たらない軒下で、ガラの悪い男が二人で何やら話しこんでいる。
おそらくあれが誘拐犯。
仮に違っていたとしても、まともな人間ではないことは見た目だけではっきりわかるのだから、考えるだけ無駄なことだ。
うち一人が、そのままどこかへ離れていくのが見えた。
トイレか何かだろうか。何にせよ絶好の機会だ。
「さて、どう攻める? 定番なら暗くなるのを待ってからになるが……」
私に勝手についてきた大男のワーカーは、なんとも悠長なことを口にする。
ここまでの移動でこいつに充分すぎるほど体力があるのはわかっていたが、こういう戦いの実力まではわからない。
少なくとも私ならこいつが背負っているような長い剣は、こんなときには扱いづらいから選ばないし。
人を殺すだけなら、刃物の刃渡りは手のひら程度の長さで充分なのだから。
「なら、あなたはそこで夜まで待ってなよ。……私はすぐに行く。一秒でも早く助けるんだ」
どのみち、誘拐された女の子たちをこれ以上待たせるつもりはなかった。
少なくともかつての私は、誰かにそうして一秒でも早く助けにきて欲しかったから。
私を助けてくれる人は誰もいなかった。
だからこそ、私は助けたい。
かつての自分は助けられないのだから、せめてその代わりに、同じような誰かを助けたい。
深緑の外套のフードを深くかぶりなおし、腰に着けていた短剣をゆっくりと静かに抜く。
一度深く呼吸をして、足に力を込める。
見張りの男の視線が別の方向を向いた瞬間、私は隠れていた古い建物の影から身を低くして飛び出した。
強めに雨が降り続いていることは好都合だった。
音は聞こえにくくなり、見張りは最初から集中力を失っている。
見張りの男が私に気付いたときには、私はもうそいつの数メートル手前にまで近づいていた。
男は驚愕した表情で自分の武器を構えようとするが、それはもう明らかな判断ミスだ。
男に肉薄するよりだいぶ手前で、そいつが服の内側に何も防具を着けていないことを見抜いていた。
ボロい肌着ごしに体のラインが見えている。
雑魚も雑魚。無警戒もいいところだ。
私は駆けよる勢いのまま、自分の腰に短剣を構え、そいつの脇腹へ体当たりするように突き刺した。
この女の細腕では、剣を振り回しても人間に致命傷は与えにくい。体重を乗せて、急所である内臓を貫くのが確実だ。
太い骨を避けて深く致命傷を負わせる角度は、何度も何度も経験して熟知していた。
「な……あ、ぐっ……!」
男がわずかに声を上げたとには、私は左手に用意していたぼろ布でそいつの口元を押さえつけていた。突き刺した短剣を力ずくでねじりあげると、そいつはそのまま意識を失った。
身体から引き抜いた短剣で、倒れた男の喉を深く切り裂く。
しばらくすれば、完全に心臓も止まるだろう。
血に濡れた短剣の刃は、外套の返り血がついていない場所で雑に拭った。
見張りなんてつけていたって、所詮はこんなものだ。
急に外敵が現れたとき、人間は大声をあげるより先に、身をこわばらせ自分の命を守ろうとしてしまう。
武器をあわてて構えようとしても、そうそう間に合うはずもない。
そして致命傷を受けたなら、痛みに絶叫するより先に悶えて意識を失う。
少なくともこの雨音の中、こいつの死に気付いた仲間はまだいないだろう。
「むちゃくちゃな奴だなあんた。……正面突破なら、次は俺から行く」
もう一人のトイレか何かに消えた男を警戒している私の前に、結局ついてきた大男のワーカーが割り込んできた。
左手には長剣を握っているため、狭い建物内での戦いをよく知らないのかと一瞬心配したが、右手には小ぶりな手斧を抱えているのに気付き少し安心した。
中の状況に合わせ、どちらかを選んで戦うつもりなのだろう。
なかなかこいつも争いごとには慣れているようだ。
いずれにせよ、先陣を切ってくれるのならありがたい。
この大男に後ろに居られてしまうと、私は無駄な警戒まで続けなければならなくなる。
こいつが誘拐犯のゴロツキどもの仲間だという線も、さすがに考えにくいとはいえ、警戒しないわけにはいかないからだ。
私は太もものあたりにいつも仕込んでいる小さな投げナイフを一本手に取り、大男の背中に隠れて構えた。
この投げナイフだけは普段、害虫駆除には全く使わない道具だ。貧弱な刃物では害虫の甲殻は貫けない。
ただ人間と争うときにだけ使う、気分の悪い道具。
建物の扉には鍵さえかけられていなかった。
まるでかつての私達の住みかみたいに、無用心で想像力が足りていない。
大男が私の想像以上の速さで踏み込むと、中にいた誘拐犯の一人がこちらにぎょっとした目を向けてくる。
見えているのは一人。奥の大きな部屋にも複数の気配がある。この出入り口の辺りが一番開けていて戦いやすい。
左手に階段。気配はないが警戒が必要。右手のドアは開けられたままで、幸い中が見えている。倉庫のように使っているのか、誰もそこにはいない。
奥のテーブルは大きくて簡単には動かせないはず。複数並んでいる椅子は、投げつけられると面倒だ。
私はそう瞬時に中の状況を確認しつつ、階段側と出入り口からの奇襲に対応できるように、大男の背中を守れる位置へ素早く移動しておく。
初撃はそのまま大男に任せた。
「がっ……! な……」
大男が手斧を手前にいた男の首のあたりに叩きつけ、その半端ではない腕力によって半ばちぎれた頭には小さなうめき声だけが残った。
なんともうらやましい、今の私には到底不可能な男性ならではの力業だ。
「な、なんだてめえら!」
遅れて奥から現れた男たちは二人。衣服をまとっていなかった。
いきり立ったままの股間が、そいつらが今の今まで行っていた行為を示している。
瞬間、憎しみで体中が熱くなったが、何度も何度も訓練を重ねてきた私が投げつけたナイフはしっかりと正確に、正面にいた薄汚い男の胸に突き刺さった。
細く小さいナイフでは簡単には人は死なない。ただの服すら貫通できないこともある。
だが、痛みや刃物への本能的な恐怖心に、動きが鈍らない人間もまずいない。
同時に素早く踏み出した大男は、私が動きを止めたその男の腹に長剣を深く突き刺し、いともたやすく始末してくれた。
なかなか、心強い相棒さんのようで。
私は二本目のナイフを投擲できるように、次の男へ向けて構えた。
萎縮させるように、あえて見せつけるようにゆっくりと。
とはいえ、私に着いてきたこの大男は、明らかに敵を圧倒する技量を持っているように思える。
すでに狼狽えきったこいつらゴロツキ程度が相手なら、私は最低限の援護に徹していれば充分だろうと見込めた。
ごく短時間での戦いの後。
人の気配は私たちのほかに、建物の奥から裸のままこちらへ目を向けている、哀れな被害者の女の子たちのものしか感じなくなった。
だが慢心はできない。
自分の感覚なんて不確かなものは信用せず、他に敵が残っていないことは確実に確認を済ませなければならない。
「私は上を見てくる。あなたはここにいなさい。さっき外にいた奴が戻ってくるはずだから」
誘拐犯どもの死体を足で強引にすみによせている大男にこの場を任せ、私は二階へ続く階段を見上げる。
貧弱な投げナイフはまた太ももに戻し、短剣を右手に持つ。木製の小さな盾もくくりつけている左手には、害虫駆除でも使う大ぶりな鉈を握りしめた。
建物の二階は、誘拐犯たちが寝室として使っていたようだった。底が抜けそうなくらいに劣化した木製の床は、歩くだけで異音がして不安にさせられる。
寝床や置かれているものの数から推定できる犯人たちの人数は、見張り役の二人を含め、先に始末したやつらの人数と見事に一致していた。
この部屋はとても男臭くて、薄汚い。
床には禁止薬物の使用跡と思われる注射器なんかも転がっている。まだ未使用のものもありそうだ。
注射器の針が視界に入ったとき、体にぞくりと虫が這いまわるような悪寒が走り、強いめまいもした。
薬のことは、考えないようにしていたのに。
そういうものを目にしてしまうと、それを使ったときのあの体中が粟立つような快楽がフラッシュバックして、頭がおかしくなってしまいそうになる。
ここへあの大男と一緒に来たことは幸運だった。
一人だったのなら、自分のこのほとんど本能的な欲求を抑えられた自信はない。
私は床の薬物から目を反らし、辺りを再度警戒することで必死に頭を切り替えた。
「上はクリア。……そいつが最後だよ」
一階へ戻ったときには、死体がまた一つ増えていた。
私が二階の確認を行っていたとき、一階では大きめに物音がしていたのだが、やはり大男が見張り役の最後の一人を見事に殺してくれていたらしい。
不思議と、まだ数時間ともに行動しただけだというのに、こいつの腕には信頼がおけた。
こいつが一対一でゴロツキどもに負けるとは到底思えない。真正面からの戦いなら、間違いなく女の身体の私よりも強いだろうし。
「ああ、たぶん最後だな。あんたは少し休んだほうがいい。なんか顔色が悪いぜ。……おいキミたち。助けにきた。怪我はないか?」
大男は床に転がった死体の衣服のまだ血に濡れていない部分で荒く武器の汚れを拭き取ると、奥から不安気な表情でこちらに目を向けている被害者の女性たちのほうへどかどかと足を向ける。
彼が優秀なワーカーだというのはもうわかったし、私の顔色にまで気を使ってくれたのはありがたいけど。
でもせっかく私という女の姿をした同行者がいるというのに、こんなときに気のきかないやつだ。
被害者の女性たちは当然裸だし。
大男はただでさえその良すぎるガタイと顔の傷痕が、女に対しては威圧感がありすぎるだろうに。
「馬鹿なの? ……あなたは外に出て見張りでもしてなさい。私がこの子たちに着れそうなものを探すから」
私が外套のフードをようやく外し大男の肩を掴んで引き留めると、彼は少し顔を赤くしてうなずき、建物の出入口の方へ踵を返した。