2-1 TS娘と故郷の幼なじみ
その日は前日の夜から、長い雨が降り続いていた。
私はいつもより少しだけ遅い時間に、サセボステーションのハロワに到着した。
雨の日は害虫駆除の仕事もはかどらないし、濡れた道具のメンテナンスも大変だから、お休みにしてもいいかと迷ったのだが。
せっかく受付嬢の信頼も得はじめてきている今は、いい仕事はないとしても、一応ハロワに顔くらいは出しておこうかと考えたのだ。
なにせ、良くないことはだいたいこういう雨の日に起きる。
悪い人間はこそこそと悪事を働きやすく、人を助けるはずのハロワのワーカーも、大多数はのんきに自分の住みかにこもってしまうから。
大昔に崩壊した人間の文明により作られたというステーションの建物は、今も強固に崩れず、雨が降り続いても天井は水漏れ一つないようだ。
ちなみにハロワに手配してもらった今の私の住みかはちょっと雨漏りが激しいようで、早速引っ越しも考える必要がありそうなのだが。
ハロワの受付の周りがなんだか今日は騒がしかった。
どうしてか、綺麗なわけでもない床にまだ幼い女の子が座りこんでいる。
その周りには冷やかしのように、少しガラの悪い感じのゴロツキくずれのような、たぶんこのあたりのワーカーたちがなにやら集まっていた。ガヤガヤと身内で話をしているようだ。
あまり目立ちたくはなかったが、無視をするのも気が引けた。
床に座りこんでいる泣き出しそうな顔をしたその女の子の顔が、10年くらい前に命を落とした私の幼なじみの一人に少し似ている気がしたから。
「俺に行かせてくれ! だまって見ていられるか!」
受付嬢に絡んで大声をあげている大柄な男が横目にうつった。
そのなんだか好感や懐かしさみたいなものを覚えてしまう不思議な低い声には聞き覚えがある。
以前にこの受付ですれ違った、顔に痣のような大きな傷のある男性ワーカーだ。
「落ち着いて下さい。いくらあなたでも一人では危険すぎます。まずはハロワから急いで依頼を出しますから、対人戦闘の経験があるワーカーを集めないと……」
よく事情はわからないが受付嬢はその大男の剣幕に対し、ちゃんと冷静に受け答えできているようだ。
彼の大きな声を恐れているような気配もない。まずは放っておいて大丈夫だろう。
とりあえず私は床に座りこんだままの少女に近づき、外套のフードを外してからしゃがんで視線を合わせてあげた。
近くで見るとその子の顔は、別にそれほどかつての幼なじみに似た部分があるわけでもなかったけれど。
「ねえキミ、どうしたの? そんなところに座ってたら、せっかくのかわいい服が汚れちゃうよ?」
私の言葉に、その少女は一瞬ためらうような表情を見せたが、すぐに瞳をうるませて私の腕を掴んでくる。
「あ、女の人……? でも、あの! あなたワーカーさんですよね? お願いが……あるんです」
「いいよ。引き受ける。……で、どんな依頼かな?」
自分でも笑ってしまいそうなくらい、あり得ないような即オッケーの返事に、その少女も唖然としたように口を開けて動きを止めてしまった。
幼なじみとこのステーションでワーカーを始めたころから、こういう小さい女の子に私は弱いのだ。
かわいい女の子のお願いがあれば、絶対に受けてやる。
それはかつて幼なじみと私、モテない男二人で誓いあった下心ありありの懐かしい約束でもあった。
「キミのお願い、私が受けるよ。さ、何をして欲しいのかゆっくり話してみて?」
私のことに気付いたのか、受付の方から大男と受付嬢の視線がこちらに向けられているのがちらりと見えたが、無視をしておく。
「私の友達が誘拐されてしまったんです」
彼女の言葉に、ああこの話を聞いて良かったと確信した。
私にうってつけのご依頼だ。
こんな話は何度も何度も繰り返してきた。
誰かの命を救うこと。そのために誰かの命を奪うこと。
そして今は、自分の命を賭けるとしても、必ず生きて帰ること。
「友達の一人が、その悪い人たちのことを隠れて追いかけてくれたんですけど。……でも、人数が多いみたいで、私たち子供にはどうにもできなくて」
ステーションの床に座り込んだままの少女は、悔しそうにそう続ける。
周りでこちらに白い目を向けている有象無象のワーカーたちは、これを聞いても何も思わなかったのだろうか。
自分の命が大切なのは当たり前だ。組織的な悪人と対立すれば、その先の生活にも不安がつきまとう。
まだ幼い子が依頼主では、まともな報酬なんてもちろん期待できないだろう。
だけどそんなことはどうだっていい。
かつて10年前、ワーカーとして最底辺、五等級だったころの私と相棒の幼なじみの二人ですら、きっとこの子の願いを粗末にはしなかったはずだ。
今も幼なじみだったあいつがどこかで生きているのなら、もう会えないのだとしても、顔向けできないような選択はしたくない。
一度人生を投げ出しかけた私だからこそ、もう二度とあいつに恥じるような生き方に戻るつもりはない。
それはきっと、私がいつか幸せになるために必要な、譲るべきではない一線だ。
「お願いします。私の友達を助けて下さい。私にできることならなんでもしますから! みんなかわいい女の子たちだから、あいつらに何をされてるか……」
へえ、なんでもする、か。
それなら私と一晩いかが、と軽口をたたきかけて今はとりあえずやめた。
彼女はさすがにまだ見た感じ幼すぎるし。
何より、わざわざこんなときに茶化すことでもないだろうから。
その誘拐されたという子たちは、全員が生きてるのかは怪しいところだろう。
場合によってはすでにこのサセボからは連れ去られ、どこか遠くの街で売り物にされようとしているかも知れない。
見た目が美しい娘ならば、良くて性欲の捌け口にされ、運が悪ければさらに薬漬けだ。
それはきっと殺されるよりもつらい状況なのだと、私は自分の経験でよく知っている。
「場所は? 説明できるかな?」
だから一秒でも早く助けにいく必要があるのだ。
私はその女の子から話を聞きながら分厚い革製の防具を頭に被り、紐を引いてしっかりと固定した。
「ハルさん! 待ちなさい!」
私の肩を掴んで止めたのは、ハロワの受付を飛び出してきたいつもの受付嬢だった。
私を心配してくれているのだろう。息を少し切らせてとても真剣な表情だ。
だけど。
「おはようお姉さん。でも何を言われたって、私は待たないよ」
「わたしも気持ちは同じです。ですが相手の数すらわかりません。まずはこちらも人数を集めて……」
彼女が言わんとしていることは分かる。
相手は一人二人というわけではないだろう。こちらも準備を整え人数も揃えなければ、ミイラ取りがミイラになるのは目に見えている。
そもそも、この女の子が言っていることが信用に値するのかすらもわからない。
言われた場所の情報は間違っているかもしれない。実はこの女の子は誘拐犯とグルで、私のような馬鹿を罠にかけようとしている可能性すらある。
だけど。
私は知っている。男に捕らわれた女性がどう扱われ、どんな思いをしているか。
この私自身の身体が、かつて味わった苦しみを。
「お姉さんはまさか、汚い男に誘拐された若い女の子が何をされるか知らないの?」
私は受付嬢の手を少し乱暴に払い、乱れた外套のフードをまた深くかぶりなおした。
準備は万全とはいかないが、覚悟だけはいつだって決まっている。
手の内に枝切れ一本しかなかったとしても、殺すと決めた相手は必ず殺す。助けると決めた相手は必ず助ける。
それをやろうともせずに生きていく自分を、私は幸せとは呼ばない。
「おいあんた! 待ってくれ!」
受付嬢の制止を無視してステーションを出ようとした私は次に、例の大男に肩を掴まれていた。
私を邪魔するその手のひらは、男性らしくとても大きい。羨ましくて腹が立つほどだ。
「俺も行く。知らないやつ同士でも、一人で行くよりはマシだろう。……あんた、対人戦闘の経験は?」
一人で充分だ、とはさすがに言えなかった。
長い間ソロで活動してきた私だからこそ、一人で行動する危険はよくわかっている。
ただ、人殺しの経験なんてわざわざ聞かないで欲しかった。
初体験だ、なんてかわいらしい答えが私にはあるはずもない。
「言ったら引かれるくらいには経験豊富かもね。……ついてくるなら、足手まといにならないように気をつけて」
先を急ぎたくて少し苛立った私の言葉はかなり嫌味が強くなってしまったが、この大男とのやりとりにこれ以上無駄に時間を使うわけにもいかなかった。
この大男の妙に親しみが湧いてしまう雰囲気は気にかかるとはいえ、嫌われたところで何の問題があるわけでもない。
「あんた……いや、なんでもない。よろしく頼むぜ」
大男はそれ以上ごちゃごちゃ言わずに、自分の大きな体をさらに大きな外套で覆った。
自分以外の技量に下手に期待するわけではないけれど、せめてこの男が私の邪魔にならないことを祈るばかりだ。