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1-3 TS娘と恋人の遺言

 アリの駆除は、コツを覚えてしまえばそう難しいものではない。


 吐かれる酸を浴びてすぐに洗い流せなければ、先日の大男の顔のようにひどい怪我はするかもしれないし。

 囲まれて身体を食いちぎられれば、もちろん命はないけれど。


「戻ったよ。駆除数は18だ」


 ステーションのハロワに戻った私は、アリを討伐した証である、赤ん坊の腕みたいに大きな触角をごっそりと詰め込んだ袋を受付に渡す。


「え、18? ……確認します。しばらくお待ちを」


 ソロのワーカーで18匹の駆除は、並大抵の数ではない。

 経験の賜物ではあるが駆除するだけなら私は、1日に20匹以上だってやれる自信はある。


 ただ、ちぎりとったアリの触角を証拠としてハロワまで運搬する必要があるから、非力な女の体ではこのくらいの数が限界なのだ。

 害虫の死骸はびっくりするほど早く土に還るものだが、そうはいっても後で邪魔にならないところに移動させるのがマナーとされており、数が多いとさすがに苦労もさせられる。



 私はもう5日ほど、続けてこのアリの駆除を繰り返してきた。

 初日は慎重に、わずか4匹。それから徐々に数を増やして。


 害虫の駆除は、近隣の土地勘を養うのに適している。

 経験を積めば数を重ねることもたやすくなるし、他の害虫が多そうな場所だとか、自分なりにこの辺りの狩場のことを覚えることができてくる。


 底辺の仕事とはいえ、まずは金を稼がなければ生きていくことはできない。ましてお酒や薬に逃げるとしてもお金はかかるのだから。


 少々目立つのは避けられないにせよ、とにかく今は数を稼ぐ必要があった。

 駆除に使っている鉈や防具の手入れにだって、いずれまとまったお金が必要になる。


「はい、お疲れ様でした。報酬は900円です。……ハルさん。あなた一人で、本当に18匹も駆除を?」


 受付嬢から渡された報酬の硬貨を、無造作に自分の財布に詰めていく。

 この1日の報酬だけでも、きちんと節約すれば1週間は最低限暮らせる金額だ。


 ただ、武器のメンテナンスや今後の住居の確保、いざというときの蓄えなど、先々のことを考えればまだ苦しい金額でもある。


 かつて大昔にはもっとこの世界の物価は高く、その分人々のお給料も多かったらしい。

 今では目にすることも稀だが1000円以上のお金は、硬貨ではなく紙のようなもので取り扱っていたと聞く。


 今はまともな紙なんて貴重品はハロワの受付か、何かの手紙でくらいでしか使われないものだが。



「一応は二等級だからね、真面目にやればこのくらいは」


 かっこつけるように言いながら、財布を荷物の内側にしまいこむ。


 どのみち害虫の駆除くらいしか、今の私には稼ぐ手段もないのだ。

 バケモノ相手ならいくらでも体を張れるけれど、まだ弱かったころの自分のように、男に体を売るような生活だけはもう二度としたくはない。


 苦しかろうと、こうして生きていくしかない。


 自分の幸せなんてもう見つかるとは思えないのだけれど、あの子の遺書を裏切るわけにもいかないから。

 まずは今私は、たとえ泥水をすすってでも、ひたすらに生き続けていなければならない。


「……ハルさん、このあと私と夕飯でもいかがですか? 少しお話がありまして」


 受付嬢からの急なお誘いは、何かのお説教だろうか。

 サセボに戻って以来は別に悪さをしたつもりもないけれど、彼女に好感を持たれているはずもないことは知っている。


 うなずいてその誘いに応じてしまったのは、たとえ罵られるだけだとしても、何でもいいから他人と繋がりが欲しいという寂しがりな自分の本性によるものだろう。




 受付嬢に連れられてきたのは、ステーションのすぐ近くにある小さな食堂だった。

 10年前にも同じ店があったような気はするけれど、同時の自分には外食なんてする金銭的な余裕はなかったので記憶があいまいだ。


「ハルさん、これまでの私の失礼な対応をお詫びします。……オカヤマからの情報をどう解釈すればいいのか、迷いもありまして」


 お互いに口数も少ないまま、適当に頼んだ食事がそれぞれに運ばれてきたとき、受付嬢は私にとってかなり予想外なことを口にした。


 アリの駆除なんて底辺の仕事とはいえ、その中で最低限の実力は示したことが、彼女の中での私の評価を少しは変えてくれたのだろうか。



「気にしないでいいよ。……素行不良は全部本当のことなんだから。今まで通りに扱ってくれたらいいんだ」


 そうかっこつけて返しながらも、ちょっと泣き出しそうになってしまう。

 そもそも今この街で私が言葉を交わす相手なんて、この受付嬢しかいなかったから。


 毎日毎日、冷たく事務的に扱われて。

 覚悟はできていたとはいえ、寝る前はいつも、ため息か涙か、そのどちらかは止まらなかった。


 本来の私は寂しがりやで、仕事以外ではいつも誰かと一緒にいたがるタイプだった。

 かつてこの街にいたころは、幼なじみたちとべったりくっついて離れなかったし。


 当たり前だが私だって、人に嫌われるよりは好かれたい。

 外面はいつもクールな一匹狼を装おってはいるが、それは単に男避けのために身に付いたクセのようなもので。


 だから急にこうして優しくされてしまうと、一人でも大丈夫、みたいにかっこつけていた自分が崩れてしまいそうになる。


 ちょっとだけ昨日までよりも自分を認めてもらえたことが嬉しくて。

 今日だけは久しぶりに、いつもよりゆっくり眠れそうな気がした。



「ハルさん、本当はダメなんですが、これ、オカヤマステーションから受けたあなたについての手紙です」


「いいの? ……まあ私、不良な受付さんも嫌いじゃないけどね」


 あまり会話は弾まないにせよ、誰かと共にする食事は、久しぶりに自分の舌に味覚があることを思い出させてくれた。


 彼女から渡されたそのオカヤマステーションからの手紙は、一度読めば充分なはずなのに、何度も読み返したみたいに皺がよっている。


 開いた手紙には知っていたとおり、私に関する注意事項がしっかりと記されていた。



 あるときから私が何かに絶望して、急に自暴自棄になったこと。

 酒に溺れて、からかってくる男相手には喧嘩を繰り返していたたこと。

 恋人がいながらもお金で商売女を買って、憂さ晴らしのように痛め付けながら抱いていたこと。


 そして恋人を失い、禁止薬物にも手を出してしまい、廃人になりかけていたこと。



 その手紙の文字を見てわかった。

 それは、オカヤマで私を担当してくれていた受付嬢だった人のもの。

 私をオカヤマから追放した張本人。


 つまり、私がその死を看取れなかったかつての恋人の、その母親だった人の文字だった。



 手紙にはそういう私の罪について以外にも、ずっと長い文章が綴られていた。


 いかに本来の私が優秀なワーカーであったか。


 その力でどれだけたくさんの人を助け、オカヤマステーションの運営に貢献してきたか。


 自分の娘、つまり私の恋人だったあの子が、女同士だというのに、私との暮らしをいかに幸せそうに語っていたか。



 自分の涙で視界が滲み、文字が読めなくなっていく。

 だけどこれは、一文字だって粗末に読んではいけないものだということくらいは理解できていた。

 

 止まらなくなった涙に、私はしゃくりあげながら乱暴に自分の目を拭って、少しずつその手紙を読み続けた。



─────

 だけどハルさんは、本当はすごくいい子です。

 ちょっと心が疲れてしまっただけで、あの子はきっとやり直せると信じています。


 最初は、誰にでもできるような害虫駆除の仕事でも与えてみて下さい。


 でも、どうかお願いします。

 もしそちらのサセボステーションで、あの子がしばらくの間真面目にお仕事を頑張っているようなら、その時はあの子を支えてあげて下さい。


 そしてハルさんに伝えて下さい。


 私も、天国へ行った娘も、あなたの幸せをずっと祈っています、と。

─────



 受付嬢が差し出してくれた綺麗なピンク色のハンカチは、女の人らしい甘い匂いがした。


 幸せであることを、またこうして願われてしまった。


 生きることだけでも精一杯な私が、愚かで弱い私が、これからは幸せでもいなければならない。


 それはあまりにも難しいことのように感じるけれど、空っぽになりかけていた胸が暖かいもので埋まっていくような、優しくて愛おしい感覚もある。


「ハルさん、このサセボではむやみに喧嘩はしないと誓えますか? 禁止薬物も、もってのほかです」


「……うん、誓うよ」


 私はにじんだ涙を拭いて、真剣な眼差しを目の前の受付嬢へ向ける。

 彼女と視線が交差して、本当に久しぶりに人と心の通った会話ができているような気がした。



 私はやり直してみせる。

 この生まれ故郷のサセボで、きっと幸せになってみせる。


 TSしたこの女の身体でも、いつか必ず幸せになれる。ならなければならない。絶対に。


 それがあの子とその母親の願いならば。


「お酒くらいは少しはいいですが、ほどほどにお願いします」


「……うん」


 私はゆっくりと頷いて、ちょうど少し残っていたコップの水を飲み干す。

 薬やお酒なんてなくっても、今の気持ちを忘れないかぎり、私はきっとやり直せる。


 この故郷の街で、天国のあの子に恥じないような生き方を。

 ただ生きて、そしていつか必ず幸せに。



「女……遊び? あの、ご趣味はよくわかりませんが、その、それはほどほどに」


「それは……まあ、うん」


 なんとも言いがたい表情の受付嬢。

 自分の性癖のせいで気を使わせてしまって申し訳ないが、そこはまあどうしようもない話だ。

 

 だけどもしこの受付嬢を狙ってみるならチャンスは今しかない、と謎のチャレンジ精神も芽生えてしまう。


 そこで私は涙目のまま、テーブルの上に伸ばされた彼女の手をさっと捕まえて握りしめてみたのだが。

 こっちが逆に驚いてしまうほど慌てて振りほどかれてしまい、なんだか微妙な空気が流れた。


「あ、いや、わたしは彼氏もいますので! 今日もそういうつもりで誘ったわけでは……!」


 顔を赤らめてはいるようだが、これはおそらく脈なし。

 しかしいずれにしても、これから真面目に働いていくつもりの私には、当面のところ恋愛なんてもってのほかだろう。



 だからこれはまあ、ちょっとした面白くなさすぎる冗談みたいなもの。

 これからの私はもっと真剣に、自分の生き方と向き合う必要がある。


 生きなければならない。そして幸せにならなければならない。


 それがかつて愛したあの子からの、私への最期の願いなのだから。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 新連載ありがとうございます。 これからのハルさん活躍+メス堕ち感が楽しみです。
[良い点] ほう!導入が丁寧で期待値上がりますね。(後方腕組みしたり顔)
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