8-4 TS娘と旅路の護衛
「ハルさん……なんであんなことを? 私のことも、ここで殺すんですか?」
私たちはなんとか重い荷物を抱え、線路という大昔の道からはかなり離れた廃墟群までたどり着いていた。
私が殺したあのワーカーたちの仲間は他に四人もいるのだという。
気付かれる前に、絶対大丈夫だと言えるくらいには距離をとる必要があったのだ。
「そんなわけないでしょ。あいつらが悪人だったってだけだよ。私たちを拐ってめちゃくちゃにしようとしてたんだ」
私はそんなふうにカッコつけながらも、身体中に重くのし掛かる疲労感に勝てず、比較的まともな外観が残った廃墟に腰を下ろしている。
手は震えていた。
さっきの争いは、かなり危ないところだった。
何か一つでも間違いがあれば、今ごろ死体になっているのは私の方だった。
自分自身も明らかに冷静ではなかった。
あんなに衝動的で無駄な暴力を振るっていれば、いずれ大きなヘマに繋がってしまってもおかしくない。
血まみれの外套を脱ぎ捨て、ため息をつく。
この自分の不安定な心には、まだ真正面から向き合いたくなかった。
睡眠不足と疲れと、ひどい感情を抱えたままなんとか仕事を済ませた安堵に、私はもう立ち上がれそうにない。
「……ごめん、怖い思いをさせちゃったね」
なんとか最低限の気遣いとしてそう口にすると、驚いたことに護衛の依頼者の女性は優しく私の頭を撫でてくれたのだった。
「ハルさんも、平気であんなことをしたんじゃなかったんですね。……ごめんなさい、守ってくれたのに」
薄汚れた私の髪がゆっくりと何度も、柔らかい手のひらで撫で付けられていく。
彼女は気づいていないようだが、そもそもさっきの件はこちらが彼女を巻き込んだのだ。
護衛と言いながら、実のところあいつらと一緒に行動する建前になってもらっていたのだから。
申し訳なさすぎてため息しか出ないが、わざわざ正直に全てを説明するつもりはない。
今日はまだ日も高い位置にあるが、私がこのざまでは、どうせこれ以上行動を続けるのは困難だ。
全部あきらめてとりあえず廃墟の中の固い地面に寝転んだまま、彼女に頭を撫でられ続けることにしたのだった。
日が出ている間は依頼者の女性にあたりへの注意を任せて少し仮眠をとらせてもらい、それからゆっくりと天幕を張った。
無用心すぎるが、体力の限界だったのだ。
廃墟の中で焚き火を起こして軽い食事も済ませた。
食糧も水も、さっきのワーカーたちの分を逃げる前に適当に奪っておいたから、明日サセボステーションに帰るまでは充分持つ。
「ハルさん、こっちにきませんか? 外は寒いですよ」
依頼者の女性は天幕の中から、そんなふうに優しく声をかけてくれた。
まだ身体中に疲労感は残っていて、本当はぜひ一緒にゆっくり眠らせて頂きたいのだが。
「……やだよ、狭いし」
万が一にも害虫や、さっき殺したワーカーたちの仲間が来てしまったらまずいわけで。
うとうとはしながらも、さすがに暗くなったこれからの時間帯は横になるわけにはいかない。
血まみれの身体を洗い流すほど水に余裕があるわけでもなく、乾いたボロ布でこするようにして、最低限の汚れだけ落としながら時間を潰していた。
しばらくは彼女も私に付き合ってくれるつもりなのか、暗い夜の帳の中、私たちはポツポツと会話を続けた。
「……まだ会いたい? こんなひどい思いまでさせられて、その恋人さんに」
私はそんなふうに、少しいじわるな言い方をしてみた。
ゆっくりしていると、どうしてもハジメのことを考えてしまう。
サセボに帰るのを先伸ばしにし続けていた自分のことを、旅を始めたばかりの彼女に少し重ねてしまってもいた。
「はい、もちろんです。……もちろん、会いたいです」
彼女はどうやら、私なんかよりよほど強い女性らしい。
私はたぶん同じことを昔に聞かれても、こんなに強くはっきりとは答えられなかったと思う。
会いたいけれど、怖い。
会えないことが怖かった。
忘れられているかもしれないと、考えるだけでも怖かった。
今も同じだ。
サセボステーションに戻れば、ハジメにはいつでも会える。
だけど、そのとき私はハジメに何を言えばいい?
異性として仲睦まじく生きていくのか? これからもまだ自分の正体を隠したままで。
今さら自分がハルオだなんて、言えるはずもない。
自分が抱いた女が元は男で、かつての相棒だったなんて。
そんなのハジメが悲惨すぎる。
「もうこんな危険な旅はやめといたら? ……恋人さんとは連絡もとれてないんでしょ? こんな世の中なんだから、生きてるかどうかだって……」
私は本当に嫌なやつだ。
わざわざこんなことを言う必要なんてないのに。
返事の代わりに、私のまだ血の跡で汚れた手が、柔らかくて暖かい手のひらに包まれた。
天幕の中から伸ばされた彼女の手のひらの感触はとても心地がよくて、わざわざはね除けようとは思えなかった。
ほんの最近までうんざりするほど暑かった夜も、冬が近づいてきたことを意識できるくらいにひんやりしている。
廃墟の中には差し込む月明かり以外には暗闇だけが広がっていて、私たちの息遣いのほかには何も聞こえない。
「……ハルさんは、恋人はいらっしゃらないんですか? ほら、好きな人とか」
「どうかな……」
ハジメの顔が浮かんでいた。
当たり前のように、ハジメのことしか思い当たらなかった。
認めたくない、というのはたぶん表面的な照れ隠しみたいな感情でしかなくて。
その恋人だとか好きな人だとかいう言葉に、胸の奥が熱くなるような感覚もある。
たぶん、いや間違いなく。
私はハジメのことを。
「……いるよ、うん。……すごく大切な人が」
認めると、すうっと胸のつかえが取れたような気がした。
ここしばらくの自分が抱えていた、もやもやしてもどかしいような感情が。
好き、というはっきりとした言葉になって身体に染み込んでいく。
好きだ。
私は、ハジメが好き。
愛している。愛おしくて張り裂けてしまいそうなくらいに。
「だったら、こんな危ないお仕事なんかしてないで、その人となるべく一緒にいないとダメですよ。……いつか、後悔しちゃうかもしれませんから」
依頼者の女性とつないだままの手のぬくもりが、少しだけ私を素直にさせてくれる。
天井が半分なくなった廃墟の中から夜空を見上げた。
月は半分欠けたような形だけど、体の影ができるほど明るい光を放っていた。
「……そうだね。ステーションに帰ったら、頑張ってみようかな」
男だったころの自分のことなんか、もう押し殺してしまっていい。
こんな無茶な仕事だって、すぐにやめてしまえばいい。
ただ、ハジメに会いたかった。
一緒にいられるのなら、ハルオというかつての僕のことなんか、もう忘れられてしまってかまわない。
忘れられても、いい。
そう思ってしまった瞬間だけは、胸が軋むような痛みを訴えてきたけれど。
「私も応援してますよ、どこか遠くから。頑張って下さいね」
手を繋いだままの依頼者の彼女に顔を向けると、彼女はとても柔らかい表情で微笑んでくれていた。
だから私も精一杯に、意味のない、何の役にもたたない祈りを彼女に捧げる。
「うん、あなたも会えたらいいね、恋人さんに。……このサセボから、私も祈っておくよ」
「会いますよ、必ず」
サセボステーションに戻ったら、ハジメに会おう。
自分の中で何の答えも出ていなくたって、とにかく素直な気持ちでハジメの前にもう一度立ってみよう。
やはりかなり疲れていたのか、会話が終わったとたんに寝息を立て始めた依頼者の寝顔を見て、私はようやくその決心ができたのだった。
だけど、そう何もかもうまくいくはずがない。
私は自分がしてきたこと、逃げ続けてきたことのツケを払わなければならない。
「ハルさん! 何をしてたんですか! こんなに遅くなって……!」
翌日。
まだ危険な線路を避けて別のルートでなんとかサセボステーションにたどり着いた私たちを迎えてくれたのは、ハロワの受付嬢のそんな声だった。
ハロワから受けた依頼のせいなのに、と一瞬むっとしてしまったのだが、どうやらそういう話ではないらしい。
この人がここまで焦った表情になっているのは初めて見た。
あまり良くない話があるのは間違いなさそうだった。
「ハジメさんが! 危険なんです!」
疲れきった身体のせいで聞き間違えたのかと思ったが。
どうやらそうではないらしい。
私は今、自分のしてきたことに、向かい合わなければならない。
「ハルさん?」
受付嬢の声が遠く非現実的なものに感じた。
悪い夢か何かであればいいのにと思うけれど、身体にのしかかる疲労感も、弾けてしまいそうな心臓の鼓動も、全て今ここにある私の現実。
悲劇も絶望も、この朽ち果てたような私たちの世界では、いつだってなんの脈略もなく突然にやってくる。
TSしても、ここで泣き崩れて膝を折るほどおしとやかな女になれたわけではないのだから。
こんな私には戦うこと以外に、現実と向き合う手段なんてどこにもないのだ。
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