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8-1 TS娘と旅路の護衛

 ハジメのことは、もう何日も避け続けている。

 会いたくないわけじゃない。ものすごく、めちゃくちゃ会いたいのは間違いない。


 あんなことをしでかしてしまった以上、どんな態度でどんな話をすればいいのか、全くわからなくなってしまっているのだ。



 ハルという一人の女としては、狂おしいくらいにハジメのそばで生きる未来が欲しい。

 だけど彼のかつての相棒だったハルオとしての自分が、それは出来ないと言っている。


 男だった頃の自分を完全に捨ててしまうことが、きっと私の幸せには必要なことなんだろう。


 だけどそれがわかっていても私はまだ、僕自身のためらいを振り切ることができないでいた。



 ハロワの受付嬢からは、ハジメの方も私を探していたと聞いた。


 会って話がしたいと。

 仕事のことでも相談があるし、急に会えなくなって心配していると。

 私があの日酒場の二階に置き忘れていたものもあったらしく、それも返したいと。

 そう伝言を受けた。


 罪悪感で立っていられなくなるくらい胸が苦しくなって、受付嬢のことも心配させてしまった。

 だけどもちろん、何があったのかという質問にだけはさすがに答えられなかった。



 夕方あたり、サセボステーションの入口のあたりでずっと周りをキョロキョロしながら、何かを待つように立ち尽くしているハジメの姿を遠くから見かけた日もある。

 きっと、ずっと私を待ち続けてくれていたのだと思う。


 その姿を隠れて見ていると、目は離せないのに、もう逃げ出したくてたまらなくなった。


 いっそ見つかって楽になってしまいたいとすら感じたけれど、自分からハジメの方に近づく勇気はどうしても出なくて。

 外が真っ暗になって、うつむいたまま立ち去っていく彼の姿を、ずっと廃墟の影から見ていることしかできなかった。



 最近どんどん長くなってきた夜の闇の中ではずっと、ハジメのことを考えている。


 夢の中でハジメと関わるとき、私の身体は女だったり男だったりするせいで、朝起きると自分に柔らかく膨らんだ胸があることを確認するのが習慣みたいになってきてしまった。


 TSしてすぐのころ以上に、自分の身体と精神がひどく解離してしまっているような心地だ。

 自分が男なのか女なのか、男に戻れるものなら本当に戻りたいのか、それすらもう今はわからない。


 そんな不安定な状態だから、今回受けていた仕事はちょうど都合が良かった。

 丸三日以上は全て先送りにできる、大変だが今の私にとってはありがたい仕事だ。



 備えとして目を守るゴーグルを新調したり、夜営の道具を手入れしたり。

 あわただしく準備をしている間も、難しいことはいくらか考えないですんだ。


 私はハジメとあの夜を過ごした部屋に、大昔の世界が崩壊する前の時代に作られた貴重な医薬品だとか、包帯と消毒用の強い酒だとかを入れていたポーチを置き忘れてしまっていたらしい。


 その中には、一錠で数年は遊んで暮らせるようなとんでもない値段の薬も含まれていた。


 私がこのTSの治療に最後の希望を託してわずか三錠だけ手に入れることができた、あらゆる病を治し身体を正常な状態に治すことができるという、大昔に作られた高価な薬だ。


 うち一錠はオカヤマにいたころに自分に使用したが、結局のところこの身体が男に戻ることはなかった。

 オカヤマで最後一緒に暮らしていた彼女にも一錠使わせたが、これも結局、彼女はもうこの世にはいないという結果だけが残った。


 私は女の身体であることが。彼女は病弱な身体であったことが。

 それが正常な状態なんだと示されてしまったみたいで、ひどくやりきれない話だ。


 ただTSの治療は無理だとしても、その薬で体調が俄然良くなることだけは間違いなかったから、最後の一錠は売りさばいたりはせず、まだ大事に自分のポーチにしまったままにしていた。


 それはまたハジメと会いさえすれば取り戻せる。

 会えさえすれば。


 

 私は今、サセボステーションからかなり離れた集落に来ている。

 サセボステーションから歩きでだいたい1日かかる、人がいくらか住み着いて暮らしている農業が盛んな場所だ。


 大昔に人間がもっとたくさんこの世界にいたころ、このサセボという地域では最も巨大な、何かの大規模な娯楽用途の施設があった場所らしい。

 気持ちの悪い人形だとか顔が書かれた花の絵だとか、異常な量の石畳だとか、珍妙なものが多く見つかる場所なのだが。


 昔の人間の考えることは、良くわからない。

 ただ今は、その広大な開けた土地そのものが貴重なので、大規模な農業に利用されているのだという。



 10年以上前に男だったころ、一度だけハジメともここに稼ぎに来たことがあった。

 ここで作られた小麦の粉なんかをステーションに運搬すると、なかなか悪くない額の報酬がもらえるのだ。


 あまり大声では言えない話だが、ここでは麻も特殊な種類のものが育てられている。

 当時の私は薬物に対してもそこまで敵愾心はなかったから、ハロワには内緒でそれも運搬してお小遣い稼ぎもしたのだった。



 サセボステーションからは線路という名前の大昔に作られた頑丈な道が未だにここまで続いており、危険ではあるが移動はそれほど困難ではない。

 荷物をあまり持たずに少し走りながら移動すれば、一日のうち日が暮れる前にたどりつく距離でもある。


 私はここに昨晩到着し、入口になっている巨大な建物の廃墟でゆっくりと夜営をして朝を待った。

 頑丈な廃墟は入口にしっかりとした門もつけられていて、比較的安全な環境だと感じられた。


 集落の中での暮らしぶりが気にならないことはないが、わざわざ見て回るほどの興味はない。


 身体は疲れていたから、ぐっすりと眠ることはできた。


 疲れすぎているくらいのほうが、何も考えないですむからありがたいとすら感じている。

 夢の中でだけは素直に会えるハジメが、優しい表情なことだけを祈って眠りにつけばいい。




「ハルさん、今回はよろしくお願いします」


 ハロワ経由の依頼で私が待ち合わせしていた髪の長い少しふくよかな女性は、大きな荷物をいくつも抱えて立っていた。


 見た感じ、私とほとんど同じくらいの年齢だろう。

 性的な魅力はあまり感じないが、物腰は柔らかく人当たりが良さそうには感じる。


 今回の仕事の一つは、この女性をサセボステーションまで護衛すること。

 ハロワで説明を受けた限りこの女性はこれから、サセボステーションの近くから定期的に出ている船に乗り、遠くの地域まで旅をするのだという。


 なかなか思い切りのいい話だ。

 相当にお金もかけているのだろう。



 ハロワへの護衛の依頼にも、担当するワーカーは女性に限定して欲しい、なんて注文に追加費用までかけていたらしく。

 今回はそれで私に白羽の矢が立ったのだと聞いている。


 とはいえさすがに二等級の私が動くには簡単すぎる仕事で報酬も不十分だったから、今回はついでに別の仕事もこなすことで帳尻を合わせることにしていた。


 まあ最近の環境を考えると、護衛を付けようという考えはたぶん正解だ。女限定というのはいささか無茶な要求だが。


 このサセボステーションまでのルート、最近はトラブルが多く報告されているらしい。

 私のもう一つのお仕事というのはその件だ。


 それに、またハチの害虫が妙に増えているという話も多く聞こえている。私自身も同じくそう感じていた。


 気持ち悪いが害虫の大量発生はまれにあることで、珍しい話というわけでもない。

 たぶんまた先日のように、大規模な巣の駆除が必要になるのだろう。



「聞いてたよりも荷物が多いね。……どういうつもり?」


 名を名乗ったりいくらか挨拶をしたあとに私がした質問は、ちょっと冷たい印象になってしまったと思う。


 こういう旅の準備で、荷物が予定より多くなってしまうというのはよくある話だ。

 ただ依頼者の彼女が抱えていた荷物はちょっと、これから丸一日以上歩くにしては無理のある量に思えた。


「ええ、ごめんなさい。どうしてもかわいい服を多めに持っていきたくて」


 彼女は申し訳なさそうな顔で答えたが、すぐに荷物を減らします、なんてことは言ってくれそうになさそうだ。


 やむを得ないから私は彼女の荷物をそれぞれ軽く持ち上げて、そのうち一番重かったものを自分の肩に担いだ。


「……一つこっちで持つよ。荷物が重くて歩けない、じゃ私も困るんだから」


 長距離の移動では、荷物はなるべく軽くするのが鉄則だ。

 自分がここまで持ってきた夜営用の荷物も当然限界まで軽量化してある。


 こうして依頼者の分の荷物まで抱えてしまっては自分がきついだけだが、足手まといになられても困るから仕方ない。


 気持ちだけは、まだ男のままでいたい。

 自分が男なのだとすれば、一緒に行動する女性の重い荷物くらいは代わりに運んであげるべきだろう。


 仕方がないからそう考えたのだ。

 私の今回の仕事はこれだけというわけではないのだから、本当は無理をすべきではなかったのだろうけど。


「ふふ、ありがとうございますね」


 素直にそう述べて柔らかく笑う彼女は、そう美しい外見ではないけれど、たぶん周りから好感を持たれやすい人ではあるのだろう。




 集落で水を補充してから、私たちは荷物を抱えて線路まで移動した。


 そこではガラの悪い感じの四等級ワーカーが三人こちらを待っており、私は彼らとワーカー証を見せあって最低限の挨拶を済ませていた。


 今回のサセボステーションまでの移動は荷物を抱えた状態なので、あまり素早くは進めない。道中で一泊することが必要になる。


 私と依頼者、女二人だけでの夜営は危険すぎるということにして、この四等級ワーカーたちと共同で移動を行うことにしているのだ。



 その四等級ワーカーたちは日々、この地域とサセボステーションを行き来して荷運びを行っているのだという。


 彼らはこのあたりで採れた作物をサセボステーションまで運ぶついでに私たちの移動に協力することで、ハロワからいくらかの報酬を得ることになっている。


 そして私はいくらかの報酬を彼らに譲る代わりに安全な旅路を得るという、そういう建前だ。



「あれが今回同行する、荷運びのワーカーだよ。基本的にはお互い干渉しないし、ある程度は距離をとって行動する。あなたにも近づかないように言ってあるから」


 なかなか質が良さそうな台車を早速進めはじめた彼らから多少距離をとって、私は依頼者の女性へそう説明した。


「はい……でも、あの」


 彼女が心配しているのは、そのワーカーたちのいかにもゴロツキ崩れといった感じの雰囲気だろう。


 まともな奴らじゃないのは見ればすぐに感じるし、四等級のくせに持ち物が妙に高価そうなのもアンバランスで気にくわない。


 私に向ける視線も性的な嫌らしさが強く、虫酸が走るほどだ。


「心配しないで大丈夫だよ。もしちょっかい出してきたら、私がちゃんと守るからさ」


 だから彼女の大荷物も、ついでにあの荷運びのワーカーたちに運んでもらうことはしなかった。


 自分の感覚なんて何の役にも立たないことは知っているが、それでも人の悪意や邪な欲望に注意を払うことは絶対に欠かしてはならない。

 まして、今回だけはなおさらに。


 私は荷物の重みを肩に感じながら依頼者の女性を促し、サセボステーションまでの長い道を歩きだした。




「はい、お水だよ。あとこれも食べなさい」


「あ、ありがとうございます」


 しばらく歩き昼を過ぎたところで、前を進んでいたガラの悪い荷運びのワーカーたちから休憩の申し出があった。


 彼らの後ろをついていっていた私たちは、またそのワーカーたちと充分な距離をとったまま休みをとっている。


 頑丈な布を敷いて依頼者の女性を座らせてやり、靴を脱がせて休ませながら、私は甲斐甲斐しく彼女へ水とドライフルーツを渡してあげた。


「ちょこちょこ栄養とらないと、まだ先は長いんだから体力がもたないよ。……しっかり休んでね」



 彼女をなるべくしっかりと休憩させながら、しかし私はあまり気を緩めることは出来ないでいた。


 前を進んでくれる荷運びのワーカーたちは、何故か移動のペースが遅めだ。

 まるで何かの時間調整でも行っているかのように思える。


 害虫と出くわす頻度も少なくない。

 まだ直接の戦闘は必要になっていないが、ハチの姿はすでに四匹も目撃してしまっている。


 以前の医薬品ポーチはハジメが持っているままだから、急遽仕入れることができた解毒剤はあまり質が良いものではない。

 こんな状態でハチと交戦になるのは、なんとか避けたいところでもあった。

 


「ハルさん、何か気になることでもあるんですか?」


「……ん? いや、ごめん私って無愛想なんだよ。仕事中はいっつもこんな固い顔になっちゃうだけ。気にしないで」


 とはいえ、想定している危険なポイントはまだまだ先、おそらく明日のことだ。


 私は依頼者の女性がなるべく安心して休めるように、努めてなるべく朗らかに笑ってみせた。

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