7-2 TS娘と幸せの歌
思えば僕は結局、男性時代には童貞を捨てることもできないまま女の身体になったのだった。
死んだ幼なじみの女の子とも一緒に暮らしてはいたわけだが、そういう関係ではなかったし。
あの子といい雰囲気だったのは、僕ではなくハジメのほうだ。
殺伐とした話だが、女性の身体がいかに柔らかいものかは、女の罪人を刺し殺したときに知った。
男性相手よりも短剣を深く突き刺さなければ、刃が内臓に届かないこともあるくらいの柔らかさ。
サイコなやつだと思われそうだが、女の確実な殺しかたは、しっかりと身につけるまでに何度も実験が必要だった。
男に初めて抱かれたのは、ゴロツキたちに僕が誘拐されてTSしたときのこと。
女を初めて抱いたのは、TSしてしばらくしてから商売女を相手にして。
恋人にしたことがあるのは女の子だけだ。
だけど、肉体的な快楽を強く得られるのは男が相手のとき。
自分でもわからない。
この先僕は、どう生きればいい。
この先幸せに生きるために、恋人に選ぶべきなのは、今まで通り女の子でいいのか。
それとも例えば、もしかするとそれは、ハジメのような。
◇-◇-◇-◇-◇
すごく良い夢を見ていたような気がする。
かつて溺れてしまっていた薬物の快楽とは違い、心も身体もたっぷりと完全に満たされて。
ふわふわとして、暖かくて、心地よくて、たぶん何よりも幸せな夢を。
「……い。おいハル。わりぃけど起きて離してくれ。しょんべんに行きてえ」
頭の下に、太すぎるくらい太くて固い誰かの腕があった。
自分のおでこの上あたりから、愛しささえ感じる聞き慣れた声がして目が覚める。
寝起きのぼんやりした頭に、いつの間にか朝の日差しが差し込んでいた。
こんなにゆっくりと眠れたのは、いったいいつぶりのことだろう。
身体に慢性的に感じ続けていた、モヤモヤした疲れのようなものが今はすっきり無くなっている。
私は自分の腕の中に感じる何かの暖かい感触を惜しむように、一度きつく抱きしめなおした。
少しその感触は固すぎるけれど、同じベッドの中にいると暖かくて、落ち着く匂いがして、ずっとこうしていたいと感じられる。
……あれ、なんだこの状況。
……嫌な予感しかない。
ベッドの中には、一部何かで湿ったような感触がお尻のあたりに感じられた。
そしてこのベッドは明らかに、いつもの自分のベッドではない。
股の辺りにはなんだかベタつきがあって、さらには信じたくはないが、私は今、明らかに全裸だ。
自分が抱きしめたままにしてしまっている、腕の中のその筋肉質で大きな体に沿って、ゆっくりと目線を上げていく。
そして、目が合う。
いつもの優しい瞳の、ハジメと。
「ん……んん!? え? ……あれ!?」
信じたくないが、これは。
私はようやく状況を察し、ハジメの裸の身体を押し返すようにして自分の上体を起こした。
が、すぐに自分が真っ裸であったことに気づきなおして、大きくも小さくもない胸を左腕で隠す。
同時に、ハジメの筋肉質な裸の上半身が目に飛び込んできてしまい、あわてて目を背けた。
「あ、あの、あのあの、これって、えっと……」
見覚えのない部屋の床には、自分たちの衣服がめちゃくちゃになって散らばっていた。
焦りで爆発しそうな頭に、わずかながら記憶が戻りはじめる。
暗い夜の部屋の中、胸に巻いたサラシをもどかしくて焦ったように外していく私。
何度も何度もハジメと唇を重ねながら、もつれるようにしてベッドに。
で、たしか私の方がそのままハジメを押し倒すみたいにして……。
「ん? おはようハル。やっぱりめちゃくちゃ美人だな。寝起きまでこんなに……」
いや、呼び捨てになってるし。
ていうか、これってやっぱり……!
胸を左腕で隠した体勢のままお酒で消えかけた昨晩の記憶を必死にたどっていた私に対し、信じられないことに、ハジメがゆっくりと身体を寄せ唇を近づけてくる。
そのまま、無意識に受け入れてしまった。
自然に、受け入れてしまった。
自分の固くこわばった唇に、ハジメの唇が重なる。薄く生えた髭の固い感触に、頭が全く働かなくなる。
少なくとも、嫌ではなかった。
どうしてか自分でもわからないが、たぶん無意識なまま私は、すぐに離れようとしたハジメの顔を追いかけるようにしてそれを続けてしまった。
そのままゆっくりと二回キスをしたところで、ようやくほんの少しだけ正気に戻れた。
「……え? あ、あれ? うわわわっ! あ、いやその! あれ!? 何これ、なんで!?」
私はとにかくハジメから逃れようと彼の身体を突き飛ばし、ベッドから転げ落ちるようにして抜け出した。
これは、まずい。
状況もまずいし、私の反射的な対応も明らかにおかしい。
唇に残る不本意な口づけの感触に、頭が沸騰してしまいそうだ。
私はぎゅっと目をつむり、一度深く息を吸い込んだ。
よし、とにかく一旦逃げるしかない。
床にぐちゃぐちゃに脱ぎ捨てられていた自分の服を拾い上げる。焦りながらなんとか袖を通した。
いつものサラシや鎖帷子なんて、今は着けている場合ではない。
同じく床に投げ捨てられていた自分のバックパックに強引に詰め込んだ。
そのあたりでようやく、下半身も丸裸だったことに気付き、恥ずかしさでクラクラしながら必死に下も肌着を拾って身につけていく。
「……え? おいハル、まさか……」
ベッドの上から当然まだ裸のハジメが、なんとも寂しそうな、それでいて呆れたような表情でこちらに目を向けていた。
「まさか、昨日のこと覚えてねえのか? そりゃ、さすがにあんまりじゃねえか……」
そのハジメの声には、明らかに落胆の色が滲んでいた。
申し訳なさに、自分の胸が痛いほど締め付けられる。
今のところきちんと思い出せてはいない。
きちんとは。
ただ、もしこの記憶が夢ではないのだとしたら、たぶん私は昨日こいつの腕の中で、何度もいわゆる愛のささやき的な言葉も……。
「ちがっ! 違う! 違う違う! ちょっと、ちょっと待ってほら、なんていうかほら、違うんだってば!」
そう必死に声を上げながらも、おぼろげな記憶をなんとかたどっていく。
愛してるだとか、大好きだとか、陳腐で女々しい言葉を。
たぶん、何度も何度もこいつの腕の中で口にしてしまったような気がする。
ハジメが私の中に入ってくる瞬間の感触だとか、そのときのハジメの表情だとかがぶわっと頭に蘇りそうになって、私は必死に首をブンブン横に振った。
こりゃだめだ。早く逃げよう。
私はもう何も考えないようにして、ただひたすらに床の荷物をバックパックに放り込み、ブーツを拾って足を通した。
だけどさすがに私は焦りすぎていたのだろう。
ねじ込むように足を突っ込んだブーツは左右反対で。
そのままバランスを崩し、背中から思いっきり床に倒れてしまった。
ダサい、我ながらダサすぎる。
「うえっ!? いたた……」
背中を床に強打した痛みに悶えていると、さすがに驚いたのかハジメがベッドの上から立ち上がり、こちらに手を伸ばしてくる。
「お、おい、大丈夫か?」
優しくしてくれるのは嬉しい。
だけどそのせいで、床に倒れ込んだ姿勢の私の視界には、思いっきりハジメの股間のご立派なアレが飛び込んできた。
……それ、昔からそんなに大きかったっけ?
「ひっ! うわわわわ!」
10年ぶりくらいに見てしまったハジメの股間に、かあっと身体が熱くなってしまう。
いやたぶん、昨晩もたっぷり見てしまったんだろうけども。
私はそのご立派すぎる御大層なモノから慌てて目を反らした。
もう、限界だ。
床に散らかった自分の仕事道具は、なんとか全て集まったはず。
薄汚れたいつもの外套は裏表反対だったけど、とにかく身にまとわせた。
「と、とりあえず話はまた今度! ごめん! 本当にごめん! ほら、あの、用事が! 私、用事があるから! とにかくまた今度ね!」
用事なんてもちろんない。
ただひたすらに申し訳ない。
「おい、待ってくれよハル!」
呼び止めようとしてくるハジメの声を背に、私はちょっとよろめきながら部屋を飛び出した。
本当に申し訳ない。ただ、とにかく今は一旦落ち着いて自分の頭を整理させてくれ。
我ながら最低すぎるけれど、とにかく今はこうして逃げるしかなかった。
見覚えがあるような無いような、不思議な感じのする廊下を床をきしませながら走り、さらに階段を下りたあたりで気付く。
ここは、昨日ハジメと飲んでいた酒場の二階だ。
つまり、そういう用途でのお泊まりに使われている場所。
正直、こうしている間にもかなり昨晩の記憶が蘇りつつあった。いっそ思い出せないほうが良かったけれど、私はお酒の影響をそれほど翌日まで引きずらないタイプだ。
確か結局、私もハジメもあの女性を買いはしなかったのだ。
自分たちのテーブルに呼んだはいいけれど、そもそも私にはそういうつもりがなかったし、正直なところハジメにもその女性を買わせたくはなかった。
だけどひたすらお酒を飲みながらその女性を交え何かワイワイ話している間に、ハジメと二人で仲良くここに泊まることになった……ような。
その重要な部分はまだ頭がぼんやりして思い出せないから、なるべく考えないようにして先を急いだ。
一階の昨晩飲んでいた酒場には人の気配がなく、窓も閉めきられ薄暗くなっていた。
昨晩はあんなに華やかに女性たちが歌っていた壇上も、薄暗くてどこか寂しげだ。
すでに昨晩の全てが綺麗に片付けられている酒場のテーブルの間を通り、出入口だったはずの木製の大きなドアを開く。
ドアが開くと、朝の日差しが強く目に飛び込んできた。
反射的に目を細めて、ずり落ちかけたバックパックを背負いなおす。
その衝撃で、無理やり押し込んでいた鉈が傾いてまたバックがずり落ち、情けない気持ちで再度背負いなおした。
服も一緒にずり上がったが、サラシを巻いていないせいで胸の先が痛む。
当たり前だが服は汗臭く、なんなら自分自身もかなり汗臭い。
こんな薄汚れた姿のままで、ハジメとあんなことになるなんて。
せめて身綺麗にして万全の状態だったら……と一緒考えてしまい、その自分のまるで本物の女みたいな思考回路に身体がまた熱くなった。
まだそう遅い時間ではなかったようで、辺りに人の姿はまばらで、太陽の位置もまだ低い。
明るすぎる朝の日光に目がくらみながらも、私はとにかく独りになれる場所を探して朝の路地へと駆け出した。
まだ思い出したくないのに、昨晩の記憶は断片的にどんどん蘇りつつある。
とんでもないことをやらかしてしまった。
股間に残る感触の名残も、だんだん戻ってきた昨晩の記憶も、はっきりと今の現実を告げてくる。
お酒はほどほどにって、ハロワの受付嬢にも言われていたはずなのに。
私は、大馬鹿ものだ。




