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5-4 TS娘と命の値段

「ハルさん! おはようございます!」


 彼女は明るい愛嬌のある笑顔で私を迎えてくれた。

 ステーション前のいつもの待ち合わせ場所。

 雲が多く出ていて、朝の日差しはあまり強く感じない。


 彼女の首にいつも通り着けられた、体を売りものにする証である赤い布製の首輪が目にうつり、少し胸が苦しくなる。


 彼女はその首輪をつけて、何人の男に抱かれてきたのだろう。

 どんな気持ちでそれをつけ、私に声をかけたのだろう。


 もし私たちの出会い方がもう少し違っていたら、何か違う結末があったのだろうか。



「……ねえ、少し話がある」


「ん? なあに?」


 少し崩れてきた彼女の話し方にも、たぶん私は惹かれはじめていた。


 だけどたぶん、もうそんな関係も今日で最後になる。



 私はそれから何も話せないまま、ステーションから少し離れた廃墟に、ほとんど無理やり彼女を連れ込んだ。


 その廃墟は天井も壁も大きく崩れ、床も砂だらけ。

 せめて柔らかいベッドでもある場所だったなら、最後に一度彼女を抱いてから本題に入ることもできたのだろうか。


「どうしたんですか? もしかして、朝から我慢できなくなっちゃいましたか?」


 私のそんな馬鹿らしい考えを見透かしたように、彼女はクスクスと笑っている。


 そんな愛想だけはいい笑顔も、図太い性格も、たぶん私は好きになりかけていたのに。



 私はその場で、ゆっくりと自分の短剣を抜いた。


 これ以上何も言葉を交わさないままに、今すぐ彼女を殺してしまえばどうだろうか。

 そうすれば何も知らないで済む。

 思い出は綺麗なまま、血の赤に染めてしまえば。


 一番自分が傷つかないように全てが終わってくれる形を頭の中で探しても、まともな答えは見つかりそうもない。



 さすがに彼女も、今の状況がおかしいことに気がついたのだろう。

 表情は固まってぎこちないものに代わっていた。


 短剣の持ち手を軽く握る。

 それだけで私の心は、静かに冷たく落ち着いていく。

 悲しくても、これが私の仕事だ。


「……今日ハロワの受付で、『人狩り』の依頼を受けたんだ。ターゲットは、五等級のワーカーの女の子」


 何も言わないで、こんな気分の悪い仕事なんて放り出してしまえば良かったのかもしれない。


 だけど私はそうしなかった。

 まだ少しだけ、彼女にもまっとうな言い訳があるかもしれないと期待してしまっていた。



 私の言葉に彼女は、いかにも聞いたことがないかのようなそぶりで首をかしげてきた。


 だけど私は気づいている。


 彼女は振り返って逃げ出せるように、その建物の入口側をじりじりと陣取ろうとしていた。


 後ろめたいことがないのなら、もちろんそんなことをする必要はない。



 私は彼女の細い体を無理やり強く引っ張り、廃墟の奥へ押し込んだ。

 乱暴に押された彼女はそのままよろめいて、埃っぽいその廃墟の床に膝をついた。


「知らないふりはやめて。……あなた、何をやったの?」


「……さあ、わかりません」


 彼女の言葉は止まり、私はそのまま五秒くらいは待ち続けた。


 だけど彼女はずっとしゃがみこんで床を見つめ、黙りこくったままでいる。

 私が心のどこかでまだ諦めきれないでいるまともな言い訳は、もうたぶん彼女の口から出てくることはないのだろう。


 私の耳に届くのは、だんだん好きになりはじめていた彼女の女の子らしい高い声ではなく、立ち並ぶ廃墟の隙間を吹き抜ける風の小さな音だけだ。



「安否は問わないとまで言われたよ。報酬額も固まってた。意味わかる? 罪は疑いようもなく確定していて、ただ裁きが必要だってこと。……もう一回聞くよ。何をやったの?」


 まだ私から逃げられるつもりなのか、返事もせず急に立ち上がろうとした彼女の足を、私は思い切り蹴り飛ばした。


 私の靴は薄い鉄板を仕込んで固く補強してある。それで蹴られた彼女の足は、さぞ痛かったことだろう。

 小さな悲鳴をあげて、彼女はそのまま蹴られた自分の足をかかえてうずくまった。


 彼女を痛めつけるのもどうせなら、せめてベッドの中で楽しみたかった。

 こんな形で歪んだ彼女の表情なんて、もちろん見たくはなかった。



「っ……気になるなら、受付でそのときに聞けば良かったじゃないですか。わたしが何をしたのか……」


 蹴られた場所を抱えうずくまったまま、彼女はそう皮肉めいた言い方をする。


「あなたに聞きたいの! 他の誰かの口からじゃなくて……!」


 私ばかりが冷静になれずに、まだ彼女からの言い訳を待ち続けていた。

 それはきっと意味がないことだと、自分でもとっくに気付いているのに。

 


 彼女はそこでようやく観念したように、私とゆっくり目を合わせた。

 そして私には到底理解のできないこのタイミングで、優しくふわりと笑う。


「ふふ、わかりましたよ。じゃあ最後に一度、キスだけでもさせてくれませんか?」


 何も理解はできなかった。


 危険だと、罠だと、そうわかっていても止めることはできなかった。


 彼女の唇が私に近づいて。

 その柔らかい感触に、頭が全く働かなくなってしまう。


「何を考えてるの……」


 彼女を突き放そうとする力も意思もあまりにも弱くて、私はまたそのまま唇を奪われてしまった。


 そのまま3回、口づけは続いた。



「仕方がなかったんですよ。ハルさんにもう少し早く出会えてたなら、わたしだって……」


 彼女は泣き出しそうな瞳で、うめくようにそう口にする。


 彼女に対して感じはじめていた執着や愛おしさの残りかすみたいなものが、また私の胸に吹き出したみたいだった。


 もう一度だけ二人で話し合って、これからの生き方を何か変えられないのかと。

 そんなあり得るはずのない希望に、愚かにもすがりつこうとしたくなってしまう。


「ねえ、私と二人でどこか遠く……っ!」


 そう言いかけた瞬間、ほとんど無意識に私は彼女の腕を強く押さえつけていた。



 私は生きなければならない。



 そのかつての恋人から受けた呪いのような言葉が、愚かな私の頭の中を塗り替えてくれる。


 同時にどうしてか、さっき私を心配して声をかけてくれたハジメの底なしに優しい瞳と、立ち去っていくその背中が脳裏をよぎった。



 悲しいくらいに、私は人から受ける殺意に慣れ親しんでしまっていた。

 すっかり情にほだされそうになりながらも、彼女が私を油断させ殺そうとしたことに、いとも簡単に気付けてしまっていた。


 彼女が懐から取り出そうとしていたのは、私がプレゼントしてあげたばかりのナイフだった。

 私に対して凶行に及ぼうとしたその彼女の腕は、しかしナイフをケースから抜くことすら許さずに、後ろ手に捻りあげた。


 私は彼女の腕をもう動かせないように締め付けたまま、その体を硬い廃墟の床に、自分の体ごと押さえつける。

 顔が近づいてしまって、彼女の髪から女の子らしい甘いような匂いを感じた。


 一度として裸ではその身体を抱くことすらできなかったけれど、もうそれを残念に思う気持ちも消え果てそうだ。



 私の命はまだ、捨てるわけにはいかない。

 曖昧な愛おしさも悲しさも、全て自らの命への執着で塗りつぶした。


「う……その言葉も、もうほんの少し早ければ違う未来があったはずなんですよ」


 地面の土ぼこりで顔を汚した女が、ありもしない可能性を口にする。

 もうそんな言葉に、私の心は揺れはしない。


「もう、何も話さなくていい。このまま拘束させてもらうよ」


 私は片手で自分の短剣を握りしめ、彼女の首へ突きつけた。

 自分の手が、少し震えているのがわかる。

 

 きっと力が入りすぎていたのだろう。

 彼女の首に巻かれていたあの赤い布が、ふわりと千切れて床に落ちた。



 その後私は彼女の腕をロープで縛り上げ、短剣を突き付けたままサセボステーションのハロワへ連行した。


 私の前を諦めたように無言で歩いた彼女の首本からは、私の短剣でつけてしまった傷から、赤い血が細く線のように流れていた。




「……ターゲットだよ、後は任せる。報酬はいつでもいい」


 ハロワの受付に女を連行し、短剣の柄を握りしめたままの右手でその頭を机に押さえつけた。

 いつもの受付嬢は私の方へ一瞬心配そうな目を向けてくれたけれど、何も聞かずすぐに同僚たちに指示を出してその女を拘束していく。


 ハロワの職員たち数名に押さえつけられた彼女と最後に一瞬だけ目があった気がしたけれど、もちろんお互いに何も言葉は交わさなかった。


 彼女はハロワの奥へ、たぶんもう生きては帰れないどこかへ連れだされて。

 私はハロワの外へ、いつものステーションの風景の中へと帰っていく。



 悲しいとか悔しいとか、怒りだとか後悔だとか。

 たくさんの感情がごちゃ混ぜになってしまい、私は外套のフードを深くかぶりなおした。


 下を向いたまま、必死に涙をこらえ、ただ淡々とステーションの中を歩く。



 ちょうどステーションの出入口を過ぎたとき、こちらへ駆けよってくる足音があった。


 誰の足音かなんて、そちらを見なくてもわかった。


 こんなときに来てくれそうな相手も、来て欲しい相手も、この世界にただ一人しかいない。


「ハルさん!」


 いつもの、低く優しいハジメの声。


 それを聞いて、その姿を見た瞬間。

 私は一気に涙が吹き出して、抑えきれなくなってしまった。



 彼は傷だらけの顔を優しく崩し、私の外套のフードをゆっくりと外してくる。


 勝手に触るなだとか、一人でも大丈夫だから放っておいてくれだとか。

 そんな憎まれ口は全然出てこなくて。


 私はまだ真っ昼間で人の目も多いというのに、そのまま飛び込むようにしてハジメの胸に顔をうずめた。


 子供みたいに声をあげながら、私は情けなく涙を流し続けた。

 自分の男だった過去なんて無かったかのように、ハジメの腰に手を回してしがみついた。


「おい、大丈夫……じゃなさそうだな」


 たぶん驚きながらも、私をそのまま優しく抱き締めてくれたハジメの体からは、少し男っぽい匂いがした。

 それは私の女としての身体をむやみに火照らせるわけでもなく、驚くほど暖かく私の心を安らがせてくれるのだった。




 そのだいぶ後になって、いつもの受付嬢から聞いた話だが。


 あの女の子は元々、私が先日依頼で捕獲した四等級ワーカーの小男に養われるようにして暮らしていたのだそうだ。


 元々貯蓄もないような貧しい生活で、小男が私に捕まえられてしまったことにより、彼女は生活のすべを失ってしまった。


 お金もない状態だが、五等級で長いブランクもあった彼女は、自分だけで害虫駆除なんかの仕事がまともにできる気はしなかった。


 だからその体を餌にして引っかけた別のワーカーを、ベッドで油断させたところで殺害、金品を盗んだ。



 私に出会ったのが、そのわずか二日後のこと。


 自分を養っていた小男を捕まえたのが私だったということを、何も彼女は知らなかった。

 私が女の子に性的な目を向ける人間だということさえも最初は知らなかった。


 また誰か殺してお金を奪うしかないと、ただ誰でもいいから闇雲に声をかけ続けて。

 それに引っ掛かった馬鹿が、偶然にも私だったということらしい。


 だけど私と行動するようになって以来、抱かれなくても満足にお金が手に入るようになってしまい、殺しや盗みを行う必要もなくなったのだという。


 何もかもが、タイミングが悪くて胸クソの悪くなる話だ。



 ただ、タイミングが良かったことも一つだけある。


 それはここ最近の少しおかしくなってしまっていた私が、不思議なくらいハジメにちょこちょこ目撃されていたということ。


 やっぱりハジメと私はたぶん何か、強い縁みたいなもので結ばれているんだろう。 

 ハジメにその後しばらくは優しく気にかけてもらえたおかげで、わりとすぐに気持ちは立て直せたつもりでいる。


 ハジメは不器用なもので、本題には触れずこちらの体調やら天気の話やらヘンテコに声をかけ続けてくれるから。

 一緒にいるとなんだか笑えてきて、多少は気分も軽くなってしまうのだ。


 二人で食事に行くだけでも、暗い気分は一気に明るく塗り替えられていくし。

 軽い挨拶一つでもハジメとなら、それだけで胸が暖まるように感じている。



 だからもう、いいんだ。


 振り返って考えてみても、何も変わりはしない。どうせこれ以上、私に何ができたわけでもなかっただろう。


 もしも私と彼女、二人でどこかに逃げたとしても、そんな関係をいつまでも続けていられたとも思えない。

 今さらハジメに会えない場所に行くのも、もちろんごめんだ。


 それはきっと、幸せな自分の姿とは程遠い。



 私はこのことでいつまでも自分の行動を悔いることはしなかった。

 彼女がその後どんな裁きを受けたのかも、もちろん知らないままでいる。


 人狩りの仕事にしては格安の報酬900円だけを後日受け取り、私はそれをすぐに使いきった。

 どうかあなたのブクマとご評価で、恵まれないTS娘と作者へ愛の手を!!

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