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出向!

「えっ、出向ですか」


「そうだ、すでにニュースにもなっているが、今年の4月に出向してもらう」


 私の勤める航空会社が大規模な出向を行うと、数日前からニュースで報道されていた。社内でもその話題で持ちきりだったが、まさか自分が出向させられるなんて、思ってもみなかった。


「山本里琴(りこ)さん、君には四国県の南海市(なんかいし)の市役所に行ってもらう」


「……南海市ですか」


 四国県なんて、フライトでしか行ったことがない。ましてや南海市なんて、うっすらと聞いたことがあるくらいで、四国県のどのあたりにあるかも知らなかった。


 どうして私なのか、喉元まで出かかった言葉を飲み込み、私は人事部のミーティングルームから出た。





「はあぁ」

 大きなため息をつく。


 私はオープンスペースにパソコンを持ち込み、辞令が書かれた文書ファイルを眺める。出向理由として「地方創生に寄与する」なんて仰々しい文字が並んでいる。


 とりあえず、インターネットで南海市について調べてみた。四国県の西側、人口6万人程度、気候は温暖、みかん栽培や真珠養殖、漁業が盛んな町。他には、特に目を引くものはない。


 何もする気が起きず、ため息ばかりが漏れる。しかし、そろそろ午後からのフライトの準備をしなくてはならない。私は立ち上がり、ふらふらとオープンスペースを後にした。





 飛行機の中は、相変わらずガラガラだった。離陸のため、どこに乗客が座っているかもう一度確認する。


 こんな状態になったのも、去年の2月頃から新型コロナウィルスという感染症が流行したためだ。感染力が非常に高く、高齢者は亡くなるリスクがあり、若い人にも後遺症が残る恐れがあるため、一気に人の動きが止まった。

 外国製のワクチンも開発されているが、4月の時点では接種はまだまだ進んでいなかった。


 ただ今年に入ってから、自粛疲れという言葉が目立ち始め、都市部の人出は増えつつあった。そのことがウィルスをより危険に変異させる引き金となってしまっていた。


 離陸が終わり、安定飛行に入る。ギャレーに向かい、機内サービスの準備をする。


 航空業界では渡航制限により国際線の運航が大幅に減少した。また、旅行需要の蒸発や帰省自粛が叫ばれ、Web会議などの発達により出張も少なくなったため、国内線の運航も回復できていない。

 そのため、航空業界は未曽有の不景気に陥り、大手各社は大赤字を出している。当面は銀行からの融資で凌いでいるが、このままだと手元資金が底をつき、破綻する恐れがあった。





 飛行は順調だった。乗客は少なく、飲み物もパックに入ったお茶を配るだけなので、機内サービスも短時間で終わる。


 ギャレーに戻り、手持ち無沙汰になる。うろうろしていても仕方がないので、除菌シートで机の周りを丁寧に拭く。


「私たちこれからどうなるんだろうね」

 若手の二人が小声で話しているのが聞こえる。新型コロナウィルスが流行する前は控室での多少のお喋りは許されていたが、このご時世、声を出すこともままならない。


 会社がこんな状態だ、働いている私たちにも当然かなりの影響があった。


 給与カット、ボーナスなし、諸手当や福利厚生の改悪など。これに加えて、CAはフライト回数が少なくなり、危険手当が激減した。危険手当とは飛行機に乗れば乗るだけ支払われる。そのため、飛行機が飛ばなくなると、途端に毎月の給与が激減する。

 私も一人暮らしをしているが、毎月の給与だけでは家賃などが支払えず、貯金を取り崩している状況だ。会社も倒れそうだが、私の暮らしも行き詰まりそうだった。


 視線を窓に向ける。外は雲が少なく、きれいな快晴だったが、この飛行機に乗っている全員が、浮かない顔で目的地に向かっていた。





 仕事が終わり、照明が暗いイタリアンレストランの中で、同じ会社の友人二人と食事を取る。普段であれば、外食は自粛しているのだが、今夜は三人とも飲まずにはいられなかった。


「でもさ、なんで私たちが出向なわけ? もっと出向させたほうがいいやつがいっぱいいるじゃん!」

 あかりがワインを飲み下しながら、大声を上げる。


「あかり、こっそり飲んでいるんだから大きい声ださないの」

 ちなみがあかりに注意する。


 あかりはちなみを無視して、私に絡んでくる。


「里琴はいいよね、地方の市役所だったら、適当にのんびり仕事していたらいいじゃん」


「でも、縁もゆかりもない地だよ。知り合いが全くいないし、遊び場もなさそうだし……。出向期限もコロナが終息するまでなんて、文字どおり無期限の島流しだよ」


「どこだって住めば都でしょ。四国なんだから、釣りでもしてなさい、釣り釣りぃ」


「釣りなんて、やったことないし、やらないし」


「それと、四国に行くんだったら、パスポートを用意しときなさい。忘れると入国できないから」


「あかり、いい加減にしないと、四国の人にやられるよ」

 あかりに忠告するが、まったく聞かずに話し続ける。


「私はスーパーマーケットでレジ打ちと陳列、商品管理だって。なんで私がこんなことやらないといけないのよ」

 あかりは都内を中心に展開する高級志向のスーパーマーケットに出向する。それを聞いたちなみが頬杖を突いて、羨ましそうにしている。


「スーパーマーケット、いいなぁ。こっちはコールセンターだよ」

 ちなみは大手家電量販店のコールセンターに出向する。


「映画で見たことあるんだよね、コールセンターに勤めている主人公が鬱になっていく話」

 ちなみの目がよどむ。


「あっ、それ私も見た。最後は奥さんに助けられるんだよね。いいじゃん、ハッピーエンドなんだからぁ」

 あかりがちなみにフォークを向ける。


 それを見て、ちなみが大きくため息をつく。


「私たち独身だよ。映画と違って、家に帰っても誰もいないし、ストレスは溜まる一方だよ」

ちなみのため息が、薄暗い店内に漂う。


「あ~あ、誰かいい人いないかなぁ」

 誰というわけでもなく、自然と言葉が漏れる。


 私たち三人は大学の同期で、同じ航空会社に就職した。大学時代には全く面識はなかったが、会社内の大学の集まりで知り合った。三人とも28歳というお年頃で、現在はみんな彼氏なしだ。


「そういえば、経営企画部にいる中途入社の中田さん、結婚するんだってぇ」


 あかりの不意な言葉に、胸がドキリとする。


「あの爽やか慶王ボーイの中田さんでしょ。お相手は誰なの?」

 ちなみが知った顔で、あかりに質問する。


「なんか、社外の人らしいよ。噂によると合コンで知り合ったみたい。でも、このコロナが蔓延しているご時世だと結婚式とかどうするのかねぇ」


 あかりとちなみは盛り上がっていたが、私は会話に入ることができなかった。


 一度、会社での飲み会で中田さんと話す機会があった。

 一目見た時から、かっこいいなと思っていた。たまたま席が隣になり話すチャンスができると、中田さんの会話はとても面白かった。

 ユーモアを交えつつ自分のことを話すのだが、それ以上に私のこともしっかり聞いてくれる。質問も上手だし、自然と楽しい時間が過ごせた。


 とてもスマートで素敵な人、中田さんは私の憧れだった。ただ、それからは話す機会さえなく、時折遠くから眺めているだけだった。


「おーい、里琴。ぼーっとして大丈夫?」

 あかりが私の顔の前で手をぶんぶんと振る。あかりはお酒を飲むと身振り手振りが大きくなり、少々面倒くさい。


「えっ、なっ、なんでもないよ」


 適当にごまかし、少しきつめのカクテルを飲み干す。私の勝手な片思いはあっけなく終わりを告げた。





 引っ越し当日、段ボールに囲まれる長年暮らした部屋を見渡す。


 新入社員のときから住んでいるので、ここから出ていくのはやっぱり寂しい。


 感慨に更けていると、電話が鳴る。スマホの表示を見ると、お母さんからだった。お母さんからの電話はいつも少し心配になる。


「もしもし、里琴? 引っ越しはどう?」


「ちょうど荷物を入れ終わったところだよ。お母さんの方こそ、お店大丈夫?」


 お母さんは私を産んでからすぐに離婚して、女手一つで私を育ててくれた。生活は決して楽ではなかったが、お母さんは自宅兼店舗として使える一軒家を借りて、居酒屋を営んでいた。高齢になった今も、同じ場所で休みなく働いている。


「なんとか、やっているわよ。コロナでも常連さんは来てくれるし、助成金も少し出たのよ。それより、里琴の体調は大丈夫?」


「私は大丈夫。それよりこの間の定期検診は大丈夫だったの?」


「大丈夫よ」

 お母さんは5年前に乳がんを罹った。再発がないか、数か月に1回、検診を受けている。


「里琴、慣れない仕事だから無理だけはしないように」


「分かっているって。お母さんこそ他人の心配ばかりで、ちょっとは自分も気遣ってよね」


「はいはい、それじゃあ何かあったら電話するのよ」


 電話が切れて、また部屋に一人きりになる。何も敷いていないフローリングに座って、私はぼんやりと窓の外を見た。





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