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雨の獣姫と竜の騎士  作者: 縹 野分
第一章 獣たちの姫君
2/7

1.2


 竜が首を向けた先にあるのは、タレイア王国王都イアフィラ。三日月状のその島は、城下町のある陸地とは薄く海を挟み、石造りの橋でつながっている。

 中央には王都の名を冠したイアフィラ城がある。白亜に海の青を戴く王城は、本城を中心に大小様々な宮や棟が島の傾斜をなぞるように聳え立っていた。絶妙な段差をとった宮の配置は調和がとれており、白木が生えていると言われてもおかしくはない。

 城を囲む広大な森は、幻獣たちが休息に訪れる禁域。許された者のみが立ち入ることのできる領域であり、それ以外の人間が足を踏み入れようとすれば半日は異空間をさ迷い歩くことになると専らの噂だ。

 セイリウスがいたのは、海にむかって王城の右手に広がる森---通称〈黄昏の森〉の中央付近。そこから竜が目指したのは、王城の空中庭園だった。王城の中でも高台にあるそこは、大陸随一の美しさを誇る場所だ。昇るだけで海へと身を放り投げられそうな階段や、神代の名残ともいわれる水の湧き場。意匠を凝らせたこの空間は、最早一種の神域に等しいと幻獣たちが言っていた。彼らにとっては居心地の良い場所のようで、アセナや幻獣たちが、よくここで休息をとっている。

 オパルスは、石造りの大広場にゆっくりと翼を畳みながら降り立った。その背に跨ったまま、セイリウスの強張ってた体から一気に力が抜けていく。心臓がばくんばくんといろんな方向に跳ねているようだ。鞍の上で脱力する彼女の様子に、竜は今度こそ声をあげて笑った。


『そなた、そんなにもか弱かったか?』

「うるさい‥」


 あまりの疲労ぶりに言い返す言葉も幼稚なそれだ。だが無礼と怒らず、竜は心底楽しげに体を震わせて笑った。響く轟音に何事かと城から出てきた人々は、竜の背に乗る彼女をみて、心配することはなかったと納得の様相で眺めていた。

 勿論、彼女と竜の会話は彼らには分からない。彼女の耳には言葉として届く声も、彼らには竜の鳴き声にしか聞こえない、といった方が正しいか。


「そもそもあんなに速いなんてきいてな――」

「セイリウス!オパルス!」


 聞きなれたような、待ちわびたような。よく響く声に、弾かれたようにそちらを向く。

 漆黒のサーコートを纏った騎士だった。

 黒と見間違うほど濃い藍色の髪に、薄明けの空を写したような赤銅の瞳。ほんの少しだけ長い前髪が、さらりと揺れる。こちらをみとめた騎士は、城から庭園へと続く階段を身軽に飛び越えてくる。

 目が、離せなかった。

 たかが1ヶ月、されど1ヶ月。さっきまでとは違う胸の高なりを、セイリウスは知っている。きゅ、と堪えるように手を握りこんだ。

 そんな彼女の様子を、鱗と同じ美しい色の瞳に写していた竜は、乗せたときと同じように胴体を沈めた。


『ようやく我が契約者の登場か』

「お前の地鳴りみたいな笑い声が聞こえたもんでな」


 呆れたような声に、竜は至極愉快といった様子で喉奥を震わせる。

 騎士は、つい、と鞍に跨がったままのセイリウスに視線を流すと、くしゃりと困ったように、嬉しそうに笑った。目尻が緩んで、精悍な面差しがほんのりと甘さを宿す。

 その表情が、セイリウスの胸をきゅう、と再び締め付ける。彼女のすぐそばまで歩みを寄せて、つないでいた命綱を躊躇うことなく解いていく。されるがまま、そういえばいつか彼の指の節に触れさせてもらおうと思っていたことを思い出して、彼女の頬が薄く朱を掃く。

 それをちらりと盗み見て、彼はほんの僅か、口角を上げた。綱を邪魔にならないように流して、彼女へ向けてエスコートを申し出るように片手を差し出す。


「シリウス、こちらへ」


 こちらを見上げる赤銅の瞳が、声よりも雄弁に彼女を呼ぶ。セイリウスは、ばくんばくんとうるさい心臓の音がどうかきこえませんように、と願いながら彼の手をとった。ぐ、とかかる負荷をものともせずに、もう一方の腕で華奢な体を抱き止める。まるでワルツを踊るかのような優美な所作。それが自分にのみ向けられるものではないことを、セイリウスは嫌というほど知っていた。だから、せめて遠征を見送ったときと同じに微笑んで、名を呼ぶ。

 ああ、お願いだから、綺麗に笑えていますように。


「おかえりなさい、アギラ」

「ああ。姫の祝福に感謝を」


額に触れた唇に、首元を熱が駆け抜けていく。


「アギラッ」

「俺の天狼星。お前の瞳は本当に美しいな」


 朱の差した頬を撫でるかさついた指先は、ひどく繊細。まるで愛を乞うようなアギラの感触に、セイリウスの喉の奥を苦いものが掠めていった。


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