1-2 魔王と王都と転生者
入学式までの間、私は体を鍛え続け、剣に至っては魔法による強化で父親と打ち合うことができるようになっていた。今、庭で父親と学園に行く前の最後の実戦形式の鍛錬をしている。父親は力と技の両方を持ち合わせていて、攻撃魔法抜きなら間違いなく強い。勇者と比べたら足元にも及ばないが。勇者は別格だった。
「はぁ、はぁ、エリス強いな。剣で俺と渡り合える奴なんてほとんどいないぞ」
「お父様の教えが上手だからですよ」
「ハハハ、嬉しいことを言ってくれる」
父親は息が切れているが、私はまだ動ける。3年前に剣を習い始めた頃に比べれば体力はついているし、『身体強化』を発動しながら戦うことも慣れた。元々、体が動きについてこれないこともあったが、最近体を鍛えるようになったことで少しは動けるようになったのだ。昔の勘も取り戻しつつあるため父親の教えが上手いことは事実だ。
「明日には出発か。学園についたら兄達にたまには家に帰ってこいって伝えてくれ。今日はこれで終わりだ」
「分かりました」
私はメイドから渡されたタオルで汗を拭う。前世に比べたらまだまだ筋肉が足りないが、胸の膨らみがあることが嬉しい。前世では髪を長くしておかないと男と間違えられやすいこともあったが、これなら男と間違われることもないだろう。大きいと動きの邪魔になるから女性として認識される程度にあれば十分なのだが、大きいと落ち着く。私は前世と比べた時の優越感に少しの間浸っていた。
翌日、王都に向け馬車で出発した。暇な移動間は趣味程度に始めた錬金術の本を読んでいた。錬金術は金属の加工やポーションといった薬の調製ができる。魔族領域には存在しなかった技術であり興味本位で始めて、今では簡単な物なら作れるようになっていた。
王都の近くの街で一泊し、朝に出発して馬車に揺られること数時間、入学試験ぶりの王都に着いた。移動間に錬金術の本を読んでいたこともあって半分くらいは読み終えた。錬金術は読めば読むほど奥が深い。自分の戦闘用の装備を自作できるようになりたいものだ。
入学式は3日後であるが、困ったことに特にやることが無くて暇なのだ。荷物は宿の部屋に運び終えて街へ出ている。錬金術の本を入学式まで読み続ければ読み終えることもできるだろうが、さすがに別のことをしたい。馬車移動で体をほとんど動かさなかったから少しは運動したいし、お金もいくらか渡されているとはいえ、宿代を抜くと……結構余る。だいぶ多く渡してくれたようだ。とりあえず、王都内を適当に散策でもして
「やあ、そこの黒髪の可愛い子。一緒にお茶でもどうかな」
「いえ、結構です」
いきなり声をかけられたが、こういう男は相手しないに限る。私の冷たい対応で諦めたのか離れていった。しかし、紅い上衣と黒のズボンのそれぞれに金色のラインの装飾……私の貰った制服と色合いが似ているということは学園の制服か。おそらく一人で歩いている女性を口説いているのだろう。春先は虫や変態、発情期を迎えたオークや獣が湧くとも言うが、なんとも暇な奴だ。まぁ、前世では身分を隠していても街で口説かれたことは無かった。口説かれたということは今は周りから女性として見られているということだ。私は少し嬉しくなる。
私は大通りを外れた人通りの少ない道を歩いていると手を乱暴に後ろに突然引っ張られた。振り返ると目の前に豚のように肥え……いや、学園の制服を着た鼻息の荒い人間の顔をした豚がいた。
「おい、お前。俺の妾になれ」
「えっ、嫌です」
気味悪くて素で即答してしまった。でも、頭の悪そうな豚に妾になれと言われて従う奴は、あまりいないと思う。しかし、獣は頭が悪いのか顔を赤くして怒る。
「この俺、ヒャルハ・カマセーの命令だぞ。貴族に従わないとはどうなるか分かっているのか。子爵家だぞ! 分からないのか」
「子爵家がどうかしましたか?」
「この……バカ女め!」
豚が右手を振りかざしたがどうしようか。このままだと嫌悪感で手加減できなくて大ケガさせるかもしれない。しかし、獣はムチを使わないと命令に従わないことが多いし……さて、どうしたものか。
「衛兵さん、こっちです! 早く来てください」
「チッ、運の良い女だ」
青年が衛兵を呼ぶ声が聞こえると豚は走ってどこかに去っていった。逃げ足だけは早い。どうやら、不愉快な奴は魔族でも人間でもどこにでもいるようだ。青年がこちらに走ってくる。私と同じ年齢くらいだろうか。
「衛兵は嘘だが、大丈夫か」
「ええ、問題ありません。……へえ」
マナの保有量が普通とは違う。そして、魔力も強く、この世界の一般人とは全然違うし魔法の試験会場にいた者達よりも強い。これほどの力を持つ人間なんて前世では勇者くらいだ。たしかその時の勇者は
「転生者」
「えっ……」
私の言葉に青年が明らかに動揺した。転生者というならば少しお話してみたい。
「お、俺はこれで」
「いえいえ、助けてくれたのですから少しお礼したいのです」
青年が逃げようとしたため、私はガッチリ肩を掴んで離さない。こんな機会は滅多にない。転生者は神がとある目的を持って召喚させるとか言われている。この青年は何か面白い情報を持っている可能性がある。あと、1度くらいは転生者とゆっくり話してみたかった。
「俺、い、急いでいます……ので」
「嘘ですね。瞬きが増えてますし、目を背けているのはなぜでしょう」
「いやぁ……………美人の方とは顔を合わせづらくて」
「良かったじゃないですか。その美人とお話できるのですから。さあ、近くに喫茶店があるのでそこでお礼をさせてください」
私は青年を引きづるように連れて喫茶店へと向かうと渋々付き合ってくれることになった。私は青年の向かいに座ると、青年は顔を紅くして緊張していた。私が注文していた紅茶と青年の注文していたコーヒーが届く。
「さて、転生者さん? 先程は助けてくださりありがとうございました。私はあのような脅迫紛いの口説かれ方に困っていました」
「……まず、聞かせてもらう。お前は何者だ」
さて、いきなり聞いてくるとはどうしたものか。私も無理やりで良い印象が無いから警戒されても仕方ない。
「私はただの物知りな伯爵令嬢ですよ」
「は、伯爵家。無礼な態度で」
「いえ、気にしてませんから話しやすい言葉で良いですよ」
「わ、分かった。……納豆や豆腐を知っているか」
「いえ、知りません」
私はそれなりに知識を持っていると自負しているが、今の言葉は聞いたことがない。どうやら青年は転生者で間違いない。ナットウやトウフという私の知らない言葉を知っているとなると異世界から来ている。私の返答を聞いて悲愴感が漂ってくるのは同郷の者と思われたからだろうか。
「しかし、ナットウやトウフというモノがあなたの世界にはあったのでしょう。どのような世界だったのか教えてくださらない?」
転生者は快く教えてくれた。転生者の世界ではヒコウキやジドウシャという金属製の物が空を飛んだり地面を走ったり、魔法が無い代わりにカガクが進んだ世界らしい。ヒコウキやジドウシャもカガクの力で作られた物とのことだ。
「信じられないと思うが、この世界は俺の知っているゲームの世界に似ているんだ。ヒロインである少女が野郎共と国の危機を救う学園恋愛RPGで乙女ゲーなんだ」
「……」
何を言っているのか全く理解できない。理解できたのはこの国に危機が訪れるということと、この青年の知る世界に似ていることだ。
「俺は、ゲームの背景にいるようなモブキャラだと思うが、ここに入学できないと家の事情でバツ3で50過ぎた化け物のようなオバサンと結婚させられるから課金装備の武器を手に入れたり、ゲームでの知識で強くなって、ここの学園に3日後に入学することができたんだ」
「……」
入学できないと醜い女性と政略結婚させられるから、逃げるために学園に入学した、と。転生者の使う言葉が難しい。それにしてもここの紅茶は香りが良くて良い店だ。また来ても良いかもしれない。
「入学しても卒業までに婚約できないならその女性と結婚させるとか言われていて、どうすればいいのか俺には分からなくて」
「そうですか。おかわいそうに」
いつの間にか転生者の身の上話になっていた。転生者の家庭の事情なんか聞かされても私にはどうすることもできないし興味もない。しかし、彼の知っている世界に似ているということは無視できない情報だ。それが本当の情報かは分からないが。
「一応、聞いておきますが、誰を中心としてその世界は動いていたのですか」
「えーと、ヒロインだから……たしかシーナ・ハスプークだったと思う」
私は聞き覚えのある名前を聞いて紅茶を皿に置いた。シーナ・ハスプーク……実技試験の際に私の前にいた女子か。私の見立て通りなら学園に入学していてもおかしくない。
「そうですか。分かりました。あなたの言葉を信じてみるのも面白いでしょう」
「信じてくれるのか」
「ええ、面白そうですから。そういえば、私の名前をまだ言っていませんでしたね。私はエリス・アルフードと言います。学園でもよろしくお願いしますね」
「お、おう。俺はアルス・タオドラだ。学園って、ここの生徒だったのか」
「私も3日後からですが、お揃いですね」
私は笑みを浮かべながらアルスと握手をする。アルスは視線を外し顔を紅くしている。将来、有望な力を持つ転生者であることは間違いない。あとは彼がそれを伸ばすことができるかどうか。成長を近くで見られるとなると楽しみだ。
「それでは良い時間を過ごせました。代金はここに置いておきますね」
「は、はい」
代金を机に置いて私は喫茶店を出た。まさか転生者がいるとは思ってもいなかったが、面白い情報を得ることができた。この国に危機が近いうちに起こる。それを救うのがシーナ・ハスプークと野郎共。野郎共とは誰のことなのか、聞いておけば良かったかもしれない。野郎共については学園に行ってから詳しいことを聞けば良いか。私は再び王都の散策に移った。
気の向くままに歩いていると鋼を打つ音が聞こえ、近くの店では武器や防具を取り揃えられている。そして、完成度の高い武器が通行人に見えるように飾られていたりもする。しかし、一般の武器しかなく、戦闘で使うには若干心元ない。
「武器とかは急ぎではない限り自作した方が良い物を作れる……ミスリル製の武器が飾られないということは盗難防止か作れないかのどちらかになるか」
前世でもミスリル製の武器が多く出回ることは無かったが、飾られていることは多かった。それを盗もうとした者は、店の主人に叩きのめされていた。もしかしたら、人間と魔族の文化の差かもしれない。また、しばらく歩くと大きな円形状の建物があった。周囲を回ってみると、入口らしきモノを見つけ、そこにある張り紙には明日に魔物同士の戦いだったりと色々とあるようだ。
魔物は魔族にとっては家畜や使い捨ての駒でもあったため仲間意識は全くないし、魔族でも魔物を使ったこのような娯楽はあった。時間があれば明日1度見に来ても良いかもしれない。
張り紙を見ていると、後ろから声をかけられて振り返る。そこには体格の良いオジサンがいた。その人からは特に敵意や害意を感じられない。
「おっ、嬢ちゃん。君鍛えてるだろう? 明日に企画されている市民参加型ダンジョンアスレチックに出てみないか」
「それはなんですか?」
「ここの闘技場でダンジョンに似せて作ったアスレチックコースを誰が早くクリアできるか競うものさ。武器の持ち込みや魔法の使用は禁止だ。上位5名には賞金が出るし、アーヘルスの加護結界のおかげで痛みはあるがケガをしないから安心していいぞ」
アーヘルスの加護結界か。前世では拷問で相手を殺さないための加護として使われていた。その加護をこのような形で使うとは賢いというか、罰当りというか。でも、面白そうではある。
「いいですよ。面白そうですね」
「だろう! 参加者が全員男とかだと企画に華がないからな。ほら、エントリーシートだ。参加費は特別に無しでいいぜ。明日、朝の9時にはここに来てくれ。少しでも遅れたら失格になってしまうから気をつけろよ」
エントリーシートを渡される。名前か……。偽名でも良さげだし、適当に書こう。私は偽名でエントリーシートを書いた。
「おっ、書いたか。どれどれ、ノワールか。それじゃ、ノワール明日よろしくな。俺はオルギルだ」
「ええ、楽しみにしてますね、オルギルさん」
さて、今着ている服で参加するのは勿体ないから破れても良い服を用意しなければ。アーヘルスの加護はケガをしなくても服等は破れてしまう。でも、安い服はなんか嫌だし……そうだ、せっかくの機会だから錬金術で自作してみても良いかもしれない。ただの服なら私でも作れる。