15・おばちゃんは実はすし職人かもしれない、その可能性はいつだってゼロではない。
「ペンは剣よりも強し!」
唱えた瞬間だった。
俺の意識とは全く無関係に右手が動いた
凍った湖面にスケート靴で象形を描くかのように、実に滑やかに、ペンは白い紙の上に文字を記し、
唐突に、止まる。
「え、なんて書いたんだ俺……なになに『もっと大きな声で、どうぞ!』???」
もっと大きな声で? どうぞ?
混乱する頭の中で、声が響く。
【エラー:ペンは剣よりも強しの起動には70デシベル以上の声量が必要です】
「…………。」
70デシベルって、どのくらいだよ?
デシベルって地球の単位だけど、ここも同じでいいの?
疑問は尽きないが、大声で言えってことか。
決めゼリフを言わせたいだけの、女神アリアネスがまぶたに浮かぶ。
「ええーい、もう知らんっ。唱えちゃうぜ!」
この喧噪だ。ちょっとくらい、大声出しても誰も気にしやしない、と信じて。
「ペンは剣よりも強し!」
◇◇◇
言葉と右手が、結ばれる。ペン先から滴り落ちるかのように、俺の記憶が、あの場で見たものが、聞いた声が、言葉となってほとばしる。
疾走。言葉の疾走。俺は書くことで、刻んでいる。記憶を紙の上に刻み、刻まれた言葉は揺るぎない記録になる。
記録。渦中の記録。それは今を記し、1秒後には過去となり、証言の蓄積として歴史になる。
正しい言葉を、残す。それは、いわゆる正義の正しさではない。正義は、変わってしまうから。時代によって、人によって、変わってしまうから。
ペンが残すのは、変わらないものだから。
見たものに、忠実に。起きたことを、余すことなく。正しく、書き残す。そんな正しさ。時代も時空も超えて揺るぎない、正しさ。
だから、ペンは剣よりも強い。
【ペンは剣よりも強し:真実の言葉、成功】
【ペンは剣よりも強し:レベル2・真実の鏡を手に入れました】
◇◇◇
「コーヘイ、どこへ行っていたんだ! イモが冷めてしまったじゃないか!!」
大声にはっとして、顔を上げる。
「ナツメ、あれ、俺……」
「私をイモの列に並ばせておきながら姿をくらまし、また突然席についている……なんだお前は、まさかイモが気に食わないのか? 最近多いんだよな『イモっ子卒業宣言!』なんていうくだらないキャンペーンに踊らされている若者が……」
俺より年少に見えるナツメが、はあっとおばちゃんのようなため息をついた。
「お、コーヘイ。これが、記事か? いつの間に書いたんだ?」
ナツメの視線に従って、目を落とす。
紙の上には、
【ドラゴン消失 上空で爆発か】
【一面の鱗、「焼けた身が降ってきた」】
大きな見出しと、続く記事本文。そしてあたり一面に鱗が広がっていたあの情景が、写真の代わりにスケッチとして描かれている。
紛れもなく、新聞だった。
「新聞……俺が書いた記事……そうだ、確かに俺はこの手で書いた」
右手がほんのり、痺れに疼く。羽根ペンはいつの間にか、定位置の胸ポッケに収まっている。
書いたという実感はあるのに、書いていたその時間の記憶は希薄。
俺の姿が見えなくなっていたことと、関係するのか?
「コーヘイ、やるじゃないか! 素晴らしいぞこれは!! 皆が驚くに違いない。あの場で見たこと聞いたことが、手に取るように分かる!」
ナツメの頬が興奮に上気している。
「この挿絵は、いささか稚拙だがな……そしてすみっこに書かれている『もっと大きな声で、どうぞ!』って、これはなんだ?」
はっ。
「これは、その、えーっと、試し書きってやつだな、うん。消しておこう」
「書いたものを、消す?」
「う、そういえばここに修正液なんてものはない……」
「しょうがないなあ、まったく……ほれ、私がこうしてやろう」
ナツメが俺の「試し書き」に指をかざす。
「特別にお見せしよう……私の能力、足跡の刻印」
ナツメが一撫ですると、文字のひとつひとつが、肉球のぷにぷに感溢れる猫の足あと印に変わった。
「か、かわいい……かわいいが、役に立つのか、その能力……」
「何を言う! たった今、猛烈に役に立っているじゃないか!」
今後、誤植をすると猫スタンプがつくことを肝に銘じよう。
「でさ、ナツメ。俺のいた世界だと、新聞って印刷して大勢に配るものなんだけどここには印刷機はないよな。だからひとまず、一番人目につくところに掲示したいんだよね。どこになる?」
「人目につくところといえば、噴水広場に決まっているだろう」
「いやだから、決まっているとか知らねえし」
「ところでこの1枚しかないのか? 噴水広場のような人間様御用達の掲示板は、わたしたちの仲間はそうそう見に来れないぞ」
「いやだから、一枚しかないから苦渋の策なんですよ」
「複製魔法を使えばいいじゃないか。あの窓口のおばちゃんが請け負っているぞ」
「え、そうなの!? 早く言ってよ!」
「それなりに高価だがな……というかおばちゃんの気分次第の時価だからな……」
「時価っておばちゃん、鮨屋かいっ」
「スシヤ? なんだそれは、どことなく魚関係の響きだが」
鋭い。なぜそんな言語感覚が働くのか全く謎だが、鋭い。
そしてこやつの、魚への執着がとんでもないことを俺は知っている。
可及的速やかに、関心を逸らせなければツキジシジョウの二の舞になる。
「ナ、ナツメ! じゃあ急いで1枚だけ、複製してもらおう」
「その前に、スシヤのことがもう少し知りたいのだが」
「それはあとあと、新聞っていうのはさ、一刻も早く出さないといけないんだよ! スクープを抜かれちゃ意味がないからさ。ニュースは鮮度が命なんだ!」
「センド? なんだそれは、どことなく魚関係の響きだが」
「もういいから、はやくはやくっ」
俺はナツメの腕を引っ張り、端っこの窓口で暇そうにしているおばちゃんのところへずりずりと連れて行く。
「あのーー、鑑定のおばちゃん……折り入ってお願いが」
「はいはい、またあんたかね」
「はいはい、そうなんですよ」
「はいはい、さっさとその新聞、出しな」
「はいはい」
はいはいっていや、ちょっと待て。
「おばちゃん、これが新聞だって知っているの?」
「はいはい、あたしゃこの水晶でだいたいお見通しなんだよ。お代はあとでいいから、さっさと複製させな。そしてあんたたち、大急ぎでここを出るんだ」
「え、なんで?」
「なんでっていうことはないだろうコーヘイ。センドが命だから急げと言ったのはお前だろう」
そのとおりだが、おばちゃんが俺を急かす理由にはならない。
「はいはい、ちょいちょい、ホ、ホケ……ホ、ホ、ホケキョ!」
まるで手品のように、水晶の前にかざしていた右手から、おばちゃんはもう一枚の新聞を取り出した。
「できたよ。持ってけドロボウ」
「す、すっげぇえええ」
俺はきっと、手品師がシルクハットから取り出した鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
「はいはい、さっさと行った行った。お代はあとでいいからね」
お代はあとでいいと二回も言われると、いますぐ支払わなきゃ大変なことになる気がするのだが。
「よかったな、コーヘイ。先を急ごう」
ナツメは、斯様な胡散臭さには無頓着な性質らしく、さっさとギルドを出ようとする。
「お、おばちゃんありがとう……」
「はいはい、お代はねえ、あとで、いいからねえぇぇぇ」
尾を引く声から逃れるように、扉を押し開けようと手を伸ばすと入れ違いに勢いよくドアが開き、軍服の男たちがどやどやと駆け込んでくる。
何事かと足を止める俺の腕を、顔を伏せたナツメが怪力で引っ張る。
「コーヘイ。奴らを見るな」
低くささやくナツメの声音が震えている。
「奴ら、私に気づいたのかもしれない」
俺ははっとする。そうだ、亜人のナツメは城下町のギルドに「いてはいけない」存在なんだ。
……見つかったら、どうなるのか。
自然と足を速める。早鐘を打つ心臓と、俺たちの足音がリンクする。
「ナツメ、心配いらないよ。兵士たちは全員、ギルドに入ったみたいだ」
さり気なく背後をうかがい、俺はナツメにささやく。
「さ、噴水広場に新聞を張りだそう」
新聞の全文は、13話のおわりにあります!




