12・何に価値をおくかは、自分で決めるんだ、いつだって。
「このひと、ナツメの知り合い?」
俺はナツメの脇腹をつついてささやいた。
「いや。今ここで初めて会った、親切なドワーフだ」
この世界では、魚をよこせと騒げば見ず知らずの人が恵んでくれるのか。それも、絶妙に焼き色のついた香ばしい串焼きを。なんてすばらしい国だ。
「銅貨、5枚」
奥さんは、右手に串を握ったまま、左手をお椀型にして突き出した。
…………。
ですよねー。
世の中そんなに甘くない。
「だ、そうだ。コーヘイ」
「だ、そうだ。って……ナツメが食いたいんだから、自分で払えよ」
俺の懐は決して温かくない。召喚の女神からもらった金貨一枚分の硬貨がそもそもの全財産だ。
目下そこから、ふかしイモパックの金額、銅貨5枚と、ギルドで食べたイモのポタージュとパンで銅貨3枚分が差し引かれている。
「コーヘイ。だれのおかげでここまで来れたと思っているんだい?」
「それはまあ、その……」
人間の俺だけで、アルプルイチマンジャクを登るのは不可能だったのは確かだが。
「まあ、お前が渋る気持ちもわからんでもない。確かにこれで銅貨5枚は高い」
「いや、そういうことじゃないんすけど」
「奥さん、魚の価値は鮮度で決まる。私が最も好むのは、陸へ揚がったばかりの魚だ。水の欠落に驚愕し、まん丸く見開かれた、そんな目玉と視線を合わせてだな、何食わぬ様子で喉元を素早く裂くんだ。この手で彼岸への旅立ちを見送った、できたてほやほやの亡骸に頭からかぶりつくという食し方を、私は至上とする」
「センセー、それかなり少数派だと思いますけど……」
「斯様な魚に山頂で出会えるなら、銅貨7枚、いや8枚は払おう。しかしいま交渉の俎上にある魚は、焼き魚だ。しかも切り身だ。腸の処置をし、適切な大きさにさばき、身はふっくら、皮は香ばしく焼き上げられている。これでは多少の価値が減じるのは否めないだろう? せいぜい銅貨3枚、ものによっては2枚だ」
通常人の感覚からすると論理構成がむちゃくちゃだが、ナツメは至って真剣だ。
「ふうむ。お嬢さんのいうことも、まあ分からんでもない」
奥さんは、頷くように鼻ヒゲをぴくぴくさせた。
「え!? そこ理解しちゃうの??」
「そりゃ、ふつうの魚ならそうかもしれない。でもこれは海でも湖でもなく、天からの恵みの魚だ」
ヒゲを得意げに弾き、ドワーフの奥さんは言った。
「「天からの、恵み?」」
俺とナツメは声を合わせ、顔を見合わせる。
「その足元の鱗と一緒に天から降ってきたんだよ、この切り身は。中には黒焦げのものもあったがね、だいたいはちょうどよく焼けていて味も申し分ない。天もたまには、粋な計らいをするもんだ」
話ながら奥さんは、俺らが買う気なしとあきらめたのか、右手の串焼きを自ら頬張り始めた。
「それってつまり……」
「そういうことだな……」
口にすることが憚られて、俺とナツメは言葉を濁しあう。
((おばちゃん、ドラゴンの切り身ですよ、それ!!!))
「まあ、ドラゴンも魚みたいなもんだな、うん」
((ドラゴンって、知っていながら食べている!!))
OK、何も言うまい。何をゲテモノ食いと考えるかは、個人や時代や世界によりけりだ。
「なあナツメ……ということは、やっぱりドラゴンは上空で爆発したってことだよな」
「……そのようだな」
奥さんは、すっかり串焼きを食べ終えてちいさくげっぷをした。
おれはその、満ち足りた様子を見計らって声を掛ける。
「ねえ奥さん。ちょっと聞きたいんですけど」
「ん? なんだい? 銅貨5枚より少なきゃ、この串焼きは渡せないよ」
「それはそれとしてさ。ふっくら焼けた切り身と鱗が降ってくるときに、上空はどんな様子だったんですか」
「あたしはそのときは家のなかにいたから知らないよ。香ばしいにおいに誘われて外に出たんだ」
「大きな爆発音とか、煙とか、そういうのは?」
「爆発音? 煙?」
奥さんは首を傾げた。
音も煙もなく、ドラゴンが爆発するものか……そして食べごろの切り身が降ってくるなんて、文字通りおいしいことがあるものなのか……
ふう、異世界すごいぜ。
と、強引に思考を落とし込もうとしたそのときだった。
耳を劈くような轟音に、俺たちは振り返る。
「火山の、爆発……!」
吹き出した白い煙が、山を滑り降りるかのように広がり、あたりを呑みこんでいく。
「またやってるな。ポコポコ山だ。あいつは音ばっかり激しくって、爆発は大したことないんだよ」
奥さんは食いおわった串で豪快に歯をせせりながら笑う。
「火山の爆発が日常茶飯なら……たしかに、音と煙だけでいちいち外に出てきたりしないか……」
空を見上げて考え込む俺のそばで、ナツメがふかしイモパックの包みを開いているのが視界の端に映った。ドラゴンの切り身を食べる気にはならないらしい。これでおとなしくなるのなら、勝手に食べてくれて構わない。
「おや、アンネ。お客さんかい」
声に驚き振り返ると、見た目にもずっしりとした布袋を、軽々と肩に担いだ男が立っている。




