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10・オタンコナスとはいうけれど、かぼちゃはオタンコカボチャじゃなくてかぼちゃのまんま悪口になるふしぎ

「……ナツメが言う、左の道を行こう」


俺は迷いを振り切り、はっきりと告げた。


「……いいのか?」


「ああ。俺はナツメを信じる」


言葉だけじゃなくて。行動で。この身をもって。


信じると、伝えなくちゃならない。


そんな気持ちに、突き動かされた。


出会ってわずかだけれど、ナツメは亜人であることで、この国ではずいぶん生きづらい目に遭っていると分かる。


ナツメは言いたい放題で気安い調子ではあるが、言葉の端々から、警戒する視線から、何かをあきらめたよう声音から、俺は感じ続けている。


ナツメは理不尽にさらされ続けたせいで、自分の価値を、自分で減じてしまっている、と。


……それは前世で俺が、いちばん苦しんだことだ。


転生した今なら、しょうもないオヤジに難癖つけられていただけだって分かるんだ。


ストレスを他人に……部下という立場の弱い存在に……当たり散らすことでしか解消できない、ヤツこそがしょうもないと分かるんだ。


だけどあのときは。ボロクソ言われる自分を、価値のないものと感じてしまった。


俺は幸い、本格的に心と身体がぶっ壊れる前に抜け出すことができたけれど。


(……まあ、抜け出したら異世界まで来ちゃったわけだけど)


ナツメはこの国で、生き続けなきゃならないんだ。


「なあナツメ。俺がこっちに来たきっかけって、オタンコナス上司がのさばるバカモヤスミヤスミイッテクレ株式会社を辞めたその足で階段から滑り落ちたことなんだけどさ。ま、俺は転生できて結果オーライなわけよ。俺が楽しく新しい人生歩んでいることが、オタンコナスに対する究極のざまあ展開だと思うしさ」


「…………」


「だからさ、俺と一緒に……俺のことは亜人とかヒトとかで線引きしないでさ。楽しく冒険しようぜ?」


「コーヘイ。コーヘイはそれで本当に、オタンコナスを許せるのか?」


「え?」


「お前の憎しみはその程度で風化してしまうものなのか。そいつはまた、誰かを苦しめるだろう。そのオタンコナスの犠牲になる、第二、第三のコーヘイのことは、考えないのか」


「第二、第三の俺……」


「オタンコナスから逃れて終わりじゃ、ない。オタンコナスを煮るなり焼くなりして、殲滅しなければいけないとは、考えないのか。」


煮るなり焼くなり……


熱湯風呂にぶち込まれるオタンコナス上司の裸体がまぶたの裏に浮かび、慌てて振り払う。


別にそれ、見たくない。


「おい見ろ、コーヘイ。あの湖のほとりにいるのは、そのオタンコナスじゃないのか!?」


「えっ??? なんで???」


目をこらす。満月を映した、水面のゆらめきが見える。


その縁に蹲る、ヒトの姿。蹲るヒトの頭に踵を載せ、土下座を強いるもう一人のヒト。


「オタンコナスの野郎、異世界まで来て何しやがるんだ……!」


からだじゅうの毛が逆立つのを感じる。例えようのない怒りが俺の全身を焦がす。


水鏡がひび割れるように、蹲るヒトがうめいている。うめき、嘆き、許しを乞う。


「……すいませんっすいませんっ、全部私の責任です。私が悪いんです。私が間違っていました。申し訳ありませんっ勘弁してくださいっ」


やけにはっきりと聞こえる、その声。


「……オタンコナス? え、土下座しているほう??」


額を地に着け、ひたすらに自らの非をなじり、貶め、謝罪を繰り返す。


その人物こそが、オタンコナス上司だった。


「じゃあ、オタンコナスをボコっているのは、誰だよ……」


「あれはお前だ、コーヘイ」


「俺?? 俺、ここにいますけど???」


「コーヘイの心の奥底に眠る、片時も忘れられない憎しみが、オタンコナスを罰しているんだ。お前の憎しみは、異世界に来たくらいで晴れるものではないということだ。それでいいんだ。あいつがお前にやったことを覚えているだろう? それをまた、別の人間に繰り返すことを許してはいけないだろう?」


確かに。


ナツメは、正しい。


俺はオタンコナスを許していないし、ああいうヤツは同じことを繰り返すのだろうとも思っている。


「コーヘイ、今こそ憎しみを注ぎ込め!! オタンコナスを湖に突き落とせ!!」


ナツメが叫ぶ。それはほとんど悲鳴に近く、夜空をつんざく。


俺の意識が、湖のほとりでオタンコナスを足蹴にするもう一人の俺と繋がる。


もう一人の俺が抱える黒い感情が、右足に流れ込んでくる。


俺の血を黒く染め、沸騰してたぎり、行き場を失った熱のように燃え盛る、憎しみ。


右足に感じる、オタンコナスの後頭部。


あとほんのひと蹴りで。


オタンコナスは、堕ちる。


永遠に、消える。





だけど。





俺は。





見たくない。


オタンコナスと同じことをする、俺を、俺は、見たくない。


あいつと同じ処へ、堕ちたくはない。



憎しみによどんだ血は、いずれどろどろと滞り、やがてその心臓は冷えきってしまうだろう。


そうしたら俺は、もうこの世界を楽しめない気がする。


ナツメと、もう笑えない気がする。



「……ごめん、ナツメ。俺は、いやだよ。オタンコナスのこと……煮ても焼いても食う気がしない」


湖畔の俺と繋がっていた、右足の熱が引いていく。


「オタンコナスはわざわざ蹴落としてやっつけなくてもさ、ぬか床に漬けておくくらいで、いいよ。俺はさ、もっと大きな悪と闘うよ。ナツメを苦しめるものと、闘うよ。それで、いいだろ?」


振り返れないから、前を向いたまま語り掛ける。


するとクサいセリフも、なんだか口にしやすい。


「コーヘイ……ゆっくりと、後ろに、下がれ」


「ナツメ?」


「お前、自分がどこに立っているか、分かっているか……」


視線を下に落とす。


崖っぷちだった。


「ぎぇぇぇぇぇ! なんだこりゃぁぁぁ!」


尻もちをつき、そのままずりずりと後退さる。


湖畔にいるもう一人の俺を見つめているこの俺は、確かに森の直中ただなかに、揺るぎない足場のもとに、立っていたはずなのに。


崖っぷちにいた。


「まさかさっきの湖も、幻覚……?」


この崖っぷちから一歩踏み出していたら。


湖畔にいる俺と同化して、オタンコナスを、蹴り出していたら。


俺はこの崖から、墜落して。


今ごろは崖下で、岩間の肉屑か、川を流れるドザエモンか、野鳥の巣の中で餌を待つヒナの一匹に交じっていたことだろう。


ヒナの一匹だった場合は、間もなく親鳥に正体を見破られて巣を追われ、ピヨピヨ嘆いていることだろう。


「コーヘイ、落ち着け。そのまま立ち上がって、ペンの光に従って右に抜けろ。だましの森の出口だ」


「お、おう」


出口まではほんの十数歩だった。


すっかり姿を現した満月に照らされて、俺とナツメはようやく正面からお互いの顔を確かめる。


「まったく、肝を冷やしたぞ。コーヘイ、いったいどんな幻覚を見ていたんだ」


「どんなって……ナツメもそばで、一緒に見ていたじゃないか。オタンコナスを足蹴にする、もう一人の俺のことを」


「オタンコナス? なんだそれは。揚げたイモのニューフレーバーか?」


さっぱり意味が分からないとでもいうように、ナツメは眉間に皺を寄せる。


「いやいやいや、ナツメがオタンコナスを突き落とせって言ったんじゃないか。俺に、真実ペンライトとは別の道を薦めてさ……」


「なんだって? 私はお前の掲げるペンの光を頼りに、ここまで進んできたんだぞ。暗闇で、お前の姿は良く見えないから……。だが出口まで来たところで、急に光は明滅を始めて……消えてしまった」


ナツメの声音は真剣そのもので、冗談を言っている気配は皆無。


ならばつまり。


おれがついさっきまで聞き取っていたナツメの声は、幻聴だったってことか?


「暗闇のなかを後ろ足で、私は戻った。そうしたら、煮ても焼いてもなんちゃら、ぬか床がどうたら、しゃべっているお前の声が聞こえた。見ればそこは、まごうことなき崖っぷち」


「……ナツメさあ、一体どこからニセモノのナツメだったんだよ。エルフの女の子を俺が追いかけていたのは知っているよね?」


「なにぃい。お前、そんな不埒な幻覚を見て楽しんでいたのか! そりゃ崖っぷちにも誘われるだろうよ」


呆れ切った表情で俺をにらむナツメが、大きなため息を吐く。


「とんだ浮かれポンチだな、コーヘイ」


「……えらいすいまへん」


「しかし私は聞いたぞ」


「うん? 何を?」


「『ナツメを苦しめるものと闘う』と、ぬか床うんちゃらのあと、コーヘイは言っていた」


う。


あの場では照れずに言葉になった思いだが、幻覚に浮かされていたと知った今となっては、恥ずかしさが込み上げてくる。


「そう言って、お前は、崖から踏み出した脚を引っ込めて、崖っぷちに留まった」


我ながらその情景を思うと危機一髪、紙一重、首の皮一枚、最後の一歩……背筋が凍る。


「だましの森は、人の心の隙に付け込む。人の弱さにも、優しさにも付け込む」


ナツメの青い目が、月明りを映している。


「だが優しさの源は、強い心だから……森は、本当に優しい者を葬ることはできない。優しさは最後には、森の騙りを退ける」


夜風を受けて生い茂る木々の梢が鳴る。鈴の音がこぼれるような、澄んだその音。


「私も、コーヘイを苦しめるものと、闘おう」


ナツメがにやっと笑う。


ああ。


このナツメは、本物だ。


「ふっ。せいぜい頼むぜ、相棒ワトソン。」


俺たちは拳を突き合わせ、ほんのりと夜明けの気配を浮かべ始めた空のもと、山頂への道を急ぐ。


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