10 修行経過/妖精郷1
少し長くなったので分けました!
あれからまた数日(家出3週目半)
賢者の言っていた通りほぼ賢者教育の履修はほぼ終わった。
最初こそ一定の魔力量で文を描くこと自体に苦労したが、無意識でできていた魔力制御を意識的に行うことがそれほど難しくはなかったのである。今では息を吸うが如く扱えるようになった。
やはり6年、この世界で暮らしていたことは大きかったのだろう。
「水属性術式が一番得意で次が土属性、風属性か」
顎をさすっていたペンを置いて、賢者は呟いた。
水・土属性の命令文は、中高生程度の化学知識延長程度だった。思い出すのに少し時間がかかったが、1から取り掛かる必要がないことから導入がスムーズだった。
「一番苦手なのはやはり時空属性で、今は保存を習得中……」
一方、物理法則を破るような魔術の習得状況は芳しくなかった。
最大の理由は、原理法則の理解が困難だったことだろう。数学の専門家でもなかった私が突然4次元における法則を再現することはかなりハードルが高かった。
どうやら、カル先生の故郷が存在する異世界は地球の存在する世界より文明レベルが上だった模様。学んでいてよくわかった。量子力学と思しき分野に関しては特に顕著である。魔力・魔粒子の認知が可能なことから文明早期に研究が進んでいたことが原因か。
だがその割に化学分野は疎かで、周期表が存在せず、金属の炎色反応や酸塩基等もあまり詳しくなかった。鉄より魔鉱を好まれていたからだろうか。また、生物学においては系統学の発展があまりなかった。微生物へプランクトン、黒黴、更にウィルス(非生物)まで含めていたことへは驚きを通り越して呆れた。
でも発展の仕方がある意味尖っていて、面白くはあった(閑話休題)。
話を戻そう。
さて、この時空属性だが、やはり難しい分野らしい。不思議異世界出身のカル先生でも自由に行使可能な術式は限られているとのこと。
先生が現在この世界で完全に再現できたのは時間凍結倉庫程度で、ワームホールで行ける範囲を広げる研究をしているそうだ。前者だけでも十分すごいと思うのだが、曰く、ワームホールを完璧に使える様になってからその先の技術を習得したいとのことだ。
将来タイムマシンや次元ワープなんてSF(魔術)が出てきても多分驚かない。驚かないが、呆れるかもしれない。いきすぎた科学は魔術、などとよく地球で言われていたが、行きすぎた魔術もまた科学なのかもしれない(混乱)
そんなとんでも魔術が可能と思しき時空属性。
今はここ最近辛うじて(PC知識から)再現できた『切取』と『貼付』を瞬時に行えるよう訓練しつつ、次の段階である『保存』習得へと励んでいる。曰く、これが出来て初めて『拡張』を活用したより応用的かつ実践的魔術が使えるようになるとのこと。ワーズの『マクロ拡張』みたいなものだろうか。
「本当に1ヶ月で免許皆伝出せそうだな」
当初は、魔力を扱えても最低1年かかると先生は踏んでいたらしい。けれど、予想以上に私と魔術の相性が良かった。特に、命令文に使う言語を丸暗記せずに済んだことが大きかったのだろう。
何と、魔術式に使う言語は術者本人さえ理解できていれば何を使ってもいいとのこと。
「多分今週中に帰れるぞ、よかったな」
笑顔でそう伝えてくるカル先生に、少しだけ複雑な気分になった。
というのも、ここで暮らしていて少し帰りたくなくなってしまったからであった。それに……
「嫌そうな顔をするなよ、会うだけ会えばいいじゃないか」
「……そう言われましても、ね」
王家から打診のあった第三王子と婚約。お父様は断ってくれたのだが、相手が納得せず、もう一度合わせろと要求してきたらしい。公爵家といえ、さすがに王家の命令を無視するのは難しかった。
よって、約1ヶ月後に再びあの悪臭と会うことになったのだった。
「修行が長引いて会というわけには……ええ、ダメですわよね」
ため息をつき、ソファーへと項垂れた。行儀が悪いことはわかっているが、あの悪臭をもう一度と思うだけでもう、なんというか……
「…………強引なことしたら匿ってやるから逃げてこい」
賢者として弟子の保護くらいなら罪には問わんから。
賢者はそう言いながら、はいと採点を済ませた羊皮紙を渡してきた。術式を組んで問題があった部分を直してもらっていたのである。
共通語で書かれた命令文の直しを見ながら、私はひとつ思いついたことを口にした。
「ところで先生……先生の家はどのように清潔に保っているのです?」
帰りたくない最大の理由って、実は衛生状態の問題だったりした。
この家、環境が良すぎたのである。
起床後使用人の入室でスカトール臭くならないし、朝の紅茶に使われる水も黴が浮いていない。
朝食もパンが黴臭くなく砂利の異物混入もない。生野菜も虫がついておらず、土はちゃんと洗い流されていた。煮物はちゃんと火が通り、加熱調理も十分に為されていた。
さらに、給仕役も全員清潔をちゃんと保ち、臭くなかった(これすごく大事)
ここ数週間でこうした普通の環境が天国に感じてしまい、あの公爵邸に戻ることが苦痛に感じたのである。
「ああ、それは魔道具を使っているンだよ……昔作ったやつを」
懐かしそうに、そして寂しそうに告げる先生。うまく返事ができず、一旦会話が途切れた。
シンと静まった空気に耐えられなくなった先生がゴホンと咳払いをすると、何か思いついたのかニヤリと笑った。
「残念だが非売品だ、欲しいなら新しいのを自力で作るしかないわけだが」
どうするよ?
そう問いかけてきた先生。過去のことはなるべく話さない先生がちょっと珍しく、返答に遅れた。
慌てて首を縦にふると、満足げに先生は口を開いた。
「なら、賢者修行が終わってももうしばらく俺は先生でいる必要があるってことだな」
呼び出しベルから凛とした音を鳴らす先生。直後、ベラドンナ先生に連れられて以前見かけた老夫婦が入室した。
「あらあら、やっぱり私の予想通りだったようですよ」
コロコロと上品に笑う老婦人に、好々爺然とした老人がムッと眉間にしわを寄らせた。
「ティファ、流石にこの賭けは無効に「オベロン?」 わかった、悪かったから拗ねないでくれ」
そう呟きながらステッキで丸を描いた好々爺。すると、そこに妖精(蝶々)が現れあっという間に輪を作っていく。
あっけにとられて見ていると、妖精の輪が出来上がった。
「ほら。手を出せ、手を」
いつの間にか横に立っていた賢者にエスコートされ、私たちは老夫婦の先導で輪の中へと進んでいった。
*〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜*
妖精の輪の中は、色鮮やかな世界だった。
緑も花も、水滴までもが輝き、森全体が煌めいていた。
その間を駆け回る妖精や、水辺ではしゃぐ動物も、何かしら輝きを有していた。
「あら、美しい」
最大の驚きは、この全てに可視化できる程濃密な魔粒子が含まれていることだろうか。
[あ、トルメキアの民だ! 珍しい]
[ほんとうだ、珍妙だ!!]
我々一行に気がついた妖精たちがキャッキャと笑い、集ってきた。あっという間に道は渋滞し、先へ進めなくなった。
困った顔で賢者を見上げると、賢者の顔へ原型が分からなくなる程蝶々が集まっていた。密集しすぎており、思わず悲鳴をあげそうになったがなんとか耐えた。だが、うっかり手を離してしまった。
その隙をついて、別の存在が私の手を掴んだ。
少し体温の冷たい鱗のある手だ。
[ねえ、君はどこから来たの?]
乗馬服の端正な少年が尋ねた。
目と髪は黒く、肌は所々青紫色。羽はないが耳と尻尾が生えていた。耳は馬耳だろうか?
尻尾はどことなく魚っぽかった。
[そいつはやめたほうがいいよ]
そう言って反対側から誰かが手を掴んで引っ張った、少しだけ私より体温高めである。
顔を向けるとそこには、血のような赤い鳥打ち帽を被った赤目の少年がいた。顔は親しみやすく愛嬌があり、やや出歯気味。上半身裸で下半身はズボンに鉄靴を履いていた。
腰にはステッキと血塗れの斧があった。
[貴様こそ、その薄汚い血染めの手を離したらどうだ?]
[そっちだって内臓ばっかり食べて寄生虫大丈夫?]
あっという間に2人は私を挟んで喧嘩を始めた。
怖がり固っていたら、もっと小さな妖精たちが集まりだした。あっという間に2人の手を引き剥がし、別の手が今度は私を握った。今度は少し暖かい、優しい手。
[だいじょうぶ、あのふたりあぶない、よ]
灰色の長髪の少女が、心配そうに目尻を下げた。
琥珀色の目が美しく、ソプラノ声も美しかった。
「礼を言います、助かりましたわ」
素直に礼をすると、花がほころんだように彼女は笑った。
続いて周囲にいた小妖精たちにもありがとうとと伝えた。ワチャワチャと嬉しげにはしゃぐ妖精たちはだが、すでに意識がどう遊ぼうかという思考へ移っていた様だった。
[誰?] [遊ぶ?]
[名前は?]
[何が好き?]
[面白い遊び、知っている?]
[遊ぼう!]
「えっと……」
突然集ってきた妖精たちの質問の嵐へ困惑し、暫し転校生の気分を味わった。
その状況で、先導していた老人がステッキでトントンと地面を叩いた。
「今はちょっと忙しい……そういうのは後にしてくれるかな?」
少し冷たい笑みを浮かべけん制するようにそう発言すると、途端全員一方向うを見て慌てた様に散っていった。
それに気付かず喧嘩していた少年たちへ眉を顰める老人。ステッキ一振りで爆発的な風が吹き、あっという間に2人は犬神家と化していた。
「さて、ではいきますかな」
一行は、何事もなかったかのように道を進んでいった。




