最期の晩餐
僕が僕でなくなっていく。
だんだんと、どんどんと、僕は彼女に侵食されていく。でもかまわない。それは彼女と、僕が望んだことなのだから。
きっかけは彼女の病だった。僕と彼女は恋人だった。二人で一緒に暮らし始めて一週間も経たないうちに、彼女がしたたか血を吐いたのだ。それは不治の病だった。医者の診断は「余命はあと三か月」。
「きっと治るよ」「大丈夫」……僕が彼女を励ます声には、不自然に力が入っていたと思う。
彼女はベッドに横になり、黙って微笑むだけだった。
そうしてやっぱり、医者の診断は正しかった。彼女はきっかり三か月後に亡くなった。けれども彼女は亡くなる前に、僕の目を見てかすれた声で言ったのだ。
「わたしが死んだら、あなたが食べてちょうだい」と。
「わたしの体を食べてちょうだい。そうしたらずっと一緒にいられる」と。
僕は彼女が死んだ後、言われたとおりに彼女を食べた。腕を食べ胸を食べ、愛らしい目玉に手をかけたところで警察に知れ、「死体損壊」で捕まった。
だから今僕はこうして檻の中にいる。いつ出られるのか分からない。けれどももっと重要な問題は、僕の中で彼女が生きていることだ。頭の中に声が響く。知らぬ間に僕の動作が女性的になっていく。
不安な時に自分の爪をくるくる撫でる。そんな彼女のくせが、もうすっかり僕の身についてしまっている。そうして僕はどんどん彼女に侵食されて、もうじき彼女になり代わる。
でもかまわない。いつか檻から外に出たら、後の人生は彼女のものだ。願わくば僕の魂もいくらかそこに残っていて、頭の中で彼女とおしゃべり出来たらいい。鉄格子の内側で、僕はその日を夢見ている……。
「1693号の様子はどうだ?」
「変わりないです。おとなしくはしていますが、相変わらず自分の妄想を口走っています」
「やれやれ、あいつは死ぬまで不運な恋人きどりか。死肉をあさる連続殺人者のくせに」
上司の言葉に、看守は少し囚人の肩を持ってつぶやいた。
「……良心ですかね。そのまま自分の罪を背負うには、精神が堪えられないのでしょうか」
「だいたい肉なんか、あいつ程度の身分で食えるはずがないんだ。この地球規模の飢饉時代に」
「……今晩くらいは、ウインナーの一本もつけてあげましょう」
「ああ、そうしろ。どのみち最期の晩餐だ、ウインナーは規則だからな。明日の朝一番であいつは死刑だ。そうしたらあいつも『食肉』になって、ひそかにこの国の富豪たちの腹に収まる運命だからな」
二人の話が聞こえているのかいないのか、それとももうそれもどうでもいいのか。精神を病んだ殺人者は、ぶつぶつと「彼女」と甘い会話を楽しんでいる。
くず肉の寄せ集めのウインナーの焼けるにおいが、かすかに獄中に漂いだした。(了)