海月と眼帯
深海に沈んできたのは酸素を持って毒を持たないクラゲだった。
朝からいつも以上に騒がしかった。理由は簡単。昨日の、あの男が転校してきたのだ。
「羽鳥 飛鳥です。皆さん、よろしくお願いします」
あの、人が好さそうな爽やかな笑みを貼り付けて、クラスメイトを次々と虜にしていく。ほんと、すごい。一種の才能だ、と思う。
「あ! 昨日の!」
「へ?」
前を向くとバチッと目が合う。あぁ、めんどくさいのに目をつけられた。つけられてしまった。ていうか昨日のって何、昨日のって。名乗っていないからしょうがないんだろうけど。それでも。
「え、どういう関係?」
「嘘……」
本当に、めんどくさい。ひそひそとうるさい。嘘、とは何なのか。意味が解らない。
「なんだ、知り合いなのか。丁度いい、空野、羽鳥のことよろしくな」
「は?」
「よろしくね、空野さん」
隣に座る羽鳥君。よろしくする気なんてない、したくない。視線が痛いから。水面に浮かぶ海月の大群に、道を塞がれた、そんな感じ。居心地が悪い。この人は、毒がないんじゃない。毒を隠していた。最悪だ。
それからというもの、羽鳥君はずっと私の傍から離れなかった。着替えとかは別だけど。お昼の時とか、移動教室の時とか。先生からは、友達ができたんだね! と喜んでくれたが、嬉しくはなかった。それにずっと付きまとわれてて、うざい。でも離れてくれない。だから私の希望でお昼は屋上で食べることにしている。視線が痛いし、落ち着かないから。
「空野さんって不思議だね」
「普通だけど」
「不思議だよ。だって、怪我してないのに眼帯してるし」
とある日のお昼。触れてほしくないことに触れられた。どうして眼帯をしていているのか、聞かれたくなかった。
「……そう?」
「うん」
「そっか……」
「……。」
「無理には聞かないけど、眼帯はやめた方がいいよ」
「何で?」
眼帯はやめた方がいい。自分が経験して失敗した、そういう意味に聞こえる。だけど、やめた方がいいのかもしれないけど、それしかこの眼を隠す方法が思いつかない。
「何でって……そりゃ、余計に目立つから」
「目立つ……目立ってるの?」
「うん。結構」
「まじか」
そんなに目立ってるのか。気づかなかった。眼帯は目立つ、じゃあ何なら目立たずに隠せる? 目を覆うものなんて限られてる。目立たないものなんて、ない。
「ねぇ、空野さん」
「何?」
「眼帯、外してみない?」
「ごめんそれ無理だわ」
「即答!?」
眼帯を外すのは、外すのだけは、無理。一時は私だってそう思った。でも、無理。また昔と同じになるのは、嫌だ。
「無理なものは無理。諦めて」
「じゃあ約束して? いつでもいい、時間がかかっていいから、眼帯を外してほしい」
「……わかった。いつかね」
いつか
そのいつかはずっと、一生来なくていい。それが約束を破ることだとしても。最低だって思われていい。この眼帯が隠してくれてる眼は、人に見せてはいけないのだから。だって、だって、……。
お地蔵様の所に着いたのは、いつもより遅い夜だった。