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エーテルの精霊使い  作者: 久遠由純
修行開始
3/9

 授業の始まる時間が迫ると、キョウヤの胸の中に不安と緊張が大きくなってきた。

 昨日もそのせいであまり眠れていないし、朝食もろくに喉を通らなかった。食堂では昨日の夕食時のことがあったからか、誰もキョウヤに絡む者がいなかったのだけが救いだ。

 学園の校舎へと至る坂道を登校中も、まだ始まってもいない特訓や試合のことばかり考えてしまう。周りの生徒がキョウヤを見て何やら話しているのを気にしている余裕もない。

 一緒に歩いているケミーは、一人悶々としているキョウヤに気を使っているのか、いつものようなおしゃべりは控えていた。


 学園はいくつもの塔を持った荘厳な建物で、とても大きい。その豪華さや大きさは一国の王宮にも引けを取らない程だ。丘の下に見える寮も、目に見えて派手というわけではないが、どこかの貴族の別荘のように洗練されて美しい外観だった。

 これらは全て、式使いを欲する世界中の国々や大都市、裕福な個人からの寄付で作られており、学園の運営そのものもほぼその寄付でまかなわれている。それはエリドゥラとアンリヘイム、二つの学園はどこの国のものでもなく、他の権力や組織からの干渉を受け付けない特別な機関として存在しているからだ。

 それだけ神術使いというのは貴重な存在とみなされていた。

 式使いになるのを夢見て入学する生徒達にも、基本授業料や入学費といった費用は一切かからない。たとえ無一文でも、神力(しんり)と式使いになりたいという意志さえあれば、誰でも入学できる。

 幼い頃に精霊使い(エレメンタラー)だった父を失い身寄りもなかったキョウヤは、そのおかげで家を失わずに済み、農奴とさして変わらない過酷な生活から免れ、ここでまともな生活を送っていられる。


「キョウヤ、特訓頑張れよ!」

 道を登った所で、ケミーが元気づけるように腕を叩いてきた。

 裏庭で特訓だと言われているキョウヤは、ここでケミーとはお別れだ。

「うう、そりゃまあ頑張ることは頑張るけどさ……。キュリアさんたちにもそう約束したし」

「『やる気にならなきゃ始まらない』ぞ?」

 ケミーに昨日決意を決めたディディオの一言を言われて、キョウヤはハッとする。

 そうだ。確かに自分が対抗試合に出なければならないという重圧ですでに押しつぶされそうではあるが、やれるだけのことはやろうと決めた。キョウヤの中でそれだけは変えてはいけない気持ちだった。

 自分は大丈夫だと証明するかのように、ケミーに微笑みを見せるキョウヤ。

「……どうなるか分からないけどとにかく行ってくる」

「うん。じゃああとで!」

 そしてケミーは教室へ、キョウヤは裏庭へと向かった。


 裏庭は校舎の外から大きく回るようにして行く。すでにキュリア達3人はキョウヤを待っていた。

 神術の訓練をするには充分な広さの裏庭は、周囲を木立に囲まれている。学園自体がちょっとした丘の上にあるので、境界のように立っている木々の先はそのまま森と斜面になっていた。

 今はその裏庭全体を、ドーム状の膜のようなものが覆っていた。基本透明でなんの支障もなく景色を見通せるが、光の加減で時折七色に輝いて見える部分もある。

 これは祈祷師(シャーマン)の作った結界だ。おそらくライバルのアンリヘイム学園からの偵察防止のためだろう。

 キュリアやグネヴィエラは結界の中にいた。

「おはよう、キョウヤ」

 グネヴィエラがにこやかに挨拶をする。

「おっ、おはようございます!」

 キョウヤは結界の前で立ち止まり、慌てて3人にペコリと頭を下げた。

 グネヴィエラと話すのは初めてだ。昨日のは話したうちに入らないし。

 皆が噂している通り、可愛らしい顔立ちと優しげな佇まいは思わずキョウヤの頬を赤くさせる。

「おはよう。時間通りだな」

「よう。ちゃんと来たな。少なくとも俺達をガッカリさせるほどのダメ人間にならずにすんだってわけだ」

 キュリアとディディオも、キョウヤがちゃんと来るかいささか疑っていたのだろう、どことなく嬉しそうに見える。

「は、はい! 今日はよろしくお願いします!」

 キョウヤは恐縮して再びお辞儀をした。

「そんなにかしこまらなくていいから。まずは結界内に入って」

 グネヴィエラに言われて、キョウヤは一歩前に出る。目の前に七色の光が波打った。

「あの、これって普通に通れるんですか?」

「ああ、これは学園長自らがお作りになった結界だ。決められた者しか手入りできず、外からは見えない。手の平を結界に触れ、名前を言うんだ」

 キュリアに言われるままに、キョウヤは結界に手の平を押し付けた。確かに目の前には進行を阻む何かがある。

 イメージではガラスのように硬い物かと思っていたが、どちらかというと空気そのものが反発力を持ったような感触だった。とても割れにくいシャボン玉、とでも言おうか。

 キョウヤはその感触を不思議な気持ちで確かめながら、名前を言う。

「キョウヤ=イシュバラ」

 すると、手の平部分の膜が光り、そこからキョウヤを受け入れるように膜が開いた。

 キョウヤが中に入ると再び膜は綺麗に閉じ、空間と見分けがつかなくなった。

「よし、それじゃ早速始める訳だが、キョウヤに自己紹介がてら、俺たちの能力を知っておいてもらおうか」

 キュリアの提案にディディオは若干の不満の声を上げる。

「ええ~? そんなのいいから早く始めようぜ」

「そういうわけにはいかない。俺たち3人はお互いをよく知ってるが、キョウヤは違う。キョウヤはまだ5年生だし、他の職のこともよく知らないだろう?」

「はい、そうですね……」

 その通りだ、とキョウヤは思った。この三人が優秀だということはよく分かっているが、その実際のところは学年も職も違うので詳しくは知らない。

 にわかに興味が出てきた。

「僕見てみたいです、皆さんの神術!」

「ああ、もちろん見せてあげよう。俺たちはまずお互いを知らなければならない。それから、キミを特訓する上で何が必要か、キミの実力を見せてもらうよ」

「ちっ、キュリアがそう言うんなら、しょーがねーなぁ」

 ディディオも渋々承諾する。

「じゃ、言い出した俺が最初にやろう」


 キュリアは他の三人から少し離れて立った。

「俺は『召喚師(サマナー)』だ。神話に語られている場所で、その時代の神々を『召喚』、具現化させる。神話でそこに神がいたとか何かをしたとか言われている、そういう場所には未だ神の力が残っているんだ。その力を喚び出し、形にする」

 言葉を切って、キョウヤの反応を見るキュリア。

 キョウヤは一心に聞き入っていた。どうやら、こういう説明的なことを学ぶのは好きなようだ。悪くない。

 キュリアは先を続ける。

「ここエリドゥラ学園は、神話で語られているところの『集いの地』だ。エル・ダーナ神とエムリス神が対立した時、エル・ダーナ神やそれに従う神々が集まった場所だとされている。これくらいはキョウヤも神話学で習っただろう?」

「は、はい。アンリヘイム学園のある場所は、エムリス神側の『集いの地』ですよね」

 キョウヤは勢い込んで答えた。

 学問系の勉強は得意なので、もちろん覚えている。

 キュリアは優秀な聞き手に満足してうなずく。

「故に、学園の敷地内ならばほとんどの神を召喚できるだろう。もちろん術者本人の力量にもよるが、俺が得意なのは、『戦と力の神リーグン』の召喚だ」

 キュリアは複雑な口式の書かれた(フダ)をマントの内側から取り出した。

 それを指で挟み顔の前に持ち、精神を集中する。

 召喚には『イメージ』が大事だ。神話の内容、神の姿、神の持つ力をより強く深くイメージし、そのイメージを以て神は具現化されるのだ。


「―――『ここは〈集いの地〉にて御身のおわす場所なり 我は正統なる者にして御身を喚ぶ者 我が声を聞き要請に応え顕れたまえ 〈戦と力の神リーグン〉』!!」


 キュリアが口式を唱えると、符が燃え、彼の背後が眩しく光った。

 空間を押し退けるように光が人の形を成し、神話時代の神の姿をとる。


 幅広の太刀を持ち、羽飾りの着いた兜をかぶり、光り輝く鎧をまとった雄々しい姿。


「これがリーグン神……!!」

 思わずキョウヤは感嘆の声を上げる。

 召喚の術を見るのも、召喚された神を見るのも初めてだ。

 リーグン神は普通の人間よりも何倍も巨大で、キュリア達を見下ろしている。

「何用だ、人の子よ」

 威厳を伴った低い声が召喚者キュリアに尋ねた。

「大いなるリーグン神よ、あそこにある大岩を破壊してもらいたいのです」

 キュリアは丁寧に要求を述べた。自分の術で喚び出したものだとしても、これは神の力の一部。敬意を払わなければならない。

 練習用に用意したらしい大岩と山になった木材が裏庭の真ん中に鎮座していた。

 岩はキュリアの身長よりも大きく、幅も奥行も同じくらいでいかにもどっしりとしていたが、力の神はその岩を見てふむ、と軽くうなずく。

「そんなことなら簡単である」

 戦の神は腰に下げていた立派な装飾の剣を抜いた。刃は光を受けて輝き、リーグンはほんの三歩で岩に近寄る。

「はあっ!」

 剣が唸りを上げて振り下ろされると、大岩はあっさり真っ二つに叩き割られた。

「これで良いか、人の子よ」

「お見事です」

 キュリアは恭しくお辞儀をして、キョウヤ達に振り返る。

「とまあこんな具合だ」

「す、すごいですキュリアさん! 僕初めて見ました!」

 キョウヤの顔は驚きと感動でいっぱいだ。

「相変わらず見事だぜ、キュリア。上位神のリーグンを簡単に召喚しちまうとはな」

「ええ、こんなにはっきり具現化できるのは学園ではあなただけだわ」

 ディディオとグネヴィエラもキュリアの術に感心しきりだ。さすが対抗試合の選抜メンバーに選ばれるだけはある、ということだろう。

「この召喚したリーグン神は当然神の力の一部だが、俺の想念に左右され、俺の指示を受けて行動する。そして、その想念が強ければ強い程、召喚された神は消えにくい。逆に想念が弱いと……」

 キュリアが目を閉じて気を抜くと、すう、とリーグンの姿が薄くなった。

「あっ」

 キョウヤがうろたえているうちにも、リーグン神はすっかり消えていなくなってしまった。召喚を解かれたのだ。

「長時間召喚を保持しておくのはかなりの精神力を消耗する。高レベルの召喚師は一度に数体の神を召喚することも可能だが、俺はリーグン級の神はまだ一体が限度だ」

「なあに、お前ならあと二年も修行すればできるようになるさ。さ、次は俺だな」

 予想以上で言葉もないキョウヤを尻目に、ディディオがキュリアと入れ替わり彼らの前に立った。


「俺の職は『異獣使い(エネミーマスター)』だ。世界では凶暴な獣による被害が絶えない。それらの獣は遡れば神話時代に行き着くことは当然知ってるな?」

 ディディオは少し挑発的な笑みを浮かべ、キョウヤを試すかのように聞いてきた。

 神話では、兄弟神はお互いの創造した人間を消すために異獣を創ったのだとされている。

 学問が得意なキョウヤには簡単に答えられる質問だった。

「はい、兄弟神が争った時に創り出した異獣のことですね」

 キョウヤが少しも考える素振りを見せずすぐに回答したので、ディディオは『やるじゃねぇか』とでも言っているような笑みを口の端に上らせる。

「そうだ。そいつらは神々が地上を去った今も存在を続けている。異獣は普通の獣のように交配して生まれるのではなく、人の悪意や負の感情を糧に増える。だから何百年も経った今でも絶滅してないんだな。色んな姿の奴がいるが、どんな異獣でも凶暴で、人を襲うことだけは大昔から変わっちゃいない。『人間を滅ぼせ』という原初の命令が、もう本能レベルに刷り込まれちまってるんだろうな」

 とディディオは自分のこめかみに指を立てた。

 異獣は基本的に普通の牛や豚などという動物とは全く違い、大概二つ以上の動物や虫といった生物を混ぜ合わせたような恐ろしい姿をしている。どの個体も同じ姿をしたものはいない。だがどれも力や生命力が強く、火を吐いたり毒を持っていたりという特徴があった。

 とにかく人間を見れば襲ってくるので、山や町のない土地を旅する者や商人、小さな村などでは異獣に襲われるという被害が起こっていた。

「異獣使いは、その異獣を捕まえて自分に従わせるんだ」

「で、でも、そんなことできるんですか? 異獣はそんな簡単にやられないでしょうし」

 キョウヤは驚きと恐怖を隠せず両手をもじもじさせる。異獣の恐ろしさはキョウヤもよく知っている。実際に目の前で見たのだから―――。

 異獣使いの基本的なことは授業で学んだので知っていたものの、『異獣を捕まえる』というのを改めて聞くとかなりインパクトがあった。

 まあな、とディディオは軽く肩をすくめる。

「だから捕まえるための口式がある。最初のうちは他の式使いと一緒に行って、弱らせてから捕まえるとか、やり方は色々だ。捕まえた後、異獣自身が俺に『負けた』と認めると、俺の僕になる訳だ。で、俺はこれだけの異獣を持っている」

 ばさっとマントをめくったディディオの腰には、剣帯のような物に何本もの金属製の筒がぶら下がっていた。

「これは管だ。この中に捕まえた異獣が入っている」

 一つを取って、キョウヤに良く見えるように目の前に出す。

「こんな小さな管の中に……」

 キョウヤは感心しながら管を色んな角度から眺めた。

 それは15cmくらいの銀色の金属の筒で、真ん中に切れ込みがある。ひねると開く仕組みだろう。全体に細かな口式が彫り込まれており、ちょっとした工芸品のようだ。

 『異獣使い』専用の管で、『武具師(アームスミス)』が作っている道具だった。

 一匹だって異獣に立ち向かうのは困難なのに、ディディオはその異獣が入っているという管を8本も持っていた。

「捕まえた異獣には名前を付けるんだ。術者との間に絆を作るんだな。それから口式と符で括り、自分に従わせる。異獣が賢い場合は、何度か使ってるうちに符を使わなくても言うことを聞くようになるのさ」

「へえぇ~、そうなんだ……!!」

 キョウヤはキラキラした目でディディオを見ており、ディディオも悪い気はしない。

「で、俺が一番気に入ってる異獣はこいつだ」

 キョウヤに見せていた管を戻し、別の管を取り出した。

「こいつはアーリニス。国境近くにある山奥で捕まえたんだ。炎のような翼を持つ異獣なんだぜ? 見せてやる」

 ニヤリと笑って、ディディオは管を胸の前に横にして両手で持ち、口式を唱え始めた。


「『我が名はディディオ=エルロウ 炎の翼のアーリニス、我との絆を示し出でよ』!!」


 管に書かれた口式が薄青く光っている。

 ディディオが管をひねると、切れ目から人魂のようなものが飛び出し、キョウヤの目の前に一瞬のうちに翼を持つ異獣が出現した。


 上半身は真っ赤に燃えるような毛並みを持つ鷲っぽい姿で、立派な冠毛がふさふさとしている。その下にヤギのような太い角が二本、後ろに向かって伸びていた。大きな翼は広げると本当に炎が燃えているように見える。

 下半身は尻尾の長い爬虫類型で、緑のウロコのトカゲのようだった。しかしがっしりした足には鋭い爪がある。

 人を二人くらいは簡単に乗せられそうなくらい、アーリニスは大きかった。


 キョウヤはぽかんと口を開けている。

 こんな姿の異獣は見たことがない。よく話に聞く異獣の姿は大抵醜悪で、恐ろしげなものだった。でも今キョウヤの前にいるアーリニスは美しいとさえ思える。

「どうだ、すごいだろ?」

 得意げにディディオが言うと、キョウヤは何度もうなずいた。

「何度見てもアーリニスの翼は綺麗だわ」

 うっとりとした様子でグネヴィエラが声を漏らす。

 キュリアもどこか誇らしげに立っているアーリニスを見上げ、キョウヤに囁いた。

「アーリニスは賢いし、捕まえる時も相当苦労したらしい。だが、その価値はあったようだな」

「へええ~。さすがディディオさんですね!」

「アーリニス、炎であの木を燃やせ!」

 ディディオはさっきリーグン神が壊した岩の隣にある薪の山を指差した。

 炎の翼を持つ異獣は、一声鳴くと口から炎の球を吐き出した。

「!!」

 火の玉は一瞬にして薪の山を炎に包み燃やす。

「す、すごい……!!」

 キョウヤにはそれしか言葉が出てこない。

「だろ? どうだキョウヤ、乗ってみるか?」

「ええっ!?」

「大丈夫だ、この結界の中をちょっと一周するだけだ。ホラ!」

 ディディオに半ば強引に腕を引っ張られ、キョウヤはされるがままアーリニスの背に乗せられた。

 最初はいくらディディオの僕と言っても異獣だし、ディディオ以外の人間が乗ったら暴れるんじゃないかとか火のように赤い羽毛は触れたら火傷するのではなどと思っていたが、アーリニスは本当にディディオの言うことをよく聞いていて、大人しかった。

 キョウヤが足をかけても手を付いても暴れもせず、羽毛は思ったより柔らかく、乗り心地も悪くない。

「よしキョウヤ、しっかり掴まってろよ! アーリニス、この上をゆっくりぐるっと飛んでまたここに降りて来い! 結界があるから低めにな!」

 ディディオがアーリニスの体をポンポンと軽く叩きながら指示すると、赤い翼の異獣は『ケー』と一声鳴き、ばさりと翼を羽ばたかせて飛んだ。

「うわあ~!」

 思った以上に安定した飛行で、爽快だ。

 木よりも上から眺める景色は、ぐるりと学園の遥か先まで見通せた。遠くの町やアンリヘイム学園、間にある対抗試合が行われる闘技場もよく見える。

 結界内をゆっくり一周しちょっとした飛行体験が終わると、キョウヤはもうこの異獣に親しみを感じていた。

「すごかったです、ディディオさん!」

 もう何度『すごい』と言ったか分からないが、再び感嘆の言葉を口にする。

「そうだろそうだろ、それが分かれば充分だ」

 キョウヤの反応にディディオは上機嫌だ。

「ご苦労だったな、アーリニス。管に戻れ」

 優しさを込めてディディオが体を撫でてやると、アーリニスは再び一鳴きして、ディディオの持つ管の中へ吸い込まれるようにして消えた。

 そしてディディオはその管を回してカチリと閉め、また腰の帯に着け戻す。

「そういえば、捕まえた異獣達の餌とかはどうしてるんですか?」

 異獣が何を食べているのかあまり考えたくはなかったけど、キョウヤはふと思ってしまったのだ。まさか普通に牛や馬のように飼っている訳ではないだろうが……。

「餌は必要ない。式使いの僕になった異獣は、もうそれまでの生き方とはまるで変わっちまうんだ。俺が生きている限り、こいつらは死ぬことはないし老いることもない」

「ええっ、そうなんですか!?」

「ああ。極端な話、例えばアーリニスの首と胴が離れたとしても、俺が死んでなければ、管に戻せばおよそ半日でまた元通りの姿で出せるって訳だ」

 ディディオの説明にキョウヤは驚いた。『異獣使い』と異獣がそんな特殊な関係だったとは。

 『異獣使い』は僕を手に入れるためにまず異獣と戦わなければならないので、元々あまりなり手がいない職なのだ。ゆえにその特性について他の人間が知る機会も少ない。

「俺はまだ出来ないんだが、もっと高位の異獣使いになると、異獣同士を掛け合わせてもっと強力な異獣にすることもできるらしい」

 それはどんな異獣になるのか、キョウヤには想像もつかなかった。


「それじゃ、次は私ね」

 グネヴィエラがふわりとマントを翻らせて、三人の前に立った。

「もう知ってると思うけど、私は『歌術師(トルバドゥール)』よ。主に歌の力で人の精神を操作するという、支援的な役割が主ね」

「もちろん知ってます! 去年の年度末の集会でグネヴィエラさんが歌った聖歌、とても素敵でした!」

 キョウヤが少し頬を染めながら伝えると、彼女は柔らかく笑う。

「あら、ありがとう。そう、私達は口式を織り込んだ神を称える歌、聖歌を歌うわ。他にも神話に記されている詩編に曲をつけたものや、地方の村などに古くから伝わっているバラッドなんかも。歌には心が安らいだり、楽しくなったり、逆に悲しくなったり、人の感情を動かす力があるの」

「分かる気がします」

 キョウヤはグネヴィエラの聖歌を聞いて、とても気持ちが落ち着くのを思い出しながら答えた。

「それじゃ、キョウヤにもちゃんと体験してもらいましょうか」

 グネヴィエラは深呼吸をして、片手を胸に当てて歌いだした。


「『我らの胸に安らぎを 母なる神は我らを見守りたもう』―――」

 その歌声は結界内に響き渡り、浸透していくよう。

 歌の内容は夢に誘う子守唄のようで―――、聞いているうちにキョウヤのまぶたが不思議とだんだん重くなってくる。

 うつらうつらしかけた時、グネヴィエラが歌を止め手を叩く。

 突然の大きな音に、キョウヤはハッと目を覚ました。もう少しで眠ってしまうところだったのだ。

「い、今のは……」

 キョウヤがキョロキョロすると、キュリアとディディオも同じような状態だったと分かった。

「ああっ、くそ! グネヴィエラの歌にはどうしても抵抗できねえ!」

 悔しそうに頭を抱えるディディオ。

「耳を塞いでも無駄だったな」

 無駄な抵抗をしたらしい親友に、キュリアはクスクスと笑った。

「今のは聞いている者を眠りに誘う歌よ。ふふ、ほんの数小節だったけど、効果があったわね。味方に対しては元気づけたり一時的に狂戦士にしたりということもできるわ。逆に敵には恐怖心を増幅させて戦意を喪失させたり、幻覚を見せたりもできるのよ」

「へええ~、なるほど……」

 キョウヤは感心しきりでうなずいた。

「私はまだこの学園全体くらいまでしか影響下に置けないけど、高位の術者は街一つ、そこに存在する人達全員を自分の歌の影響下に置くことができるわ」

「街一つ……!」

 キョウヤは目を丸くした。

 もし人口の多い街の住民全部が歌術師の影響で暴れだしたりしたら……と想像し、ゴクリと唾を飲み込む。歌術師とはそれほどの人を操ることができるのだ。

 グネヴィエラばかりではない。さすが学園で実力者と言われる三人なだけある。


 学園には、この4人の職の他にも、トヨカの特殊職は除き、聖句と口式での祈りで怪我や病気を治し、あらゆる防御結界を張ることができる『祈祷師(シャーマン)』と、神聖文字と口式を刻み込み特定の能力を上げる武器や防具、特殊な効果のある道具などを作る『武具師』、人に害を為す悪霊を口式と符で祓ったり、さらには浄化、または滅する『悪霊祓い(エクソシスト)』がある。

 学園生徒が制服として身に着けているマントや帽子、手袋は学園を卒業した武具師が毎年作っているのだ。

 帽子には記憶力を高め必要な口式を素早く思い出す能力、マントは防御力、手袋は神力を高める効果がある。


「それじゃ、キョウヤの実力を見せてもらいましょうか?」

「はい!!」

 とうとうキョウヤの番となり元気よく返事をしたはいいが、キョウヤには何も披露できる術がなかった。

 上級生三人を前にして姿勢良く気をつけをし、それ以上動かないキョウヤにキュリアがコホンと小さく咳払いして促す。

「キョウヤ、何でもいいから『精霊使い』としてキミの出来ることを見せてくれ」

「何もありません」

 心なしかさっきの返事よりトーンダウンしている。

「はあ? 何ふざけてんだよ」

 ディディオがそういうのはいいから、と手を振った。

「恥ずかしがってんのか? 今更どんなしょぼいことでも馬鹿にしたりしねぇよ」

「いくらキミが落ちこぼれでも、一つくらいは何かの精霊と契約をしているんだろう? キミは精霊使いなんだから」

「どんなに小さな精霊でも、役に立たないなんてことはないのよ。やってみて?」

 キョウヤだってできることなら何か術を見せたいのはやまやまなのだが、彼らの要求に応えられるものは残念ながら一つも持っていないのだ。

 キョウヤは途端に申し訳ない気持ちでいっぱいになって、うつむいてしまう。

「ご、ごめんなさい……。僕、本当に何もできないんです。今まで何度も契約の儀式をしても全然ダメで……何の精霊とも契約できてないんです。ジャルジュ先生に聞いてないですか?」

 これには彼らも絶句した。

「マジか。ここまでとは聞いてねーぞ、キュリア」

 ディディオが唸るように言った。

 キュリアは何かを考えているようだ。

 ここまで何もできない式使いというのも珍しい。そうなるとどうしてトヨカの先見にキョウヤが見えたのか、ますますもって謎だった。

 だが今それを考えても仕方がない。

 その時、彼らの上空で何か飛んでいるものがキョウヤの目に入った。

「あれ、なんでしょうか?」

 キョウヤが指摘すると、皆空を見上げる。

 コウモリの翼が二対ある蛇のようなものが、結界の膜越しに黒い影を落としている。

「あれはきっとアンリヘイムの偵察だな。リドリールの差し金だろ。どうせ結界越しだ、見える訳ねぇ」

 ディディオが吐き捨てるように言う。キョウヤの知らない名前だった。その言い方からディディオは知っている人物で、好いてはいないらしい。

「リドリールって……?」

 今度はキュリアが、ため息をひとつついて教えてくれた。

「リドリール=ガシュワイ。俺の幼馴染みだ。実家が隣同士でな、昔は一緒によく遊んだ仲なんだ。でも、血のせいで俺がエリドゥラ、ヤツがアンリヘイムと分かれてしまってからは、あいつはやたら俺をライバル視するようになって……、まあ、色々と挑戦してくるんだよ」

 普通の人々は大抵は混血で、別に自分の血筋がエル・ダーナ寄りかエムリス寄りかなんて考えないし、人類として仲が悪い訳ではない。だけど式使いになると少し事情が違ってくる。エリドゥラ学園とアンリヘイム学園がライバル関係にあるのは周知の事実で、競い合っているうちに式使い同士も自然とそうなってしまう者が多い。

 きっとキュリアとリドリールの関係もそういったものだろう、とキョウヤは解釈した。

「アイツはホント陰険というか、いけ好かないヤツなんだ。キュリアが召喚師になったら、アイツもわざわざ召喚師を選んだんだぜ!? イヤラシい感じだよなあ」

 ディディオはよっぽど気に入らないのか、その表情や言葉の端々に嫌悪感がにじみ出ている。

「しかも俺にもいちいち突っかかってきやがってよ、ウゼェったらねえよ」

「それは仕方ないわよ」

 と言ったのはグネヴィエラだ。

「なんで仕方ないんだよ」

「たぶん、リドリールは仲の良かったキュリアと離れ離れになっちゃったのが悲しかったのよ。だから今キュリアと仲良くなってるあなたを無意識のうちに嫌ってるんだと思うわ」

 それを聞いてディディオはますます嫌そうな顔をした。

「うわ、何それこえーよ。キュリア、お前男にもモテるんだな」

「冗談は止めてくれ。とにかく、今年の対抗試合にリドリールもメンバーとして出てくるだろう。それだけの実力はあるはずだからな」

「……確かにな。だったら、コイツを早くどうにか使える程度に持ってかねえと」

 ディディオがキョウヤを親指で指す。

「そうね、キョウヤが精霊と契約できるように何とか協力しましょう」

「それしかないな」

 グネヴィエラの提案にキュリアが考え深げに同意し、ディディオはやれやれと肩をすくめるのだった。


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