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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

作者: とおせんぼ係

 かつて人は奴隷だった。

 その前に人は人形だった。

 最初は泥に過ぎなかった。


「今は」

 黄色い瞳のアリストテレスは見ていた。

 砕け散った城の中、豪勢な椅子にふんぞり返っている真っ裸の少女が、床に這いつくばる人々をヘイゲイしている。服というものを一切着ずに、金銀細工や宝石を素肌に纏う少女は、退屈そうに頬杖をつく。その拍子に、彼女の腕に嵌まっている大きな装飾がきらりと揺れた。

「俺が王様だ。みんなは臣下なので仲良く暮らしなさい」

 王様である少女がやる気なく告げる。ひれ伏した人々はいっそう額を床にこすりつけた。

 組んだ足の太ももとお腹の間にはさまって丸くなっているアリストテレスの背中をなんとなく撫ぜながら、王様は大きく一つ、あくびをした。その拍子に大きさの合わない王冠がズレて、彼女の顔の半分を隠した。明らかに邪魔げな装飾だけど、彼女はそれを脱ぎはしない。裸でいるのは彼女が王様だからで、金銀宝石を身に着けるのも彼女が王様だから。

 彼女がそれでいいと言えばそれでいい。言わなくてもそれでいい。

 わがままを堪能しなければ、人間の王様じゃあないと思うから。

「にゃアん」

 ひと声鳴いて膝から飛び降りた金眼の小動物は、足音を立てずに、廃墟のなかを歩いて行った。



 行ってしまったアリストテレスに未練はない。

 彼の黒いベルベットの毛並みも、時に知性を時に野性を感じさせる金の瞳も、つつくだけで天国にもいけそうなぷにぷに肉球も、王様は引き止めない。この世は全て裸の女の子が治める王国であり、そこに生きとし生けるものもまた彼女の所有物なので、どこへ行こうと同じことなのだ。

 王様は彼女には大きすぎる椅子からぴょんと飛び降りて、装飾品を鳴らしながら城を歩き回った。散歩だ。ヒマなのだ。

 崩れかけた白大理石のアーチを潜ると、中庭に出た。さんさんと日の注ぐ円形の庭の中央には大きな盆形の噴水は静かに水をたたえ、鏡のように平らかに澄みきった水面には蓮の花がふたつみっつ咲いている。その周りに植えてある木立は王様の趣味で、全てが桜に統一されていた。一年中いつでも満開という桜木立には一日に一度、ちいさなつむじ風が吹く。白い花弁を風に巻き上げ、庭中に雪のような絨毯を作り出すためである。

 薄桃色の花弁を踏みながら、王様はふらふらと歩き回った。辺りの美しい風景は彼女の心を捉えてはいない。どんな美も財宝も彼女の憂いを晴らす助けにはならないのであった。

 それでも、言い知れない退屈の理由は分からないが、ともかく新しいことを始めることはできる。

「神よ。俺の声が聞こえるか」

 少女は神と会話することができた。

 ゆえに彼女は王様なのだ。

 世界というおもちゃを作ったのは神だが、いまそのおもちゃは彼女のもの。本来ならば自分のおもちゃは自分でカスタムしたいのが人間心だけれど、神とお話できるだけの女の子にそんな力はない。大いなるものの前では王とてただの人なのだ。

 しかたがないので、王様は女の子らしくおねだりをする。

「神よ、俺はつまらんのだ。お前にクレクレ言ってもらったこの世界だが、正直言って持て余してる。臣下の人間達はみんなイイやつだよ。ゆうことなんでも聞いてくれる。でも、なんか、つまらんのだ」

 王様は空を仰いで、じゃらじゃらと光る腕輪をゆらして、大きく自分の胸を叩いた。

「なにかが足りないんだ。わからないけど、この胸の辺りが空っぽみたいなんだ!」



 王様は新しくて綺麗な町をつくることに決めた。

 神はだんまりを決め込んでいるので、自分にできることで、面白そうなことをという趣向だ。世界初の絶対権力者にはやはり、巨大建築が似合うというもの。彼女の思いつきによって、これ以後も手にした力と比例するように、モニュメントは高く大きくなるという法則が生まれた。

「さあみんな。俺の臣下よ。働け働け、町を創るぞ!」

 素直で疑うということを知らない人間達は、王様のいうことに逆らわない。人々は力を合わせて一生懸命になって町をつくっていく。神によってつくられた最初の人間たちというものは、純粋無垢に出来ていた。王様がアリストテレスをなで回してペロペロいる間も、大きな長椅子に寝そべっている間も、今度はどこに金銀財宝をぶら下げようかと思案している間も、文句の一つも言わずに黙々と働いた。

 ある瞬間、ふと「そろそろ出来たかな」と思いついた王様が、ひび割れたお城の塔に登って町を見下ろした。そこに広がっていたのは、まだまだ整地もろくに済んでいない広大な大地と、お城にへばりつくようにして建っている掘っ立て小屋のようなものだけだった。

「な、なんだこれは……」

 王様は愕然とした。彼女の気持ちの上ではもうとっくに完成してるだろうと思われた町は、まだ全体工程の5%ほども出来上がっていないのである。

 それもそのはず、お城に仕えていた分の人間だけでは、そんなに早くはできないのである。

 だがそうとは知らない王様は、臣下の一人を呼びつけて、問い正した。

「お前達はよくやっている。でも俺の夢見た町はまだまだ完成していないじゃないか。どういうことなんだ?」

「はい、それはひとえに人が足りないのでございます」

「ええ! 人が足りないんだって!」

 王様はびっくりして、座っていた椅子から転げ落ちそうになった。

 あわてて手すりを掴んだせいで、また王冠が顔にズリ掛かった。彼女の認識では、人はいっぱいいるように思えたのに。いつの間にか減ってしまったのだろうか。

「んむむ。でもお前達はいっぱいいるじゃないか。減ってしまったのか?」

「はい、いっぱいいまする。でもいっぱいいるだけでは足りないのでございます。もっといっぱい必要なのでございまする」

「むむむ……」

 王様はうなった。難しい問題であった。

「では臣下よ。人を増やさなければいけないな」

「はい。……それで、どうやって増やしたらよいのでございましょう?」

 臣下は困惑顔で聞いてくる。だが、それを聞きたいのは王様の方だ。人間の造り方なんてまるで知らない。神は泥をこねて作ったとか前にちらっと小耳に挟んだが、そんなのやり方が分からない。

「やりかたは分からない。でもとにかく、町をつくる前に人間をつくる所から始めよう」



 人間作成は困難を究めた。

 王様は見よう見まねで、いやこの場合は聞きかじっただけなので聞きよう聞きまねで、泥をこねて人っぽくさせてみた。でも相変わらず泥は泥のままで、一向に人間にはならなかった。

 次は半分に割ってみたらもう一つ増えるんじゃないかと思いついて、臣下を一人、引き裂いた。胴体で半分にされた臣下は、この世の物とは思えないほどの恐ろしい悲鳴を挙げたかと思うと、それきり動かなくなってしまった。半分の仕方が悪かったのかと思って今度は頭から縦に裂いてみてが、結果は同じだった。

「ああ、なんてことだ。大切な臣下が二人も動かなくなってしまった。どうしよう」

 これでまた工事が遅れてしまうことに落ち込み、椅子でしょんぼりしている王様に、アリストテレスがじゃれついた。柔らかな毛並みで、素足のふとももをスリスリされると、くすぐったくて笑ってしまう。

「ふふっ、やめろよアリス。くすぐったいよ」

 王様はアリストテレスを抱っこしているのが好きだった。柔らかいし、すべすべしているし、よくひなたぼっこしているからかお日さまの匂いがした。

「どうすっかなー、アリスー?」

「にゃーお」

 床に寝ころんで持ち上げると、アリストテレスは嬉しそうにひと声鳴いた。

 のんきな鳴き声を聞いていると、もうなんか全てがどうでもよくなってくる。

「もうやめよっかな……」

 王様が諦めかけたその時、城の扉を蹴破るようにして臣下の一人が飛び込んで来た。

「王様、王様! 大変です! 人が増えました!」



「ええっ!?」

 びっくりして起き上がった拍子にアリストテレスを放り出し、しかもその拍子にしっぽを踏んづけてしまい、足下でするどい悲鳴が上がった。「んにゃっ!」王様はとるものも取りあえず、手近にあった王冠だけを首に掛けて、臣下に案内させた。

「どこどこ、どこで増えた?」

「ははっ、こちらにございます」

 早足で歩きながら説明させたところによると、どうやらことは体調不良で伏せっていたある臣下の身におきたらしい。

「その者はここしばらくの間、吐き気や異常な食欲などを訴えておりまして、実際に腹が腫れてもいましたために、大きな木の下にテントを張って休ませておりました。それが、今朝早く急に苦しみだして、なんとも奇っ怪なことに腹から小さな人間が出てきたのでございます」

「んなアホな!」

 神にしかできなかったことを一臣下が成し遂げたことに、いまいち信じられない王様は、問題のテントにつくと、さっと入り口を開け放った。果たしてそこに居たのは、血の気のない青白い顔をした臣下と、しわくちゃで赤くてギャーギャー泣いている小さな人間だった。

「な、んじゃこりゃああああ! うるさい、うるさいよ! この小さいものはなんでこうもわめくのっ!」

「あ、王様。も、申し訳ございませぬ。私にもなにがなんだかわからな……ゴフォっ!」

 咳き込む青白い臣下を介抱させて、王様は小さな人に向き直った。

「お前! 答えなさい! お前はこの者の腹の中から出てきたと言うではないか。一体どういうことだ。お前はいつからそこに居たのだ! なぜ人の腹になど入った!」

 だが小さな人はただただ訳もなく泣き続けるばかりだった。

「答えろ! さあ言え! 言わないかっ!」

 王様がどれだけ厳しく問い詰めても泣くばかり。

 困り果てた一同は、とにかく泣き止むまで待つことにして、その場で待ち続けた。もしかしたら、急にこの世界に出てきたから戸惑っているのかも知れない、それかなにか気に入らないことがあるのだとしても、王様になら支配者的に考えてなんでもできるので、すぐに対応できるだろう。そう考えてのことだった

 しかし小さい者は泣き疲れると寝てしまい、起きるとまた泣き出した。何日かそれを繰り返し、やがて、また寝たかと思ったら二度と目を開けなかった。動かず、ただ冷たくなっていた。そのようすはかつて、王様が自分で引き裂いた臣下の様子と同じだった。

「あれええ? なんでえええ? なんで動かないのおおおお!!」

 揺すぶっても、持ち上げても、ほっぺをつねっても起きない。王様も、案内した臣下も、青白い顔の臣下も訳が分からず困惑することしかできず、もうテントからは誰の泣き声も聞こえないのだった。

 未知に挑戦し打ち砕かれる。だが人々はあまり悔しくはなさそうであった。彼らにとっての生活とは神とその声である王がすべて。王様に任せて従っておけば全てがオッケーで済んでしまうこの原初の世界で、歯がみをするのはただ一人。もちろん王様である。



「神よ、俺の声を聞いてくれ!」

 人騒がせな小さい者の騒動は、その後も周期的に起こった。

 何度かの観察によって、地を這う四つ足の獣のようにじゃれ合って遊んだ臣下にのみ、一定の確率でその現象は起こることが分かった。しかし相変わらず小さな人はすぐに死んでしまう現状に変わりはなく、人を増やすという目的はなかなか達成できないのであった。

「わからない、わからないよ。どうしたらいいんだ。神よ、俺はあんたの力に頼らずにやっていこうと思った。でも、結果はこの様だ。どうか助けてくれ。俺たち人間にも、力をくれ!」

 薄桃色の花弁が降りそそぐ庭に跪き、一心に祈る王様の頭上に、空とは違う遙かな高みから一条の光がさした。

 頭の中に直接響く音は、どんな楽器の奏でる音よりも盛大で力強く、にもかかわらず優しく囁くような繊細さを持っていた。いつの間にか忘れかけていた自らの創造主たるものの慈愛を含んだ声に、少女の目からは自然と涙が流れ出していた。

「無垢なる人間達よ。お前達の望みは、お前達自身を変えてしまうものなのだ。神に対する素直な思慕こそが至上である。そのことを忘れてはならない」

「神よ、久しぶりにあんたの声を聞けて俺はうれしいよ。けれども神よ、俺は今のままでは満足できない。あんたのことを思うと心が満たされる。でも、だからこそ、俺はあんたに近づきたい。その一歩として、人間をつくりたい。お願いだから、俺にちょうだい」

 しばらくの間が空いて、神は応えた。

「しかたがない。お前達に足りないものをあげよう。だが忘れるな人間の王よ。お前達は不完全だが、だからこそ私の意図の元に完全であったのだ。お前達の自主性を喜びつ哀れみつ贈ろう……愛する心を」

 かつて泥から創られた人間達に、愛は無用のものだった。王様を通して大いなるものと繋がっている人間達には、神に対する原始的な親愛の情以上のものが必要なかったからである。

 だがいま人間達は愛する心を手に入れた。

 己が選んだ何かを、一番だと決めつけられるようになったのだ。



 人は順調に増えていった。

 小さな人は子どもと呼ばれ、産み落とした人が誰に言われるでもなく自発的に世話を焼くことで、生き長らえたのである。また男と女という区別もより意識されるようになり、それまでみんな一緒に生活していた臣下たちは、妙によそよそしくなったり、あるいは突然磁石のようにペタペタつくっついたりしだした。そしてそれに比例して、子供の数も増えていった。

 まだ相変わらずの小さな欠陥はあるものの、おおむね順調に人は地に満ちていき、このままのペースでいけばいずれ世界中に人の同胞が広がることは明確であろうと思われた。

「今日は十三人の子どもが生まれましてございます。また街も半分ほどが完成いたしました」

「うんうん。それはいい。その調子で子作りも街作りも頑張ってくれ! なんならもっと作業時間を増やそううんそうしよう。いいことを思いついた。子作りも流れ作業化して、仕事の合間に一発抜いてまた働くようにすればいい。簡易テントとベッドを大量に作ってあちこちに女を配置すればもっと早いぞ!」

「で、ですが王様……」

「さあさあやることはいっぱいあるぞ! お前もすぐに仕事に戻るんだ!」

 まだ何か言いたげな臣下を追い帰して、王様はうれしそうに椅子にふんぞり返った。裸の体に、いつもより多めに宝飾品を取り付けて、一時のしょんぼり具合が嘘のように、まったくご満悦である。人間もどんどん増えるし、街造り計画も再始動させて、一日二十時間労働体制で建築を急がせている。この調子なら、割とすぐに当初の予定は完遂できるはずだ。

「ふっふっふ、うふふふ、うわーっはっはひゃんッッ!!」

 高笑いしかけた王様の首の後ろから、とつぜん何かがひょいと飛び出てきた。くすぐったくて椅子の上で身をひねった王様の目の前に現れたのは、一匹の猫であった。

「ア、アリス! 人がいい気持ちで笑ってるところにっ」

「にゃーん」

 膝の上に座って王様を見上げる金の瞳に、どういうわけだか今日は憂いの色が見えた。

 なにかを悲しんでいるような、誰かを慰めているような。

「なんだい? なんでそんなにメランコリックなんだい」

 王様は腕にアリストテレスを抱き上げて、金色の瞳をのぞき込んだ。細まっている瞳孔の奥に、キラリと何かが垣間見えた気がした。とても懐かしくあたたかい、なにか。

 なんだか神に祈りたくなった王様は、ひさしぶりに桜の庭に行こうと思った。

「忘れてたわけじゃなんだけどな、なんだか神さんが遠くなったような気がするよアリス」

 彼女が細い腰を椅子から浮かしかけたその時、とつぜん弾けるように部屋の扉が開けられた。



 乱暴に扉を開けて入って来たのは数人の臣下達だった。彼らは肩をいからせ大股に床を踏んで、立ち尽くすばかりの王様に迫ってくる。手に手に鍬やら鎌やら先を削った手製のヤリを携えて、目線は王様ただ一点を見つめている。

「な、なんなんだお前達は。仕事はどうした? なぜこんな所にくるんだ。ち、近い近い。それになんか怖い!」

 あっという間に臣下達に取り囲まれて、しかも刃物を突きつけられる。ちょっと前まで想像だにしなかったことだ。いきなりの人々の豹変に戸惑い恐怖して、王様はただの女の子のように猫を抱えて震えていた。

「お、お前達、どういうことなんだよぅ」

「……えせ」

「え?」

「返せ! 私のあの人を、返してよっ!」

「どうして兄が死ななければならなかったんだ! 王様、あんたがやったんだぞ。真っ二つに引き裂いて……あんたが兄を殺したんだ!」

「私の子供。ああ、子供……なんで教えてくれなかったんです。王様、信じてたのに。信じてたのに」

「え、ちょ、ちょっ」

 口々に投げつけられるのは恨みの言葉だった。長時間労働によって過労死した者、人を増やす試みのために王様が殺した者、放置して衰弱死させてしまった子供、みんなにみんな、大切に思っている人がいた。愛してくれる者がいた。理不尽に殺されて、怒ってくれる者がいた。

 彼らに、赦せるはずもなかったのだ。

 神話の時代が終わろうとしていた。

「お前なんかが王様だなんて認めるか!」

「そうだそうだ! 責任は取ってもらうからな」

「あの人と同じ目に遭うといいわ」

「殺せ! 殺せ!」

 血走った目には慈悲はなかった。

「や、やめろ! 俺を殺したらもう神の言葉は聞けないんだぞ! お前達、そんなことでどうやって生きていくつもりなん――」

 ブツリ、と袋が破けるような音がした。

「あ、ぐうッ……」

 王様失格を突きつけられた少女の白い腹に、深々とヤリが突き刺さっていた。柄の先を視線で辿ってゆくと、男がそれを握っていた。男はぐっと歯を噛みしめて、ヤリを捻りながらさらに突きだした。

「そんなこと、知るか!」

「いまさら神など!」

「死ねえええ」

 体中に鍬や鎌やヤリなど、虐げられてきた臣下達の怒りの籠もった刃が振り下ろされた。かつて王様だった少女は、体中から凶器を生やしたまま一歩、二歩と後じさると、そのまま、物も言わずに背中から倒れ込んだ。彼女が体中につけていた金銀財宝の装飾品が解け、床一面に光る血のように散らばった。その後から本物の血が、残光を追いかけるように赤黒く広がっていった。

 その時、彼女を取り囲んだ人々の足下を、するりと猫が駆け抜け、暗がりに逃げ込んだ。

 暗やみに光る金色に目を向ける者は一人もいなかった。



 彼女は最期の瞬間、心底生きていたかった。

 ずっと前、選ばれて人の王となり、退屈しきって死にそうだった。なにか面白いことをと街をつくった。次々起きる問題はそれなりに退屈を忘れさせてくれた。でもそれは結局は無謀な挑戦に終わり、神に頼んで、愛する心をもらった。

 だが彼女は、それを使ったのだろうか?

 否。こうして体中から血が流れ出し、金銀財宝を奪い尽くそうと人々が自分に群がる中で初めて、彼女は世界が心底、愛しいと思えた。もっとこのまま生きていたいと思えた。

 死の間際、普通の人が走馬燈として過去を振り返るだけのわずかな時間に、女の子は未来を垣間見た。

 争いと奪い合いと慈しみと優しさ。

 閉じた輪のように永遠に続く繰り返しだった。

 大いなるものから離れた人達は、愛するために生きて、愛するために殺していた。

「ああ、これは……」

 少女の存在が消えゆく中でつぶやいた言葉。

 聞いたものは誰一人いない。


「これはなんて面白いんだ」

 

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