終わりの続き
昔コバルト短編に投稿した作品を少しだけ直して(ほぼ同じですが)投稿してみました。
感想などありましたらお待ちしております。
小さい頃、親に読んでもらった御伽噺の絵本があった。
お姫様は他国の王子に恋をするが、姫を想う弟が、それを妨げてしまう。
最後は姫と王子で心中し、姉を失った弟もまた一人命を絶つ。
そんな悲しいお話だった。
「ねぇ、ぼく、おねえちゃんがすきなのに、いっしょにいたらいけないの?」
俺がそう聞くと、姉貴は笑ってだいじょうぶ、と言ってくれた。
ベッドの中、母親を挟んで、泣きそうな俺と笑う姉貴。そして苦笑する母さん。
――あの頃は、笑い話だったのに。
「ごめん。今はそういうの考えられないんだ」
俺は目の前にいる名前も知らない女子に告げる。グラウンドからは運動部の掛け声が聴こえるのに、放った言葉は遮られることがなく、かえって秋空に響いたように感じられた。
「そんな……なんで? 好きな人がいるの?」
ため息をついて自分の髪を右手でかきむしる。
「違うけど……俺は彼氏にはなれない」
それだけを言って踵を返す。後ろからすすり泣く声が聴こえてきた。正直、胸が痛い。だがここで振り向いてはかえって傷口を広げるだけだ。それはよくない。どっちにとっても。
公立にしてはやたらと広い、高校らしかぬ校舎の影に入る。そこにはいつもの人物がいた。
「あんた、また女の子泣かしたの?」
攻めるような口調だった。声の主は女性。セーラー服を着ていて、リボンの色で俺より一つ上の三年生だとわかる。俺と同じ黒い瞳と、染めていないショートカットのさらさらした黒髪。顔立ちは非常に整っていて、小さな唇に大きな瞳。特にすっと伸びた鼻筋が中性的な魅力を醸している。……俺に似ている。それもそうだろう。何故なら。
「また覗きかよ、姉貴」
そう。その女生徒は俺の実の姉なのだ。
「孝彦、断るにしたってもっと言い方があるんじゃない?」
「ほっとけ。俺はそんなに器用にできてない」
立ち去ろうとする俺の腕を赤音……姉貴が掴む。
「あの子泣いてるわよ。いいの?」
「じゃあ訊くけどな、どうすりゃいいんだ? 戻って嘘でした好きです付き合います、って言えばいいのか?」
その言葉に手を離し、そのままそれを髪にやる俺の姉。何か上手くいかないことがあると髪に触るのは姉弟の癖なのだろうか。
「もういいよ……この後どうするの?」
「疲れたから帰って寝る」
歩き出す俺についてくる姉貴。
「じゃあ、私も帰る」
それきり黙ってしまったので、何も話さずに二人で歩く。道は一緒だ。同じ家に住んでるのだから当たり前だが。
「全く。あんた、いい加減に彼女作りなさいよ」
家も近くなってから、ぼそり、と呟くのが聴こえたが、俺は知らないフリをした。
「で、お前は昨日また女子を泣かせた、と。羨ましいな」
次の日の朝。クラスの中はその話題で持ちきりだった。前の席の友人が興味津々に訊いてくる。男子からは好奇と羨望の目で見られ、女子からは非難の目で見られる。勘弁してくれ。
「いいから勉強させろ。高校は義務教育じゃないし、今は二年の秋だぞ。進路考えろ」
俺はそう言うと英語のテキストを開く。……本当に、こいつらは何をしてるんだろうか。そう思っているといつの間にか授業が始まった。
退屈な授業だった。だが受験には必要だ。俺はノートを取るのに熱中して、気づけば一日が終わっていた。部活をしていない俺には、最早学校にいる意味はない。教科書をカバンに詰め込み、さっさと居心地の悪い教室を後にした。
帰り道。今日は一人だ。この季節になると、三年生は受験に備えて昼で帰って自主勉強になることが多い。普段は姉貴と一緒に帰ることが多いからか、なんとなくつまらない。
「つまらないって……いい歳して何考えてるんだか」
頭を振ってバカな考えを消して、たどり着いた家。玄関のドアを開けた。
「ただいまー」
「おかえりー」
俺の帰宅の挨拶に返事。その主は姉貴だった。まぁ、それはいい。同じ家に住んでいるのだから。だが……だぼついたTシャツと下着しか身に着けていないのはどういうことだ。
「な、なんて格好してるんだよ!」
「あー。ゴメン、今風呂上りでさ」
透き通った白い肌は上気して朱に染まり、シャツの隙間からインナーが見えた。
「いいから服着ろ!」
俺は精一杯にそれだけ言うと目を逸らす。しかし姉貴はにやにやと近づいてくる。
「あれー? 照れてる? かわいいなぁ」」
近づくにつれて、せっけんのような甘い香りが強くなる。頭がおかしくなりそうで、俺は無言でその横を通り過ぎて、二階の自室へと向かう。ドアを開けて、制服のままベッドへ突っ伏す。先ほどの情景が目に焼きついている。
「……バカ野郎」
言ってから野郎じゃないと気づいたが、それを気にする余裕もなかった。
目を閉じていると、いつの間にか眠ってしまったのか夢を見た。何故かそれが夢だと分かった。
姉貴が傍にいた。小学生の俺の傍には小学生の姉貴が。中学生の時も。今もそうだ。彼女はいつも笑っている。ずっと近くにいてくれる。でもこれは夢だ。
姉貴には最近彼氏が出来たことを俺は知っていた。同じ大学に行く、と頑張っていることも。ここから少し離れた大学。通うとしたら一人暮らしだろう。もう一緒にはいられない。
人は変わっていく。変わらずにいられない。だけど、ずるいじゃないか。子供の頃、家族で行った地元の祭で迷子になった俺を探し出して、手を繋いで、ずっと一緒だよ、って言ってくれたのに。ベッドの中で泣きじゃくる俺に、笑いかけてくれたのに。あの時から俺の気持ちは変わっていないのに。
なぁ姉貴。俺、カッコよくなるよ。勉強もスポーツも頑張るよ。大体さ、高校だって大変だったんだ。必死に勉強して、偏差値なんて一年で20も上げてさ。なんとか入れたんだ。
頑張ったし、これからも頑張るよ。なんでもするよ。だからさ。
傍に、いてくれよ。
「全く、女々しいな」
目を開けると、そこにはベージュ色の天井が見えた。俺の部屋だ。自分の目じりが少し濡れているのに気づいて、それをぬぐうと時計を見た。午後八時。まだメシは残っているだろうか。
階段を下り居間へと向かうと、テーブルの上にはラップした料理。そしてソファには寝転がっている姉貴の姿が見えた。今はちゃんとピンク色のパジャマを着ている。
「孝彦、寝てたの?」
「そうだよ。疲れてたのかもな」
疲れた、という言葉に反応して、姉貴が身体をゆっくりと起こした。
「大丈夫?」
「ああ。もう平気」
言いながらテーブルの上の鶏肉のソテーをレンジに突っ込み、稼動させる。
「最近勉強頑張ってるもんね。私も教えてあげようか?」
瞬間、妄想してしまう。夜に俺の部屋で二人きりになって机を囲んで勉強。そんなのダメだ。……俺が何をするか分からない。それが怖い。怖くてたまらない。
「姉貴に教えてもらうほど頭悪くない」
そう言ってごまかす。我ながら子供じみている。
「なによそれー。私だってそこそこの成績なんだから! しかも上昇中!」
知ってるよ。そこそこの成績から上位になって、あいつと同じ大学に行きたいんだろ? だから、勉強頑張ってるんだよな?
「俺は俺で頑張るから、姉貴も」
そこまで言って気づく。俺は姉貴に頑張って欲しいのだろうか? そうじゃないんだろうか?
「……なんでもない。とにかく俺はメシを食う」
レンジから温まったソテーを出し、ご飯を茶碗に盛り付け、俺は姉貴に背を向けた。
それきり、会話はなくなってしまった。
食事を済ませ部屋に戻り、机に向かって黙々と勉強をする。暫くすると隣の姉貴の部屋から微かに声が聴こえてきた。誰かと喋っている。
聞きたくなくても耳が音を拾ってしまう。
「……うん。私も頑張るから、同じ大学に行こうね」
電話なんだろうな。嬉しそうな声。相手はきっと……。
俺は耐え切れずにMP3プレーヤーを耳に突っ込んで、大音量でJ-POPを聴く。男女の悲恋を描いた安っぽい歌詞が、何故か心に突き刺さった。
……ああそうか。俺はやっぱり、本気で一人の女性として姉貴が好きなんだ。
誰かを好きになることは、呪いに似ている。くだらないリリックを要約するとそうなった。
他の曲も聴いて、何回もリピートしてからイヤホンを外す。時刻は既に一時をまわっていた。当然もう家に物音はしない。勿論、隣の部屋からも。
我に返ると喉が渇いた事に気づいた。自室のドアを開けると、家の中は真っ暗になっていた。この時間から風呂に入るのは流石に迷惑だから、明日の朝シャワーでも浴びるとして、まずは飲み物が欲しい。
俺は一階のダイニングに下りて、冷蔵庫から冷えた麦茶のボトルを出してコップに入れて、二杯ほど飲み干した。グラスをシンクに置くと、階段を上り部屋に戻る。正確には戻ろうとした時だった。
俺の隣の姉貴の部屋が目に入った。もう長いこと入っていない部屋。ドアに隙間が空いていることに気づいてしまった。
「姉貴……部屋、空いてるぞ」
小声で部屋の前で言ってみる。が、返事は無い。
「おい?」
ドアに手を伸ばした。寝てしまっているなら、閉めておいたほうがいい。そう思った。
扉はうっすらと覗けるぐらいには開いていて、俺は中を見てしまった。姉貴はベッドで寝ている。幸せそうな無邪気な顔で。
さっさと扉を閉じて部屋に戻ればよかったのに、俺は寝相の悪さから布団がめくれているのに気づいた。
「全く……」
放っておけばいいものを部屋の中に入ってしまう。途端に甘い香りがした。部屋の中は暗いが、なんとかベッドまではたどり着ける。俺は布団をかけ直す。
「……姉貴」
やはり寝ている。反応は全くない。女子特有の甘い匂いが強くなった。それに吸い寄せられるように俺は顔を近づける。柔らかそうな唇が目に入る。
自分でも何をしているか分からなかった。気づけば俺は姉貴の唇に自分のそれを重ねていた。お姫様にキスをしたのは王子様ではなくその弟でした、なんて悪い冗談だ。
「何をやってんだよ……」
俺は逃げ出すように部屋を出た。柔らかい感触と甘い味がまだ残っていて、離れない。
「畜生、俺は……!」
ベッドに潜り込んで目を閉じる。しかし眠れない。
結局俺はその日、殆ど睡眠をとることができなかった。
「おはよっ」
「……おはよう」
次の日の朝。俺の気持ちなど知らずに姉貴はリビングでトーストを食べていた。
「どうしたの? なんか元気ないよ?」
「ちょっと遅くまで教科書開いてたからな」
半分は本当で半分は嘘だが、姉貴は気づかなかった……と思う。
「ふーん。勉強熱心なのはいいことだけど、ほどほどにね」
原因はあんたなんだ、とは言えずに俺もテーブルにつく。
「ところで、俺の分のメシは?」
普段は焼いた食パンが乗っているはずの俺の皿の上は何故か空白だ。
「あ、ゴメン。お腹減っちゃって。食べる?」
言いながら少しかじったトーストを差し出す姉貴。
「……そんなもん食えるか。もう一枚焼いてくる」
この歳で間接キスを意識しなくても、とは思うが気になるものは仕方がない。
「あれ、もうこんな時間。準備しなくちゃ」
姉貴は残ったパンを食べると、洗面台に向かった。女の支度は、とかく時間がかかるものらしい。その間に俺は食事と身支度を済ませた。
「じゃあ、いってきます」
そう言って玄関を出ようとすると、姉貴もやってきた。
「ちょうどよかった。一緒に学校行かない?」
「いいけど……」
そっけなく言ったつもりだったが、内心は嬉しかった。久々に二人して家を出る。秋の涼しい風が心地よかった。
「この前の話の続きだけどさ。あんた好きな子いないの?」
「いきなり、なんだそりゃ」
開口一番がそれか、と少しうんざりした。
「いいからいいから。で、どうなの?」
「いな……」
いない、と言いかけて一瞬悩む。本当のことを言ったほうがいいのだろうか。
「……いなくも、ない」
「え? 本当に? 誰?」
目を輝かせる姉貴。全く、女子ってそういう話が大好きなのは、何歳になっても、生贄が弟であってもか?
「教えるわけねーだろ」
「えー。愛しい弟の想い人ぐらい知りたいよ」
……嘘でも愛しい、とか言うなよ。
「とにかく秘密だ。いつか気が向いたらな」
俺は顔を背けた。 少しだけ納得いかない顔の姉貴が、何故かいつもより可愛く見えた。
「じゃあ、またね」
「ああ」
校舎の下駄箱で俺達は分かれ、各々の教室に向かう。姉貴の教室には、彼氏が待っているのかもしれない。そう思うとなんだかムシャクシャした。
高校の授業なんてルーチンワークだ。ひたすらに暗記とノートを取るだけ。そして今日も終わる。帰りのホームルームが終了し、俺がさっさと帰宅準備をして昇降口に向かうと、姉貴がいた。
「あね……」
呼びかけて、やめた。その傍には姉貴の彼氏がいたから。
俺も知ってるぐらい、校内でも人気のある、背が高く線の細くて女顔の男だった。俺は靴に足を突っ込んでその場から逃げ出した。幸せそうなその光景を見たくなかったからだ。
走った。息がきれて腹と足が痛くなっても走った。正確には、逃げた。家を通り越し、気づけば幼い頃によく姉貴と遊んだ公園に来ていた。夕暮れの公園には、幼稚園くらいの男の子と女の子が仲がよさそうに滑り台を滑っていた。かつての俺達の姿が重なった。
「くそっ!」
俺はとうとう逃げ場を失って、とぼとぼと家路につく事にした。気づけば辺りはもう真っ暗だった。
「……ただいま」
「おかえり。遅かったじゃない」
玄関を開けると今一番会いたくない人物……姉貴がそこにいた。言葉と表情を取り繕う。
「ちょっとな。親父と母さんは?」
「お父さんは残業で、お母さんは遠い親戚の法事だって」
つまり今、家にいるのは俺と姉貴だけだ。
「メシは?」
「作ってもいいし外食でも良いって。どうする?」
今更外に行く気にはなれなかった。
「作ろうか。冷蔵庫の残りは?」
言いながら姉貴の横をすり抜けて台所へと向かった。ひき肉、たまねぎ、にんじん、卵……一通りは揃っている。
「ハンバーグとか作るか?」
「そうだね。一緒に作ろっか。っていうか、孝彦、色々教えてよ」
姉貴はあまり料理が得意ではない。俺は母さんの手伝いをしていたら自然に覚えたのだが。
「別にいいけど、今更覚えても……」
言いかけて気づいた。……多分、彼氏に食べさせたいのだと。
「仕方ないな……分かった。教えてやるよ」
口が勝手に動いた。
「本当? やったぁ」
少し恥ずかしそうに笑う。それは、久方ぶりに見た表情で……胸が少し痛くなった。
「ハンバーグのタネはこうやって手に打ち付けて空気を逃がすんだ」
「こう?」
姉貴が俺のまねをしてタネを逆の手に投げつける。俺ほどの力は当然無いので、音は少し小さい。
「そんなもんだな。後は焼くだけ」
「分かった。ありがと。残りは私がやるから」
俺はリビングに戻り、エプロン姿の姉貴をなんとなく眺めていた。子供の頃は大きかったその背中が、今となっては華奢で儚く見える。
「……昔は俺よりも背、高かったのにな」
「ん? 何か言った?」
俺は小さく息を吐いた。
「別に」
その言葉に一瞬だけ怪訝な顔をして、またコンロへと戻った。
「いただきます」
「いただきまーす」
俺と姉貴が手を合わせる。食卓には少し焦げたハンバーグ。
「なかなかいけるじゃない」
ケチャップをかけて食べる姉貴。俺もそれに倣う。少し苦かったのは単純に焼きすぎただけなのだろうか?
「これなら何処にお嫁さんに行っても恥ずかしくないね」
少しだけ誇らしげに言う。
「いや、恥ずかしいだろ」
俺の抗議には耳も貸さない。
夕飯を食べ終えて食器をシンクに入れる。姉貴はリビングでソファによりかかり、他愛もないバラエティ番組を見ていた。
「俺、明日の予習あるから」
「んー」
気の抜けた返事が返ってくる。自室に戻り英単語を調べた。二時間が経過したところで喉が渇いたので居間に下りてくると、両親はまだ帰ってきていなかった。
「で、こいつはまた……本当に無防備なんだよな」
姉貴は部屋着のままソファで横になって、静かな寝息を立てていた。
俺は音を立てないように冷蔵庫に向かって、冷えたお茶を飲むと部屋に戻る。その時。
「孝彦……」
小さく声が聞こえた。
「姉貴?」
俺が振り替えると、姉貴は寝たまま。寝言らしい。
「彼氏の名前でも呼んでろよ……」
部屋から毛布を取ってきてかけてやった。あまり顔を見ないように。
「なぁ姉貴。俺、そろそろ姉離れしたほうがいいのかな?」
寝ている人物に言っても聞こえるはずはない。なのに言ってしまう。
そうだ。本当は分かっていたじゃないか。俺は王子様にはなれないんだって。
「……俺達、何があっても姉弟だよな」
当たり前でしょ、と聴こえた気がした。
「姉貴が出て行っても、誰かと結婚して奥さんになっても、子供が出来てお母さんになっても、姉貴は姉貴だもんな。これって、凄いことだよな」
それから大きく伸びをした。何かが吹っ切れた気がした。
「俺も、早く誰かを好きになるよ」
そして自室に戻ると、ベッドに倒れこんだ。
遠くない未来、歩む道は必ず別々になる。それを妨げることなんてできない。それでも、俺達は姉弟なんだ。二人とも亡くなってしまっても、それは変わらない。絶対に。
小さかった頃、俺の手を引いてくれた姉貴はもういない。泣き虫だった俺も、多分もう何処かへ消えてしまった。それでも変わらないものもあるんだ。
「……姉貴、さよなら」
口に出すと、何だかつっかえてたものが全部なくなったような気になった。これなら明日の朝、顔を見て挨拶ができそうだ。
分かってる。俺は王子様にはなれない。けれどお姫様の弟なんだ。姫がリンゴを食べないように守れるし、泡になって消えてしまうのを防ぐことも出来る。ガラスの靴を届けたっていい。物語の主役にはなれなくても、小人よりは役に立てるだろう。
少なくとも、恋路の邪魔をすることは……しないでおきたい。
「だから、今は、な」
そう。今は別れを告げる時だ。きっとそれは憧れに似た、本当の恋愛とは違う感情だったんだ。
胸の痛みは変わらない。だけど、もういいだろう。十分だ。
ベッドの中で別れを告げる。
さよなら、子供だった俺。
「好きです! 付き合ってください!」
数日後。俺はまた校舎裏にいた。
「えーと」
「や、やっぱりダメですか?」
「いや、ダメって事はないけど」
「じゃあ……」
俺を呼び出した後輩の女子の顔が輝く。
「……うん。いいよ」
「あ……あ、ありがとうございます!」
言って、何処かへ走り去ってしまった後輩。
「あんた、どういう心境の変化?」
苦笑してその場に立ち尽くす俺に、姉貴の声が聞こえた。
「別に」
内心はバレないかとヒヤヒヤしていた。だからそれだけを言う。
「あの子、ちょっと私に似てない? もしかしてシスコン?」
「ば、バカ言え!」
思いっきり見透かされていた。そう。あの後輩は、二年前の姉貴にそっくりだった。
「なんだか身の危険を感じるなぁ」
「寝言は寝て言え」
ニヤニヤと笑う姉貴に、俺はため息をつく。同時に、頭の中がすっきりしていくのを感じることができた。
――こうして、姫の弟の呪いは解け、お姫様と王子様は結ばれました――
お話ならここでおしまい。だけど、俺達の人生は、その後も続いていくわけで。
それから半年後。
「いってきます」
俺は玄関でそう言うとドアを開けた。無事に彼氏と同じ大学に合格した姉貴は家を出た。少しだけ広くなった家。だけど、不思議と寂しくはなかった。
学校へと向かいながら、待ち合わせる。
「おはようございます、先輩」
「ああ。おはよう」
俺は告白してきた後輩の女子と付き合っていた。春の風が彼女の髪を揺らす。姉貴はショートカットだったけど、この子はロングだ。
「二年生って色々大変だけど頑張ってね」
「いえ、先輩こそ受験生じゃないですか」
話しながら歩いていくと、同じ高校の制服がちらほらと見え出した。
「俺はなんとかなるよ。それより」
「それより?」
小首をかしげる少女……いや、葵と、言ったほうがいいか。
「いい加減俺のこと、名前で呼んでくれない? 葵ちゃん」
「え、ええ?」
顔を真っ赤にする。その反応が可愛くて、頬が緩んだ。
「た、た……孝彦……さん……」
「うん。まぁ、最初はそれでいいよ」
消えそうな声で俺のファーストネームを呼んだ葵は、小さく笑った。
呪いが解けた姫の弟は、可愛らしい少女に恋をした。そうやって、新しい物語が紡がれていく。
姉貴の身代わりじゃない。葵という女の子との話は、ここから始まる。
気づけば、もう暖かい風が吹き始めていた。
(了)
いかがでしたしょうか。個人的に姉弟モノが好きなので楽しんで書いた記憶があります。
今から見ると拙い場面もありますが、お気に入りの一作でもあるのでそのままにしました。
ご意見ご感想などお待ちしております。