時間と他者
この世界に来て、恐らく数日が経った。恐らくと疑問形なのは、この世界の時間というものはこれまで慣れ親しんできたそれとは大きく異なる、ということが分かったからだった。
この世界には昼夜の概念がどうやら存在しないらしい、ということ。人間にとって、昼か夜かという区別は、一日のリズムを機能させるのに必要なモノだ。それがなければ一日一日を実感として捉えることは難しい。
それとは別に、もっと直接的に時間を捉える方法――つまりは時計を見るということ――を試してみたのだが、それは期待外れの結果に終わった。自分の体感と比べ、秒針の進み方がどう見ても遅いのだ。それも一つだけではなかった。こうまでくると、自分だけが時から取り残されていると感じ、寂しさを覚えた。
だが、時計が動いているというのは驚きだった。時計が動いているということは時計を動かすための力を作る者が必要だ。時計は自ら動くわけではない。電気を送るなり、ぜんまいを巻くなり、何かしらの力を時計に与えてやる必要がある。つまり、この世界にはどうやら他人が存在しているということだ。自分と同じ境遇に置かれた人がいるのだろう――
時計が動いているという事実は、そんな淡い期待を僕に抱かせた。
もっとも、その期待はしばらくして打ち砕かれた。なにせ他人が見つかるどころかその痕跡すら見つからないのだ。突然地球上のすべての人類が消えたと言われても驚かない自信すらあった。一つ分かったのは、この世界には自分のこれまでの常識は通用しないということ。昼夜のない世界だとか、勝手に動く時計だとか、訳が分からない、というふうだった。そして同時に事実は孤独という現実を突きつけてきた。
――この世界をつくった人間がいたとしたら大層な性格をしているんだろうなぁ、この広い世界で死ぬまでたった一人なんて趣味が悪い。針の山に登り続けるとか、延々と炎に焼かれるとか、そういった方がよっぽどマシじゃあないか。
前に目覚めてからどれくらい経ったのかは分からない。強い疲労を覚えた。今日はもう、寝ることにしよう、そう考えた。とはいっても昼夜がない以上は起きている時間は昼、寝ているときは夜と考えるしかない。つまり、一日の長さは日によってまちまちだった。今はさしずめ夕方といったところか。
そんなことを考えながら、誰もいなくなった駅の前で何軒かのホテルを見つけた。
いわゆるビジネスホテルとか、ラブホテルとかいうやつが並んでいる。ここにしよう、と目星をつけ、一番手前のものに入った。外装も派手だが恐らく内装も似たようなものだろう、と勝手に思いながら、階段を登る。エレベーターは使えない。一番上の階までたどり着くには少々の時間を要した。これまでの疲労に、新しい疲労がのしかかるようだった。
さっさと寝よう、と一番奥の部屋のドアノブに手をかけた、その時だった。
――ドアの向こうに、何かがいる。自らの感覚が、その気配を鋭敏に感じ取った。しかし、それが何であるか、までは分からない。というのも、あまりの恐怖心から身体の力が抜けそうになってしまったからだ。せめてドアノブだけは離すまい、と右手に力を込める。すぅ、と息を吸う。肺が新鮮な空気で満たされる。覚悟を決めた。ドアを開け、部屋の中を確認する勇気が湧いた。
ドアノブを回す。息をゆっくりと吐いた。
予想はいいように裏切られた。部屋の中にいたのは、一人の少女だった。彼女は、身を震わせ、部屋の隅に座り込んでいた。