第8話
「何を考えているのです。そんな汚物、今すぐ元の場所に戻してきなさい」
「で、でもね、まだ息があるの。だけど深い傷を負っていて、直ぐ手当てしないと手遅れになりそうなの」
ココンは、倒れる旅人を背中でかばうようにして、カガミの説得を試みる。
山道を少し逸れた小川の傍で、彼女はこの行き倒れの旅人を見つけてしまった。
あまりにボロボロなので、死んでいるのかと思ったほどだ。
しかし、弔いをしようと近寄れば、微かに呼吸をしている。
驚いてさらに近づいてみれば、うわ言で誰かの名を繰り返し呼んでいた。
必死に呼んでいるのは、もしかしたら家族の名前かもしれない……。
そう思うと、ココンはもう彼を捨て置くことが出来なくなってしまった。
「これから行くのは、“戦車の魔女”の城ですよ。連れて行ってどうするのです? ライオンの餌にされるのがおちです」
「まだ城まで距離があるでしょう? 到着するまで、元気になっているかもしれない。いえ、きっと元気にして見せるわ!」
「そのやる気を、少しは攻撃魔法に向けていただきたい」
「うん、やる気はあるんだよ? ただ才能がないだけ」
「……と、とにかく! 主の変身能力は確かに戦闘にも活かせますが、弱点があることをお忘れなく!」
自分としては、いつも一生懸命に努力してきたつもりなので、やる気を疑われて思わず反論してしまったが、なんとも情けない言い分である。
さすがのカガミも一瞬言葉に詰まってしまったようで、ココンは密かに落ち込んだ。
その時、背後の旅人が身じろぎをした。ココンは慌てて駆け寄る。
「大丈夫? 起きられるかしら?」
「…………」
上体を起こさせると、水を飲ませようと水筒を探す。
旅人はそんな彼女を、虚ろな目でじっと見ていた。
その視線に気が付き、戸惑って声をかけようとした時だ。
「あの……、どうしまし――!!」
急に視界が反転し、首に鋭い痛みを感じる。
カガミが珍しく慌てた様子で、主! と叫びながら、こちらに駆け寄ってくるのが見えた。
ココンにのしかかる旅人が、首元から顔をあげる。
唇に血が付いているのを見て、先程の痛みが、彼に噛みつかれた為であると気が付き唖然とした。
血で染まった牙をむき出しにする姿は、まるで獣。
ギラギラと底光りする瞳に見つめられ、金縛りにあったかのように身体が硬直してしまう。
このままでは食べられてしまう、本気でそう怯えていると、旅人が低く唸った。
「腹が、減った……」
「へ?」
そして、腹の虫が盛大に鳴いたかと思うと、旅人は力尽きたようにその場に倒れ伏した。
「いやぁ、本当に助かったよ!! 腹が減って死にそうだったんだ!」
そう言って、焼き魚を頬張りながら破顔するのは、先程ココンに拾われ、そして襲い掛かってきた旅人である。
精悍な顔つきだが、人懐こい笑みを浮かべているため威圧感はない。
長身で逞しい体躯で、艶のない黒髪を無造作に後ろで束ねている。
どことなく無邪気な大型犬を彷彿とさせる男だった。
「私の主に噛みつくなんて……。そのまま死んでしまえばよかったのに」
「その件は、本当にすまないと思っている。腹が減りすぎて、どうかしていたようだ」
ココンに噛みついたことを根に持っているカガミに、旅人は素直に謝罪する。
この通りだ、と言って深く頭を下げてくる男を、ココンは慌てて制した。
「いえ、もういいのです! 傷が治りやすい体質なので、気にしないでください」
「そうは言っても痛かっただろう。本当にごめんな」
「全くです。死んで詫びなさい」
「カガミ! ……ごめんなさい。ちょっと過保護で……」
許す気配の無いカガミを窘めつつ、ココンは詫びる。
旅人は、主思いの良い従者じゃないか、と大らかに笑っていた。
「俺は白羽。ここから西に進んだ先にある国を治めている。……いや、治めていた、といった方がいいのか?」
「えぇっ! つまり、貴方は王様、ということですか!?」
「はは! 吃驚しただろう? こんなボロボロの男が国王だなんて。……だが嘘じゃない」
白羽は、証拠になるか分からんが、と言って、腰に佩いた剣を外し、二人に差し出して見せた。
柄に刻まれていた翼の無い竜と星を描いた紋章は、確かに西の王家のものである。
「で、その国王陛下が何故、あんな場所で行き倒れていたのです?」
「おう! よくぞ聞いてくれた!」
カガミの問いに、白羽は明るく応じる。
そうして白羽が語る事のいきさつは、本人の語り口には似合わず、かなり深刻なものであった。