第5話
「お見事、でしたね」
叩きつけられた衝撃で、未だに身体が思うように動かせないのか、ぎこちなく上体を起こすカガミに手をかした。
「いや、獣が突然消えた時は駄目かと思った。お前に声をかけられて助かったよ」
標的だった獣は、もとの小さな兎に戻っていた。周りに散らばる魔石を回収し、亡骸を両手で抱える。
そして、木の根元に埋葬し、野の花を手向け、祈った。
「毎回そうしているのですか?」
「あぁ、師匠との約束でな。可能な場合は埋葬している。……そういえば、ココンはどこにいるんだ?」
「あぁ、説明していませんでしたね。主はずっと戦っていましたよ」
ねぇ、と同意を求めたのは、カガミに寄り添い、尻尾を振っている金の狼だ。
撫でて、撫でて甘えている姿からは、先ほどの戦いぶりを想像できない。
カガミがそのフワフワの胸元の毛を堪能しているのを見て、自分も後で触らせてもらおうと固く心に決めた。
「主、アルシェに労いを。今回の功労者を褒めてやってください」
ワフン、と犬のように吠えると、金の狼は天を仰ぐ。
身体が見る見るうちに縮み、毛が短くなっていく。
アルシェは驚きに目を見開いた。
「人狼!?」
今まで金の狼がいた場所にココンが立っていた。しかしその姿は、朝別れる時に見たものとは違っている。
金糸の髪の中からは柔らかそうな三角形の耳が飛び出ており、腰から生えた、質量のある尻尾は、喜びを表すように激しく左右に揺れている。
ココンは、人狼――それも、高位の個体だけが変化できる、人と狼の中間の姿をしていた。
「アルちゃん! アルちゃんがすぐに倒してくれたから、カガミが酷い怪我をしなくて済んだの。――本当にありがとうっ!!」
「おわっ!?」
飛びついてアルシェの首に腕を回すと、ココンは大きな声で感謝を叫んだ。
今までも儚げな見た目に反し、顔をぐしゃぐしゃにして号泣するなど、感情表現は割とストレートだったが、こんなにスキンシップは激しくなかったはずだ。
吃驚したのと、抱き着かれた感触の柔らかさに放心しかけるが、彼女の口元が血で汚れていることに気が付き、慌てて引きはがす。
「ちょっと離れて! 分かったから。どういたしましてだから! それよりも口拭こう! な!?」
「私の気持ち、伝わった? 本当に、いっぱいありがとうって、言いたいの」
「はいはい、もう胸がいっぱいです。ほら、ちょっと上向いて、うーん、ってして」
「うーん」
何故か普段より口調も仕草も幼いココンは、素直にアルシェの指示に従った。
まるで、子供の面倒を見てやっているような気分になるが、今拭っているのは先ほど倒した獣の血である。
アルシェは、先程戦っていた狼が、本当にココンだったのだと実感した。
ひとしきり拭き終えると、大人しくカガミのもとに戻っていく。
そして、ちゃんとお礼言えたよ。褒めて、褒めて。とカガミに頬擦りしていた。
無言で説明を求めるアルシェに、カガミは淡々と話し始める。
ちなみに左手はしっかりココンの頭を撫で回していた。
「私の主は、変身が得意なのです」
「変身……、人狼のフリをしているってことか?」
「主は容姿を模倣するだけではなく、変身した相手の能力や、時に気性さえ自分のものとしてしまいます。それはもはや真似事の範囲を超えて、相手そのものになる感覚に近いのです」
「そうなの! ちなみに、普段の魔女の姿も借り物でね、本当の私が一体誰なのか、実はよく覚えてない!」
ココンが元気いっぱいに宣言するが、それは自分が聞いてもよかったのだろうか……。
案の定、カガミが彼女を叱る。
「主、そのあたりは重要機密ですので、余り軽々しく話してはなりません」
「アルちゃんでも?」
「あんな頭の悪い老け顔男、信用しては駄目です」
「あのさ、いろいろ気になること聞いちゃったし、カガミが俺の事どう思ってるか知って泣きそうだけど、とりあえず、今ココンが犬っぽいのは、人狼の性格に引きずられているからなのは分かったよ。うん。納得した」
「それは良かったです。まぁ私の主は、もともと犬っぽいですけどね」
「犬じゃないよ! 狼だもん!」
ぷりぷり、と訂正するココンに、アルシェは知り合いの人狼を思い出した。
彼も、親しい相手に犬っぽい言動をしていたが、それを指摘すると自分は狼だ、と鼻息を荒くしていた。
彼ら人狼にとって、そこは譲れない問題のだろう。
次第に幼さの増していく口調に、見た目とのギャップがあざといが嫌いじゃないな、などと、どうでもよいことを考えていると、カガミが彼女を撫でていた手を止めた。
「主、そろそろ戻る時間です」
「うん、……分かった」
二人の間では、決まっていたことなのだろうか。
カガミは、いつものようにどこからか大きな姿見を取り出し、ココンはそれを覗き込んで不思議な問答を始めた。
「カガミ、カガミ、“世界で一番美しい”のは、誰?」
「……白雪姫が世界一。貴女は二番目に美しい」
「そうか。……今は、そうだったよね」
音もなく耳や尻尾が消え、いつもの姿に戻っていく。
アルシェはその様子を見ながら、なんとなく惜しい気がしていた。
ココンの戦い方が、想像よりもずっと肉弾戦だったことには驚いたが、人狼姿はやはり愛らしかったし、金の狼の毛並みを一度撫でてみたかったのだ。
だが、こちらを振り返ったココンが、ほんのりと微笑んだのを見て、そんなことはどうでもよくなった。
「アルちゃん、ありがとう」
「さっきも沢山言いてもらったよ。でも、どういたしまして」
改めて感謝の言葉を告げてくる律義さに、やはり、こちらの方が彼女らしいと自然に笑みが浮かぶ。
意味も無く笑いあう二人を、カガミは不思議そうに首を傾げていた。
しばらくそうしていた三人だが、アルシェの腹が盛大に鳴ったので、戻って朝食にしようとココンが提案した。
「そうですね。そろそろ帰りましょ――!?」
カガミが応えようとしたその時だ。
――ズザァアアア
ココンの背後の茂みから、大きな影が飛び出す。
忍び寄っていたのだろう、狂化した巨大なイタチが、ココンを切り裂こうと、鋭い爪を振り上げていた。
慌てて銃を構えるも、間に合わない。
視界の端で、カガミがココンをかばい、覆いかぶさるのが見えた。
イタチの爪が振り下ろされる。
「母上、危ない!!」
澄んだ声が響き、何かが飛び込んで来る。
そして次の瞬間、イタチの身体は一刀両断にされていた。