第4話
アルシェが引き金を引こうとしたその時、それまで森の木々をなぎ倒して暴れていた獣が、ふらりと姿を消した。
「え!?」
驚きに思わず間の抜けた声が出たが、それを気にする余裕も無い。
――何故だ! あれだけ巨大な標的だ。見失うはずがないのに……
状況を理解しようとして、それまでにも、いくつか不可解な点があったことに気が付く。
獲物の近づく音は、間隔がやけに長かったし、森の木々の背丈をはるかに越えるあの獣ならば、もっと遠くにいた時点で目に留まるはずだ。
降って湧いたかのように現れ、そして消える獣……。
アルシェは、ある嫌な予感に胸が騒いだ。
話に聞くだけで実際に遭遇したことは無いが、狂化が進んだ獣の中には、魔法を使うものがいるという。
そもそも狂化した獣が恐ろしいのは、普通の動物ではありえない程の力と生命力を兼ね備えているからだ。
それは肉体強化や再生能力などに魔力が使われているからであり、爪の一振りで岩を砕き、傷を負った傍から塞がるような強い効果を彼らにもたらす。
それだけでも、下等な魔獣と同じくらいには厄介な相手だが、魔法を使うとなると、その危険性は一気に跳ね上がる。
魔獣とは違い、彼らは個体によって使う魔法が異なる。火を吐くかもしれないし、猛毒を撒き散らすかもしれない。
彼らが何を仕掛けてくるのか、予測する術は一介の狩人には無い。何が起きたか分からないままに、死を迎える可能性が高いのだ。
そのため、魔法を使う獣の退治は、通常、魔術師や聖騎士などの、魔法の知識や素養を持つ者が行う。
もしも、今回の標的がそうした獣だとしたら、自分に勝ち目は無い……。
それまで銃口に灯っていた光が消えていく。
アルシェが戦意を喪失しかけたその時だ。
――ウオオオォォォン!!!
まるで、彼を鼓舞するかのような遠吠えが森の中に響く。
そしてひと際大きな狼が、木々をすり抜けて飛び出してきた。
馬車ほどもある巨大な狼は、まばゆい程に豊かな金色の毛並みで、その巨体からは想像できない程軽やかに駆けてくる。
そして、その背にはなんとカガミが跨っていた。
彼はアルシェに向かって叫んだ。
「アルシェ、聞きなさい! 狼狽えてはなりませんよ!!」
カガミは、狼の背の上で腕を振る。
彼の周りに浮かぶ小さな手鏡が、その動きに合わせて旋回を始めた。
すると、銀色の狼たちがカガミたちの周囲に集まってくる。
「今回の獲物は、どうやら身体の大きさを自在に変えることが出来るようです。今は茂みに隠れていますが、主の鼻からは逃れられません。追い詰められれば、巨大化して反撃してきます。その時を狙いなさい!」
カガミの言葉に目が覚めた。
確かに自分は、魔法のことなど何一つ知らない門外漢だが、二人はその道のプロだったではないか!
祖父が亡くなって以来、ずっと一人で狩りをしてきたアルシェには、他の誰かの力を勘定に入れるという発想がなかったのだ。
彼は、俄然力が湧くのを感じた。
――二人は魔女とその従者だ。これ以上ない程頼りになる面子じゃないか! ……彼らを信じよう。
金の狼が、突然火が付いたように吠え立て、周りの狼たちが四方に散らばっていく。
それとほぼ同時に、爆音を立てて獣が再び姿を現した。
狼たちを薙ぎ払うように大きな前足が振られる。
それを軽々と避けながら、金の狼は距離を詰めていった。
そして喉笛に食らいつこうとした瞬間、またしても獣が姿を消す。
いや、身体を小さくしたのだろう。
一瞬、獣を見失った狼の背後で、大きな影がうごめいた。
バアァァン!
背後からの攻撃をもろに受け、吹き飛ばされる狼とカガミ。
カガミは狼の背から投げ出され、狼も木の幹に酷く身体を打ち付けられた。
二人を守るように、銀の狼たちが周りを取り囲むが上手くいかない。
身体のサイズが激しく変わるので、アルシェも照準を合わせられないでいた。
居ても立っても居られなくなり、奇襲を諦めて威嚇射撃をしようとしたアルシェを、カガミが強い視線を向けて止める。
その意味が分からず、焦りだけが募っていく。
とうとう獣の爪が、地面に叩きつけられて動けないカガミに振り下ろされようとした時だ。
金色の影が飛び込んで来るのを、アルシェは見た。
――グアァアアアァア!!
恐ろしい叫び声をあげ、獣がのた打ち回る。
片方の耳が、無残に引き千切られていた。
倒れるカガミを守るように、口元を血で染めた金の狼が立ちはだかる。
激昂した獣が再び爪を振り下ろそうとするので、狼は前足目掛けて高く飛び上がり、その骨を噛み砕いた。
獣は金の狼の猛攻に、身体の大きさを変える余裕がない。
両耳を千切られ、爪を砕かれ、腱を噛み裂かれて満足に動けなくなっても、暴れることを止めない獣。その心臓にアルシェは狙いを定める。
そして、祈りを込めて引き金を引いた。
銃弾は吸い込まれるように獣の心臓を打ち抜く。
動きを止めた獣が、地響きと共にその場に崩れ落ちる。
倒れた獣の身体が淡く発光し始めた。
血の流れに沿って全身を蝕んでいた魔力が、蛍火のような光の粒となって、空気に溶けていく……。
最後の光が静かに空に昇っていった。
それを見届けて、アルシェは獣が倒れる場所へと向かう。
祈りの最後の仕上げが、まだ残っていた。