第1話
ずいぶん陰気な城だと、石の床に跪きながらアルシェは思う。
灯されたかがり火は、広間全体を照らすにはあまりに少ない。
近隣の国々で聞いた城主の不穏な噂や、数年ぶりに訪れた城下町のさびれた様子が、余計にそう感じさせるのかも知れないが……。
なぜ、自分がこんな処に来なければならないのか、彼は数日前の出来事を思い出して、内心溜息をついた。
アルシェは、魔力に侵食されて狂化した獣の駆除を生業にしている。
その日、狂化した獣が大量に発生しているという鉱山に向かっていたアルシェは、暴れ熊に襲われる坑夫たちを偶然助けた。
抗夫たちには大いに感謝され、そしてどういう訳か、彼らの雇い主である城主からも、礼を言いたいと城に招かれたのだ。
なんでも、抗夫たちの働いている鉱山を管理する城主は、数年前に失踪した国王の後妻であるらしい。
鉱山の利益を独占した挙句、民に重税を課し、自身はその金で贅沢三昧。
残酷で嫉妬深い性格で、国王と前妻の間の娘に陰湿な嫌がらせをしているという。
……そんな、悪い噂しか聞かない城主から礼をしたいからと呼ばれても、裏があるとしか思えない。
しかも夜中に、城から直々に屈強な兵士たちが迎えに来るものだから、連行されてきたようなものである。
彼が、不穏で面倒な予感にまた深く溜息をついた時だった。
「大きな傷ね」
涼やかな声とともに、つい、と肩口に指が這う。
反射的に振り向き、思わず息を呑んだ。
暗い城の中、窓から差す一筋の月の光に照らされていたのは、幻のように美しい少女だった。
柔らかく波打つ髪は金糸のように煌めき、瞳は氷の中で揺れる菫を思わせる。
「な、なぜ傷のことを」
確かに彼の肩には、深い爪痕が残されている。しかし服に隠れたそれは、傍目には見えるはずもない。
少女はそれに答えず、ただ笑みを浮かべてアルシェの手を引く。
「抗夫たちを助けてくれてありがとう。彼らから聞きました。素晴らしい腕前の狩人さんだと。……今日貴方をお呼びしたのは、特別にお願いしたいことがあったからです」
「お願い……?」
「私の娘、白雪姫のことよ」
アルシェは、驚きに一瞬固まる。白雪姫とは国王の娘の名前だ。彼女を娘と呼んでいるということは、つまり……。
「貴女が、城主様で!」
慌てふためいて頭を深く下げようとするアルシェを手で制し、少女、もとい城主はほんのりと笑みを浮かべて肯定する。
「えぇ。私がこの城の主。ココンと申します」
「えっと、俺は、狩人のアルシェです」
なんとか自分の名前を返すと、素敵なお名前ね、と花が綻ぶように微笑まれて、アルシェは眩暈に似た何かを覚えた。
呆けたようにココンを見つめていると、彼女は用を思い出したようで、誰かの名を呼んだ。
「カガミ、来てちょうだい」
「はい、主」
呼び声に応え、部屋の暗がりから溶け出でるように少年が現れる。
礼服をまとい、黒髪は肩の長さで切りそろえられている。そして何故か、目元を白銀色の仮面で隠していた。
彼はココンの従者なのだろうか、恭しく一礼すると、どこから出したのか、大きな鏡を彼女達に掲げて見せる。
「見て、アルシェさん。これが私の白雪姫」
促されて鏡を覗き込むと、美しく健康そうな長い黒髪の少女が映っていた。
ココンは、憂い気に溜息をつく。
「ねぇ、とても綺麗でしょう」
そして切なそうに目を細め、白雪姫の輪郭を鏡越しになぞった。
「あぁ白雪姫、見るたび美しくなっていくわ……。いけない、こんなに美しくてはいけないのよ……!」
アルシェは、思いつめたような彼女の様子に、嫌な予感が募っていく。
義理の娘の美しさに嫉妬する城主の噂。
人目を憚るように夜中に呼ばれた、生き物を殺す術に長ける自分……。
もし依頼されれば、それがどれほど非道な願いでも、自分に断るという選択肢は無い。
背中に嫌な汗が流れた。
「アルシェさん、白雪姫は、こんなに美しくてはいけないの。だから、私は貴方にお願いしなくてはいけないの……。あの子を……いや、でも……」
「……?」
何を頼まれるのか、身構えていたアルシェだったが、次第にココンの様子がおかしいことに気が付く。 言葉につかえ、言い淀んでいる。まるで、その言葉を口にしたくないかのように。
そんな様子を、従者のカガミが仮面越しに、じっと見つめている。
「お願いしなくちゃ……、でも、うぅぅ……」
「お、おい、無理するなよ」
とうとう嗚咽を漏らしだしたココンに、思わず背をさすってなだめる。
すると、安心したのだろうか。彼女は火が付いたように大声で泣き出した。
「うわぁぁんっ、嫌よぉぉ、白雪姫に傷をつけるなんて駄目!そんなことしたら、アルシェさんのこと、絶対許さないんだからぁぁあ!!!」
「えぇぇ……なんで俺怒られてるの? 理不尽だなぁ……とりあえずアンタは鼻水ふけよな」
文句を言いつつも、泣きじゃくるココンの顔をハンカチで拭い、宥めるアルシェ。
そんな二人を見て、カガミはやはり駄目でしたか、と溜息をついた。




