司、そして紫織、邂逅す
今回から、ストーリーが始まります。見切り発車なので、色々と不自然な点もあろうかと思いますが、よろしくお願いいたします。
時は、明治の中頃。とある貿易商の家に、新たな命が誕生した。
父の名は、天地源三郎、母の名は、トキ。子供の名は、司と名付けられた。
時を同じくして、天地家の倉で、不思議なことが起きた。倉を掃除しようと、使用人が扉を開けると、そこに着物を着た、美少女が佇んでいた。紅桔梗色の髪に、同じ色の着物。端正な顔立ちからは、知性を窺わせ、気品すら漂わせる。使用人は驚き、すぐさま自分の主人たちを呼んだ。
「貴様!我が家の倉に、忍び込むとは、何たる不届きものか!」
駆けつけた源三郎の怒号に、一緒にいたトキに抱えられた、司が怯えて泣き出す。源三郎は、それを意にも介さず、
「名を名乗れ!どこから来た!返答次第では容赦せんぞ!」
江戸時代生まれの源三郎は、元、侍である。刀を引き抜き、凄む。少女は、少し怯えたような顔で、
「私は、怪しいものではありません。あなた様のお買いになった、本から転じた付喪神です。この世に本として生まれて百年。今の人格を持つに至りました。名を紫織と申します。」
と、透き通った声で返答した。
「本?付喪神?何だそれは?」
源三郎が怪訝な顔をして問う。
「付喪神とは、器物に魂が宿った物です。私のように、人の姿をとることもあります。人格、知能が存在し、また原型に応じて、特殊な力を使うことも出来ます。」
「ほう…。一種の妖怪と言うわけか。そのようなものに、居座られては敵わん。とっとと出て行け!」
「そんな、ここを出て、行く所などありません!どうか、ここに置いてください!下働きでも、何でも致します!」
涙目で懇願する、紫織。
「ふむ…。何でもか…。その言葉に偽りはあるまいな?」
源三郎が下卑た顔で、詰め寄る。
「はい…。」
紫織は、源三郎の顔を見て後悔するも、時既に遅かった。元々、付喪神は、人に所有され、使役されることによって、存在できる。ここを出ても、誰かの物にならなければ、ただのモノに戻ってしまうのだ。紫織には、退路など無かったのだ。
「では、そこにいる我が息子、司の乳母となってもらおう。我らは、商売の為、世話をしている暇はないのでな。」
「え…。自分の息子ではないですか?司くんも、親子の愛情を受けて育ったほうが…。」
これは、育児放棄ではないか?紫織は、信じられないといった顔で、源三郎とトキに告げた。
「うるさい!貴様は我々に従っておれば良いのだ。」
「そうよ、あなたに指図される筋合いなどないわ!大事に扱ってよ、これでも我が家の跡取りなのだから。」
トキが司を紫織に渡そうとする。紫織は、これが親と言うものか、と思った。口には出さなかったが。言ったところで、彼らは耳を傾けるまい、その事は、彼らの目を見ればよく分かる、とも思った。紫織には、会って少ししか経っていないとは言え、この二人の人間性がよく分かっていた。自らの言葉に、絶対的な自信を持ち、一片の偽りもないとでも言わんばかりの、傲岸不遜な態度。それら全てが、紫織にこれから降りかかる、苦難を物語っているようだった。
「我々は、仕事に戻る。貴様のやることは、乳母だけではないぞ。何せ我が家は、広い。いくらでもやることはある。怠けたりしたら、すぐに追い出すぞ、分かったか?」
「はい…。」
紫織は、力ない声で、要求を受け入れた。源三郎に、もし受け皿が、大なり小なりあったとしたら、紫織も、怒りを露にしただろう。だが、何もない相手に怒っても無駄なことを、紫織は知っている。そしてまた、この家で生きる唯一の希望は、自らの手に抱えられていること。司を立派に育て上げること、それを生き甲斐にすることしか、生きる希望を持てないことも、紫織は知っていた。
この時はまだ誰も知らなかった。源三郎も、トキも、紫織も、司も。この事が、後の司の人生に、大きな影響を与えることを。
そしてこれが、始まりであったことも。