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60.捕り物

60話目です。

よろしくお願いします。

 アナトニエの街道を、何の変哲もない一台の馬車が走っていく。

 目深にフードをかぶった馭者の男は、押し黙ったまま真正面だけを見ており、振り返ることもなければ、馬車の中に乗っている人物に話しかける事もない。

 そんな馭者の雰囲気を感じているのか、二頭の馬は、黙々と走っていく。


「どこへ向かっているの? 見た感じ、ケヴトロ帝国の方向とは違うみたいだけれど」

「ノーティア王国を通る。協力は取り付けている」

 ハニカムは、牢内で着せられていたつぎはぎが目立つ簡素なワンピースを着て、化粧気のない顔でつぶやいた。

 答えた男は、馭者と同様にフードをかぶって仏頂面で答える。


「……ノーティアとケヴトロは手を組んだか」

 手足を拘束され、馬車の隅に横たわっていたアールは、首だけを挙げて姪のハニカムと男を交互に見た。

「国家としては対立したままだが、アナトニエと同じだ。どこの国にも、金に困っている貴族はいる。それよりも、命が惜しければ大人しくしている事だ。本来なら、すでにその口を封じているはずなのだからな」


「やめて。おじさんには手を出さない事と、合わせてあたしを保護するのが、あたしが情報を持ち帰る条件でしょ」

 ハニカムの抗議を受けて、男は鼻で笑う。

「ふん、失敗した工作員が偉そうに……偶々コープスに潜り込めただけだろうが、偉そうに条件を出しやがって」


 アナトニエ城内での騒動に乗じて、貴族の手引きによって侵入した男は、見張りの兵を殺害し、ハニカムと共に、居合わせたアールを回収した。

 アールを殺害しようとした男を止めたハニカムに説得されたアールは、大人しく捕まる事にしたが、油断なく周りを観察していた。自分の命がどうなろうと構わないが、身内としてこのままハニカムが罰を受けることなく逃げてしまうのは間違いだと思っている。


「間もなく国境へ到着する。大山地の樹海に入ってすぐの場所に迎えを呼んでいる。そこでお前たちを引き渡す手はずになっている」

「犯罪者みたいな扱いはやめてよね。帝国のために危険を冒してまで情報を得たのよ」

「本来ならば、失敗すれば死ぬ。殺される。それが当たり前だ。これだけ特別扱いされているのに、文句を言うな」


 いつしか馬車は街道を外れて、道無き荒野を進む。人目を避けて、樹海に近い部分を移動するのだ。

「ノーティアで、あたしたちはちゃんと扱われるんでしょうね」

「知らん。引き渡すまでが俺の仕事だ。少なくとも、本国へは帰ってもらわないといけないからな。無事には帰れると思う」


「仕方ないわね……。おじさん、お願いだから大人しくしていてよ」

「……わかっている。だが、ノーティアもケヴトロも、すでに追い詰められた状態にある。帝国に逃げ込んだとしても、安泰というわけじゃあない」

 アールの言葉に、ハニカムではなく男の方が笑った。


「そういう事は、上の貴族連中が考える事だ。俺たちは金のために仕事をする。成果を上げて、報酬をもらうだけだ。国が無くなるなら、どこかに消えるだけだ」

「おじさん、帝国で情報を渡してお金をもらったら、しばらくどこかに隠れていましょう。休みが必要だわ」

 狭い馬車の中で、ぐぐっと体を伸ばしたハニカムは、大きなため息をついた。


 鬱蒼とした森が近づいてくる。

 馬車がその森に沿って、ノーティアの国境へ向かって進んでいくと、ほどなくして数人が立っているのが見えてきた。

「迎えだ」

 初めて口を開いた馭者の声に、男は立ち上がって前方の光景を確認する。


 五人ほどが、マントを着て全身を覆った姿で立っていた。

「十メートルは離れて馬車を止めろ。俺が確認してくる」

 指示通りに停止した馬車から、男は飛び降り、ハニカムはそっと顔を出して様子を覗う。


 男がゆっくりと前方の集団に近づいていくと、集団の一人が声をかけた。

「身柄は?」

 声が女性のものだった事で、男は少しだけ驚いた。

「女か……まあいい。保護した奴は馬車の中だ。あんたらは……ケヴトロか? ノーティアか?」

「知る必要はない。ただ例の女を引き渡せばいいんだ」


 有無を言わさぬ口調だが、男はそれを不思議には思わなかった。

 極力余計な情報を交わさないように仕事を進めるタイプは珍しくない。

「……馬車から連れてくる」


 男が背を向けた瞬間、背後から首筋を打ち据えられ、うつぶせに倒れたところを二人がかりで取り押さえられた。

「な、何を……」

 混乱する男の横を、残った者たちがマントを脱ぎ捨てて馬車へと走っていくのが見えた。彼女らは全員、揃いの軍服を着ている。


「す、ストラトー!? という事は……」

「情報が筒抜けだったってことね。諦めなさい」

 男を取り押さえていた一人は、ストラトーの隊長ミテーラだった。

 手早く男を拘束し、自殺しないようにさるぐつわを咬ませて武器を奪う。手慣れた動きに、共に男を押さえていたストラトーの隊員が、舌を巻いていた。


 逃げ出そうとした馭者は、女性兵に馬車の上から蹴り落とされ、あえなく捕縛された。

 だが、ハニカムは迫ってきた兵士を逆に投げ飛ばし、樹海へ向かって駆けていく。一瞬だけアールの方を一瞥したが、縛られた伯父を連れて行く余裕はない。

「ごめんね!」

 それだけ言って走って行ったハニカムと入れ替わりに入ってきたストラトー隊員が、二人がかりでアールを担ぎ出して、馬車の外へ座らせる。


「久しぶりね」

 ミテーラはアールを城内で見かけて知っている。その事情も。

「縄を切ってあげなさい」

 指示を受けた隊員に解放されたアールは、礼を言うとすぐにハニカムを追って走り始めた。


 後を追おうとした隊員を、ミテーラは止めた。

「よろしいのですか?」

「後はコープスで処理するでしょ。わたしたちはアナトニエにこいつらを引き渡して終わり。それより……」

 ミテーラは、ハニカムに反撃されて取り逃した隊員たちを睨み付けた。


「軍人として、もっとしっかり対人格闘も訓練しないと駄目ね」

 魔動機ばかりに目が行って、基本的な戦いがおろそかになっているわね、と自身も反省していた。

「馬車を確保。念のため周囲を確認しなさい。それから帰投するわよ」


☆★☆


 森へと分け入ったハニカムは、外が見える位置を保って移動を始めた。あまり奥に入ると、魔物に襲われる可能性がある。

 魔動機があれば別だが、丸腰の状態で襲われてはひとたまりもない。

「ここまで手が回っていたということは、本来の出迎えも捕まっている可能性が高いわね」


 かなり距離はあるが、このまま森の中を移動して、夜を待ってひそかに国境を越える橋を渡り、何とかノーティア王国内で本国につなぎをつけるしかない。

 方針を決めたハニカムは、追手の気配に注意しながら進んでいく。

 だが、それも数分のことだった。


「待ってたよ」

「ラチェット……」

 森の中、太い幹に背中を預けていたラチェットは、ハニカムの姿を見かけて片手をあげた。

 身構えるハニカムに、ラチェットは苦笑いを向ける。


「残念だけど、ハニカム。君の逃走はここで終わりだ」

「馬鹿にしないでよ。訓練を受けた元軍人のあたしと、単なるドライバーの貴方じゃ、いくら女と男でも負けるわけないじゃない」

 ジリジリと近づいていくハニカムは、両手の拳を握りしめて、しっかりと顔の前で構えている。


「そういう意味じゃ無かったんだけど……いいよ、ハニカムがそのつもりなら相手になる」

 ラチェットは両手を開いたままで前に出した構えを取った。

「悪いけど、切羽詰ってるのよ。手加減はできないわ」

「そう言ってくれるだけでも、ありがたくて涙が出そうだ」


 ふざけた口調で返したラチェットに対し、ハニカムは右ストレートで応えた。

「おおっと!」

 大げさに驚きながら、ラチェットは片足を引いて躱す。

 通り抜ける腕に手を当てて、肘や手刀が来るのを防いでいるあたり、ラチェットも素人ではない。


 焦っているハニカムは、ラチェットの動きが戦いに慣れた人間のそれである事に気づかなかった。

 所詮は非戦闘員であるという侮りが、彼女にもう一度大ぶりの拳を打たせる。

「邪魔しないで!」

「そういうわけにもいかない」


 ラチェットの両手がハニカムの腕を掴み、肘を内側に押し込むように捻りあげた。

 ゴクン、という音が響く。肩が外れたのだ。

「あああ……!」

 あぶら汗を流して蹲るハニカムを、ラチェットは見下ろした。


「俺が素人だなんて、言ったことあったっけ?」

「この……!」

「もう諦めなよ」

 ラチェットの後ろから、轟音を響かせて一機の特徴的な魔動機が姿を見せた。無限軌道に無骨なアームがついた、クロック専用機のトリガーハッピーだ。


「クロックの……」

 驚愕するハニカムは、現れたトリガーハッピーを見て、痛みとは別に顔を青くした。

「もう遅いんだ、ハニカム。君に残された選択肢は……」

「嫌よ! 死にたくないもの!」


 絶叫と共に、ハニカムは左手で手近に落ちていた石を掴み、ラチェットへ投げつけた。

 利き手ではない手で投げた割には、しっかりと狙い通りに飛んだ石は、ラチェットに避けられ、背後のトリガーハッピーの装甲を叩く。

「このまま捕まったら、どう考えても死刑にされるか、処分される未来しかないじゃない! あたしは死にたくない!」


 半狂乱で叫んでいるハニカムの後ろに、アールが姿を見せた。

 ラチェットは気づいたが、ハニカムはラチェットとトリガーハッピーを睨み付けていて、彼に気づいていない。

「ハニカム……」

「同情してくれるなら、見逃してよ!」


 アールはハニカムの背後から、がっしりと首を絞めた。

「うっ!?」

 突然の苦しさに目を向けて、自分の首に回っている腕が伯父のアールのものであると気づくと、ハニカムは混乱して腕に爪を立てた。

 長い整備兵生活で鍛えられた腕は、年齢を感じさせないほど太く力強い。爪が食い込み、血が流れても締め上げる力は緩まない。


 ほどなくして、ハニカムの抵抗は無くなった。

「そのへんでやめておけ、アール。これ以上絞めたら死ぬぞ」

 機体から降りてきたクロックに促され、アールは腕を緩めた。

「……ここで死なせた方が、こいつにとっては幸せかもしれん……」

 だが、アールはハニカムは生きて罰を待たねばならぬ事もわかっていた。


 ラチェットは座り込んで、大きく息を吐いた。

「久しぶりに戦った。訓練以来だよ」

「悪くない腕だ」

 気を失ったハニカムを抱えあげ、クロックは短い言葉で評価した。


「クロック。俺は運が良かったんだろうね」

 ラチェットにとって、取り乱したハニカムの姿は見ていられない物だった。同じスパイとはいえ、ハニカムの立場はもはや死を免れない。対して、自分はアナトニエに雇われて、生き残る可能性がある。

 その差を思うと、コープスの仲間を危険にさらしたと言っても、ハニカムを毛嫌いする気にもなれなかった。


「それがわかっているなら、しっかり働く事だ」

「了解だ」

 クロックの忠告に、ラチェットしっかり頷いて立ち上がった。

「俺は転向者だ。精一杯、アナトニエのために働くさ」

 拾った命だ、大切にしよう、とラチェットはアールの肩を叩いて、不器用に笑って見せた。

お読みいただきましてありがとうございます。

次回もよろしくお願いします。

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