51.諜報
51話目です。
よろしくお願いします。
再び、アナトニエとケヴトロの国境は戦いの地になろうとしている。
ノーマッドを駆り、ケヴトロ帝国の国境周辺を海側から迂回しつつ確認していたスームは、確かにケヴトロ帝国軍が国境付近に集結しつつあるのを確認した。
「傭兵団も多いようですね。中核はソーマートースのようですが」
何故かノーマッドに同乗して偵察を手伝っているカタリオが、スームから借りた望遠鏡から目を離した。
「編成としては、“寄せ集め”の一言ですね。とにかく現有戦力で他の国境から動かせない分をかき集めたような印象です」
「そうみたいだな。おかげで編成からだと向こうのやり方が読めない。まさか、馬鹿正直に正面から突っ込んでくるとは思えん」
「ですが、戦闘が長期になるのは、向こうにとっても望む状況ではありません」
戦闘は実際に戦っている間以外にも、単に兵士を現地に置いているだけで結構な経費が飛んで行く。リターンなど無い、純然たる出費が続くのだ。
もし睨み合いが数ヶ月続けば、それだけでケヴトロ帝国は痩せ衰えて瓦解する可能性すらある、というのはスームとセマ、そして彼女の部下であるカタリオに共通する認識だった。
「尤も、僕たちアナトニエ側としても長期戦は困るわけですがね。アナトニエがいわゆる“世界の先導者”として認知される程度には、圧倒的な勝利を王女殿下はお求めですから」
随分と無茶をおっしゃるものですね、とカタリオはけらけらと笑っている。
「その為に、あんなものを作らせたのか。俺も人の事は言えんが、随分と大胆な奴だな」
「ここでの大仕事が終われば、明るい未来が待っていますからね」
手元の紙に何かを描きこみながら、カタリオはふふん、と鼻を鳴らした。
「そりゃあ、この戦いがセマの考え通りに行けば、いくらでも出世はできるだろうな。あんたとユメカで、軍のトップを仕切る事になるのは間違いないだろう」
「そう、それなんですがね。一つ悩んでいる事があるんですよ」
「悩み?」
口には出さなかったが、スームはカタリオという男が悩んでいる姿は想像できなかった。大概の会話では、あっさりと回答を返し、考えてはいるが腰を据えてじっくり思考をするというよりは、努めてライトでシニカルな態度を貫いているように見えていたからだ。
「軍のトップになって給料が良くなるのは良いんですよ。王都の静かな場所に家でも建てて、家事はお手伝いさんが今もいますけど、もう一人くらい雇って何でもかんでもお任せにできますし」
「良い事じゃないか。俺みたいな現場から離れられないタイプよりは、ずっと優雅な生活ができそうだ」
「そう、それですよ」
再び望遠鏡を覗き込み、カタリオは唇を尖らせた。
「できれば真面目ちゃんなユメカに面倒事は全部押し付けたいんですよ。特に式典なんかが嫌いで、たまにしかありませんが、気取った礼服くらい面倒なものはありません」
そういうのが嫌で、わざと地方勤務を選んでいた彼は、イアディボの失敗後に王都へ呼び戻されてからこっち、城に行く機会が多くて辟易していたらしい。
「トップになると、あれやれこれやの式典やらイベントやらに顔を出して、なんだか偉そうな話をしないといけない。かと言って、ナンバーツーだと実務が忙しい。どっちになっても、なかなか楽はできないなぁ、と思いはじめましてね」
希望としては、どっか地方の警備部隊長あたりが一番楽なんですよ、とカタリオは笑う。上の人間の目が無いうえ、事件なんてまず無いから暇なのだそうだ。
「……あ、そう。ユメカと相談すればいいんじゃないか?」
構えて聞いて損をした、とスームは操縦に集中しながら軽く答えた。
「彼女はご存じの通りに真面目一辺倒だから、こんな話したら怒られますよ。そういえば」
描きこみをしていた紙を四つ折りにして、軍服の懐に収めたカタリオが顔を上げた。
「この戦いの後、コープスはどうするんですか?」
「質問の意味が判らん」
スームが聞き返すと、カタリオは遠くで展開しているソーマートースを中心とした傭兵達の機体と、その周囲で整備や魔力の補給の為に動き回っている人々を指した。
「彼らは……少なくとも、彼らの上官たちは、傭兵という職業全体が置かれている状況を知って、懸命に“職場を守る”ために戦うつもりでいるんでしょう。我が国の下部組織に組み込まれたストラトーはさておき、コープスはアナトニエ王国軍に組み込まれる事は断ったと聞きましたよ?」
「別に、どうとでもなるだろう。お前に心配されるような事じゃないさ」
「本気で言っていますか?」
ノーマッドが大きく弧を描いて帰投コースを取る中、二人の間に微妙な緊張感が生まれた。
「……変な話ですが、ケヴトロ帝国もノーティア王国も戦力的に低下している今、ヴォーリア連邦の他にアナトニエ王国が最も警戒すべきはコープスになります」
「馬鹿言え。俺たちは味方だぞ」
「今は、ですよね」
考えれば不思議な話なんです、とカタリオは話を続ける。
「コープスからの提案は、完全に“傭兵潰し”なんですよ。世の中が安定すれば、傭兵の居場所は無くなりますからね。ストラトーが安定を求めて国の傘下に入るのは当然の帰結です。ソーマートース程の規模を長く抱えておける国は無い。ですが、コープスならばどこへ行っても引く手数多。キーになる機体を作って、文字通り世界をいくらでも書き換えられるでしょう」
「大げさだな」
「これでも過小気味な評価ですよ。今回の作戦が成功して、アナトニエを中心とした世界の再編が出来たとすれば、我がアナトニエは色々な仕事を抱え込むと同時に、実績が出来る。しかし、それは同時にコープスの力を示す事以外の何物でも無い」
カタリオが不安視しているのは、コープスという小さな巨人が、今度は別の国で同じように騒動を起こす事だ。実績がある彼らが、どこかの国の中枢に囁くだけで、野心の強い者であれば飛びつく可能性がある。
「一言、アナトニエと同じような事をしてみよう、と言えば良いわけですからね」
「違う、と言っても証明のしようが無いな」
この話をするために、わざわざ偵察について来たのか、とスームは観念して、話に付き合う事にした。
「俺個人としても、他の連中にしても、別に“傭兵”であり続ける必要は無いんだよ。個人的には、この戦いの先にある競技会が無事に開催されて、魔動機がもっと自由に開発されて、ワンオフものが色々と出てくれば、万々歳だな」
そう言うスームを、カタリオはじっと見ていた。
頭を掻いて、どっかりとコクピットの予備シートに座ったカタリオは、笑っていた。
「なるほど、噂に違わぬ魔動機技師っぷりだ。脱帽いたしました」
「で、どうするつもりだ? ひっそり監視でもつけるか?」
「そんな技能を持った者、今のアナトニエにはいませんよ」
戦争とは無関係にぼんやりしていたアナトニエ王国という国は、魔動機技師もそうだが、あらゆる部門において貧弱の誹りを免れない状況だった。
コープスやストラトーの協力があるおかげで、直接的な防衛力、攻撃力は一気に引き上げられたものの、それ以外は全く手つかずと言っていい。セマもそこまで知識があるわけでもなく、また時間も無い。
「そうそう、諜報部門の件で思い出しました。コープスにいるネズミはどうにかしておいてくださいね」
「は? なんのことだ?」
「ヴォーリアからの間諜が入り込んでいますよ」
スームが眉を顰めて不快とも驚きともつかない妙な顔を見せた事に、カタリオは思わず吹き出した。
「ふふっ、どうやら、今回は初めて我が国がコープスを出し抜く事ができたようですね。……城からの情報がどういうふうに流れるかを今回確認できました。城勤めの人選も考え直さないとは、戦争というのは全く面倒で手間のかかることばかりですね」
ヴォーリア連邦でのスームとハイアッゴの会話で出てきた内容は、文官のカッシがしっかりと記録して持ち帰っている。
その内容から、城内の誰から誰を伝って情報が流れているかを確認したらしい。カタリオが提案して、セマが了承した上での作戦だったらしい。
「これほどうまく行くとは思いませんでしたが……」
「誰だ?」
「ラチェット氏ですよ。良く城勤めの侍女たちと話をしているのを、スームさんもご存じでしょう?」
ギシ、と音を立てて背もたれに身体を押しつけたスームは、鼻から大きく息を吐いた。
「情報通だとは思ったが、まさかスパイが勤まる程とはね」
「直接的コープスに被害は無いようですけどね。流石に我が国の情報がコープスを通じて流れているとなると、対応を求める必要があります」
「あいつに聞かれないように、偵察について来たのか……わかった。あいつは俺たちが捕まえる。それで、処分は俺たちの手でやる」
スームが仕方ない、と考えていると、カタリオはストップをかけた。
「いえいえ。今の所は実害は出ていません。それどころか、コープスや我が国の情報が正確にヴォーリア連邦へ伝わっているおかげで、こちらからの提案をスムースに受け取って貰えた、という見方もできます」
「かと言って、放置するわけにもいかんだろう」
「ですから、捕まえるだけ捕まえて貰ったら、我が国から話をさせていただきたいのですよ」
その為に、この戦いが終わった直後くらいに捕縛する事にして、彼の身分が発覚した事は隠しておいて欲しい、とカタリオは言う。
「こちらが有利なうちは、性格な戦況がヴォーリアに伝わるのは悪い事ではありません。アピールになりますし、変なタイミングで捕まえると、向こうが乗り気になっている状況に水を差す事にもなりかねませんから」
そして、戦闘後に落ち着いたところで、王都に戻ってから捕縛をして欲しいとカタリオは言う。
「で、どうするつもりだ?」
「殿下は身代金を取ってヴォーリア連邦への引き渡しを考えられましたが、僕の提案が一応は通りまして……」
余計な事を言ったせいで仕事が増えてしまったんですが、と愚痴を挟む。
「折角だから、正式にヴォーリア連邦にお断わりを入れたうえで、諜報機関の設立を手伝ってもらってはどうか、と思っているんですよ」
「お前……」
「一から育てるより、楽だし安上がりでしょう?」
正式に身柄を譲渡してもらって、連絡手段を断ち切れば、ラチェットもその方が得だと判断するんじゃないですかね、とカタリオは澄ました顔で言い切った。
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