2 解決策
兄に見つかってしまった以上、もうヴァイカウントは使えません。
一度目は許されるでしょうが、二度目があるかどうかは私にも分からない。未遂だったからこそ、許された可能性もあります。
開け放たれたままの窓から下をのぞくと、兄の攻撃を必死に防いでる姿が見えました。本気をうかがわせるようなかなり際どい太刀筋ばかりです。戦場に単身乗り込んでいって、殲滅させて帰ってくる化け物のような兄の攻撃に耐えられているヴァイカウントの腕も、さすがとしか言いようがありません。父と兄に叩き込まれただけはあります。
まあ、兄も多少の手加減をしているのでしょうけど。それに、ヴァイカウントは兄のお気に入り。命まで取られることはないはずです。
とりあえず、兄の気がすむまでしばらく相手をして怪我をしないように頑張ってください。お気の毒様です。
それにしても、私の中で彼が一番適任者だったのに……困りました。
兄がヴァイカウントで遊んでいるこの隙に、次の候補に相談を持ちかけてしまおうかと思わなくもないですが、残念なことに彼は勤務中で王城にいます。王城へ行くならさすがにこの恰好ではいけません。家でのんびりする気満々だったので、化粧も薄くしかしていませんし、服装も動きやすい普段着です。もう少しきちんとした服に着替えなきゃダメですし、化粧もしなおさなければなりません。用意している間にきっと兄が戻ってきます。かといって、第二候補の彼が仕事を終えて帰ってくるのを待っていると、こんな風にまたバレてしまう可能性があります。
もういっそ、兄に私の計画を打ち明けて、許可をもらおうかしら。
そうすれば、尊い犠牲を払う必要はありませんからね。ああ、でもあの兄の事です。大反対される可能性の方が高い。
「マリー様……」
窓際でうーんと頭を悩ませていると背後から名前を呼ばれ、ゆっくりと振り返りました。私は気配で気付くなんて特技は持っていないので、部屋に入ってきた人物に呼ばれるまで気付きませんでした。
困惑したような顔で声をかけてきたのは、マーキス。
兄ともヴァイカウントとも違ったタイプの美形の彼も、ヴァイカウントと同じく兄に拾われてきた孤児の一人です。そして今は立派に兄の部下をやっている騎士で、私がヴァイカウントと天秤にかけた相手です。
私と同じ年の優しくて真面目な好青年。剣の腕はもちろんの事、料理、洗濯、掃除にと家事も得意な、兄とはまた違った意味で優秀な男です。
その彼がいて、素直に驚いてしまいました。
「驚いたわ。お兄様だけじゃなくマーキス、あなたまで帰ってきたの?」
「マリー様、どうかあまりアイツで遊ばないでやってください」
「あら、心外ね。わたくしは至って本気よ?」
遊んでいるだなんて、とんでもない。いろいろな角度から検証を重ねた結果、彼を第一候補に選んだのをマーキスは分かっていません。理由を彼らに一言も告げていないから理解できないのかもしれませんが、私は切実に子どもが欲しいんです。
せっかくだから、ここでそれを彼に告げてみましょうか。
私の中での第二候補が目の前にいるのです。王城に行かなければ夜まで会えないと思っていた相手がすぐそこにいるのです。飛んで火にいる夏の虫、この機会を逃がさない手はありません。それに、兄はまだヴァイカウントの相手をしていて忙しいですし、今なら邪魔は入らない可能性の方が高いです。
けれど、気がかりなことが一つありました。
兄といい、彼といい、どうして彼らが家に戻ってきたのか不思議でなりません。私とヴァイカウントは休みでも、彼らは今日一日は仕事だったはずです。昼を少しすぎたこの時間は間違いなく勤務時間帯。少し遅い昼休みという可能性ももちろんありますが、それでも家に戻ってくるなんていうのはよっぽどの事です。私たちを呼びにくるような、不測の事態が王城で起こったのでしょうか。
気になって尋ねてみれば、マーキスの返事は歯切れの悪いものでした。
「いえ、そうではなくてですね……」
「それは、僕から説明しようか」
「ウィル!?」
まさかの第一王子の登場です。
兄、マーキスに続き、第一王子ウィリアムの登場に、驚くほかありません。一体なにがどうして彼らがここにいるのか、理解不能です。これが王城のとある一室というのならまだ分かります。食事時やおやつ、休憩時間などはみんなで集まって同じ席を囲んだりしますから。顔を合わせるのは必然ともいえます。けれどここは私の実家。
「あなたまでどうしてここに……? もしかして向こうで何かあったの?」
「心配しなくてもお城で何かあったわけじゃないから安心してよ。ただ、ちょっとね……僕がマリーに話ししたいことがあったからデュークとマーキスについて来てもらったんだ」
「話……?」
「うん、間に合ってよかったとも思うよ」
話とは一体なんでしょう?
それに、間に合ったとは何が?
にっこりと浮かんだ笑みが、意味深です。心当たりが全くないので、私は首を傾げます。そこまで急ぎの話なんてあったかしら。私の仕事や国王夫妻、両親たち、王子王女の予定などを頭の中で思い返してみるも、今のところ急を要するような用件が一つも思い浮かびません。
それにしても、第一王子。仕事はどうしたのでしょう。国王陛下よりは忙しくないとはいえ、仕事がない訳ではないのですから、何の話かは分かりませんが、第一王子ともあろうお人が我が家までわざわざ足を運ばなくても、と思います。だって私の休みは今日一日なのですもの。明日は朝から登城するし、その時でもいいのでは?
そんな疑問を口にする前に、第一王子にちょっと待ってと手で止められました。彼は私がいる窓際まで近寄ってくると、外にいる兄とヴァイカウントに向かって、彼らに聞こえるように大きな声をあげました。
「デュークー! ヴァイへのお仕置きはその辺にして、戻っておいでよー! デュークにも同席してほしいんだからさー!」
第一王子の声が聞こえたのか、兄とヴァイカウントの手が止まりました。それを確認してから、一階のテラスに集合と最後に言い置いて、第一王子はこちらを振り向きました。
ええ、分かってます。これから階下のテラスへ移動という訳ですね。仕方がないので、みんなでテラスへと移動となりました。
「それで、話とは?」
テラスにやってくるなり、真っ先に口を開いたのは兄でした。第一王子の正面に遠慮なく腰を下ろし、マーキスが用意してくれた紅茶を手に取って優雅に喉を潤しています。あれだけ激しい運動をしていたのにも関わらず、汗一つかいてません。恐ろしい御方です、本当に。
逆にヴァイカウントはぐったりしていました。怪我はないようですが、心身ともにお疲れのようです。テラスに置かれたテーブルは四人掛けなので、私たちの隣の席でマーキスに慰められていました。私も、あの兄相手によく頑張ったと後で労ってあげようと思います。
「話っていうのはね、これをマリーとデュークに見てもらいたくって」
その声に意識をヴァイカウントから第一王子に移すと、彼は懐から折りたたまれた紙を取り出していました。
折りたたまれた一枚の紙を丁寧に広げて、私と兄に見やすいようにこちらに向けてテーブルの上に置いてくれたのです。よく見ると、テーブルの上の白い紙にはこの国の紋章が描かれ、流麗な文字が並んでいます。紋章は、王族が使用するものにも描かれていますが、これはそれとは若干色使いが違う国政用のものです。つまり、重要な文書という事になります。
これを私たちに見せるという事は読めということなのでしょう。そう理解して、そこに書かれてあるあまり長くもない文章をさっと読んで……息を呑みました。
書かれてある内容が信じられなくて、テーブルの上に置いてある紙を思わず手に取り、何度も、何度も読み返しました。
「ちょっと、何よこれっ!」
白い紙を持つ手がわなわなと震えます。だって、あり得ません。こんなものがどうしてここに。
驚きの眼差しで第一王子を見ると、彼は相変わらずいい笑顔でした。
「何って、国王陛下直筆の婚姻許可証だよ」
彼の爆弾発言に、私の見間違いではないのだと悟ります。確かにそこには、綺麗な文字で『婚姻許可証』と一行目に書かれてありました。
「そんな事は見れば分かるわよ! どうしてこんなものが……!」
「僕ら王侯貴族の結婚には国王陛下の許可がいるからね」
第一王子の言う通り、我が国では貴族以上の身分の者が結婚するとき、国王陛下の許可がいります。爵位を持っている本人はもちろんの事、その子女も許可を必要とします。庶民でも結婚相手が爵位持ちかその子女となれば、対象となるのです。爵位を相続する可能性があると、面倒な手続きを要するのです。
手元にある婚姻許可証には、該当者の名前が書かれています。一人の名前は第一王子ウィリアム。そしてもう一人は――……。
「……なぜこの許可証に、わたくしの名前が書かれているの」
「だって僕とマリーが結婚する許可を父上に貰いにいったんだよ? 君の名前が書かれているのは当たり前じゃないか」
「あ、当たり前って……一体、いつ、どこで! あなたと結婚するって話になったのよ!」
この婚姻許可証には第一王子の名と共に、私の名前も書いてありました。第一王子と私の婚姻を認める、そう書いてあります。しかも、なんと末尾には国王陛下の直筆サイン入り! 陛下のサインが入っている時点で、この許可証は有効です。
意味が分からない。本当に、意味が分からない。
私たち、付き合ってもないわよ? 告白だってしたこともないし、された事もないじゃない。一緒に出かけたことはあっても、あれはデートなんて甘い物じゃなく、王子の侍女として、つまり、仕事だったでしょう? 私以外のお付きの者たちがたくさんいたもの。
どれだけ記憶を掘り下げても、結婚に結びつく要素が思い浮かばない。想い出に残ってる出来事には、ほぼ第一王子の姿があるけれど、それは恋人同士だからではなく、侍女になる前の『遊び相手兼お世話係』という過去があったからだ。
「マリーさぁ、この前の話、覚えてる?」
「……この前の話?」
「未来の王妃様になってよって、僕、言ったよね」
ええ、ええ。覚えてますとも。確かにそう言われました。
付き合っていた殿方に兄を理由に振られて、兄と口喧嘩をし、そしてその内容を何故か第一王子が知っていたのです。忘れるわけありません。ですが……
「その時、わたくしもこう言ったわよね? わたくしのような行き遅れ寸前のおばさんなんかじゃなく、もっと若い子をもらいなさいって」
「うん、覚えてるよ」
覚えてるなら、何故!?
第一王子が生まれてからの付き合いですが、時々彼の思考、行動が理解不能な時があります。今がまさにそれですが。
にっこり笑顔の彼が何を考えているのか、さっぱり読めません。
「ウィル、あなた……どういうつもり?」
「どういうつもりも何も、マリーの結婚条件には当てはまってるよね、僕」
「…………その話は忘れてくれないかしら」
「どうして? 僕、デュークよりも好条件だし、デュークに負けない根性を持ってるよ。最難関の父上の許可も無事に下りたし……あとは、僕と結婚すれば万事解決じゃない、ねっ!」
そこで私に同意を求めないでほしい。隣に座る兄からの視線がすごく痛いから。
どういう事だって視線で訴えられても、私にも分からないの!
ああ、もう泣きそう。