1 妥協案
前回の「とある妹の憂鬱(http://ncode.syosetu.com/n1113bq/)」の続きです。
先日、付き合っていた殿方と分かれ、兄と口喧嘩をし、それをどこからか聞きつけた第一王子に笑われて、その時にいただいた彼の発言を笑顔でかわしてから、すでに数日。
私――マリーは、これから一体どうしようかと本気で思案している真っ最中だったりします。
ちなみに今日は久しぶりの休日。カレンダーの上では平日なのですが、不定休な私にとっては久しぶりに訪れたお休みの日なのです。
とりあえず、休みで暇なので、いま私がおかれている状況を整理してみようと思う。
まず、私の名前はマリー。家名は重要じゃないので省略するとして、実家は国内で一、二を争う名門貴族の家柄です。家族は両親と兄と妹、そして兄が拾ってきた元戦争孤児で現在は成人して兄配下の騎士をしている四人を合わせた、計九人家族。結構な大所帯ではありますが、金銭的に困窮しているなんてことはありません。そんな我が家は、両親の職業の関係で国王一家とは家族ぐるみのお付き合いがあります。父は騎士団長で国王の側近、母は王妃付の侍女。その関係で私自身も王女付きの侍女をやっており、二つ上の兄は騎士ですが王子付きの護衛兼教育係を、年が十七離れた妹は末王子の侍女見習い(という名の遊び相手)をやっています。
そんな私の年は二十九歳。未婚、子どもなし。
この国で行き遅れ、行かず後家と言われる三十まで、あと一年を切った。これが私が置かれている状況です。
私に降りかかっている問題は、そう。三十までに結婚できるか否かということです。
世界的にも晩婚化が叫ばれて久しい昨今ではありますが、これはゆゆしき事態。周りの友人たちは早々に結婚し、幸せな家庭を築いています。もちろん子どももいます。友人の中で未婚なんて、私くらいでしょう。
家柄はいうことなし。金もある。美形の両親のおかげで、顔立ちもスタイルも悪くないはず。そして、その両親の関係で国王一家からの信頼も厚く、職業の関係で料理、洗濯、掃除に裁縫と家事に関することも、問題なし。忙しい国王夫妻にかわり、幼い王子王女の面倒も見たので子どもの扱いも得意です。同じく忙しい両親にかわり世話をした十七離れている妹のリリーは、ほぼ兄と私が育てたと言っても過言ではないでしょう。未婚で子なしなのに、赤子の世話も、夜泣きも、反抗期もなにもかも経験済みです。ちなみに、育児放棄ではありません。国王夫妻も、その二人に間近で付き従う両親も、殺人的な忙しさだ。彼らからすれば、年上の頼りになる長男長女(兄と私)に仕事が終わるまで幼い弟妹(王子王女たち+実妹リリー)の面倒を見ておいて、とそんな感じだっただろうと思う。なにせ家族ぐるみな付き合いだ。国王夫妻も兄と私を実の子のように可愛がってくれました。ですから、王子王女たちの名前を呼び捨てにして敬語抜きで喋っていても咎められない。もちろん、公私は分けているけれど。
とまあ、名門貴族の家柄の娘で、国王夫妻にも覚えがよく、家事や育児に慣れている、一見すると結婚相手にもってこいな私なのですが、そんな私の兄が、これまたあまりにも完璧で高スペックすぎなために、恋人はできても、私の兄を『義兄』と呼ぶ勇気と根性がない殿方に最終的にはさよならされてしまい、現在、恋人がいません。つい先日、またもや同じ理由で振られて、あまりにも腹が立ちすぎたので元凶の兄には、責任をとれと詰め寄りました。恋愛結婚はあきらめたから、兄よりもスペックの高い相手か、兄に負けない根性を持っている相手との政略結婚を見つけてこいと抗議しました。けれど、兄からは逆に、養ってやるから嫁に行かなくていいと言われてしまったのです。
ちなみに、あの誰もが羨む完璧な兄に養ってやると言われて、一瞬心がぐらついたのは内緒です。言い忘れてましたが、兄も独身です。でもあの人は、すごくおモテになるんですが、多分結婚できないんじゃないかと思います。だって、あの人、末王子と妹のリリーを赤子の時から手ずから育てて、傍目から見てもしっかりパパやってましたから。そこでそういう欲求は満たされたんじゃないかと思うのです。一度懐に入れた相手には甘い兄ですが、あの二人は別格ですから。
私だって、今は十六と十二まで成長した末王子と妹の二人を見て、ずいぶんといい子に育ったなーとある意味達成感を抱いているのです。なんかもう、いまさら他の誰かと結婚して家庭を築くのが面倒なくらい、この生活に遣り甲斐を感じています。国王夫妻と両親と、兄と兄の部下四人、王子王女達六人、そして妹。みんなに囲まれて過ごせる穏やかな毎日が幸せです。だから、何というか、この前に振られてからは、結婚したいと言うよりも、子どもが欲しいに気持ちが動いています。
やはり貴族の家柄に生まれた以上、血を絶やすのはどうかと私は思うのです。今はまだ若い妹のリリーがいるので、あの子が子どもを産めばその子に跡を継いでもらうというのもありと言えばありなんですが、あの子にいらぬプレッシャーはかけたくありません。兄はあてにならないし、となると残るは私しかないじゃないですか。それに女に生まれた以上、出産を経験してみたいとも思うのです。出産は男には出来ないことですからね。
で、そこで問題がまた一つ。
いくらなんでも私ひとりじゃ子どもは作れないので、相手が必要です。という事は、誰にその相手をしてもらうかという問題が浮上します。あの兄のお蔭で、今まで清い交際ばかりでした。ええ、いい年をして経験なし、です。婚前交渉などしようものなら、兄に殺されます。誰がって、もちろん私の相手が。初めてお付き合いをしたころは、世間慣れしていない初心な小娘でしたが、年を経れば耳年増にもなりますって。ある時からあの手この手で隙を見せて誘ってみたりしたんですが、兄のその無言のプレッシャーが怖くて、誰も手をだしてくれませんでした。言い方に語弊があるかもしれませんが、兄自身はやることやってるくせに、私にはそういうところは厳しいんです。まあ、兄の言い分としては、どこの馬の骨とも分からぬ男に大事な妹を穢されてなるものかと言うところでしょう。……お前は父親か、とつっこみたい気持ちでいっぱいですが、あえてそこには触れません。
なので、バレた時を考えて、兄に対抗できる相手を慎重に選ばなくてはいけません。
今の私はもう結婚を考えてないので、相手にそれは求めていませんが、子どもは欲しいので、種が必要です。隠し通せるならそれに越したことはありませんが、結婚もしていないのに腹が大きくなれば、遠からず兄にバレます。その時に、相手に迷惑をかけるわけにはいきません。私の無理なお願いで命まで取られれば相手が可哀想です。
私が知る限り、あの兄に負けない勇気と根性と能力を兼ね備えていそうな男性は、国王様と父を除けば、あとはあの兄の部下くらいでしょう。
兄が拾ってきてからというもの、四人は父と兄の二人がかりで剣術を仕込まれ、礼儀作法その他いろいろ教育を施されましたもの。どこへ出しても恥ずかしくない立派な男性に育ちました。国王様、騎士団長の父、そして兄に続いて、城内にファンが多いのも確かです。それに彼らなら、バレても兄は許してくれるかもしれないという打算があります。かなりひどい目には合わされるだろうけど、兄のお気に入りたちだから、命までは取らないんじゃないかしら。
え? 第一王子はどうしたかって?
そんなもの、無視です、無視。無視に決まってます。だって未来の王妃になる気なんてさらさらありませんもの。それに私、どちらかというと年上の方が好みなんです。
第一王子は、名前をウィリアムと言うのだけど、私より五つ下の二十四歳。まだまだこれからです。先日の発言を素直に受け取るほど私も愚かではありませんし、やはり、彼のような前途洋洋な若者に、私みたいな行き遅れ寸前の年上の女は似合いません。なので選択肢にも入っていません。
候補は四人。その中でも私と同じ年か年上とくれば、二人に絞られます。同じ年(誕生日が私より数か月早い)の物腰が柔らかく真面目な好青年か、年上の百戦錬磨なクールな色男。まあ、どちらを選ぶかは言わずもがなです。
そうと決めれば即行動の私は、自分の部屋から出て、とある部屋へと向かいます。王女付き侍女をしている私の休みは不定休ですが、兄の部下の四人も実は不定休なのです。そして確か、たまたま今日、休みが重なった人がいたはずです。目的の部屋へと向かうと、内開きの扉が開けっ放しになっていました。どうやら中にいるようです。
ひょっこりと扉の陰から中をのぞくと、部屋の中に背の高い男性を発見しました。ヴァイカウントです。
短く切ったアッシュグレイの髪に、二重瞼の目じりが下がったアイスブルーの瞳が印象的な男前。兄よりも一つ年上の三十二歳。任務のためなら色仕掛けだってなんだって平気でやってしまえるほど兄に忠実な男です。
息をひそめてじっとのぞいていると、ヴァイカウントが私がいる方へと顔を向けました。その視界に私を見止めると、彼は目じりを下げながらにっこりと笑みを見せた。
「マリー様? どうかなさいましたか」
作業していた手を止めて、彼は私の方へとやってくる。気配に敏感な彼に、扉をノックする前に気付かれてしまった。バレた以上隠れても仕方がないので、姿をあらわし彼の前に立って彼を見上げました。
「ねえ、ヴァイカウント。ちょっと入っていいかしら?」
「もちろんですよ、マリー様。少し散らかっていますが、それでもよければどうぞ」
すいっと彼は身体をよけて私を部屋に招き入れる。散らかっていると本人は言うが、まったくもってキレイなまま。もともと物をあまり溜めこまない性質なのでしょう。私物があまり見当たりません。化粧品やらなにやらで色々ごちゃごちゃしている私の部屋とは大違いです。
「あなた、何をやっていたの?」
「今ですか? 剣の手入れと、部屋の片づけですね。最近忙しかったものですから」
各自の部屋は自分で掃除するのが、我が家のルール。各自のプライベート空間を尊重してそこにはむやみに入らない事になっている。もちろん当人の許可を得れば問題ないけれど。私が彼の部屋に入ったことがあるのはこれでも数えるほどです。
「それで、俺に何かご用ですか?」
「…………」
「マリー様?」
部屋の中にあるソファーへと腰を下ろすと、ヴァイカウントは私の正面に座りました。呼びかけに反応しない私に、彼は首を傾げました。ホント、そんな動作一つとっても絵になる男です。ここまで来て黙ったままという訳にはいかないので、さっそく本題に入ることにします。
「ヴァイカウント、あなたに折り入って頼みたいことがあるのだけど」
「頼みごと、ですか? 珍しいですね、マリー様が俺に頼みごとなんて」
「いけない?」
「いいえ、とんでもない。俺に出来る範囲であれば、なんなりと引き受けますよ」
「二言はない?」
「もちろんです。あなたに喜んでいただけるのなら、多少の労力は厭いません。ですが……俺も万能じゃないので限界はありますけどね。そこはどうかご容赦ください」
そうやって笑顔でサラッと言ってのけるのが、この男の色男の所以かもしれない。いつものことながら感心します。確かに彼も人間だから、出来ることには限界はあるでしょう。でも、今回の件はこの男にしか叶えられないと思う。言質は取った。後は実行してもらうのみです。私も彼に負けじと自分の中でも最高の笑顔を彼に向けました。
「じゃあ、単刀直入に言うわね」
「はい、なんなりと」
「ヴァイカウント……わたくしね、子どもが欲しいの。だから、わたくしと子づくりして」
「……は、い?」
あ、固まった。呆気にとられるというのはこういう表情なのだと思わせる表情を彼はしてみせました。いつもクールな彼が、こんな顔をするのは珍しい。それが何だかおかしくて私が小さく笑い声を漏らすと、目の前のヴァイカウントはぎこちなく口を開きました。
「えっと……マリー様。よく聞こえなかったので、申し訳ありませんがもう一度言っていただけますか?」
「だから、子づくりしましょうと言ったのよ」
「……誰と、誰が?」
「わたくしとあなた」
「…………それってもしかして、遠回しに俺に死ねって言ってます? というか、俺、何かマリー様の地雷踏んだりしましたか? まったく身に覚えがないんですが」
あまりの言われように、笑みを引っ込めてムッとした表情で彼を見る。
「どうしてそうなるのよ」
「どうしてって、それ以外の何があるって言うんですか」
「いやなの?」
「いやと言うか……デューク様の信頼を裏切れません。それに、どうして俺なんですか」
「だって、あなた、愛のない身体だけのお付き合い、得意でしょう? だからあなたに頼んでるんじゃないのよ」
「ちょっと待ってくださいよ! 得意って、なんですか! そもそも誰情報なんですか、それは!」
「誰ってもちろんお兄様に決まってるじゃない。あなた、お兄様に相手されない時は、あっちこっち遊び歩いてるんでしょう?」
「誤解を招く発言はやめてください!」
色男が台無しになるくらいの焦りっぷりだ。そんなに厭ですか、わたしの相手をするのが。任務では平気で出来るくせに、何なの!?
本気で腹が立ったので実力行使に出ることにしました。ソファーから立ち上がって、そのまま正面にいるヴァイカウントの元まで行き、彼に伸し掛かった。彼はあっけなくソファーに倒れる。その彼の腹の上に跨って彼を見下ろした。
「マ、マリー様っ!?」
「ヴァイカウント、あなた、わたくしの頼みごと聞いてくださるのでしょう? 二言はないって言ったわよね」
「い、いや、それは……確かに言いましたが!」
「だったら問題ないでしょう? あなたに出来ない頼みごとではないはずよ?」
「マリー様! ご冗談はおやめください!」
「冗談ではなくてよ、ヴァイカウント。厭なら抵抗なさい。でなければ最後までするわよ」
完全に立場が逆な発言に、下にいるヴァイカウントの笑顔がひきつる。それを、ふんっと鼻で笑って、彼のシャツのボタンを外そうと手を伸ばすと、途端にヴァイカウントが焦り出した。がしっと両腕を掴まれ止められる。
「マリー様! 本当におやめ下さい。俺が本気で抵抗なんてしたら、あなたに怪我させてしまいますから!」
確かに、彼が本気を出せば私をどうにかするなんて容易いでしょう。現に掴まれた腕は、そんなに力を入れられていないのに、ぴくりとも動かせない。でも、そうですか。そんなに厭ですか。軽くショックを受け、私は俯きました。私の腕から力が抜けたのを確認すると、ヴァイカウントがゆっくりと上体を起こしました。
「本当にどうなさったのですか?」
彼にとっては突拍子もない発言だったのは私にも分かります。だから掻い摘んでお話ししようと顔を上げたその時です。
「――お前たちは一体そこで何をやっている」
「……ッ!?」
突如聞こえてきた声に驚いて、二人そろって声のした方、つまり、部屋の扉の方へと顔をむけました。そこにいたのは誰あろう、私の兄、その人だったのです。
「おにいさま……」
仕事中であろう兄が家に戻ってきたことにビックリです。そして、その纏う雰囲気が怒気をはらんでいるのが、私にも分かりました。何に怒っているのかは、この状況ですからね。言わずもがなです。誤解してるんだろうなとは思ったのですが、その雰囲気がちょっと慣れないものだったので怖くて……だから、ついうっかり、ヴァイカウント泣き落とし用に溜めていた涙を瞬きした拍子に零してしまい、火に油を注いでしまいました。
「ヴァイカウント、貴様……マリーに何をした」
「ご、誤解です、デューク様! 激しく誤解してます!」
ヴァイカウントは、膝の上に乗せていた私を軽々と抱き上げて素早くソファーへ座らせると、自身は飛び退くように入り口にいる兄から距離を取った。カツカツと靴を鳴らして部屋に入ってくる兄の手は、腰元の愛刀にかかっている。うん、本気だ。それを分かっているのか、ヴァイカウントも兄が一歩近づくたびに一歩下がって距離を取っている。そう広くない部屋です。あっという間に窓際まで追いつめられた。
「デューク様! 俺は無実です!」
「問答無用だ、ヴァイカウント。我が愛刀の錆になれ!」
「ちょっ! デューク様っ!」
剣を抜いた兄の初撃をかわして、ヴァイカウントは開いていた窓から外へと飛び降りた。身体能力の高い彼のことだ。二階くらいの高さなら怪我することなく着地できる。続いて兄も飛び降りた。そしてすぐに剣が交わる音がする。うん、いつもの光景です。先ほど兄はああ言ったけれど、多分本気ではないはず。だって彼らは兄のお気に入り。しばらくすれば二人とも戻ってくるでしょう。
それにしても、ああ、失敗です。
せっかくいい案だと思ったのに、この様子では実行できそうにありません。ホント、どうしよう。困ったわ。