3 嵐がやってくる
夜になった。
わたしはお屋敷の中にある自分の部屋で、ぼんやりと書物を読む。遠くから華やかな音楽と楽しそうな笑い声がして、夜会が盛り上がっていることを教えてくれるようだった。
まぁ、でもわたしには関係ない。
というか、頼まれても出てやるものか。
思い出すだけでもムカムカする。
さっさと寝てしまいたいのに、気分が高まって眠気も逃げた。だから、こうして本で現実逃避するしかない。あぁ、でも本当に忌々しい。何がおてんばだ領主様のバカバカ。
「ばーかー」
声に出してここにいないあの人を罵倒し、わたしはベッドの上でばたばたしていた。
■ □ ■
それは夕方。玄関の花を、なじみのメイドと一緒に整えていたところに、やたらギラギラしてドがつくほどハデな馬車が到着した。最近流行の、成金というヤツなのかと思うほど。
しかしその馬車には、貴族を意味する紋章が描かれていた。
それも――領主様と同じものが。
「おじ様っ」
馬車から飛び出したのは、やたら豪華なドレスに身を包んだ少女。ちょうど、招待客と談笑していた領主様に、彼女は走る勢いのまま飛びついていく。
さすがは元は騎士なだけあって、その程度で領主様はビクともしなかった。
「お前、どうしてここに」
「決まってますわ、おじ様の伴侶となるために来ましたの!」
彼女の発言に、場の空気は凍った。領主様も、石になったように動かない。
ちょっと待ってほしい。二人は叔父と姪の関係だ。従兄弟間でさえあまりいい顔をされないというのに、彼女はそれすら飛び越えるつもりなのだろうか。無理だ、年齢もそうだし。
そんな周囲共通の思いを抱き、わたしはぼんやりと彼女を見た。
彼女は無邪気な子供そのものだった。おじ様、と領主様を呼んで、甘えるようにその胴体に腕を回してぎゅっと抱きついている。すりすりと頬まで摺り寄せているのは、すごい。
その、領主様と同じような色合いの瞳が、ちらり、とわたしを見た。
無邪気な令嬢の色が、急激に褪せていくのがわかる。
くるか、とわたしは心の中で身構えた。あの目はわたしに、何かよくないことを、悪意を叩きつけようとする目だ。これまで何度も見てきたし、叩きつけられたから慣れている。
彼女は領主様から離れると、わたしの前に来た。
「あなたが《巫女》? おじ様が『所有』する、おじ様の傍にいる……」
頭の上から、手、足の先まで、何度もじろじろと見られ。
「バケモノの巫女というからどんなものかと思いましたけど、ずいぶん貧相ですのね。親が戦しか知らないケダモノだと、その娘は着飾る能も持てないのかしら。だとしたら、かわいそうなことを言ってしまいましたわね、わたくし。本当にごめんなさいね、悪気は無いの」
未だかつて無いほどの、罵倒だった。
ぶわ、とわたしの周囲にいる精霊が殺気立つ。彼らはわたしの『友達』だから、わたしの感情をとてもよく汲み取った。誰も気づかないけれど、彼女の首を狙う子まで出てきている。
わたしはそれを必死に抑えつつ、自身の殺意もまた抑えなきゃいけなかった。
ほんの少し、この思いを彼女に向けるだけで、彼女は死ぬ。全身を切り刻まれるのか、四肢を引き千切られるのか、それともいきなり燃え上がるのか。それはわからない。
共通するのは、すべて『生きて意識を保ったまま』ということだ。精霊は残酷だ。神は慈悲があると教会ではうたっているけれど、その使いとされる精霊にそれはない。
嫌いと好き。その二色だけ。
それすら彼ら自身は持たない色で、巫女から伝播されていく。
武力を持たないわたしの、武器がこれだ。
感情一つ、思い一つで精霊を――世界をも従える。
それが巫女の力で、武器だった。
これは、けっして使ってはいけないものだ。絶対に使ってはいけない。だから、必死に抑えようとするけれど、わたしじゃなくて、親をバカにされたことがどうしても、どうしても。
歯を食いしばるけれど、今にもあふれそうで。
「わ、たし……向こうで仕事が、あるので。失礼します」
そう早口で言い残し、裏口へと逃げ出した。屋敷の裏口から外へ飛び出すと、そのまま裏庭を駆け抜けて森の奥へと入る。この先には小さな泉があり、そこが今の目的地だった。
泉に飛び込むようにざぶざぶと入り、大きく息を吸う。
そして、懐にいつも忍ばせている短刀を、浅く肌に滑らせた。
「……っ」
一瞬で意識が固まる。精霊に伝播した怒りの色が消える。彼らはふよふよと赤い血を流す私の腕に近寄って、頬すりするように傷口にふれた。ゆっくりと、赤が消えていく。
しばらく痕は残るだろうけど、仕方が無い。
こうしなければ、ヒトの感情はちゃんと押さえ込めないから。
痛みで殺意にも似た怒りが霧散し、この身に残ったのは傷と惨めさだった。
親を侮辱されたのは、わたしがいつまでたっても未熟だからだ。よその巫女はそれなりに着飾って巫女らしい格好だというのに、わたしはこっちが楽だからってそれを拒否したから。
だって着飾ったら一緒にいられない。彼のお世話ができない。お茶を淹れたりとか、そういうことができない。そんなワガママからわたしは、町娘のような格好をしていた。
今までそれで、不都合なんて無かった。
でも、わたしがそれに気づいていなかっただけ、なんだろう。
きっと、これまでのお客様もそう思っていたのだろう。
だから笑われていた。
わたしのせいで、お父様やお母様まで笑われた。
わたしがもっとちゃんとしていれば、分別をわきまえていれば。
最悪でも、二人だけは侮辱されなかったのに。
「……ごめん、なさい」
泣きじゃくり、寒さに震える。巫女が風邪をひいたら、きっと領主様が怒られる。わたしはよろよろと、走ってきた道を戻っていった。どうせ何度も歩いた道、泣きながらでもわかる。
濡れたまま屋敷に戻り、軽く湯に使って着替える。こっそりと伺った夜会の会場は、いつも通りと手も華やかでにぎわっていた。その中央には領主様。そして。
「ねぇ、おじ様。わたくしね、子供はたくさん欲しいですわ。わたくしは若いですから、お望みのままにがんばりますからご安心くださいな。お父様も、それをお望みですもの」
「だが俺は、姪を妻にする気は……それに兄上も何というか」
「大丈夫ですわ。わたくしなら誰も文句は言いません。ねぇ、今夜からでも……ふふ、わたくしはかまいませんのよ。おじ様が相手なら、わたくしは何をされても平気ですわ」
身体をこれでもかと密着させ、仲睦まじそうにする二人。
いつも、領主様の周りにはべっている令嬢方が、二人を悔しげにしながら見ている。玄関でのあの騒動と勢いを知っているのだろう。誰も二人に、いや領主様に近づけない。
「……まったく、《竜の巫女》をバケモノ呼ばわりとはな」
扉の近くにいる男性が、隣にいる男性に言った。
姿は見えないけれど、時々やってくる領主様の知り合いの方だ。確か、この前はお孫様をお連れになっていた。わたしの――巫女の加護の歌を、聞かせてやって欲しいとかで。
そういう人は少なくないが、貴族の方を相手にするのは初めてだったので覚えている。
貴族はみんな、王都の大神殿にいる巫女にしてもらうから。
「領主殿の身内らしいが育ちが知れる。おおかた意中の殿方に見向きもされず、誰からも望まれる巫女様に嫉妬したのであろう。……ま、あれでは嫁の行き手などなかろうな」
「あぁ。だからこそ弟に押し付けるのだろうて……あれを外に出しては、恥にしかならぬわ」
「よほどの色ボケでもなければな。しかしそういうやつらは相手を選ぶというしの。あの性格ではお断りされるのではないか。わしとて、持参金があってもあれを後添えにするのはのぅ」
笑いを含んだ言い方に、わたしは気分が悪くなる。確かに彼女は、お世辞にもよい令嬢では無いだろうけれど、だからといってそこまで言っていいのだろうかと……。
心の隅で、甘いな、と笑う自分の声がする。
その声の次の言葉を聴きたくなくて、わたしはそっと扉を閉めようとして。
「先ほども巫女様にひどいことを。領主殿の後添えの座に、もっとも近いとされているからああ言ったのだろうが。所有者と結婚する……そういう《巫女》は、少なくないからのぅ」
そんな風に笑う声を、聞いてしまった。
■ □ ■
だいたいさ、わたしなんかがあの人につりあうかっての。
本を投げ出しベッドにうつぶせになって、わたしは心の中でつぶやく。
確かに、所有者――わたしでいう領主様のような存在と、結婚する《巫女》は多い。だって巫女はどうせその土地から離れない。だったら、離れない相手と結婚すればいい。
何より巫女は幼い頃から、所有者の傍にいることが多かった。
つまり――相手と恋仲だったりすることも、少なくなったわけだ。
もし領主様にお子がいれば、わたしはその人と結婚することになっただろう。まぁ、そのお子は神の元に旅立たれているし、何より女の子だったから無理だけど。
とにかく、そういう意味で領主様とのことを、進められたことは……ないこともない。
面倒が無いし、二つの問題を一気に解決するよい案だと思う。わたしだって、自分が関係なかったら、領主様が関係なかったら、きっとその方向で話を進めただろう。
それと同じことを、領主様の兄君はやったのだ。
どこに出すにも恥ずかしい娘を、弟に押し付けるという。
噂だけど、お二人の兄弟仲はあまりよくないらしい。領主様が亡き奥方様との結婚を望んだことで亀裂が生じ、ずっとそのままなんだとか。年に一度ほど、王都であうらしいけれど。
姪御様はそこで領主様を慕うようになったのだろう……と、思う。
でなければ、やってられない。
彼女まで打算尽くしだなんて思ったら、領主様があまりにもおかわいそうだ。政略結婚どころじゃない。こんなの、ただあの人がイケニエにされるだけじゃない。
「そんなのダメよ」
言うのは簡単だった。
でも、それを覆す妙案は無い。
……ないことはないけど、わたしにそれを行う勇気は無かった。
簡単だ。わたしが、領主様と結婚すると言えばいい。地元のみんなは、きっとわたしの味方になってくれるだろう。むしろ反対するのは、姪御様周辺だけじゃないだろうか。
だけどそれは、ダメだった。
だって、そこに領主様の意思はない。
領主様にとってわたしなんて、我が子同然の『子供』でしかないのに。
そんなのはダメだ。そんなの連中と何も変わらない。そんな行為で手に入れたって、わたしは全然うれしくないし幸せでもない。だったら、ずっと一人でいる方が、ずっとマシだ。
じゃあ、このままわたしは、あの二人が周囲の思惑通りに、結びつくのをみていることしかできないわけになる。我が物顔であの姪御様が、この屋敷に君臨するのを我慢する。
……そうなったらどうしようかな。
面倒なことになるから、自分の家に戻ろうか。
「ヤだなぁ……」
慣れ親しんだ場所から離れるのも、嫌だ。
でも何より――あの人から離れなければいけないことが、辛い。
それが当然のことで、仕方が無いとわかっていても。