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2 領主の心情

 屋敷の二階から見る町は、とても美しい。数年前まで、戦火にさらされ荒れ果てていたとは思えないほどだ。それもこれも、この地を守護する《竜の巫女》がいるおかげだろう。

 そう言うと、多くの者がこういった。


 ――いえいえ、領主様のおかげですから。


 だが、自分は何もしていないと彼は信じている。ただ剣を手に、竜にまたがって戦場を駆け巡っただけだ。その末に彼は、その《竜の巫女》から父親を、永遠に奪ってしまったのだ。

 彼は妻を奪った戦火を憎んで、同じ思いを抱える領主を主とした。

 その末に散ったのだから、父は決して無駄死にでもなく、本望だったと……彼に似ている息子は言ってくれたが。それでもやはり、あの幼い兄弟から親を奪ったことは事実。

 ゆえに、彼は自費で孤児院を立て、子供らを集めた。

 そして親の在る無しや、財力にかかわらず教育を受けられるよう、学校も作った。戦うことしかできなかった、奪うばかりだった自分にも、何かを『作れる』と思いたかったから。

 そうこうするうちに十年ほどの月日が流れ、男はすっかり老いた。

 といってもまだ四十代だが、もう若い頃のように戦場に立つことはできない。

 それに、立つ戦場も存在しない。あの頃、戦争を吹っかけていた大国は、別の国とも争い始めて徐々に衰退し、周辺と条件の悪い停戦を結ばなければならぬほど衰えてしまった。

 かの地に住む《竜の巫女》が、ほぼ全員国外に亡命したのも痛かったろう。

 たしか、残ったのは王族に生まれた巫女だけというが、彼女も他国に人質として、そして竜の血を持たない家にそれをもたらすためだけに、正妃という名目で『差し出された』と聞く。

 当時はまだ十歳にもならない幼い子供で、たしか彼女と同い年だったか。

 と、彼は窓の外、裏庭で洗濯をする少女を見た。

 頭にぐるりと渦を巻く角を持った、黒髪を長く伸ばした竜族の少女。


 彼女こそが、戦友の亡き妻が守ったこの地を守る《巫女》。

 まだ十六歳の――可憐な少女だ。


 彼女は何か苛立つことでもあったのか、シーツをかなり乱暴に洗っている。少し考え、そういえば司祭か何かが彼女にあっていたことを、彼は思い出す。

 どうせまた言われたのだろう。

 自分が普段、周囲から言われることと同じようなことを。

 こちらはまだいい。もとより貴族で、そういうものの覚悟があった。だが彼女は、竜族というだけの庶民。ただ力を持って生まれただけの、どこにでもいる普通の少女。

 いきなり結婚――いや、子を持つことを要求され、平常心でいられるわけが無いのだ。

 彼女の兄弟がみな、多少の思惑がありつつも恋愛結婚できることに対し、若い少女の行く末は余りにも暗い。それに対し、自分は何もできないのだと、男は無力感にため息をこぼす。

 気づけば、裏庭からは彼女の姿は消えていた。

 おそらく屋敷の中の、何かの仕事をするのだろう。メイドではないのだが、彼女は働かざるもの食うべからずなどといい、孤児院の手伝いから屋敷の手伝いまで、いろいろとしている。

 そんな彼女だからこそ、どうか愛する人を見つけ幸せになってほしいと思う。


 男は、一度で充分だった。

 政略結婚を蹴り飛ばし、手に入れたのは身分の低い妻。その結果、両親や兄に疎まれこのような田舎に飛ばされたのだが、彼女と一緒にいるためなら家族など捨てられる。

 その幸せも長くは続かなかったのだが、それでも――一度は、味わうことができた。

 心から望んだ相手と、一緒にいられるという幸せを。

 だから、もういい。次は政略でも何でもいい。

 その代わりにどうか、あの若い巫女に人並みの幸せをと、彼は祈る。この思いを聞いた執事などは、いっそ男がそれをかなえてやったらどうかなどと言ったが、それはできないことだ。

 亡き妻に申し訳ないのではない。

 彼女は常々、お互いが先立ったら次の幸せを探すことを約束していた。戦火が近づいて、彼女なりに何か覚悟していたのだろう。ゆえに、彼女はきっと男の再婚を望んでいる。

 そして、また家族を得る幸せを感じて欲しいと思ってくれている。

 間違っても一人で死ぬなど、決して望みはしない。

 だから問題なのは、彼女の気持ち。そして年齢だろうか。

 男と、少女の父親はそう年齢は違わない。間違いなく男は、若い少女を置いて逝く。かつて妻を失って男が味わった悲しみを、今度は彼女に味あわせるのだ。

 そして泣かせるのか。

 巫女という立場ゆえに泣くに泣けない彼女を、この腕の中でしか泣けなかった彼女を。今度は縋るものがいない状況に一人残し。その涙をぬぐうこともできず、抱きしめることもなく。

 それはできない。だから、男は執事の提案を却下した。

 どうせ、向こうも冗談で言っているのだろう。

 普通に考えてありえない。親子ほど、年の離れた夫婦など。

「あまりに、哀れだな」

 そう思わないか、と視線の先にある写真に、懐かしい微笑みに問う。

 目を閉じ、思い出すのは出会いの日。

 一度だけ触れたことがある。まだ彼女の父が存命だった頃、まだ幼い子供だった彼女の、当時からすでに長く伸ばされていた黒髪に。今よりずっと小ぶりだった、角に。

 竜族にとって、あの角は弱点なのだそうだ。

 彼女らの父は確か、人間で言うわき腹のようなものだといっていた。普段はそうでもないのだが、明確な意思を持って撫でられるとくすぐったく、変な感覚があるのだと。

 幼い頃はまだ未発達で感覚はないらしいが、彼女はどこか恥らうように頬を染めた。思わず息を呑むほどの可憐さに、当時すでに三十も半ばに差し掛かっていた彼は驚愕し。

 妻の写真に、いろんな意味での侘びと些細な相談をしたのは、彼だけの秘密である。

 その時に声をかけた妻の写真を、ぼんやり眺めていると。


「あの、領主様」


 こんこん、というノックの音と、聞きなれた声がドアの向こうからした。

 男は慌てて居住まいを正し、写真立てを元の位置に戻すと、いつも通りの声を発する。

「入りなさい」

 はい、という返事から少しして、声の主が部屋の中に入ってきた。屋敷に数人いるメイドに支給している服ではない、町娘の服を着た――頭に、角を持つ若い少女。

 統一された穏やかな町並みに似合う、素朴な衣服と笑顔。

 その手にはカップやティーポットが乗った、木製のトレイがある。

 そして、二人分だろう焼き菓子が数種類。

「そろそろお茶にしませんか?」

「そう、だな。そうしよう」

 男は部屋の中央にあるソファーに腰掛け、彼女はいそいそとお茶の準備をする。すぐに紅茶のよい香りが部屋に満ち、心が安らいでいくのを彼はじっくりと感じていた。

 穏やかな時間は流れていく。

 これから数時間もしないうちに、彼は欲望の坩堝に足を踏み入れなければいけない。

 すべてが王都にいる、もう長らくあっていない兄の差し金だ。一応は国を救った英雄に名を連ねる男を、いつまでも一人身でいさせるのは外聞がよくないのだろう。


「余計なおせっかい、だな」

「え?」


 思わずつぶやくと、傍でお茶を淹れていた彼女の瞳が不安そうに揺れた。

 自分の行いがそういわれたのかと、不安になっているのだろう。

「違う。兄上のことだ。……今は、自分の娘の嫁ぎ先探しで忙しいだろうに」

「兄上様の娘、ということは領主様の姪……ですか?」

「あぁ。お前と同い年の、おてんばな子だ」

 そして第二王子の婚約者でもあったのだが、そこは黙っていよう。何を隠そう、その第二王子こそがいずれ彼女の義兄となる、姉の恋人というか事実上の夫なのだから。

 まぁ、婚約者というのも姪が勝手に言いふらしていただけだが。しかし自分を平民のバケモノが蹴落としたとわめき、兄とその周囲はずいぶんと肝を冷やしたという話だ。

 竜を、竜族をバケモノと呼ぶ人間は少なくない。だが、相手はこの国に反映をもたらすかもしれない種であり、ずいぶんと薄まった王族に竜の血をくれる、言うならば御使いなのだ。

 しかも街道沿いにある、重要な場所に加護を持つ《巫女》の姉妹。

 国が国なら、一族郎党が斬首されてもおかしくない。

 幸いにもバケモノ発言は屋敷内での言葉で、両親とその他兄弟は三日ほどかけて、それがどれだけ禁句なのか命にも関わりかねない言葉なのか、姪に言い聞かせたという。

 先祖の誰に似たのか、姪はどうにも周りが見えない娘だ。

 良くも悪くも、貴族令嬢というべきか。

 あれでは、縁談を纏めるのも一苦労だろうなと思う。

「わたしと同い年……」

「あぁ。だが中身は違うな。あの子には、お前ほどの落ち着きは無い。分け与えられるなら少し分けて欲しいぐらいだ。あれでは結婚するのも、その相手を探すのも難しかろう」

「まぁ。そんなこといったら、姪御様に怒られますよ?」

 くすくす、と笑うその穏やかな姿に、男はしばし見とれるように目を細める。

 もう一度だけ、その髪や角に触れてみたいなどと。

 実に愚かなことを、思いながら。

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