1 巫女様は恋煩い
わたしは竜だ。
正確にはその血を引く《竜の巫女》。
父のように竜の姿をとることはできない、本当に血を引いているだけの小娘。兄や弟はとてもたくましく雄々しい竜へ変じ、姉もまたしなやかで美しい竜となれるというのに、だ。
しかし、わたしは兄弟の誰も継げなかった、竜のもう一つの力を有した。
それが巫女としての力。
精霊と対話する――《歌声》。
巫女はとても稀有で、しかし生まれた土地の守護しか行えない。ゆえに、巫女はその土地の権力者が『所有する』のが慣わしだった。わたしの場合は、この土地の領主様だ。
父がかつて命を賭けて守った、この地から戦乱を退けたお方。
母を早くになくしていたわたし達を保護し、父と共に戦場を駆け抜けた領主様。最近になって知ったことだけど、あの戦乱の初期に、彼は妻と子を亡くしてしまったという話だ。
それも母と同じ――敵兵から、幼子を守ろうとするという行為で。
だから、わたし達親子を保護してくださったのだろう。残念ながら奥方様が守ろうとした小さな命は摘み取られてしまったけれど、わたしと弟は母に守られて生き延びた。
他にも、領主様のお屋敷のそばにある孤児院には、そうして親に守られ命を繋いだ子供達がたくさんいる。ここはわたしが普段、働いている場所の一つでもあった。
巫女の力はそう使うものではなくて、普段は普通の娘として生活しているのだ。
普通――といっても、何から何まで人間と同じとは行かない。
竜は基本的に肉を好むし、大食いだ。変化しないわたしはそうではないけど、他の兄弟達はものすごく食べる。おかげで食費がかなりのもので、やりくりするのがとても大変だった。
それに、四人そろって頭に角がある。ちょうど人間の耳の少し上に。
形は個人で異なっていて、わたしのものはヒツジのようにくるりとまいたものだ。これに専用の角飾りをつけておしゃれをするのが、竜――現在は竜族と呼ばれるわたし達の流行。
精霊に《乞い歌》を捧げる時は、それ専用の飾りをつける。
……普通、それらは自分で用意しなきゃいけない。でもうちは貧乏で、全部領主様がそろえてくださった。とてもありがたい。ありがたすぎて逆に、とても申し訳ないと思う。
何か、父のように恩返しができればいい。
けれど彼を背に乗せ空を飛ぶこともかなわない身では、何もできず。加えて全体的に貧相な体つきは、時折巫女として参加させられる夜会で見かける令嬢方と比べるまでもなく。
「ふぅ」
井戸の傍で洗濯物を洗いつつ、わたしは何度目かのため息をこぼす。
ここは孤児院ではなくて、領主様のお屋敷だ。孤児院の手伝いをしながら、わたしは巫女として領主様のお屋敷で暮らしている。一応家はあるけど、家族はみんな遠方だから一人だし。
兄さんと姉さんは、それぞれ王都で王子様と王女様の護衛。
なんか、兄さんは王女と、姉さんは王子といい仲のようだけど。
弟? あいつはあいつで隣国の年上王女――いや女王ととっくの昔に結婚した。しかももうすぐ子供が生まれるらしい。あいつ、まだ十四歳なのに明らかにマセすぎだと姉として思う。
この分だと、その子供が生まれるより先に兄さんも姉さんも結婚するだろう。王族に竜の血が入ると巫女が生まれる可能性がでるし、その巫女が守護するのは王都だ。だから二人ともお付き合いは普通に許されているみたいだし、結婚だってどうぞどうぞとむしろ勧められる。
そんなこんなで、兄弟の中で行き送れそうなのがわたし。
巫女なんてご身分になってしまい、誰も近寄ってこないせいだ。別に、純潔を失っても巫女としての力がなくなるわけではないのだけれど、巫女という通称がそのイメージを生む。
なのに、だ。
「次の巫女を早く産め? だったら見合い相手ぐらい連れて来いっつーの!」
ざっぶざっぶとシーツに八つ当たりし、わたしは叫ぶ。
しずしずと豪奢な衣装を纏い、先ほどまであっていたのは王都からきた教会の司祭。国内に王都と辺境を含め四、五人しかいない巫女の一人であるわたしに、彼らは言った。
――どうか伴侶を見つけ、新たな巫女をお産みになってくださいまし。
わたしは、自分が竜に変われないことを、とてもとても感謝した。
でなければ、彼らを八つ裂きにしていたかもしれない。年に数回彼らやその関係者に半強制的に会わされるけれど、毎回言われるのは同じこと。さっさと子供を産めと、言われるのだ。
「そんなにっ、産んでほしけりゃ、相手を、持ってきやがれってのっ」
ぐるんぐるんとシーツを振り回し、強引に脱水。物干し用のロープに引っ掛けた。ぜいぜいと肩で息をしながら、わたしは怒りを静めようと深い呼吸を繰り返す。
だいたい、巫女から巫女が生まれると思ったら大間違いだ。
自分で言うのもなんだけど、巫女は『突然変異』。人間との混血児から稀に出てくる、竜でありながら決して竜ではない存在。だから、兄さんや姉さん、弟の子供からだって生まれる。
なにも、わたしでなければいけないということは無い。
俗説じゃ巫女の子は確立が上がる、とかいうみたいだけど、あんなの嘘だ。
過去、双子やら三つ子やら四つ子を、ぽこぽこ産んで二十人ぐらいの子を伴侶との間に授かった巫女がいたと伝えられている。それでも彼女の子に、巫女は一人もいなかった。
だから、巫女だったらなんていうのは、完全に嘘っぱち。
それでも縋りたいのだろう。
竜の巫女以外に、精霊と対話する能力は今のところないから。
精霊と対話できなければ、その土地が繁栄できないから。
……恐ろしいことに、実際そうだから頭が痛いね。
できないことはないけれど、荒地が数十年で豊かな土地に、なんてことがあるし。
わたしだって、実りの時期には感謝の歌を捧げ、春の祝いでも歌う。精霊に、その一年の実りを祈願するためのものだ。おかげで、そう恵まれた土地ではないけど食べ物には困らない。
あー、でもだからって子供とか。
結婚を通り越して、そっちを要求とか。
彼らは、わたしが年頃の乙女であることをわすれているのかもしれない。これでも、恋に恋する友人も多い十六歳。まだまだ結婚とか、考えられないお年頃。……ということにしたい。
一応、教会の関係者は結婚とかできるというから、彼らだって子供がいる、と思う。
その子――娘に、同じことが彼らは言えるのか。
「言うんだろうなぁ……」
それが世のため人のため神様のご意思なら、とか何とか言って。
司祭ぐらいならそうでも無いけど、司教とか、上になると貴族の位を持つ者も多い。彼らにとっては政略結婚など、呼吸するのと同じくらい『当たり前のこと』だ。
……きっと。
「領主様もそうやって、二番目の奥方様を娶るんだろうな」
と、わたしは小さく息を吐く。
そこに篭ってしまう憂鬱さはどうにもかき消せない、それがむなしい。どうやったってどうにもならないことは、それなりにある。幸いなのは、わたしの心の内側を誰も知らないこと。
隠していれば、気づかれもしない。
それに今日は夜会がある日だ。
すでに屋敷の中には遠方からのお客様がいて、いつもより賑やかになっている。中庭には着飾ったご婦人方や令嬢がいて、伯爵の姿を探すようにちらちらと視線を周囲に向けていたり。
それらの視線の矛先に、時々わたしが放りこまれる。
領主様の傍にいる《竜の巫女》。
国内外の王族を伴侶にした、やばい兄弟の余り者。
嫉妬と憎悪と、半分以上を占める嘲笑の視線は、正直言って不味い。
でも二度と夜会に出たくないとか、夜会をやめろなんて言えるわけも無かった。
いい加減、この地を収める次の領主を、領主様は得なければいけない。わたしが子供を作れといわれるように、あの人も子供を作れと周囲からあれこれ言われているようだった。
夜会はそのためのもの、だからしないわけにはいかない。
でも、それはあまりにも難しいことだと思う。
あの人は亡き奥方様を、彼女が産んだ子供を愛している。もういないからといって、はい次という風には行かない。自分にはそれをしなければいけないとわかっていても、だ。
頻繁に行われる――もとい、行うよう言われている夜会は、彼の伴侶を探すためのもの。
今頃、領主様は部屋に引きこもっているだろう。夜会の前はいつもそうだ。そうして失ったものへの思いを抱き、それを捨てるようにいわれることに苦しんでいらっしゃる。
それを思うと、わたしの悩みなんて……そう、重く感じない。
今夜はわたしの出番はないから、せめておいしいお茶を淹れて差し上げよう。疲れた時はやっぱりおいしいお茶と、甘いお菓子に限る。領主様は、甘いものもイケるから問題ないし。
「確か、焼き菓子があったから……あれにしよっと」
洗濯板とタライを抱えて、わたしはこれからの予定を考えていた。