不安と戸惑いと
商店街には行きかう人々の笑顔と笑い声、競うように店が立ち並び、呼び子や売り子の声が楽しげに飛び交っている。
昨日、リディアがベルギットに襲われてから丸一日経った。
襲撃により理力の大半を奪われたリディアだったが、現在は『エデン』第三十七階層。その一室でオリウスとエデン護衛の下、休養中だ。だが、リディアは昨日の夜には目を覚まし食事もとれる程回復しているらしく、今夜には家に戻ってくるらしい。らしい、というのはエデンからの『伝達』で聞いた話だからだ。自分はリディアの傍には居られないから、リディアにとって自分という存在は『仇』以外の何者でもない。そんな存在が目覚めた時に傍にいてはあまりにも不愉快だろう。
「ちょっ、あれ」
少し離れたところにいた一人の女性が自分を控えめに指差し、隣にいた連れの女性の耳元で小さく囁く。すると、連れの女性は大きく目を見開き、それが合図のようにその場にいた人々の声が次第に途切れていく。
商店街は静まり、全ての視線が自分に集まるのを感じる。
「…………」
自分という存在がいかに呪われ疎まれているか…………それを嫌でも再確認させられる。
「まったく、よくもこうまぁ平気な顔をして毎日こられるものね」
「ほんとに、人を殺したっていう自覚はないのかしらね」
わざとなのか聞こえていないと思っているのかはわからないがそんな陰口が聞こえ、
「せっかくの休みでデートしてるって言うのによ……」
「気が滅入っちゃうわ」
「はやくいなくならないしかしら」
伝染するように次々と聞こえてくる。
黒髪の少年は周囲の声を気に留めることなく、スタスタと一軒の店に立ち寄った。
店の前にはみずみずしい野菜が並ぶ陳列棚があり、そこにいた野菜を並べ直している捻りハチマキをした白髪の男がいた。
「すみません」
少年はその男に声をかけ、
「あいよ、いらっしゃい!!」
軽快な声を上げ、男は振り返った。
「おっ、シー坊じゃねぇか。怪我してんのに毎日買いものたぁ……言ってくれれば毎日届けてやるってのに」
「いえ、怪我の方はたいしたことないのでそこまでは」
「そうか……お前さんが言うならいいが、まぁ、それはおいといてだ。今日は何を作るきだ?」
男は豪快な笑みを見せ、腰に手を当てる。
「カレーです。ニンジンを三本にリンゴを一個……あとはハチミツを一瓶ください」
「ニンジン三本にリンゴ一個、あとはハチミツ、っと」
男は声に出し確認しながら、品物を紙袋の中にいれ、封をする。
「おっ、運がいいなシー坊。リンゴはお前さんので最後だぜ」
「ははっ。いつもすみません、シドさん」
「なに、いいってことよ」
シヴァは頭を掻き、シドは得意げに笑みを浮かべた。
シヴァは小さく笑みを浮かべ、周囲の視線に眉を寄せる。
「どうした?シー坊。どっか具合でも」
「いえ、そうじゃなくて……毎日僕みたいな人間がここに来てお店の評判が悪くなっていませんか?」
「そんなことねぇさ!!それどころかお前さんが来てくれて逆に店の評判が上がったってもんだ」
「そう、なんですか?」
「おうよ!!」
シドは誇らしげに胸を張り、鼻高々といったところだ。
「ならいいのですが……」
「なぁに、お前さんが気にするこたぁねぇよ。それにお前さんの苦しみは充分わかってるつもりだ、俺も昔は軍人で同じことをしたしな」
軽快だった笑顔にほんの少しだけ影が差し、すぐにそれを笑い飛ばした。
シドの豪快な笑顔、自分もシドのように強くあれれば良いのにと心の隅で思った。
そんなことを思いながらしばらく雑談をしていると、
「おじちゃん!!」
元気いっぱいの明るい声が横から聞こえた。
「おっ」
シドは視線をシヴァの横、やや下のほうへ移し、シヴァもそちらの方へ顔を向けた。
すると、そこには鮮やかな金髪の小さな男の子がシドに無邪気な笑みを向けていた。
「おお、レンじゃねぇか」
「こんにちわ、シドおじさん」
そういうと同時にレンの隣に同じく金髪の少女が並んでいた。
少女は自分と同じくらいの背丈で、髪の長さも自分と同じくらい長かった。
おそらく自分と同い年、レンという子のお姉さんだろう。
「おっ今日はフィアの嬢ちゃんも来たのか」
「ええ、今日は仕事も休みで、暇で暇で」
「そうかい、んで今日は何を買いに来たんだ?」
「リンゴ!!」
「リンゴを剥いてあげようと思って」
レンとフィアは満面の笑みでそう答え、
「あぁ……」
シドは気まずそうに口端を引きつらせた。
「わりぃな、リンゴはさっき売り切れちまったんだよ」
「えぇーーーーーーー!!」
「さっき売り切れたって」
フィアは弟の横に立っていた人物の方に顔を向けた瞬間。その表情が強張る。
シヴァとシドはフィアの様子に気づかず、シドは困った顔をシヴァの方に向けた。
「リンゴ……食べたかったのに」
レンはつぶらな瞳に涙を為、鼻をすする。
すると、シヴァは小さく微笑み、レンと視線を合わせようと膝をついた。
先ほど受け取った紙袋の封を解き、リンゴを取り出した。
「これでよかったらどうぞ」
シヴァはレンの目の前にリンゴを差し出し、
「えっ?」
レンは驚いたようにシヴァの方を見た。
「いいの?」
レンは遠慮しているのかやや上目遣いでシヴァを見つめ、
「うん。僕はリンゴ、あまり食べないから」
シヴァはまるで自分の弟にそうするように優しく微笑みかける。
シヴァの言葉に先程までのしょぼくれた顔はどこへやら、
「ありがとう、お姉ちゃん!!」
「あ……はは、どういたしまして」
満面の笑みで女と見間違われ、やや引きつった笑顔で答えた。
レンがシヴァの手からリンゴを受け取ろうとして、シヴァの手に触れそうになった時だ。レンの後ろからシヴァの手を弾き、レンをかばう様に背に回した。
リンゴは地面を転がり、
「えっ?」
「っ」
レンは姉を見上げ、シヴァはフィアの行為とその視線に戸惑いと痛みを感じた。
「弟に近づかないで」
シヴァを完全に拒絶している声。
「ちょっ、嬢ちゃん!?」
「あんたみたいな人が触れた物なんていらないわ!!」
射殺さんばかりの鋭い視線。その瞳には自分に対する恐怖が見て取れ、
「あ……」
シヴァはその瞳に目をそらし、立ち上がった。
「すみません……迷惑でしたよね」
「ええ、大迷惑だわ!!」
フェアは声を張り上げ、その声に商店街中の視線が集まる。
「落ち着け、嬢ちゃん!!何もそんなに怒らなくたっていいだろう?シー坊だって良かれと思って」
シドが興奮するフィアを宥めようと声をかけるが、
「落ち着けって言われて落ち着けるわけない!!こいつ『終焉』でしょ!?」
火に油を注いでしまったのか更に感情をむき出しにし、シヴァを睨み付ける。
「あんた、自分が何したのかわかってる!?」
「フ、フィアお姉ちゃん……なんでそんなに怒ってるの?お姉ちゃん、何も悪いこと」
レンは今まで見たことが無い姉の姿に戸惑いながら、シヴァを助けようと声をかける。
「レンは黙ってなさい!!」
しかし、弟の声も聞き入れずシヴァに矛先を向け続ける。
「みんな、あんたの事を知ってんのよ!?今更、誰かに親切にしたってあんたがした事が許されることなんて無いのよ!?」
「…………っ」
シヴァは黙ってフィアの言葉を聞き入れ、周りで聞いていた人々もその言葉に賛同の声を上げた。
「そうだ!!今更何したってお前が許されることなんて無いんだよ!!」
「いまさら何をしても遅いのよ!!」
「地獄に落ちろ!!」
「このっ!!」
シドは袖をまくり、
「おめぇら!!いい加減に」
罵声を飛ばす野次馬達に食って掛かろうとするが、シヴァがシドの前に腕を伸ばし静止した。
「シー坊!?」
「いいんです。皆さんが言っていることは正しいですから」
シドにしか聞こえないように小さく呟き、その声が含んでいた感情はシドの怒りを押さえ込むのには十分な重さがあった。
シドはこめかみに青筋を浮かべ周囲の声に耐え、フィアは更に感情を高ぶらせ、
「はやくここから消えなさいよ!!このっ」
「ごめんなさいね」
殺伐とした場に似つかわしくない間の抜けた声がフィアの声を遮る。
そこにいた人々はシヴァ以外、その声の主の方に顔を向ける。
「このリンゴ、あなたが叩き落したの?」
黒衣に身を包み、顔を白い仮面で隠す人物。声だけで判断するなら女…………それも自分より少し年上だと思う。
男は足元にあったリンゴを指差しながら、じっとフィアを眺める。
見るからに不審者のような面持ちの女に、フィアは恐れることなく声を荒げる。
「何よいきなり!!それが何!?」
女はリンゴを手に取り、
「いけないわね」
感情の感じられない声。その声と首筋に走る感覚にシヴァは目を大きく見開き、顔を上げる。
「食べ物を粗末にしては」
女がそう呟くとフィアの眼前に突然火の玉が現れ、
「えっ?」
フィアの顔面を襲おうと動き出した瞬間。
間一髪のところでシヴァがレンとフィアを両脇に抱きかかえ、火の玉を回避。火の玉はそのまま店の中へ突っ込み、
「皆さん、伏せて!!」
シヴァの唐突な叫びにシドは反応し、他の人々も数瞬遅れて動く。
それと同時に店の中が吹き飛び、その衝撃波で近くにいた何人かの野次馬が吹き飛ばされた。
周囲に物が焼け焦げる臭いが広がり、人々は何が起こったのかわからず地面に伏せていた。
そんな中、一人の少年だけが女を見据えていた。
「…………………」
「あらら、…………意外」
シヴァは黒の外套に身を包む女を見据えながら二人をそっと地面に降ろし、
「じっとしていてください」
レンとフィアに指示を出し、立ち上がる。
二人から離れ、女と対峙する。
「…………」
首筋に走る痺れに似た感覚。
「……『召喚』」
シヴァは静かにそう呟き、それに応えるようにシヴァの両掌が淡く光る。
掌から突き破るように右手からは白の細剣、左手からは青い柄の軍刀が出現し、シヴァはそれらを静かに握る。
シヴァは理力を高め、
「身体、物質『強化』発動」
周囲の空間を満たすようにシヴァの理力が膨れ上がる。
「殺戮者である貴方が、そんなゴミを拾うとは思わなかったわ」
「今の攻撃…………冗談、と言っても通じませんよ」
できるだけ早く、それも理力の消費を抑えて終わらせないと。
「冗談?そんな事、ゴミ相手言ってどうすんのよ?」
女は高圧的な口調で面を外し、頭まで被っていた外套を後ろへ降ろす。
「まぁ、貴方が相手だったら冗談でしたって言いたいところだけど」
「…………」
面を外し、降ろした外套から現れる燃えさかる様な赤の髪と瞳。
「『終焉』相手に冗談なんて言ってられないわよ」
見る者全てを艶めかしく誘う均整のとれた顔立ちに死人のような真っ白な肌。
「まっ、いいわ。そこ、どいてくれる?」
血で染めた様に赤い唇に人差し指を添えて、
「何故ですか?」
「何故って……それは勿論」
唇から漏れた濡れた息が人差し指に絡みついて。
「っ!?」
周囲の空気を焼き尽くし、女の頭上に闇を纏った炎が吹き荒れる。
「ゴミ掃除」
当たり前すぎて答えるのも馬鹿馬鹿しい…………そんな侮蔑を込めた一言と共に黒炎が巨大な塊に姿を変えて。
「消えなさい」
蹂躙なんてものじゃない。触れてしまえば一瞬で跡形もなく消し飛ぶ一撃―――――――上位真理『獄炎』。
シヴァは双剣を正眼に構え、
「フッ」
一直線に女の頭上へ飛び込む。
シヴァは一瞬だけ爆発的に高めた理力を軍刀に込め振り下ろし、巨大な黒炎を切り散らす。それと同時に女の脳天に軍刀を振り下ろす。
姿が掠れる程の速度。女は即座に反応し、後ろへ跳びシヴァの斬撃を回避。
「随分と手荒な歓迎ね」
「歓迎はしていませんが」
シヴァは着地と同時に更に踏み込み、右手に握っていた白の細剣『罰』を何の迷いも無く女の胴へ右薙ぎする。
女はそれを高々と上空に跳び回避、跳び際に懐からナイフを取り出しシヴァ目掛けて投げつける。シヴァはナイフを『罰』で弾き、ナイフはフィアの背後まで飛び、地に着き刺さる。すぐさま上空を見上げ、男めがけ跳躍する。
「話に聞いていたより動けるわね」
「はああああっ!!」
シヴァは声を張り上げ女の声を遮り、左右の剣を首めがけて振るう。
女はシヴァの行動にクスリと笑みをこぼし、左右の手を交差させ、
「くっ」
金属同士がぶつかり合う甲高い音が空に響く。
シヴァの双剣を受け止める鉛色の手。
「『変質』で手を」
肉体の質量の範囲内でのあらゆる物質に形状、性質を変化させられる変化系下位『真理』。
女は金属化した両手でシヴァの刃を握りこみ、シヴァの顔に自分の顔を近づける。
「どうして貴方はそこのゴミを護るのかしら?」
「護るのに理由なんて必要ありません!!」
シヴァは怒りを込め女の問いを切り捨て、手を振り払う。
「理由なんて必要ない、か…………」
シヴァの背後に十数個の小さな紅い光の玉が出現。
シヴァの体は上昇を止め、下降する。
シヴァを追うように紅玉は紅い螺旋を描きながらシヴァを襲う。
「くっ」
あの光の玉、下位真理『紅玉』か。戦いの場所がこんな街中でなかったら弾くだけですむのに……ただ弾いただけじゃ街に被害が出る。
目の前まで迫った『紅玉』は、その動きを突然止め無造作に散らばり、三六〇度全方向から襲いかかってくる。
「ふっ」
シヴァは正面から六つ、右から二つ、左から三つ、背後から四つに分かれ飛来する『紅玉』をギリギリまで引きつけ。
「はああああっ!!」
双剣を幾重も振るい、全ての『紅玉』を切り裂く。その瞬間、『紅玉』はその場で爆発し、シヴァの姿が爆炎に飲み込まれる。
「ん?」
女はそのシヴァの行動に訝しげな表情をした。
シヴァは重力に引かれ、爆煙を引き連れ純白の制服と黒髪の毛先を焦がしながら地面に着地。それから一瞬の間もなく顔と二振りの剣を上げ、眼前に迫っていた光を受け止める。
シヴァを中心に足元の地面が陥没し、レンガを敷いて作れられ街道に土が顔をのぞかせる。
「ぐっ」
「…………」
光の槍を形成する上位真理『光槍』。光の槍を持つ女の表情は険しく、その表情からは軽蔑が見てとれた。
「貴方…………ホントに『終焉』?」
「何を訳のわからないことをっ!!」
シヴァは右の『罰』で槍を受け止めたまま、左の軍刀を逆手に持ち替え横一線に振るう。
女は再び空中に跳び、そのまま空中で佇んだ。
シヴァも双剣を構え直し、油断なく女を見据える。
この人、強い。今の攻防だけに限れば実力は女王、いや『管理者』に匹敵する。
「昔の貴方は自身の目的を果たすためなら全てを糧にし、目的を果たしてきたって聞いてたけど…………今は貴方は目的に関係のないゴミ共の身を案じながら戦ってる。そんな貴方が『終焉』?自分の目で見ても疑わしいわね」
「…………」
殺意は感じる。でも、最初の『理』からずっと理力を感じないなんて…………ベルギットと同じだ。
「ここに来る前に殺しておくんだったわ」
「…………誰をです?」
女は顎に手を添え、業炎の瞳に静かな殺意を宿す。
「『神の器』を、よ」
―――――――――――――――ビキッ!!
その女の一言にシヴァの中で理性の鎖が軋む。
「『神の器』を殺す、だと?」
シヴァの双眸が宿す暗い光の色と共に、荒々しい口調へと変わる。
右の『罰』も逆手に持ち替え、両足を大きく左右に開く。
その行動に女の眉尻がピクリと動く。
「彼女は殺させやしないっ!!」
腰を低く落とし、左右の双剣を後ろへ引き構える。
女は不意に笑みを溢し、
「何がおかしい!!」
「いいの?私ばかりに気をとられて?あそこに座っている金髪のお嬢さん……まだお仕置きが終わってい無いけど」
「っ!?」
シヴァは女の言葉に瞬間的に背後を振り返り、フィアとレンの姿を捉える。
二人の背後には先ほど自分が弾いたナイフが宙に浮かんでおり、ナイフの刃先はフィアの後頭部を向いていた。
「くっ」
間に合って!!
シヴァがいた場所から破砕音が響き、粉々になったレンガが宙を舞う。
ナイフは操者の意思を反映しているのか、一欠けらの迷いも無く、フィアの後頭部へ吸い込まれるように飛ぶ。
「えっ?」
フィアはシヴァの姿が掻き消えたことに間の抜けた声を出し、背後でなにかが砕ける音がした。
「何!?」
即座にその音に反応し後ろを振り向くと、眼前には身を黒く染めたナイフの刀身があり、黒髪の少年が苦痛に顔を歪めていた。
「だ、大丈夫……ですか?」
「ひっ!?」
シヴァの右手に深々と突き刺さるナイフ。
フィアは短く悲鳴を上げ、シヴァはそのナイフを引き抜き左手に『罰』を握り直す。
「今の殺気は中々のものだったわよ」
「このっ!!」
シヴァは再び女との間合いを詰めようとして「ぐっ!?」不意に胸と右足に激痛が走り、動きが止る。
「貴方、壊れかけなんでしょ?あまり無茶しない方が良いんじゃない?」
「なっ!?」
余裕に満ちた女の笑顔。そしてその笑顔で言い放った一言に、シヴァの表情が驚愕に歪む。
風穴が開いている右手で痛む胸を押さえ、純白の制服が黒く染まっていく。
「な、なんであなたがっ!?」
「さぁ?何ででしょうね?」
女は優越感に浸り、女の周囲に黒い靄のようなものが立ち昇っていく。
「そんなことより、貴方を縛るこのゴミだらけの世界から解放してあげるから」
「ま、待てっ……ぐっ!!」
「次に会うまで楽しみにしてなさいね……『終焉』」
靄が女を飲み込むように包み込み、その靄が散った後には姿はなく、シヴァの表情は傷の痛みとは違う苦痛に歪んでいた。
なんで?なんで僕の体のことを……それにベルギット以外にもリディアさんを狙ってる人がいるなんて。なんで?よりにもよって今なの?
頭を力なく降ろし、その場に無言で立ち尽くした。
「…………」
「お、お姉ちゃん」
「っ!?」
ナイフに貫かれた右手に不意に感じる温もり。
シヴァはそちらの方に視線を移し、そこにはまるで自分と痛みを共有しているかのように痛々しい表情を浮かべ、自分の手を握っている金髪の少年がいた。
「……レン、くん?」
「大丈夫?お姉ちゃん……手が」
レンは今も血が流れ出している右手に視線を送り、
「うん、大丈夫だよ。これくらいの怪我、すぐに治るから」
シヴァの手を握っていたレンの手を優しくほどく白く細い手。
「…………」
「え?」
シヴァはその手に驚き、
「今、治してあげるからじっとしてて」
その言葉に目を大きく見開いた。
その刹那、シヴァの右手を包むフィアの両手が目映い光を放ち、その光にレンが「わっ」と小さく声を漏らす。
フィアの両手から放たれた光は数秒かけて収まり、フィアは両手をそっと放す。
「これでもうだいじょう……っ!?」
「…………」
「嘘……なんで、私『治癒』を使ったのに」
フィアは信じられないと顔を引きつらせ、シヴァは静かに自分の右手を見つめ小さく苦笑いを零した。
静かに右手を降ろし、フィアに微笑を向ける。
「ありがとうございます。おかげで出血が止まりました」
「血が止まったって傷が!!」
「本当に大丈夫ですから、気にしないでください」
シヴァは首を横に振り、
「でも!!」
フィアを制止するようにシヴァは首だけで後ろを振り返り、気配を探る。
比較的大きな理力を感じる。十人……いや十五人か。多分、軍の人達だ。
首を正面に戻し、もう一度フィア達に笑顔を向ける。
「すぐに軍の方がここに来ます。あとの処理は軍の方に任せておけば大丈夫ですから」
では、と小さく頭を下げ、シヴァはフィア達から離れた。
周りを一瞥し、怪我人がいないか確認してみたが、互いに治癒系の『理』を掛け合い、傷を治しあっていて安心した。
一方、シドはというと怪訝そうな顔をし、こちらを見ていた。
「シドさん、すみません……お店、こんなことになってしまって」
「なぁに、店なんざすぐに『理』で直せるからな。気にすんな」
「すみません、そう言ってもらえると助かります」
既に火は消し止められ、店内は見る影もなく全てが吹き飛んでおり、その光景は否応なしに申し訳なくなってしまう。
「……それよりも、あの女。知り合いか?」
シドはシヴァの顔色を窺い、
「……いえ初対面、のはずです」
そう言うとシヴァの表情が曇り、これ以上聞くのも無駄だと口を閉じた。
「……軍の方には俺が適当に事情を説明しておく」
「ありがとうございます」
シヴァはシドに会釈し、その場を後にした。
あの女の人。ベルギットと同じくリディアさんを狙ってる、のか?少なくとも目的の一つであるとは思う。それに戦闘で理力の気配を全く感知できなかったことを考えると、ベルギットと何らかの繋がりがあると思って間違いないはず。
「……………………どこかで会った、気がする」
外套を降ろし、こちらを挑発するように笑っていたあの顔。昔、と言うよりは今。それもかなり最近会ったような気がするけど…………思い出せないや。
あの襲撃者のことでわからないことはいくつもある。けど、
「なんで僕の体の事を」
あの人は、確かに言った。
―――――――――――――――壊れかけなんでしょ?
「……………………」
今、その事を知っているのはヤヨイさんとエデン、それにオリウス女王の三人だけの筈なのに。
その事が知られているのが問題というわけじゃなく、ばらされる事が問題。
「あの人がリディアさんと接触する前に終わらせないと」
この十年間の全てが無駄になる。
シヴァは先程の襲撃の影響で人通りの無くなった商店街を纏わりつく重く暗い不安を抱えながら、ただ一人歩いていく。