薬草茶(ハーブティー) 2
ユークレースが向かう先、旅の同行者が眠っているはずの場所には明かりが灯っていた。
寝る前まで見ていた、カンテラのほのかな明かりだ。
ユークが茂みをかき分けると、そこにはアルフィリアが、カンテラを前に座っていた。
「……おかえり」
姿を現したユークに向かって、アルフィリアはどこか気まずそうに笑みを浮かべる。護衛を頼んだはずのジークハルトはフードを着たままアルフィの隣で丸くなっている。
「……――みんな人が悪いよね」
状況を察して、ユークは小さくため息をついた。
向かいに座ると、アルフィがマグカップを差し出してきた。受け取るとまだ暖かい。ユークが鼻を近づけると、ほのかに甘い香りがした。
「高ぶった精神を抑えて、眠りやすくするハーブティーだ。ちょいと火を借りて入れてみた。ちなみにマグカップは備品から借りた」
「……良い香りだね。良く眠れそう」
受け取ったユークは、カップの中の液体を口に含んで顔を綻ばせる。先ほど体を動かしたせいで眠気が冷めていたため、この気遣いはとても有難いものだった。
ジークハルトがユークの隣にのそのそと歩いていき、その膝に甘えるように鼻先を摺り寄せる。その頭を撫でてやりながら暖かさにほぅとため息をつき、同じようにカップを両手に持つアルフィを見た。
「……――アルフィ、気付いてたんだね」
「当たり前だ。今まで一人で旅をしてきたんだから」
火を起こして湯を沸かし、薬草茶を入れる時間を考えると、ユークが護衛のために席を外した直後辺りから行動しなければならない。
つまりアルフィリアは、ユークレースが退けたならず者たちの存在に気付いていたことになる。
「他人からもらった食事は警戒する。冒険者として鉄則だろう?」
「そうだねぇ。特にこういう状況だったら、ヒトからもらうものは口をつけない方が賢明だね」
一般的な飲食店ならともかく、野宿する際に振る舞われる食事はいつどこに薬が入っているか分からない。訓練をした毒見役でなければ見分けることも難しい。こういった場合、食べたふりをしてやりすごすか、毒薬に耐性のあるものをあらかじめ体に入れておく必要がある。
ユークと、恐らくガイアスは〝食べたふり〟の部類だ。だがアルフィはしっかり食していたとユークは記憶しているのだが。
「元より、私に毒は効きづらいんだ」
ふふん、と得意げに胸を張るアルフィに、ユークは少し目を細めて相槌を打つ。
「……面白い体質なんだね」
「むかしっからそうでなァ。ま、冒険者として染みついた特性とでもいうべきか、昔からカンは良いんだ」
毒の効きづらい体。
連想されるキーワードはあまり良いものではない。ユークはわずかに眉をひそめるが、あえてそのことには触れず、アルフィは続ける。
「……というのは、実は半分嘘でな」
くすり、と笑みを浮かべ、アルフィは面白げに顔を上げた。
首を傾げるユークへ、アルフィはカップを横に置くと、片手で掴んだ〝それ〟を突き出す。
「これ、なんだと思う?」
「……短剣じゃない?」
ユークの前に突き出されたのは、アルフィが寝る前に枕元に置いたダガーである。目をぱちくりとさせるユークに向かって、アルフィはちちち、と人差し指を振って見せた。
「これはな、〝魔具〟というんだ」
「マグ?」
「魔法道具の略称だ。この道具自体に魔術回路が組み込まれているもののことをいう」
ギルドカードの魔法装置と同じようにな、とアルフィは付け足す。ユークはなんとなく、自分のカードと目の前のダガーを見比べた。
「これはな、持ち主に危険が迫った場合、持ち主にしか分からない信号を発して教えてくれるというスグレモノだ」
「へぇ」
差し出されて、ユークはダガーを受け取ってみる。
ずしりとした重さは、その短剣がイミテーションではなく鉄で出来た武具だということを現していた。刀身を鞘から滑り出すと、カンテラの灯りに照らされて鈍く煌めく。
刃の部分に何か文字が刻まれているようだった。赤い持ち手の先に飾り紐としてつけられた二つの玉が、かしゃん、と僅かに音を立てる。
ジークが興味を持ったのか、鼻先を近づけてすんすん、と匂いを嗅いでいた。催促に答えて、ユークはジークにも見せてやる。
「正しくは、持ち主になんらかの害のある気配を持っている者が近くにいる場合教えてくれるものだ。今回、食事の前にこれの反応があったから警戒していたんだ」
ちなみに私に毒が効きづらいのは本当だ、とアルフィは笑う。
命の危険を知らせる信号ではなかったので、食事は食べたのだと。
「これを枕元に置いておけば危険に気付くことができる防犯アイテムなんだぞ」
「便利だねぇ」
自衛のために武器を手元に置いておく癖はユークにもあるのだが、まさかそんな機能付きの物だったのか。変なところで妙に感心してしまうユークである。
「魔法っていろいろなことできるんだね」
「ま、文言の組み立て方の問題だからな。そしてこれの効果は実証済みだ。いざとなれば身を守る武器にもなる」
ジークが飾り玉の部分を覗き込んでいる。恐らくそこにも魔術回路があるのだろう。
そんなわけで、アルフィはアルフィで自衛手段を取っていたのだという。それはそれでユークは構わないが。
「アルフィに護衛っていらないのかもね」
ついそんなことをぼやいてしまうのである。
アルフィはそれを聞いて、とんでもないとでも言うように首を振った。
「そんなことはないぞユーク。
こういった魔具は保有できる魔力の量が有限だから、使いすぎると魔力切れを起こして使い物にならなくなってしまう。その場合は専用の〝魔具師〟を訪ねるしかないし、修理してもらうのに金もかかる。
その点、ユークに護衛してもらってるだけでも有難いんだぞ」
「んー、そう? ならいいんだけど」
「ユークも気付いていると思うが、私にはユークのように人と戦う手段がない」
ユークから短剣を返してもらい、鞘に包まれた刀身の部分を撫でながら、アルフィは苦笑を浮かべた。
「このような姑息な手段を使ってコソコソ身を守るのがせいぜいだ。
冒険者ギルドでマスターから『護衛を雇ったらどうだ』と勧められたが、本当にその通りだったな。まぁもっとも、ユークに会わなかったら護衛を雇うつもりもなかったんだが」
ユークは押しかけた身であるがゆえ、雇用契約を結んでいないので金銭を払う義務はないが(アルフィとしては、要求されれば支払うと言ったがユークは断った)相場の護衛としてはかなり金がかかる。
守るということは容易ではない。
武術をかじる者ならば理解できるのだろう。己の身を守るだけならば強くなればいい。だが、そこに他人を加えると、それ相応の戦い方を身につけなければいけないし、ある程度の技量もいる。
アルフィのようにあてのない旅をするのに、護衛を雇うならば定期的な収入もいる。
今回のユークの申し出は、その面でアルフィには有難いものだった。
「この魔具も高かったよ。おかげで一度金がなくなった。金がないから宿にも泊まれない。あやうく娼館に売られそうになった」
アルフィは笑っているが、ユークにとっては聞き流せるものではない。顔をしかめるユークに、アルフィは首を振る。
「逃げ出せたから良かったよ。その後は、追っ手に見つからないように山中を歩きながら売れそうな薬草やら果物やらを採って、適当な村で売っていった。自分の持ち物もいくつか手放した。おかげで細々と金を手に入れることができたよ」
戦う術を持たない自分に、このダガーは必要だったのだと。そこまでしても欲しかったのだと。
「でないと、旅ができないだろうと思ったから」
その時の苦労を思い出しているのだろう。アルフィはどこか懐かしそうにダガーを見下ろしている。
その様子を見て、思わずユークは聞いていた。
考える暇もなく、ただぽつりと、意識せずに呟いていた。
「……――アルフィは、どうして旅に出たの?」
目を見張るアルフィに、ユークはその瞬間はっとして口に手を当てた。
「しまった、口に出してしまった」とでも言いたげに、自らの失態を悔いる表情を浮かべるユークを見て、アルフィは苦笑を浮かべる。
「……そうだなぁ――」
どこか反芻するように視線を上に上げて、考えをまとめるように目を閉じて。
「――……美味しいものを食べたいから、かな」
ユークは顔を上げてアルフィを見る。アルフィは目を開けると、横に置いていたマグカップを手に取った。両手にそれを持ち、にっこりと笑みを浮かべる。
「この世界にはたくさん美味しいものがあるからな。食べ歩きをしたいと思っていた」
「…………それだけ?」
「それだけ」
言い切るアルフィに嘘はなさそうだ。単純な理由に、ユークは肩を落とす。
食い意地のために身を危険に晒しても良い、と言われたも同然だ。
はぁ、とため息一つ。ユークは眉を寄せて、咎めるように言った。
「……それなら、ねぇ。アルフィ。俺と約束して」
「なんだ?」
「もう二度と、毒入りかもしれない食事を口に入れないこと。
欲しいものがあるからって、お金はしっかり残しておくこと。あと俺に相談すること」
きょとんとするアルフィを、ユークは少しだけ睨み付けた。
「今回は俺を試す目的もあったのかもしれないけどさ。
もう一人じゃないんだから、無茶はしないで。これでもね、俺、キミのこと信頼してるし、俺だって信頼してもらいたいの」
その言葉に、アルフィは目を見開いた。
二、三度瞬きをし、ユークをまじまじと見つめる。苦々しい顔をしているユークとしばし見つめあい、そして。
「……――そうか。私はもう、一人じゃないんだな」
今初めてそのことに思い当たった、とでも言いたげに、そう呟いた。
そして。
「……ふふ」
ふいに下を向いてくすくすと笑い出すアルフィに、ユークは眉を吊り上げる。
「どうしたの。俺、叱ったんだけど今」
「そうか、叱られたのか。……いや、なんだ、うん、」
口ごもり、けれど口元の笑みを隠そうともせず、アルフィは視線を彷徨わせる。どこか落ち着かなげに前髪をいじくったり、口元を隠すように持ってきたり。
ひとしきりそわそわとした後、くすぐったそうに目を細めた。
「叱られるって――心配されるって、嬉しいんだな」
まるで少女のように頬を赤く染め、嬉しそうに、本当に嬉しそうにそう言うアルフィリアに。
ユークは目を見開いて、ぽかんとその顔を見つめた。
「……いやぁ、一人ってのがなんか癖になってたみたいで。ユークを試すつもりはなかったんだけど必然的にそうなってしまったみたいだからそれは詫びるよ。これからは頼らせてもらおうかな」
ふふふ、と嬉しそうにそう話すアルフィは、やがて固まったままのユークに気づいて首を傾げる。
「どうした?」
話しかけられてようやく意識が戻ったらしい。
はっとしたのか、目をぱちぱちと瞬きしたユークは、そのまま盛大に肩を落としてはー、と大きなため息をついた。
「前言撤回」
「なにをだ?」
「アルフィに護衛は必要ないかも、ってやつ。やっぱりアルフィに護衛は必要だね」
視線を外しながら呆れたようにそう言うユークに、今度はアルフィは顔をしかめる。
「その言い方だとひっじょーに不本意に聞こえるのだが。どういう意味だ?」
「……とりあえずアルフィは色々な意味で無防備すぎる」
「だから何が」
理解できないとでも言いたげに身を乗り出すアルフィから更に目を逸らし、ユークは隣で丸くなっているジークに向かって呟いた。
「……護衛の仕事、ホントに多そう」
ジークは片目を開けただけで、それに答えない。だがジークだけが気付いている。
やれやれ、と視線を外すユークの耳が、赤いことを。
「とりあえずもう寝ようよアルフィ。眠くなってきた」
「…………なんか今、私がものすごく不本意なレッテルを貼られたような気がするが気のせいか? おい、なんでさっきからこっちを見ない」
「気にしない気にしない。……カンテラ消すよ」
「うぅ、後で絶対聞き出してやる」
眉を顰めたままのアルフィと、取り繕うようにそそくさと毛布に逃げ込んだユークを隠すように、カンテラの光が落とされた。
辺りには暗闇と、静寂が残される。
「おやすみアルフィ」
「おやすみ、ユーク」
小さな声で挨拶を交わすと、やがてしばらくして小さな寝息が聞こえてきた。
ジークもまた、ユークの毛布に潜り込んで目を閉じた。
静寂の最中。
アルフィリアは目を開く。
カンテラの灯りに慣れた目は、周囲の物を映し出さない。辺りは完全な暗闇だ。
そのまましばらくそうしていて、アルフィは先ほど言われた会話を思い浮かべた。
――――アルフィは、どうして旅に出たの?
「……美味しいものを食べると、幸せになるだろう?」
隣からの返答はない。ただ小さな寝息が聞こえるだけだ。
寝たふりをしているのか、本当に寝入ったのかはアルフィには分からない。
だがこの様子だと、寝言として理解してくれるはずだろう。
それでいいと思った。……そうしてくれたほうが、有難かったからだ。
面と向かっては言えなかった本当の答えを、そっと呟く。
「……――しあわせに、なりたかったんだ」
聞き流してくれるといい。
そう願って、アルフィは目を閉じる。
ユークもまた、何も言わずに目を閉じた。