ドラゴンまんじゅう 2
――――数千年の時を経て、封印されし魔王が、復活するという。
王宮の占い師がそう告げる。
勇者を呼べ。勇者を召喚べ。手遅れになる前に。魔王が復活する前に。
神殿に眠る〝聖剣〟を抜いて見せよ。――魔王の封印をするために。
神の御使いを世界から探し出し、従え、祈りを、加護を受けよ。――魔王の封印をするために。
「この伝説の〝神の御使い〟って、ドラゴンのことなんだよね?」
神から使わされた空を飛ぶ伝説上の生き物――翼をもつ〝竜〟が、聖剣に選ばれた勇者を導き魔王の元へ連れて行く。
このくだりが一般的な聖剣伝説である。
そういえば、とユークレースは思い返す。アルフィリアから改めてこの部分について説明を受けたことはなかった。
思えば、今まで一緒に居ておとぎ話・あるいは勇者について話したことは非常に少ない。それこそ最初の出会いの時以来だと錯覚するほどに。
お互い無意識に避けてきた話題だと思っていたが、この状況になってユークはようやく気が付いた。――――少なくとも、アルフィは意図的だったのだろう。
隠していたのかもしれない。伝説の〝神の御使い〟が、竜であることを。
アルフィは口を開けた。呆然、という言葉がよく似合う表情だった。
「……なんで」
「……なんでって」
ユークからすれば〝何故今までバレてないと思ったのか〟と問いかけたい。
「そもそもアルフィ、俺、そのブレスレット買った時セールストーク受けてたけど」
「……あ」
「………………気付かなかったんだね」
今もアルフィの手首を飾る蒼い石のブレスレットには、神話をモチーフにしたドラゴンをかたどった飾りがある。購入時ももちろん説明を受けている。
アルフィの顔を見るに、完全に抜けていたようだ。……もとよりユークの場合それ以前から知っていたことで、トウモロコシ色の髪を持つネコ好きの女の子から教えてもらっていたのだが。
聖剣の伝説に沸く現在、どこを歩いても聖王都のお触れの話は耳に入る。当然、おとぎ話のことも。
町の本屋には幼子用に挿絵付の本も置いてある。幸い文字が読めるユークはそういったもので情報収集することは容易かった。そうしていれば否が応でも理解できる。
「……そうか、リコリスからか」
迂闊だった、とアルフィは苦虫を噛み潰したような顔をする。眉をしかめたその顔は、自らの犯した失態を悔いているようだった。
アルフィは見た目よりも大人びていて頭も良いが、多少抜けているというか詰めが甘い部分もあった。ユークから見れば「経験不足」の一言に尽きる。
「でも、俺を気遣って言わないでいてくれたんだよね」
「……」
フォローするようにユークが言葉を重ねれば、アルフィは唇を結んで押し黙った。
沈黙を肯定と捕え、ユークは薄く笑みを浮かべる。
「ありがとう、アルフィ」
感謝を述べると、アルフィがちらり、と視線を向けた。それから、片手に持ったままの食べかけのまんじゅうに噛り付く。
「別に、大したことじゃない」
「うん」
「でも、知ってるなら尚更だ」
口調のトーンを低くして、アルフィは体を起こした。背筋を伸ばし、わずかに体を動かしてユークのほうへ向きなおり……口を開きかけ、すぐに閉じ、あぁもう、とがりがり頭をかく。
「本当は聞きたくないんだが、聞かなきゃいけない。この先旅を続けていくなら、これだけははっきりさせておかなきゃならん」
「……うん」
すぅ、とアルフィは深く呼吸をした。それから口を結び、まっすぐユークレースに向き直る。そして口を開いた。
「なぁユーク。お前、本当に良いのか? 勇者選定の儀に行かなくて」
アルフィは知っている。ユークと共に居る、今も大人しくしているそれが銀色の〝竜〟であることを。
その〝竜〟と一緒に居ること。それはたぶん、勇者関連の何かである可能性が非常に高いこと。
真っ直ぐな視線の意味を違わず受け取り、ユークは口元に笑みを浮かべた。
「ジークは違うよ。〝神の御使い〟なんかじゃない」
静かに落とされた声は、有無を言わせぬ形だった。
視線を落とす。膝に抱えたカバンに手を添えて。
「こいつはね、ずっと俺と一緒に居たんだ。こいつのことは俺が一番良く知ってる。こいつはこの世界の〝神の御使い〟なんかじゃない、そうであるはずがないんだ」
何かを言いかけたアルフィを、あえて押し黙らせるように声を低くする。
「だから勇者を導く役割の竜は、ジークとは別に必ずいるはずだ」
小さく息を飲んだアルフィと視線を合わせず、ユークは正面に向き直った。
「ね、アルフィ。歴代の勇者の物語ってさ、結局最後はどうなるか知ってる?」
問いかけに、隣の少女はやや困惑したようだった。問いの意図を探っているのかもしれない。
数秒の沈黙の後、答えが返ってくる。
「歴代勇者によって違うな。魔王を倒してめでたしめでたしもあれば、お姫様と結婚して幸せになったりもする。魔王と相打ちで行方不明なんてこともある」
「……うん」
おとぎ話の延長で、女神の力を携えた勇者の物語は広く親しまれている物語だ。
歴代の勇者の冒険譚は数多くの作家が執筆し、世の中に多く広まっている。世界の至る場所には勇者にまつわる伝説が残っていて、アルフィたちが食べているドラゴンまんじゅうのようなものもあれば、勇者が訪れたとされている場所は観光地にもなっている。
もちろんそれがすべて史実通りではなく眉唾ものがほとんどのため、どれが本当なのかは分からない。
史実である勇者の記録は聖剣と共に、聖王都が管理しているという。情報規制からか、世に出回ることはないらしい。
物語はいつも、勇者が魔王を打ち滅ぼして世界が平和になりました、で終わる。
「…………勇者は、この世界のどこかにヒトとして生まれるんだそうだ」
数秒の沈黙の後、アルフィがそう言った。ユークがちらりと視線を向けると、彼女はこちらを見ておらず、同じように目の前の街並みに顔を向けていた。
その景色は、たぶん目の前を見ているわけではないのだろう。
彼女は急な話題の変更にやや戸惑いはあるものの、明確な答えを、そしてそれ以上の知識を教えてくれようとしていた。その聡明さをユークは好ましく思い、同時に――――忌々しくもあった。
……もう少し、彼女が愚鈍であったなら。
そうすればこの話題をうやむやにすることなど、容易かったろうに、と。
アルフィの声はそのまま続く。
「だから聖王都は聖剣の地をある程度一般に解放している。王族から生まれるかもしれない、一般の民から生まれるかもしれない。いつどこで、どのように生まれているか分からないから」
ユークが知る拙い知識の限りでも、物語の中の人物は様々だった。若い男。女。少年。少女。
不幸な生い立ちの孤児。聖王都の王太子。ドラゴンに魅入られた普通の少年。
だが、それはあくまで美化された物語の中での話だ。
「本当は大々的に探さずとも、聖剣は勇者を呼び、勇者もまた聖剣を欲するため、勇者は自然と現れるそうだ。同時に竜が呼ばれ、魔王へたどり着く道が開かれる。
だがそれは同時に、悪人ですら勇者である可能性もあるということだ。歴史が隠されているのはそいうった面もあるのかもしれないんじゃないかと、私は思う。
ヒトの血を好む殺人者だったかもしれない。盗むことを生業とした盗賊だったかもしれない。それから――――」
――――世界に守りたいものがないから、世界を救えないと言った青年だったかもしれない。
袋の中のドラゴンまんじゅうは、いつのまにか食べきってしまっていた。空になった紙袋をくしゃくしゃと丸めて、掌に転がしながらユークは目を細める。
「……俺はね、アルフィ。勇者は、普通のヒトだったんじゃないかなって思う」
脇腹に手を添える。それは癖のようなものだった。痛みが無いそれを〝確かめる〟ための。
「俺たちと同じものを食べて、同じことで笑って、同じように泣いて。……同じように生きる、普通のヒトだったんだと思う」
それでも選ばれた彼らは、自らの運命を知って歩み出す。そして世界を救う。
「なんせよ、魔王は倒しているはずだよね。目的を果たしてるから、今の世界があるんだし」
「そう、だな。倒せなかったら世界は終わるんだしな」
「……だから、俺には無理なんだよ」
――――もし仮に、ジークが〝神の御使い〟で、自分が〝勇者〟であっても。
短くそう言い捨てて、ユークはアルフィに向き直る。案の定疑問符を浮かべた顔の彼女に向かって、薄く笑みを浮かべた。
「そういうわけだから、さっきの問いに対する俺の答えは〝前と同じ〟かな。
世界を救う使命より、なんでも叶えられる王様からの褒美より、アルフィと旅をするほうがいいなって思ってる。
だから……――――もう少しだけ、一緒に居てもいい?」
静かな声は、けれど切実な音で空気を震わせた。
二人の間に沈黙が流れる。
数秒後、アルフィが小さくため息をついた。
「お前は私を守ってくれるんだろう」
やれやれ、とでも言いたげな顔だった。肩をすくめ、アルフィは緊張が取れたように大きく伸びをした。
「そもそも、私だって勇者選定の儀に行く気はない。よって聖王都に戻る予定はないし、もっと食べ歩きたいものがたくさんあるんだ。
魔王が出てきた時はその時で。…………そろそろ行くか、ユーク。早く行かないと次の町に着く前に日が暮れるぞ」
そう言って彼女は立ち上がると、くるりと振り向いて手を伸ばしてくる。
「夕飯は、野宿のご飯よりちゃんとしたところで食べたいんだ」
ユークは息を飲んだ。息を飲んで数秒、呼吸を止めた。
それから……――――眉を下げて、
「うん、ありがと」
頷いた。