鶏肉の葡萄酒煮込み 23
しっとり冷えた夜の闇と、静かな虫の声が溶け込む。月明かりに照らされて周囲は明るい。
時折吹く風が、周囲の木々を揺らしてさわさわと音を立てた。
「……――――ここにおったんですか」
背後から聞こえる声に、赤い髪の男がぴくりと肩を動かした。
地面に胡坐をかいて座り、月明かりを正面に見据えた男は、その脇に葡萄酒を抱えている。
その背後に音もなく降り立った黒髪の女性は、酒の瓶に眉を寄せたようだった。
「またお酒かいな?」
「弔い酒だよ」
振り向かずガイアスはそう答える。
「葡萄酒はアイツも好きだったんだ。よくこうして酌み交わしていた」
ラヴェンダーはその答えに何も言わなかった。
ガイアスの前には、薄汚れたチェス盤が広げられている。
最初に攻め入った時、傍らに転がっていたそれだ。戦闘のごたごたでいくつかの駒が失われていたが、盤そのものは無事で、それをガイアスが拾い集めた。
向かいに、まるで人がいるかのようにワイングラスが置かれ、液体が注がれている。
そしてガイアスも、その手にグラスを持っていた。
ラヴェンダーがため息をついた。
「だからってなにも――――こないな時間に、こないな森の奥に独り居るのは危険や」
「しかたねぇだろ? まだ正式な墓もねぇし。ここがあいつの居た場所なんだから」
ガイアスが肩をすくめる。
現在二人が居るのはクァルエイドの町の隣、葡萄酒の村へ続く森の中。魔物の敵将が拠点を構えていた、あの場所である。
いまだ戦闘の名残を見せるその場所は、けれど周囲にあった魔物の死骸は綺麗になっていた。――――ジークハルトの攻撃の後、跡形もなく消えてしまったのである。
「……探すうちの身にもなってや」
苦言を漏らすラヴェンダーは、けれどこの男には何も言っても無駄であることを知っていた。
それから気を取り直すように、ラヴェンダーは纏う気配を変えた。
「報告があります」
「……なんだ」
口調の変化にガイアスもまた声色を変える。
感情を消したラヴェンダーは、淡々と続けた。
「アダムズ商会が口を割りました。――――禁術を使用する魔術師へ〝協力〟していたこと」
「……そうか。意外と早かったな」
振り向かず、ガイアスは予想していたかのように答える。
「ですが、肝心の魔術師のことは覚えていないそうです」
「ほぅ?」
「名前、容姿、声色、なにひとつ記憶から失われていると。……尋問は続けていますが」
ガイアスは膝に片肘を立て、手の上にあごを乗せた。
「……いや、それじゃ無駄だろうな。いくらやっても出てこねぇんじゃねぇの?」
「……魔術師によって消されたと?」
「そう考えるのが妥当だろうな。なにせ――――〝今までもそうだったんだから〟」
ラヴェンダーが小さく息を吐く。
「アルフィも、そうなのでしょうか?」
ガイアスは目を細めた。
「……魔術師じゃねぇオレに聞くなよ。お前のほうが詳しいんじゃねぇの?」
「推測で構わないならば、何とも言えません。よほど酷い目に遭ったか――――もしくは、その場に残った魔法に当てられたかと。ただ、魔術師本人に会ったという可能性も」
「あるかもしれねぇがな。……あの銀竜が違うって言ってたんだぜ?」
ラヴェンダーが声を低くした。
「嘘を言った可能性もあります」
「そうだな。だが、それは違うような気がする」
「根拠は」
「勘だよ、ただの」
わずかな沈黙。
「……だからあの二人に監視も付けず、別れたのですか」
「監視つけたってあの剣士がすぐ気付いちまうよ。……ま、大丈夫だろ。〝その点においては〟たぶんな」
楽観的にも聞こえる声に、ラヴェンダーは何も言わなかった。
「ある程度やったら別の手がかりを探すしかねぇな。あの屋敷の調査は?」
「進めております。研究資料は残っていますが――――魔方陣は、ところどころ壊れていますので」
「派手に吹っ飛ばしたもんだな。魔物も消えちまったし。……浄化、って言ってたっけな。たしか」
やれやれ、とガイアスは肩をすくめる。
「〝破魔〟の属性か。だから今回、魔法によって製造されたモノたちが浄化された。……これで魂が報われると良いんだが、オレたちに関しては複雑な現状だな」
「……重要な証拠が壊れたかもしれませんから」
「ま、これ以上犠牲者が出ないならいいだろ。かき集めるしかないな、引き続き頼む」
「御意」
「そういや、あの屋敷は結局なんだったんだ?」
ふとガイアスが思いついたように聞く。
「アダムズ商会の隠し別荘だったようです」
ラヴェンダーがよどみなく答えた。
「先代の長が愛人を囲う際に使用したものだそうで。長い間使われてなかった物を、隠れ家として提供したのだとか」
「……それで、魔術師はあそこで悠々と研究を。魔物に馬車を襲わせてアダムズ商会は利益を独占したか」
「時折、〝研究材料〟も提供したと」
ラヴェンダーの言葉に、ガイアスは不快そうに吐き捨てた。
「下種め」
「報告がもうひとつ」
ラヴェンダーが続ける。
「マキシアスらしき人物と、〝女の人〟が共に居たという目撃情報があります」
「……ほう?」
「現在その情報をもとに足取りを追っています」
ガイアスは剣呑に目を細めた。
「聖王都に居たっつーあの女か?」
「おそらく間違いないかと」
「……〝魔術師〟との関係は?」
「今のところは、まだ」
「引き続き探れ。そっちのほうに重点を置いてな」
「手配しております」
ガイアスは満足そうに口元を吊り上げる。
「相変わらず仕事が早くて助かるわ」
「……ありがとうございます」
ガイアスには見えなかったが、ラヴェンダーは静かに頭を垂れた。
「……して、ガイアス様」
「なんだ?」
「ユークレースのこと、聖王都へ報告しますか?」
チェス盤の駒を弄んでいたガイアスの指が止まる。しばらくの沈黙の後、首を振った。
「……いや、いい。先にやりたいことがある」
「やりたいこと?」
「〝記憶の魔女〟に会いたい」
ガイアスの言葉に、ラヴェンダーは意外そうに目を見張った。
「〝記憶の魔女〟様ですか?」
「あぁ。気になることがあってな」
ガイアスは淡々と続ける。
「聖王へ報告すんのはその後でも遅くないだろ」
「ですが最優先事項と言われています。――――勇者を見つけるのは」
ラヴェンダーが珍しく反論した。だが、ガイアスは駒の一つを手に取っただけだった。
「……勇者、ね」
「……ガイアス様?」
ガイアスの手にあるのは、王冠を被ったような形――薄汚れた白いクイーンの駒だ。
「オレとしちゃ、もう一人の方が気になるがな……」
小さく呟いた一言は、ラヴェンダーには届かない。
「とにかくまだ聖王へ報告はするな。魔女殿に会いに行く」
「…………手配致します」
やや長い沈黙の後、ラヴェンダーが頭を下げた。そこでガイアスは初めて、肩越しに彼女を振り返る。
「……悪いな」
苦笑を滲ませた顔は、彼女に対してのいたわりを込めている。
「なに言うてるんですか。おっちゃんの無茶ぶりは今に始まったことやないでしょ」
だからラヴェンダーも、口調を戻してそう答えた。
「それに、うちは聖王から直々に言われとるんですわ。『くれぐれも』って」
「へぇ、アイツが?」
意外そうに目を見張るガイアスに、ラヴェンダーは苦笑する。
「……〝聖王直属の近衛騎士隊長〟サマの、世話をしてやってくれって」
ガイアスは頭をかいた。
「……元、だろ。辞表は提出してきた」
「受理されてへんよ。今でも聖王都にいる副隊長はおっちゃんの帰りを待っとる」
「こーんな、ふらふらふらふら放浪の旅出たっきり戻らない奴は〝騎士〟じゃねぇよ」
「そのわりには聖王様から来る秘密裏の依頼はきちーんとこなしてますやん」
「立場も考えずアイツがオレに頼んでくるからだろーが。てかお前も持ってくるからだろ」
唇を尖らせるガイアスは、ちらりとラヴェンダーを見る。
「だいたいお前もオレに付き合わないで、帰ったっていいんだぜ?」
「言うたやん。聖王様直々に言われたって。おっちゃん連れて帰りまへんと、聖王都に戻れへん」
「……オレはまだ戻らん」
「そろそろあっちもほとぼり冷めた頃ちゃいます? ……痴話喧嘩の末に家出とか情けないわ」
「痴話喧嘩じゃねーよ。……とにかく、まだ戻らん」
はいはい、とラヴェンダーは肩をすくめる。
「ならうちもおっちゃん直属の〝隠密〟やし、付いていくしかないわ」
「……ったく、どいつもこいつも」
ガイアスは肩を落としてため息をついた。
「それにな、」
ラヴェンダーが顔を上げる。
「うち約束したわ。『内緒にしてくれ』って」
「……そうだな」
ガイアスも頷く。
長い長い話の後、青灰色の青年は、二人に向かって深々と頭を下げた。
――――誰にも言わないでほしいんです。特に、アルフィには知られたくない。
――――彼女には、何も知らないでいてほしいんです。
「早々に破っちまうのもな」
「せやね」
同じことを考えたのか、ラヴェンダーが苦笑していた。
「……ガイアス様。うちはもう行きますが」
ラヴェンダーが、周囲を見回した後そう告げる。
「あぁ、オレはもう少しここに残る。ほどほどにしたらお前も休め」
「ガイアス様も、早う帰ってきてください」
「大丈夫だよ」
肩をすくめて見せた姿にラヴェンダーは何かを言いかけたが、小さく首を振ると、一礼した。
「失礼します」
そして溶け込むように、夜の闇に消えた。
人の気配が無くなった後、ガイアスは正面のチェス盤に向き直る。
「……ままならねぇもんだよな、まったく」
やることが山積みだと、肩をすくめた。
「お前は一足先にゆっくりしてんのか? それとも相変わらずクソ真面目に仕事してんのかよ」
チェス盤の向こうに居る〝人物〟に語りかけるように、そう言った。
「……なぁ、」
とん、と駒を動かす。
「あの時は負けたけどな。……今回は勝ったろ?」
とん、と駒を動かす。
「ま、お前にしちゃ『卑怯だ』とか言うかもしれんがな。オレ一人の力じゃなかったしな」
とん、と駒を動かす。
「……惜しいコトしたと思うぜ。もう少し待ってりゃ、お前さんと互角の――――いや、それ以上の遊びをする奴を、見つけられたのにな」
とん、と駒を動かす。
「……なぁ、マキシアス」
とん、と駒を動かす。
「オレ、少し嬉しかったんだ。実は」
とん、と駒を動かす。
「仕事一筋だったお前さんが女と一緒に消えてさ。あぁ、もうお前は〝戦争〟に憑りつかれていないんだと、そう思ったんだよ」
とん、と駒を動かす。
「……けど、違ったのか。お前は最後まで〝戦争〟を夢見てたのか」
とん、と駒を動かす。
「……なぁ、マキシアス。知ってるか?」
とん、と駒を動かした。
「最後にお前、〝戦争〟できたんだぜ。正真正銘の本場もんのさ。
もっともあいつにとっちゃ生ぬるいっつってたが」
そっと、駒から手を離す。
出鱈目に配置したそれは、ひとつの駒を囲むように中心がぽっかり空いている。孤立するのは黒いナイトの駒。
向かいの暗闇に視線を向ける。
笑みを消し、一言、告げた。
「――――満足かよ?」
答える声は、ない。
冷たい風が木々を揺らし、ガイアスの頬を撫でた。
これ以降のクァルエイドの物語は、アルフィたちには与り知らぬ所。
第3章『鶏肉の葡萄酒煮込み』これにて閉幕いたします。
読んで頂きまして、ありがとうございました!
※2014年8月14日追記
題名が一部間違っているのを直しました。ご指摘頂いた方ありがとうございました。
まだ私自身も見落としてしまっている部分があるかもしれません。何かありましたら、拍手等にて教えて頂けると大変助かります。