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竜と食べ歩き。  作者: コトオト
第3章
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鶏肉の葡萄酒煮込み 21

 心地よい感覚で浮遊していた意識が、ぼんやりと覚醒する。


「……ん、」

 吐息を漏らし、うっすらと目を開けた。まぶしい光が一瞬だけ目を焼き、そして、

「アルフィ?」

 傍で聞こえる声を拾う。




「……アルフィ、起きたの?」


 声と共に、青灰色の髪が視界に入り込んだ。

 夜明け前の空の色をした瞳が心配そうに揺れている。白い光の中で、はっきりと存在感を持った姿。

 アルフィの視界の中にはその青年しかいない。

 なんとなく、その蒼くて深い色を見つめる。


――――なんだか、

 この色を、ずっと呼んでいたような気がしたのだ。




「……アルフィ?」

 ユークレースが声をかける。

 覚醒しない意識の中、アルフィは目を瞬きさせた。

「……ユーク、どうした」

「どうした、じゃないよ。具合はどう? 痛いところとかない?」

 眉を下げて問う彼に、アルフィは体を起こす。ユークも覗き込んでいた姿勢から体を起こし、それを手伝った。


 きょろきょろと周りを見渡す。

 寝かされていたのは寝台のようだ。木で出来た部屋に、小さなテーブルと小さな椅子。それにユークが座っている。寝台は一つ、窓が一つ。小さいが素朴で、よく見る部屋の間取り。

 日の高さから推測するに、もうすぐ昼になる頃だろうか。

「宿、か?」

「そう。葡萄酒の村の」

 問いかけに答えたのはユークだった。頷き、苦笑する。

「あれから馬車を動かしてこの村について、宿を取ったんだ。良かったアルフィ、ずっと寝ていたから心配した」

「……うーん、すまない」

 ぽりぽりと頭をかき、アルフィは気まずそうに視線を逸らす。



「なぁユーク。いつのまに村に着いたんだ?」

「……――――え?」

「なんか、覚えてないんだ」



 どうにも頭がぼんやりとしていて、この場所の実感が湧かない。思い出そうとすると白くもやがかかったようになってしまう。

 とても奇妙な感覚だった。なにか、抜け落ちてしまったような。

 この〝村〟に着くまでの記憶が、ぼやけてしまっている。


 素直にそう説明すると、ユークが青い瞳を丸くさせた。



「覚えて、ないの?」

「なんだか記憶があいまいで……」

 うーん、とアルフィは唸る。

「……あー、なんか、その。崖から、落ちたような気が」

「……アルフィ」

「そこから先がなんかぼんやりしてる」

 眉を寄せて考え込むアルフィをユークは見つめた。青い瞳が細まり、笑みがすぅ、と掻き消える。

 その表情を俯くアルフィは気付かない。


「んー、なんか、えぇと」

「アルフィ」

 思考のふちにおぼれつつある彼女を呼び戻したのは、ユークからの少し強めな呼びかけだった。アルフィが顔を上げると、ユークはにこりと笑う。

「無理に思い出さなくていいよ。疲れてるんだ、そのうちきっと思い出す」

「そうか?」

「アルフィはね、崖から落ちて気を失ったの。幸いジークが一緒だったから、ジークに教えてもらって俺はアルフィを助けることができたんだよ」

「……そう、なのか」

「うん。そこからはね、アルフィ寝たままだったから馬を引いてこの村に向かったんだ」

「そうか、すまん。迷惑かけた」

 アルフィが軽く頭を下げると、ユークが小さく首を振る。

「そんなことないよ、むしろ大きな怪我がなくて良かった。あ、ガイアスさんもラヴィも無事だよ、今は別の部屋で休んでる」

「ジークは?」

「ジークも隣の部屋で休んでるよ」

 滑るように答えたユークは、その目を細めて問うた。


「それよりも、今どこか痛いトコとかない? 頭とか、肩とか大丈夫?」

「肩?」

 言われてアルフィは気付く。右肩に包帯が巻かれている。

「……いや、今は平気だ。見るまで気が付かなかった。なんか気付いたら痛くなってきた気がする」

「ならごめん。ただの打ち身だから無理しなければすぐ治るよ」

 ユークが笑っているから、アルフィは安心したように肩を落とした。


 なんとなく思ったのだ。この青年が笑っているならきっと大したことないんだろうな、と。

 どこかで何かが引っ掛かるような感じがしたが、その小さな違和感を振り切れば、それは驚くほどすんなりと意識を離れていった。


 その〝忘却〟に、疑問を覚えることすら忘れたまま。




「いや、けど情けないな。結局私は足手まといだったようだ」

 このクエストは森の中こそが肝心だったはずなのに。崖から落ちた挙句ずっと寝ていたなどと。

 自嘲の意を込めて笑みを浮かべると、数秒の後に小さな声が返ってくる。

「……そんなことないよ」

「ユーク?」

 アルフィが顔を向けると、青灰色の青年は顔を俯かせていた。



 沈黙が流れた。

「……ユーク?」

 黙り込んだ青年に向けて、アルフィは首を傾げる。

「どうした、ユーク?」

 俯いたため顔が見えない。無意識のうちにアルフィはユークの顔を覗き込もうと身を乗り出した。



「……ごめん」

「ユーク?」


 震える声が、耳を打った。


 懇願するような響きに、アルフィは思わず訝しげに返していた。

 俯いたその表情は、前髪に隠れて見えない。

「……ごめん、アルフィ」


 泣きそうな声だった。

 縋り付くような、弱々しい、懺悔の声だった。


「……ごめん」



 膝の上に組んだ手が、小さく震えている。






 それを理解した瞬間、アルフィは動いていた。


 けがをしていないほうの手を上げ、思いきり振り下ろす。

 その俯いた後頭部に。


「あいたっ!」


 べしっ、といい音がした。

 慌てて顔を上げたその顔を睨みつけ、額に向けて素早く第二撃。

 すなわち、でこピン。


「だっ」


 かなり痛そうな音がして青年がのけぞりかえる。



 その頭をがしっと掴んだ。

 そのままぐいと引き寄せ、顔の近くまで持ってくる。


「ばか」

 目線の先、視界いっぱいの青年へ向けて罵倒した。

「自分で自己完結して謝るな。理由もわからないのに謝られたくない。お前は何を謝っているんだ」


 ぱちぱちと瞬きをするユークは、まだ思考が追い付いていないようだ。赤く色が変わった額はなんとなく間抜けに見える。それでも反射的に答えが返ってきた。

「……その、アルフィの怪我は」

「それこそばかだ」

 言葉を遮り、アルフィはむぅ、と眉を寄せる。

「いくらお前が私の護衛でもそこまで責任を負わせるか。

だいたい崖から落ちたのは私の不注意で、それから先はユークの責任じゃない」

「……でも」

「違う、ユーク。お前の責任じゃない。だから謝ることじゃない」


 唇を尖らせ、その目を睨みつける。

「その責任は私のものだ。返せ」




 瞬きをしなくなったユークは、数秒後、小さく笑い出した。

 くしゃりと、表情を歪めるように笑い出すユークに、アルフィは憮然とした顔のままで「なんだよ」と問いかける。

「いや、アルフィらしいな、と」

「……どういう意味だ」

「悪い意味じゃなくてね」


 一通り笑い続けたユークは、己の頭を掴むアルフィの手に自らのそれを重ねると、優しく手を外した。そのままアルフィの両手を包み込み、こつん、と額を合わせる。


「……アルフィらしいよ、ほんと」


 でも、と。続ける。

 視線を落とし、目を伏せて。

「だから謝るんだ。……ごめん」


「……謝られる覚えはないんだが」

「俺が許せないんだ。……自分自身が、許せないから」

 目を伏せる青年は、辛そうに眉を寄せている。

「俺の覚悟が足りなかったから。俺がもう少しちゃんと、早く、思い出せていれば……こんなことにならなかった。もっと手をうてたはずだし、策も練ることが出来た」

「……ユーク?」

「だから、俺は俺が許せないんだ……」


 懺悔するような、深い後悔を滲ませた声色。

 それは青年の深い深い感情を込めたもの。


「……そうか」

 否定をすることもできず、アルフィはただ相槌を返す。そしてアルフィもまた、ユークに習って目を閉じた。



 包み込まれる手のひら。優しいぬくもりは少し冷たく、小さく震えていた。


 冷たさを温めたくて、包まれる手のひらを動かして自分も指を絡めると、一瞬だけぴくりと動きを止めた指が、すぐに強く握りしめてきた。

 ユークがどんな顔をしているのか知りたくなり目を開けると同時に、額のぬくもりが離れていく。



「……アルフィ」

「うん?」

「前も言ったかもしれない。でももう一度、ここで誓わせてほしい」

「ユーク?」


 顔を上げ、ゆっくりと体を離したユークは、顔を上げてアルフィを見た。

 泣いているのかと思った目に涙はない。だが、その光はわずか不安そうに揺れていた。

 瞬きの後その揺らぎが消え、まっすぐに青の瞳が見つめてくる。


「……――――俺は、アルフィを守りたい」


 ユークはそう告げた後、わずかに自嘲の笑みを口元に宿す。

「守ると言っておきながら、今までの俺は中途半端だった。結局そんな状態だったから、キミが危ない目にあったんだと思う。

だからそれじゃいけないんだって気付いた。俺はなにもかも失ってしまったけど、でも、だから、だからこそ……」


 ユークは一瞬だけ目を伏せ、笑みを消してまっすぐにアルフィを見つめる。

 片方の手が外され、その手のひらが頬に触れた。


「……――――今度は、せめてキミだけは。もう、怖い思いはさせないって」


 どこにいても、

 なにがあっても、


「キミを守るよ。

この〝世界〟にいる限り――――キミが危ない目にあったら、絶対にキミの元へ駆けつけるから」










 決意を込めた青い瞳に、笑みを浮かべて返した。

「……ばか。お前は過保護すぎるんだ」

 頬に当たる手のひらに己を重ねあわせる。

「別に完璧に守ってくれなくてもいいんだ。四六時中一緒に居たら私もお前も息が詰まるだろうし、お前が自分を犠牲にしてまで守る必要はないから」

 やんわりと、そう諭して。


「けど、まぁ。たとえ離れても、お前が駆けつけてくれるって言うんなら」

 その広い手のひらの、ぬくもりに頬を寄せた。

「お前が守ってくれるって言うのなら、怖いものなんてきっとなにもないよ」


 ユークは強いから。

 だから、きっと、信じられる。



「信じてる、ユーク」



 ぬくもりに頬を寄せ、アルフィは知らず微笑んでいた。

 目を伏せて、しあわせそうに。



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