鶏肉の葡萄酒煮込み 17
「ガイアス様ッ!」
荒い息で足元を見下ろしていた己に、高い女性の声が降りかかった。
顔を上げると、森の暗闇からするりと這い出るように黒い影が降りたつ。
「……よぅ、ラヴィ」
肩にハルバードを乗せ、ガイアスは軽い調子で手を上げた。
ラヴェンダーは自分自身も荒い息を繰り返しながら、けれどその様子に安堵したように表情を柔らかくした。
それからガイアスの足元に崩れ落ちている人影に視線を落とす。
「……」
「……終わったよ」
探るように目を細める彼女に、ガイアスはこう言った。
「間違いなかった。……手遅れだった」
「……そうですか」
ラヴェンダーはただそれだけを返した。
そして目を伏せたかと思うと、片手を自分の胸に当てる。
「お疲れ様でした」
「……ん」
小さなねぎらいの言葉に、一言の発音で返した。
がさ、と音がして、いくぶんか遅れたユークレースが姿を現す。手にはカンテラを持ち、ほのかな明かりを宿していた。頭や体のところどころに葉や枝がついているが、大きな怪我はないようだった。
「ようタイチョー。ずいぶん色男になったな」
「赤獅子の人気には負けるさ」
相変わらず表情がないが、皮肉を返すほどの余裕はあるようだ。
ユークレースはその首をぐるりと見回し、ガイアスの周辺を確認した。そしてガイアスの足元に横たわる騎士の亡骸に視線を合わせる。
「今回の親玉だよ」
ガイアスがそう説明した。ユークが頷く。
「成功したのか」
「ったりめーだろ? オレを誰だと思ってんの」
ふん、と得意げに笑うガイアスはそのまま後ろに下がる。
「で、お前らの方はどうなの?」
「こちらも概ね成功した」
ユークがそう答える。ラヴェンダーは隣で視線を逸らしていた。
「……おおむね?」
ガイアスが首を傾げる。もとよりユークとラヴェンダーは敵をかく乱する役割だ。
「おおむね」
ユークがもう一度言う。
ふと、ガイアスは首筋を伝う感覚に身震いした。戦場に立つ戦士ならば馴染み深い、周囲の気配。
連想される現在の状況に、ひくりと頬を引きつらせる。
「………………まさかお前ら」
現在、ガイアスはガイアスでそれなりに疲労困憊である。
傀儡化されたとはいえ実力者であった敵将および周辺の護衛部隊と単独で戦った。疲弊していないはずはない。
合流した二人を見る。かく乱を主とした二人はガイアスよりも数の多い魔物と戦闘する役割だった。周囲を敵に囲まれながら派手に動き回らなければならない。しかも馬車の場所からここまでそれなりに距離がある。ほぼほぼ全力で駆けてきたのである。疲弊していないというほうがおかしい。
しかも日が落ち、辺りは暗闇に閉ざされている。月が出ているため目を凝らせば周囲を見渡せるが、昼間よりも見通しが悪いのは確かだ。
そのようなこと、理解しているはずの青灰色の青年は表情を変えずしれっと言い放った。
「思ったより多くて」
「囲まれてんのかオレらッ!?」
さすがにくらくらしてきた。
「ちょ、おま、マジかオイ」
だがユークレースは顔色を変えない。カンテラの灯りのみで顔色が見えづらいから、という理由でもない。きっとない。
「敵将は倒したからそこまで大変じゃないだろ」
ガイアスはラヴェンダーを見た。彼女はやや暗い顔をしている。
「……残り少ないわ」
ボウガンを見せ力なく笑う。対集団戦において全体攻撃を繰り出せる彼女がカギだが、いつまでもつかどうか。
ガイアスはユークを見た。無駄なあがきのような気がするが、それでも言わずにはいられない。
「いやあの、オレら結構満身創痍じゃね?」
「この程度で満身創痍?」
不思議そうに首を傾げられる。表情があまり動かないのが怖い。
「まだ戦えるだろ?」
その瞬間、ガイアスは半眼になった。
「……鬼、と言われたことないか?」
「あぁ、懐かしいな。昔よく言われてた」
だが俺はまだマシなほうだし、とユークは肩をすくめる。
「たかが三十、四十程度の残り物を相手するだけだ。俺たちなら平気でしょう?」
ガイアスはいろいろ悟った。
逃げ道のない状況。そして彼の采配。持てる力の最大限まで見通した観察眼。
「……お前どんだけ修羅場乗り越えてきてんの」
思わず呟く。ユークは意外そうに片眉を上げた。
「これぐらいだと生ぬるいものだけど」
「ぜひその体験談聞きたいねェ……――――〝後輩〟として」
「……来るで」
ラヴェンダーが低い声でそう言った。構えたボウガンを森の方向へ向けている。
「あーもう分かったよやりゃいいんだろ!」
ガイアスはやけになったように叫び、ハルバードを勢いよく振り回し構えた。
ユークもカンテラを地面に置き、剣を構える。明かりがなくなれば頼れるのは己の実力のみだ。
ぞわり、と周辺の暗闇が動く。
その、瞬間。
――――――――ドン、という爆発音と共に轟音。地響きが起きた。
「な、なんだ!?」
思わずバランスを崩したガイアスは、咄嗟にハルバードの柄で体を支えた。
ラヴェンダーが地面に膝をつき、周囲を見回している。その瞳がふと、空を見上げた。
「なっ」
息をつめた彼女の様子に、ガイアスは思わず空を見上げる。
それと同時に。
視界が真っ白に塗りつぶされるほどの光と共に、耳をつんざくような爆発音が、三人を覆い尽くした。
軋む床は、歩くたびにキィキィと音を立てる。
銀竜ジークハルトは腕の中で大人しい。硬質な感触と暖かいぬくもりだけが、今のアルフィリアを支えていた。
玄関から入ると崩れかけた階段が見え、それを正面に大広間が迎える。赤い絨毯の敷かれたそこは、荒れ果てる前は豪華な造りをしていたのだろう。
薄暗く、物は散らばっているが閑散としていた。
倒れた燭台、散らばる家具。けれど足元は歩きやすい。
二階へ続く階段は途中で崩れ、上に上がることは出来ないようだった。
見回すと、一階にもそれなりに部屋があるらしい。
意を決して歩く。ぴりぴりとした魔力の気配。歩くたびに強くなるそれ。
ひとつひとつ、部屋を覗き込む。大きな食堂。居間。使用人の部屋らしき小さな部屋。
一歩、一歩。踏み出すたびに、気配のない空間へ音が響く。
「……誰も居ないな」
「キュ」
見回したところ誰かが使用した形跡もない。埃が被り、あるいは賊が入り、金目のものは持ち去られているようだ。
「なんなんだろうな、ここは」
ぼんやりと呟く。なぜ山奥にこんな屋敷があるのか。ここは何の目的で作られているのか。アルフィにはさっぱり分からない。
ただ言えることは、この屋敷はずいぶんと長い間打ち捨てられていたようだ。
目についた扉に手をかける。キィ、と音を立て扉が開いた。
そこは小さな部屋で、階段があった。下へ続いている。
ふと首を傾げた。
「……埃が、ない」
色あせた手すりに、白く積もった埃の跡がない。床も比較的綺麗なように感じた。
「……」
こくり、と無意識に唾を飲み込む。抱きしめる腕の力を強くした。
「ギャウ」
「あ、ごめん」
強すぎたらしい。ジークから控えめな苦情が来て腕の力を緩める。
迷惑そうな声だったものの、降りる気はないらしい。ジークは大人しくアルフィの腕に収まっていた。
ジークが動かないならば、まだ、危険ではないということだろうか。
その希望的観測を支えに、アルフィは一度強く目を瞑ると、意を決したように階段へ足をかけた。
地下室。光の届かない部屋。埃臭いにおいがツンと鼻をうったが、空気の流れはあるようだった。
途中にあった燭台がまだ使用できそうだったので、ジークにろうそくへ火を灯してもらい、片手で持ちつつ階段を下りる。
ふたつ、扉が並んでいた。その先は行き止まりで何もない。
しばし迷い、まず手前のものへそっと手をかけると呆気なく扉が開く。
そこは小さな部屋だった。
部屋の中には誰も居ない。身を滑り込ませる。
部屋の中央にぽつんと机がある。その上のひとまわり大きい燭台に火をつけてもらうと、部屋が明るくなった。
本棚が壁一面に並んでいる。ところどころ空きがあるものの、大量の本が並べられていた。
机にも数冊置かれている。そのひとつを手に取る。
「……『魔王と勇者について』?」
おとぎ話の本らしかった。
ジークを机におろし、部屋を回ってみた。
他の本も手に取ってみる。『聖剣』『魔王』『勇者』『御使い』のキーワードが並んでいる。
研究した論文、歴史書、おとぎ話の本、解説書。種類は様々だが、同じ内容の物が集まっていた。
本棚をそのまま調べると、魔術の本も出てきた。魔術言語や魔方陣について、魔法の解説書、それから。
「『禁術の研究論』」
〝禁術〟についての本。
生と死。死体蘇生術。人体改造。不老不死。生命について。
魔物についての本。図鑑。
「魔術師、か」
机に埃はあるものの、上の階と比べると朽ちた形跡は軽いものだ。最近まで使用されていたと思われる。
そしてこの術書を見るに、魔術師である可能性が高い。
「……なんで、勇者と魔王の話を持っているんだろう」
眉を寄せる。
「……」
おとぎ話を研究して、なにをしようとしていたのだろう。
まだ、アルフィの懸念は分からない。
書物の匂いを嗅いでいたジークを呼び、同じように抱きかかえて次の部屋へ向かう。
そこも鍵がついてなく、広い空間が姿を現した。
一歩足を踏み入れたアルフィは、そのまま立ちすくんだ。
「…………なんだ、ここ」
呆然と呟いた言葉に、誰も返す者は居なかった。
――――床一面。壁一面に、魔方陣が描かれている。
腕の中のジークが低いうなり声を上げる。警戒と敵意を滲ませているものだった。
アルフィは息を飲みながら、一歩、その部屋に足を踏み入れる。むせかえるような濃い魔力の香りに酔ってしまいそうだ。
煉瓦の敷き詰められた地下室。むき出しの石。大きく描かれた魔方陣。壁にもびっしりと、複数の文様が描かれている。
燭台を手に、恐る恐る覗き込む。微量だがわずかに魔力を帯びている。
ひとつひとつ、塗料で描かれた魔術文字。文言。
「……拒絶。破壊。接触。再生。傀儡。安定。蘇生。……合成?」
ただ、読み上げる。目線から受け取る情報をただ、口に出す。
理解をするために。少しでもこの状況を理解するために。
「……――――変化。生成」
ぞくりと、背筋が凍る。
「これで、…………〝創った〟ん、だ」
なにか、〝あたらしいいきもの〟を、つくったのだ。
なにかと、なにかと、なにかを、かけあわせて。
生命が合わさり、魔力が合わさり、安定するように仕組まれた魔術言語。
アルフィは壁の魔方陣も見る。
「これは、増幅。増大。安定。忘却。あと、傀儡」
壁に描かれたものは魔力を増幅する魔術言語が刻まれている。そしてそれを支配するための言語。
「ええと、これは空間、断絶、あと、蘇生。変化。生成、と、閉鎖」
時折混ざる別の言葉。別文様の魔方陣は、中央の一番大きなものと同じような言語が並んでいる。
より効力を強くするために書き加えられたもの。
森の中に居た、ヒトの形をしていない魔物たち。
行方不明者。
その場にないものを出現できない魔術の理。
「……死体蘇生、じゃない」
ぽつりと、呟く。
「いや、死体蘇生もしたんだ。でも、それだけじゃ、ない」
腕の中で、ジークが身じろぎをした。だがアルフィは気付かず、壁の魔方陣を見下ろして呆然と呟く。
「魔物を――――創ってたんだ。禁術を、使って」
おそらく――――ヒトも、使ったのだ。
「でも、なんで?」
ジークが何か伝えようと動く。だがアルフィはそっと壁に手を当てた。
「なんでこんな大掛かりな〝禁術〟が使えるんだ? 〝世界〟が、許さないはずなのに……――――」
「ギャウッ!!」
突然ジークが大声を上げた。驚いてアルフィは思わず手を離す。
「わっ」
落下したジークは羽根を広げ、器用に床へ降り立つとそのまま背後へ回った。
そこでようやくアルフィは気付く。腰にある短剣が赤く震えていたのを。
「あ、」
ひゅっ、と息を飲み青ざめた。慌てて短剣を手に取り構える。
ジークが足元でアルフィを守るように威嚇体勢に入っていた。睨み付けているのは――――天井。
そして、
「な、」
なぜ気付かなかったのだろうか。
「まずい」
ぞっと駆け巡る悪寒に、アルフィは思わず叫んでいた。
「逃げるぞジーク! ここは、」
だが、遅すぎた。
壁の魔方陣が光を帯びる。
〝発動〟したのだ。
「――――罠だ!」
――――〝侵入者を確認後、排除する為の魔方陣〟
ねっとりとした魔力に気を取られ、目の前の光景に気を取られた。だからジークの様子に気づけなかった。
魔方陣が発動する。
アルフィの目の前にいくつもの文字が浮かび上がり、踊り狂い、光を発し、それはひとつの魔力となる。
――――拒絶。接触。空間。断絶。忘却。生成。閉鎖。
黒い煙のようなものが生成され、瞬く間に部屋を形成、覆い尽くす。
同時に天井からボタボタと黒い物がいくつもいくつも落ちてきた。それは床に這いつくばり、のそりと捻じ曲がった首を持ち上げた。
――――初めから、天井に居たのだ。
虚ろな目をした、異形の魔物。