鶏肉の葡萄酒煮込み 16
まさかこんなにうまくいくとはな。
背後より肩を抜けて斧の切っ先を相手の喉元へ突き付けながら、ガイアスは心の底でそう呟いた。
青灰色の青年の言ったとおりだった。
――――場を混乱させれば敵将へ戻る斥候の数も増える。そのうちの一体に着いていけば敵将の元へたどり着く。
――――場合によっては敵将自ら動いてくるだろう。それはそれで好都合だ。アンタは気配を消して、敵将の背後を取ればいい。
感情の見えない瞳で淡々と言い切った青年の言葉を思い出す。
彼が指をさした地図の場所。山の頂上付近、街道からも遠くない見晴らしの良い場所。敵陣のおおよその位置。
それすらも予想し、彼は至極あっさりと言い当てたのだ。この状況を。
具体的にどうするんだ、問いかけられたユークレースは表情を変えずに言った。
「これから敵の掃討に入る」
「……な、」
ガイアスは言われた言葉を反芻し、眉を寄せる。
「敵を掃討っつったってよ。どうすんだよ」
「見たところ相手は敵将以外が雑兵だ。頭のキレそうな奴もいない。ただ指示を受けて動いているだけの集団に見える」
なら、とユークは肩をすくめる。
「雑兵の集団を叩くには敵将を倒せばいい。率いる将軍さえ倒してしまえば烏合の衆、統率のとれていない集団ならば容易い」
そして三人顔を突き合わせ、乾いた地面に腰を落とした。
「場を把握するために、敵は戦闘する兵士とは別に斥候をばらまいているだろう」
地面に地図を広げ、ユークレースはそう言った。近辺の森をくるりと指し示す。
「俺たちが何処にいるかは大体の予想だが、敵の位置はだいたいわかる。恐らくこの辺り」
とん、と指差した山の頂上付近。街道沿いの高低差のある場所だった。
「なんでそんなことが言いきれるんだ」
ガイアスが片眉を上げて問いかけると、ユークは顔を上げた。
「街道から遠くない、見晴らしの良い場所。斥候が往復するためには、遠い場所に居ては情報が遅れてしまう」
「……?」
「魔物が襲ってきたところを見るに、敵の親玉は集団の中に居ないように思えた。だから何処かに潜伏し、俺たちの動向を探って後ろから命令を出しているのだと判断した。そのためには己の目と耳の役目である探索兵、および斥候が必要だ。逐一変わる状況を報告されるため、遠い距離だと間に合わない。だいたいの目安でこの辺りだと予想をつけた」
近すぎず遠すぎず見晴らしも良いところ。今は森の中に移動しているが、本来は街道沿いで用を済ませたはず。この状況から判断、目星を付けたのだという。
「けれど正確な位置までは分からない。だから相手に案内してもらう」
「案内?」
こくりと頷いたユークは、用意していたらしい、五つの小石を地図の上に置いた。
ひとつは先ほど指示した敵の位置。
そして四つは密集させる。
「相手の狙いが生きている人間なのであれば、今度は俺たちの捕獲に入るだろう。そして着実に捕獲、あるいは仕留めるんだったら、俺たちを分担させに来るはず」
「……孤立させて集団で狙う、か」
「だからあえて餌をまく」
ユークが四つ密集した小石のひとつを、別の場所へ移動させる。
「俺たちの一人を別行動させる。そうしたら相手はその一人を狙ってくるはずだ」
小石の周りをくるりと指で回す。
「敵の兵士があらかたこちらに集まってくるだろう。その注意を十分に引き付けた後、思い切り逃げる」
小石を左に移動させる。
「敵はもちろん追いかけてくる。その間に、」
三つ置いていた石の二つを、最初の石が移動していた方向へ動かす。
「残り二人は馬車を捨てる」
「なに?」
ガイアスは取り残された小石を見る。これは、馬車の役割のようだ。
「馬車を捨てて最初の一人が居る方向に向かう。そして、最初の一人を追いかける背後から奇襲を仕掛ける」
そうすれば場は混乱する。突然背後から別の者たちが襲い掛かってくるからだ。
「場を混乱させれば敵将へ戻る斥候の数も増える。そのうちの一体についていけば敵将の元へたどり着くはず」
「……囮になって場を混乱させて、あえてその情報を渡すんやねぇ」
ふぅん、とラヴェンダーが相槌を打った。ユークが頷く。
「……おい。馬車を捨てるのか」
任務はどうするのだとガイアスは眉をしかめるが、ユークは首を振って答えた。
「言ったはずだ、任務放棄すると」
ガイアスはもはや何も言わなかった。ユークは構わず続ける。
「ただ、問題はいくつかある。まず斥候を瞬時に見分ける必要があるが」
「集団の一番後ろにいる奴や。難しいものでもあらへんよ」
口数の少なかったラヴェンダーが割り込んだ。ユークが顔を上げ、その横顔を見る。
じっと地図を見下ろしていたラヴェンダーが、手を伸ばして小石の位置をずらした。
「ちなみに今居るのはここらへんやね。太陽の位置から判断するに間違いあらへん」
「……なるほど」
ユークが素直に相槌を打つ。ラヴェンダーはそのまま、すました顔で続けた。
「さっきこのへん周った時も、一人見つけたからちょいと始末しといたわ。良かったん?」
「おい」
ガイアスが焦ったような声を上げたが、ラヴェンダーは肩をすくめて答えた。
「ええやん。どうせユークは気付いとるで」
「しかし、」
「あんだけしといて今更やん。うちかて本当は嫌やけど、おっちゃんがユークに従う言うからうちも協力するだけや。
隠し事するよりはうちらの実力最大限使ってもろて、この場を切り抜けた方がええんやないの」
ラヴェンダーがガイアスを見る。ガイアスは眉をしかめてその視線を見返し、数秒後、ハァとため息をついた。
「……まーそれもそうだな」
ぽりぽりと頭をかき、気を取り直したようにガイアスは顔を上げる。
「話の腰を折ったな。続けてくれ」
「……光栄だな。そう思っていただけるのは」
意外なことに、今まで無表情だったユークが嬉しそうに笑っていた。
纏っていた威圧が緩和され、最初に会った時のような優しげな雰囲気に戻る。
「ありがとうございます、二人とも」
礼を言い目を伏せたユークは、けれど一瞬でその空気を切り替えた。
「その死骸はどうした?」
「隠しといたわ。さすがにそんなヘマせんよ」
骸が見つかれば、異変を知らせる情報も早く伝わるだろう。けれど分からぬよう隠したのだとしたらそれは時間稼ぎになる。ある程度、だが。
「なら、今しばらく準備の時間がありそうだ」
頷いたユークは話を続ける。
「問題は、誰が最初に動く囮役になるか」
小石をひとつ取り、ユークは顔を上げた。青い瞳が、まっすぐに赤い男の目を見つめる。
「ガイアス」
「……言われると思った」
すべてを言い切る前に、ガイアスは思わず突っ込みを入れた。
「一番危険な役どころじゃねーか。それって」
「そうだな」
「……一応聞いてもいいか? 理由を」
ユークが肩をすくめる。
「魔物から逃げ回るのに一番逃げ足の速い者が望ましいだけだ。理屈で言えば一番早いのはラヴィだろうが、武器が武器でもある。近接のものを持っているなら話は別だが」
ユークが探るようにラヴェンダーを見るが、ラヴェンダーは顔を引きつらせて首を横に振った。
「持ってはいるけど。集団と戦うにはあんまり向いてへんよ」
答えを聞いたユークが、再びガイアスに向き直る。
「そうなると単独で戦えて、ある程度逃げることが出来、最悪でも隠れることができる者。仲間と別行動を取ってもおかしくない者。俺達の中で一番の実力者であるアンタが、この役目に相応しいと思った」
率直な賛辞を含む物言いに、ガイアスは複雑そうに頭をかいた。
「……隠れる、ねぇ」
「前、浮気調査を解決したと聞いてる。気配消しの達人だと」
ガイアスは眉を吊り上げて答えた。
「なんで知ってるんだ?」
「以前の町で少し」
「お前らも居たのか。……ふーん、偶然だな」
呆れたように答え、ガイアスは小さく手を横に振る。
「オレはそこの黒いのの真似してるだけだよ」
ラヴェンダーは何も言わず、ただ眉をピクリと動かした。
「……しゃーねぇな」
しばしの間を置いたものの、予想をしていたかのようにガイアスは答えた。
「ま、お前に命かけるっつったもんな。これぐらいならしょーがねぇや」
「……感謝する」
「おいおいそんな神妙な顔しないでくれよ。もともとオレはこの役目に立候補する気でいたんだからな」
目を伏せるユークに、ガイアスはにやりと笑った。
「ようは敵陣真っ先に突っ込めるんだろ? ならやらせろや。面白そうだ」
「……そうか」
相槌を打ち、ユークは顔を上げた。
「それなら囮役はアンタに任せる」
青灰色の青年が手に持ったままの小石をとん、と地図に置く。
敵将に見立てた小石の隣に。
「場合によっては敵将自ら動いてくるだろう。それはそれで好都合だ。アンタは気配を消して、敵将の背後を取ればいい」
「リョーカイ。任せとけ軍師サマ」
おどけたようにガイアスはそう言った。
「ラヴィ、斥候の見分け方を詳しく教えろ」
「ほいな。ってもおっちゃんやし、言わんでも分かると思うけどなぁ」
ラヴェンダーは簡単にガイアスへ特徴を伝える。ふむふむと頷き続けたガイアスは、「分かった」と一言で締めくくった。
「オレはアルフィを探しに行くような雰囲気でいきゃいいか?」
「そうだな。この中で実力もあり単独行動をしても問題なさそうな人を、仲間探しに使ったと判断させよう」
ユークが顎に手を当て、考え込む仕草をした。
「俺たちが動くのに合図を送る必要があるか」
「うちが口笛吹くわ。よく使うねん」
ラヴェンダーが手を上げて主張する。ユークはこくりと頷いた。
「なら、頼む」
「オレはラヴィの笛が聞こえたら気配を消せばいいのか」
「方向は山頂の方。ひたすら上を目指してほしい」
「目印つけながら行くわ。車輪の跡でも辿るか」
簡単な打ち合わせになるが、時を争う状況下では致し方ない。それでも互いに己の行動を把握し、すべきことを見出す。
ふと。
そのさなか、ガイアスは問いかける。
「……しかしさっきから聞いてるが、これがアルフィを助けるのとどう繋がるんだ?」
青灰色の青年は「アルフィを助けるために動く」と言い放った。しかし先ほどから話しているのは敵の掃討作戦だ。アルフィを助けに行く、どころの話ではない。
むしろこの話は〝ガイアスとラヴェンダーの本来の目的〟に値する話だ。
だがユークは至極当然のように返した。
「繋がるさ」
「どこがだ……。敵を倒すだけで探すこともしてねぇよ。それともお前にはあのお嬢ちゃんの居る場所も目星がついてるのか?」
「探さないよ」
「は?」
あっさりと返され、ガイアスは口を開けた。ユークは肩をすくめる。
「アルフィが俺の元へ来るから。俺はそれを待つだけだ」
「……。……何故そう言いきれる?」
眉をしかめたガイアスが問う。ユークはふと、口元に笑みを浮かべた。
目を細めて、口元を吊り上げた――――不敵な、笑み。
「俺の相棒だからな」
「……ずいぶんな信頼だな」
ガイアスが呆れたようにそう言った。
ユークはなおも続ける。
「アルフィが俺の元へ帰ってくることは事実だから。それならまず俺がやることは彼女が〝無事に〟帰って来れるよう、状況を整えることが先だ」
それには敵の存在が邪魔である。
ユークの考えが正しければ敵は狙ってくるはずだ。それぞれの〝生きている人間〟そのものを。
アルフィと逸れた今、彼女を傍で守ることは出来ない。それならば彼女が襲われない環境にすればいい。
「無論、これが終わった後に捜索にも入るが」
付け足しのようにそう加えられた後、青の視線が地図上に落ちる。
「だから、まず邪魔者を掃除する」
つとめて冷静にそう伝える、ユークレースの顔に笑みはない。
ガイアスは何も言わなかった。
言葉だけを聞いていればただの希望的観測に過ぎない。だがユークの態度を見るに、なにか確信を持っているような物言いだった。
状況を冷静に判断する彼ならば、アルフィのことのみ蔑ろにするわけがないだろう。おそらく彼の中で答えが出ているはずだ。あるいはこの作戦後、アルフィを救出するための策があるのか。
だからガイアスはそれ以上何も言わない。ラヴェンダーはガイアスに従うつもりなのか、同じくそのことに触れなかった。
ガイアスは、青灰色の青年にかけてみることにしたのだ。
彼のみにしか知らない事実、彼の確信に、己もまた乗ることにした。
思考の淵から戻ったのは、突き付けられた斧をものともせず、くるりと目の前の首が動いたからだった。
その赤茶色の瞳がまっすぐに向けられ、ガイアスは思わず目を細めた。
目の前に居る、ガイアスとラヴェンダーの〝本来の目的〟。
「……――――久しぶりだな、マキシアス・エンレイ」
親しげに呼びかける声にも反応はない。すすけた色の、もとは金色の髪。赤茶色の瞳は光あふれていたというのに見る影もない。
年若いともいえる青年だった。身につけている甲冑は薄汚れて血にまみれている。だがガイアスは知っていた。汚れを落とせば白銀に光り、胸に聖王都のシンボルが輝くことを。
その鎧は、聖王都の騎士団である証だった。
名を呼んでも反応のない顔。どこかぼんやりとしたような、隠しようもない敵意を滲ませたもの。
声のない反応にガイアスは口を引き締める。
「そうか、オレを忘れたか?」
鼻で笑う。
「ずいぶん恩知らずだな。……あっさり傀儡と化したか?」
ぎり、と歯を食いしばる。隠しようもない悔しさを滲ませて。
「街道でお前が盗賊を率いてるというのは本当だったか。できれば噂であってほしかったが」
瞬間。
側面からの攻撃を、咄嗟の動きでガイアスは弾き返した。
突き付けられた刃が外れたマキシアスは、その隙を逃さず跳躍。距離を置き、ガイアスと対峙する。
投げつけられたのは鋭利な小石だ。
攻撃は当たらなかったが、意識を逸らしたガイアスの周りを魔物が取り囲むには十分だった。
周囲を魔物に囲まれ、隠しようもない殺意を一身に受け――――ガイアスは笑う。
「本気でオレを攻撃する気か。……堕ちたもんだな」
ぎちぎちとぎこちない動きで、正面に対峙したマキシアスは腰の剣を抜いた。
半開きの口からうめき声ともつかぬ声が上がる。
コロセ、コロセと。指示を与えるその声。ただガイアスの姿を敵としてしか認識しない敵将の姿。
ガイアスは、ちらりと足元に視線を落とした。転がるのは薄汚れたチェスの駒だった。泥に汚れ、地面に散らばるそれと、周辺の地図。
「……闘志のみ残ったか。常に戦争を望んでいたお前らしいな」
顔色一つ変えず、ガイアスは呑気にそう言った。
「場合によってはお前を連れて帰る予定だったが……それじゃあ、仕方ない」
一度肩にかついだ白銀の斧をくるりと片手で回し、両腕で固定。腰を低く落とし、ガイアスは目を細くした。
「……せめてもの餞だ。オレが手を下してやるよ」
ぎこちなく動かす剣が、頭上を指し示す。それは攻撃開始の合図。
うめき声をあげ動き出す周囲の魔物たちに、けれどガイアスは低く言った。
「――――攻くぜ、亡霊。死ぬ覚悟はできているか?」