鶏肉の葡萄酒煮込み 14
「ガイアスさん」
ユークレースは俯くガイアスに声をかける。ガイアスは顔を上げた。
「地図、貸してください」
「ん? おう」
わざわざ立ち上がって馬車に戻ったガイアスは、その手に地図を持ってきた。馬車の移動時にいくつか荷物が吹っ飛んだようだが、幸い無くしていなかったようだ。
礼を言って受け取る青年の顔を見ながら、ガイアスはふと、首を傾げる。
再び木の幹に腰を下ろし、広げた地図に視線を落としたユークは平常時のような顔をしていた。
唇が少し切れているようだが、焦りも、怒りも、何も浮かんでいない。
それにしたって、とガイアスは思う。
ずいぶんと落ち着いている。……いや、
纏う気配が、変わった?
「さっきから何してるん?」
馬車の中にある矢筒を確認し終えたらしいラヴェンダーが、ひょいとユークの後ろから覗き込んだ。
「考えています」
「これからのこと?」
「ええ」
短く答えるユークの表情はいつもと変わらぬようだ。笑みがないだけで。
「何か思いついたん?」
「とりあえずは」
「……へぇ」
この状況下で次のことを考え付くとは。ガイアスは興味深そうに返事をする。
「これからどうするんだ?」
「俺がすることは最初から決まってます」
ひとつ息を吐いてユークは地図を折りたたむ。
「任務放棄して、アルフィを助けに行きます」
「…………は?」
あまりにもきっぱりと言い放った言葉に、さすがのガイアスも絶句した。ラヴェンダーも目を丸くしている。
「ちょ、ちょ、ちょっと待て兄ちゃん! 今なんつった!?」
「任務放棄します。クエスト放棄します。失敗でいいです。俺はアルフィを助けるために動きます」
「丁寧に言わんでいい一回でいい! お前、自分が何言ってんのかわかってんのか!?」
慌ててガイアスが引き留めに入るが、ユークは静かな瞳を向けた。
「分かってるつもりですよ。冒険者にとって任務失敗がどれほど不名誉なことなのか。
けれど俺はアルフィの護衛です。……それが、任務達成の名誉よりも大事なことだ」
迷いのなく言い切る言葉に、ガイアスはそれ以上言葉を続けられず息を飲む。
――――宵闇のような濃蒼の瞳。その目を見た瞬間、〝気圧された〟。
「それに、」
ユークは立ち上がりながら、ラヴェンダーを振り返る。ラヴェンダーは息を飲んで固まったままだったが、ユークの視線に顔を上げた。
「お二人にも本当のクエストがあるんでしょう?」
ラヴェンダーが目を見開き、続いてすっと表情を消した。感情の波が消え、暗い闇の光が宿る。
ユークレースはその表情の変化を見ても、動じることはなかった。予想していたかのように。
「だからここで任務放棄しても何も痛くないはずですよね。その〝本来の目的〟に取り掛かれるんだから」
「……どうしてそう思うんだ? 兄ちゃん」
ガイアスが口元を歪めながらそう問うた。いつのまにか、その手に折りたたまれた斧を持っている。
ユークは振り返ると、肩をすくめた。
「勘ですよ、ただの」
「ほぅ?」
「違っていたらそれで良かったんです。けど……――――その様子じゃ、本当のようだ」
目を細めたユークが言う。事実を確かめるように、ただ、当たり前のように。
表情を消したユークに、ふとガイアスは思い出した。
酒場で見せた表情。――――笑みを消した、あの気配に似た空気。
だが、――――違う。
あの時とはまるで違う、纏う雰囲気。その表情。
唐突に感じる。
――――今、目の前にいるこの青年は誰だ? と。
「……」
頭をよぎる言葉を首を振り胡散させた。やれやれ、とガイアスは肩をすくめる。
そうして――――ニヤリと、笑みを浮かべた。
「兄ちゃんをナメてたな。いや……隠してたのか?」
「ガイアスさんに活を入れられましたから。……少し、昔の勘を取り戻しただけです」
「マジか、オレのせいか。こりゃ失敗したかな」
はは、とガイアスは軽く笑う。そしてユークを見て、赤い目を細めた。
「じゃあついでに、その喋り口調止めろよ。――――〝ツクリモノ〟過ぎて寒気がするわ」
「……そうですか」
ユークレースは一瞬だけ目を伏せた。そして、
「――――……ならば、そうさせてもらおう」
顔を上げる。瞬間、
――――その気配が、変わる。
ガイアスは思わぬ変動に目を見開いた。
全身を覆う威圧。がらりと変わるその表情。
頬をつう、と知らず汗が流れる。
思わず消えた笑みを無理やり戻し、ガイアスは引くついた唇を引き上げた。
……これは、これは。
ちらりと横を見る。ラヴェンダーは思わぬ事態の変化に硬直しているようだ。
その手が無意識だろう、己の武具を掴んでいるのを見て内心苦笑する。――――敵だと認識をしたわけではない。おそらく〝未知の存在〟に、知らず自らの防衛本能が働いたのだ。
ガイアスは視線を逸らし、背筋をまっすぐ伸ばして目の前の青年を見据える。
――――この〝気配〟と対等に渡り合うには、ラヴェンダーでは〝若すぎる〟。
だからガイアスも〝本来の〟表情で、口元を吊り上げた。
「正解だよ兄ちゃん。オレたちはアンタらを〝囮〟にした」
「……っ、ガイアス様!」
「いいよラヴィ。どうせこの兄ちゃんは気付いてる」
ラヴェンダーが焦ったように呼びかければ、ガイアスは肩をすくめる。それから困ったように頭をかいた。
「けど、アルフィが逸れたのは予想外だったんだ。アンタはともかく、アルフィに危険はなるべく向かせないようにするはずだった」
「……様子を見ていればわかる。でなければ俺はこの任務、引き受けさせなかった」
「そんなに早くから感づいてたのか? 察しがいいな」
ガイアスは面白そうに眉を上げるが、ユークの表情は変わらない。
「いつから気付いてた?」
「……確信を持ったのは二度目の襲撃の時だ」
ユークは答える。
「そもそも最初の襲撃の時からおかしかった。俺たちはまだ荷物を運んでないはずだ。それなのに襲ってきた。
葡萄酒が目的なら帰りの工程で襲われるはずだ。荷物を奪えば済むことだからな。けれど葡萄酒を持っていない段階で奴らは襲ってきた……しかも、最初の襲撃はともかく二度目の襲撃の時でさえ、馬車を狙わなかった」
「……最初はオレらが先手を打ったっつーのもあるしな」
「酒場での話もおかしかった。『帰ってこないやつらが多い』って、それは何故だ? 何故、馬車を運ぶ人間まで始末する必要がある? 怖い噂を立てるため? 運ぶ人間を少なくするため?
しかし効率が悪い。それならば〝殺した人間は人目のある場所に晒される〟のが望ましい」
街道に入った人間はことごとく惨殺される。ただそれだけの事実で、噂は恐ろしいものとなる。
だがそうではなかった。〝死体は消えた〟のだ。いや、〝動く死体となった〟という噂があるだけだ。
葡萄酒の運びをなくしたい。その利益を独占したい。だが街道は封鎖をしたくない。
この二つの理由は相反している。そして――――別の目的がある。
「すなわち奴らの目的は――――生きた人間そのものだ」