鶏肉の葡萄酒煮込み 12
絶命している獣に軽く黙祷をささげ、アルフィリアは顔を上げる。
「行くか、ジーク」
「キュ」
いつまでもこの場所に留まっているわけにはいかない。地図を見ていたユークが「広い山だ」と言っていたのを思い出す。
捜索の手を待つよりは、自分から動いた方がいいだろう。魔物が襲ってくる危険性があったが、身を隠していても状況は変わらない。
幸い、ここにはジークハルトがいる。己の主人――ユークレースの元へ導いてくれるはずだ。
案の定ジークの歩みに迷いはなかった。ぽてぽてと先導するように歩きにくい山道を進んでいる。
傍に転がっていたジークの居たカバンを持っていこうとしたが、迷った末に止めた。今はなるべく身軽な方が動きやすいだろう。また新しいカバンを買わなければならない。
肩の痛みは薬草の効果なのか、だいぶ軽くなっていた。体も問題なく動けるようだ。
だが、空を見上げると日が傾いていた。ぐずぐずしていたら夜になってしまうだろう。
「ユークのところまで遠いか? ジーク」
「キュウ」
「……肯定の意味なのか? うーん、少し急いだ方がいいのかな」
いまいち把握できないジークの返答に首を傾げながら進む。
草を踏む音を聞きながら、しばらくは黙っていた。
日は出ていたが、生い茂った森の影響からか薄暗く感じる。気持ち肌寒くも感じた。
……いや、肌寒く感じるのは気候のせいだけではないのだろう。
「なぁ、ジーク」
話しかけると、ジークは歩みを止めて振り返った。アルフィは「歩きながらで良い」と首を振って促し、再び前を向いて歩き出すジークの姿を見て、話を続ける。
「お前は分かるのかな」
ジークが首を回して、アルフィを見る。赤い瞳に苦笑を返し、こくりと喉を鳴らした。
「……――――この場所に、魔力があること。お前は感じるのか?」
ジークは首を傾げて答えた。
肌を刺すぴりぴりとした気配。
その中に、まるでむせ返るような、深く甘くどろりとした重い魔力が混じる。わずかな不快感を感じる程度で薄い気配だが、確かに感じる。
先ほどまでは別の者が共に居たため、言いだせなかったことだ。
山に入ったころから感じていたことだ。――――この山は、魔力の残り香がある。
強い魔法を使うほど、魔力の〝気配〟は〝残る〟。
それは同じ魔法を扱う者にしか感じ取ることのできないものだ。
今までは生粋の〝魔術師〟がいなかったため、誰も気付けていなかった。おそらく魔術師ギルドから調査が入っていれば気付けたはずである。
強い魔法。
詠唱では危険が伴う魔法を使用する際は〝空間〟を用いることもある。
魔術言語を描き、〝魔方陣〟と呼ばれるものを描く。詠唱とは違い持続性もある。ようは魔法装置の大掛かりなものだ。
例えば聖王都を守る巨大な結界などはこれに該当する。聖王都は一般人では気付けない大掛かりな防衛の魔法が施されているというのは公然の事実である。聖剣を守るためともいわれているし、その聖剣自体が楔を示しているらしいとも言われているが。
魔法装置や魔具の類は、この〝魔方陣〟を簡略化し、道具に施したものを指している。
つまりこの山で〝強い魔法が使われた〟のだ。恐らく大掛かりな魔方陣を使用して。
そして二足歩行の魔物が現れた時に感じたこと。恐らく、アルフィのみが気付いたこと。
強い魔力の気配。あの獣からも漂ってきた、黒い匂い。
「結界が張られているのかな」
〝場〟に残る気配はともかく、あの魔物から発せられる気配すら山に入るまで気付けなかったのだとしたら、それは相当に強い隠蔽工作だ。
それほど隠したかったのだ、この現状を。
隠したかったもの。
魔物の虚ろな目。二足歩行。空虚で真っ暗な光。ぎこちない動き。
――――魔術言語。
それはひとつの理を崩す物。特定のキーワードと発音を用いて、超自然現象を可能にするもの。
しかしそれには制限がある。――――〝その場にないもの〟を出現させることはできない。
――――運搬ルートに魔物が出るようになったろ。あれ、結構やられてんだぜ。
――――やられてる?
――――帰ってこない奴が多数出てる。
「……」
導き出す答えに、背筋がゾクリと凍る。
「キュー!」
呼びかける声に思わずはっと顔を上げた。いつのまにか考えにふけってしまったらしい。
慌てて周囲を見渡すと、距離が離れた場所にジークが居た。ぼんやり考えていて遅れてしまったようだ。なるべく急いでジークの元へ走れば、ジークはその場で待っていてくれた。
「すまんなジーク。……どうした?」
「キュ」
ジークは赤い瞳をくりくりとさせ、おもむろに鼻先で方向を示す。先ほどまで歩いていた方向と違うようだ。
視線を向けたアルフィは、息を飲んだ。
アルフィたちの立つ場所から見下ろした先、緩やかな斜面を下るとその先に、細い道がある。土をならしただけの簡素なものだ。
思わずこくりと喉を鳴らす。
アルフィたちの街道は一本道のはずで、山道は一日かければ村に着く距離だから、途中に宿など必要ない。だからわき道は作られていないはずだ。
この方向は――――明らかに、街道ではない。
「キュ」
どうする? とジークが問いかけているようだった。アルフィはその光景をじっと見つめた後、ぽつりと言う。
「……行ってみよう」
斜面を迂回し、細い道に降り立つ。
草や木を取り除いただけの簡素な道は、何かを運んだような車輪の跡があった。
道の先は森の先を続いている。
アルフィは唇を噛みしめると、その道を進んでいった。ジークも寄り添うように歩く。
そして道の先に、姿を現したのはぽっかりと空いた空間。そして、――――屋敷、だった。
石を敷き詰めたアーチ型の門。囲う外壁はところどころ崩れ落ちている。
その先には大きな屋敷だが、人の手が何年も加えられていないようだ。窓は割れ、煉瓦で出来た壁も崩れた部分がある。壁を蔦が多い、瓦礫が転がっていた。正面の門も鍵が壊れているのか半分開けていて、宵闇のような暗闇が見て取れた。
打ち捨てられた屋敷。あまりにも場違いな場所に、静かに佇んでいた。
「ギャウ」
ジークが警戒を込めた固い声で鳴いた。
「……そう、だな」
ジークがなぜ警戒したのか、アルフィにも理解できる。
――――どろりとした魔力を、屋敷から強く感じたからだ。
隠蔽されるように施された魔法。……山に満ちていた、魔力。それが、この場所は一層に濃い。
無意識に手首のブレスレットを握りしめた。
アルフィはしばし目を伏せた。
冷静に考えればこの場から立ち去ることが正解なのだろう。ジークハルトが場所を覚えているはずだ。
まずユークと合流して。ガイアスに事情を話して、この場所を教えて。場合によっては連れてきて。
――――ま、その悪いやつらを突き止めるのはオレらのすることじゃねぇよ。そういうのは専門家に任せるもんだ。オレらがやることは無事に葡萄酒を運ぶことだ。
ガイアスの言葉が頭をよぎる。
そう、アルフィの役割は犯人捜しをすることではない。謎解きをすることではない。葡萄酒を運ぶことだ。
加えてアルフィは負傷している。万全の状態ではない。
アルフィは戦えない。魔法は使えるが戦えないのだ。ジークもいるが、過度な期待は身を滅ぼしかねない。
だから。
だから……――――
「……――――すまない、ジーク」
アルフィは意を決して、目を開けた。足元でじっとこちらを見上げるジークをしっかりと見つめて。
「行っても、いいか?」
ジークハルトは何も言わなかった。だが、その瞳が理由を問うている。
アルフィは顔を歪めた。手首のブレスレットを固く握る。
「知りたいんだ。…………許せない、から」
自分の考えていることが正しければ、この事態は許せるものではない。
唇を噛みしめる。
「……私の懸念が、思い過ごしだと良い。それを、確かめたい」
願うようにアルフィは目を瞑る。
怖い。
怖い。
こわくて目を逸らしたい。逃げ出したい。
でも、にげたくない。
だって、
もし、そうなら、
〝魔王〟が、
「……ギャーーースッ!」
弾かれたように顔を上げる。
ジークハルトが顔を上げ、咆哮を上げた。魔物と対峙するようなものではないが、己を奮い立たせるような声だった。
その目がまっすぐにアルフィを捕える。
アルフィはじんわりと目に涙が浮かぶのを感じた。
「…………うん」
だいじょうぶだよと、言われたのだ。
きっと、だいじょうぶ。
補足説明。
前話にてジークが魔物を葬ることが出来たのは、
「属性攻撃+先制攻撃+クリティカルヒット」
のダメージスキル上乗せ……という裏話。
そう、〝属性攻撃〟なのです。