鶏肉の葡萄酒煮込み 6
「ちょ、ま、て、う、あ、アルフィぃッ!?」
真っ赤になったユークレースが、わたわたと意味もなく両手を動かしている。
もはや混乱しすぎて何を言ってるか分からない。その間もアルフィリアはぎゅう、と力を入れ密着してきていた。やわらかい感触がユークの腹に当たる。
「あ、まっ、ねぇ!? ど、どしたの、アルフィ! アルフィったら!」
両手に力を入れ縋り付いてくるアルフィに、ユークは傍目に分かるくらい狼狽した。上ずった声を上げ、それから視線を彷徨わせ、ぎくりと体を強張らせる。
同じテーブルについていた他二人が、にやにやとこちらを見ていたからだ。
「若いな」
「若いわ~」
「いや意味わかんないからっ! あぁもうアルフィ、離れなさい!」
混乱といたたまれなさのあまり、ユークは力任せにべりっとアルフィの体を離した。
ユークの手に阻まれたアルフィは、きょとんとユークを見上げている。そのままぽすん、と自分の椅子に落ち、俯いて座る格好となった。
ユークは若干乱れた衣服を整えつつ、アルフィからじりじりと離れる。
「……ある、ふぃ?」
警戒心を滲ませながら、少しばかり離れた場所よりユークが呼びかけるが、アルフィは俯いて答えない。
「あかんって剣士はん」
ラヴェンダーが苦笑して、席を立った。
「こーゆーときは引き離したらあかんって。優しくせんとなー」
よしよし可哀想にな、とラヴェンダーがアルフィの前に回ると、顔を覗き込んで頭を撫でる。
アルフィはぼんやり顔を上げた。そして。
「……あら?」
ぎゅう、と。今度はラヴェンダーに抱きついたのだ。
ちょうどラヴェンダーの豊満な胸のあたりに顔が埋まり、なんとも男たちには羨ましい格好である。
「なんやかわええな、甘えたいんか~」
よしよし、なんてラヴェンダーが悪ノリするから余計に目の毒だ。
「えーと、アルフィ?」
ユークが顔を引きつらせ、恐る恐る呼びかける。ただならぬ様子にようやく頭が追い付いたらしい。
「……やだ」
「んー?」
ラヴェンダーの胸に顔を埋めたまま、アルフィがぼそりと呟いた。
「いらい、うけない」
ふるふる、とアルフィが首を振る。豊満な胸が少し揺れる。
まるで幼子のような仕草だった。
「なしてー?」
「……」
ラヴェンダーが苦笑して理由を問いかけるが、アルフィは答えない。ぎゅう、と腕に力が籠り、ラヴェンダーは眉を下げてますます苦笑した。
「ガイアス様ァ。おひーさん、依頼受けたくないんですってー」
「……ふむ」
ガイアスが顎に手を当て、それからテーブルの上に視線を向けた。
ユークもようやく気付く。ユークが遠ざけたはずの果実酒のグラスが、空になっていた。
にや、とガイアスが笑う。
「ラヴィ」
ラヴェンダーに向かってガイアスが自分を指差せば、ラヴェンダーは心得たようにアルフィを引き離した。きょとんとしたアルフィに、ラヴェンダーはにっこり笑ってガイアスを指差す。
指の方向へ顔を向けたアルフィは、ニコニコ笑っておいでおいでをするガイアスを見つけた。誘われるがまま、ふらふらとアルフィは席を立つ。
ユークがぎょっとして動こうとするが、ラヴェンダーが立ちふさがるように止めた。ものすごい人の悪い笑みを浮かべて。
その間にガイアスの前に到着したアルフィは、ニッコニコ笑うガイアスがおもむろに両手を広げると、同時に。
誘われるがまま、がばっと胸に飛び込んだ。
「ちょ、アルフィーッ!」
焦ったようなユークの怒号が飛んだ。
「いやーおいちゃん結構いい年なんだがな。若い子に抱きつかれるってのはいいもんだな」
腕の中に収まるアルフィリアの頭を撫でて、ガイアスはまんざらでもなさそうに鼻の下を伸ばした。
ユークレースはその光景を見て、金魚のように口をパクパク開閉している。あまりの状況に思考停止しているらしい。
ラヴェンダーはそんなユークに立ちふさがりつつ、ニヨニヨと笑っていた。
「で、だ。お嬢ちゃん、依頼受けてくんね?」
頭を撫でながら、ガイアスはなだめるようにそう言った。優しく、幼子に言い聞かせるように。
アルフィは胸に顔を埋めたまま、ふるふると首を振る。
「なんで?」
「……」
その問いに答えない。ただ、ぎゅっと腕に力が入った。
「受けるって言わねェと、離すぜ?」
「……ヤだ」
ふるふる、と首を振る。離したくないらしい。
「じゃあ受けるか?」
それにも首を振られる。依頼はやりたくないらしい。
ふむ、とガイアスは一度天井を仰ぎ、それから攻め方を変える。
「お嬢ちゃん、葡萄酒目当てにきたんだろ? この依頼達成しねぇと飲めないぞ?」
「……」
ぴく、とアルフィが反応した。ガイアスが畳みかけるように話す。
「ワインはうめーぞ? お嬢ちゃんの飲んでる果実酒より、甘くて味わいがあってな……それで煮込んだ肉はほろほろ口の中で崩れるんだ。葡萄の香りがふわーって広がってな」
「……」
ぴくり、と体が震える。ガイアスはにんまり笑う。
「あとな、生の葡萄とかも食べられるぞ。ここのやつはな、そこいらのやつと違ってな。粒が大きくて美味いんだぞ」
「……」
「食べたくないか? 今のままだと食べらんねぇし、何より町の人が困ってるから人助けになんぞ?」
「……」
ぎゅう、と手が握られる。心動かされたらしい。
「なんなら依頼が解決したらおいちゃんが奢ってやってもいい。な? 一緒にやろうや」
「……」
優しくガイアスが言うが、アルフィは少し俯くと、首を小さく振った。
「んー? なんでだ?」
「……、」
ぼそ、とアルフィが呟く。ガイアスは聞き取れず、少しだけ腕を離して耳を寄せる。
「……、」
「ん?」
「…………こわい、もん」
ガイアスが顔を離すと、涙をためたアルフィがいた。赤い目に、涙をうっすら溜めて唇を噛んでいる。
「……」
思わずガイアスは閉口した。なんというか、いろいろな衝撃とかダメージとかで。
ガタッ。なんだか背後で椅子の倒れるような音がしたが、ガイアスはそれどころじゃなかった。
「うんならおいちゃんが守ってやろうそれなら怖くないぞ。そうだそれがいいなよしそうと決まれば今日は一緒に寝るかとりあえず」
「なにがとりあえずだ色ボケジジイ」
ひんやりとした声が聞こえ、ついでに肌を刺すような殺気を感じる。
ガイアスが顔を上げると、据わった目をしたユークレースが佇んでいた。
口の端が引きつっているものの、その顔はほぼ無表情だった。
綺麗な顔立ちをしている分、迫力がある。
「…………」
「とりあえず、彼女を離してください。今すぐ」
ガイアスが固まっていると、吹雪でも吹いているのかとでも錯覚しそうなほど冷たい声が、ことさらゆっくりとそう告げた。
同時に、まるで抜身の剣を突き付けられたような殺気が向けられていた。けれど少女が居る分、必死に押さえているようだ。青年の両手が強く握りしめられている。
ガイアスはきょとんとした。
だが次の瞬間、にやりと笑ってアルフィを引き寄せる。
「ヤだ」
「……」
ユークを止められなかったラヴェンダーが、片手を額に当てて天を仰いだ。
ガイアスの悪い癖が出た、と。
ガイアスの返答を聞いた直後、ユークの表情が変わった。
かろうじて浮かべていた笑みの形がかき消える。そして目を細めた。
瞬間、放たれる空気が変わる。
真正面からの威圧を受け、さすがのガイアスも息を飲んで口を引きつらせた。額から汗がつう、と流れる。
お互いぴくりとも動けぬ膠着状態。
奇妙な空間を遮ったのは、俯いたままのアルフィだった。ガイアスの腕の中に居たアルフィが小さく身じろぎする。
「……ん、あ? どした?」
ガイアスが視線を落とすと、アルフィが少し顔を上げた。それからおずおずと言葉を乗せる。
「……こわく、ない?」
「……あー」
周りの状況が分からないゆえの、会話の続きだった。なんと答えたら良いか迷ったガイアスは、微妙な顔をしたあと、それからコクコクと頷く。
「怖くない怖くない。ある意味おいちゃんの目の前にいるやつのほうが怖い」
「……こわい?」
「そう。あっちのほうが怖い。だから大丈夫だ。あれに比べれば魔物なんてな、ちっとも怖くねーよ」
そして安心させるように、頭をぽんぽん、と叩く。
「その魔物より怖いヤツがな、お嬢ちゃん守ってくれてんだぜ? だから大丈夫だよ」
「……だいじょうぶ」
「そうそう。……なぁ、だからおいちゃんたちと一緒に依頼受けようぜ? おいちゃんたちだって助かるし、お嬢ちゃんも葡萄酒飲めるし」
懲りずに再度問いかければ、アルフィはしばし考え込んだ後――こくりと、頷いた。
「うーっし決まり」
「詐欺師……」
ラヴェンダーが呆れたようにそう言うが、ガイアスは構わずにやりと笑う。
「……そろそろいいですよね」
先ほどよりは威圧を緩和させたが、相変わらず無表情でユークが問いかけた。
そして答えを聞く間もなく、無造作にアルフィを奪い取り、膝下に手を回して抱え上げる。視界が回ったアルフィはきょとんとし、ぼんやりと顔を上げた。
「……ユーク?」
「戻るよ、アルフィ。飲みすぎだ」
ガイアスよりも少し柔らかく、けれど強張った顔でユークはそう言い、アルフィを抱えなおす。それからガイアスを睨んだ。
「依頼の話は後日改めて。アルフィが起きてから彼女の意志をもう一度聞いてみます。俺の雇い主は彼女なので、俺一人の独断で決められませんから」
「あ、あぁわかった」
「ここは奢ってくれるんですよね?」
「まぁ、約束だったしな」
「ではこれで失礼します」
ユークは二人に向けて軽く頭を下げ、足元の荷物を器用に持つと、アルフィを抱き上げたまま宿の方へ引き上げていった。
……大衆の目を、もろともせず。
「うーん他にお客さんおるんやけどな。すごいな剣士はん」
ラヴェンダーが思わずひとりごちる。酒場は賑わっているものの、ぐったりした女性を抱えた見目麗しい男性、という組み合わせはどうしても目立つ。
ガイアスが愉快そうに笑った。
「若いっていいねェ」
「笑い事ちゃうわ、ガイアス様」
「笑い事でいいんだよ。いやー面白かった」
「こっちは胆冷えたわ。なんやねんあの殺気。ガイアス様よお平気やったね」
「あんなん本気じゃねーし。ま、ちょっと尻込みしたけどな」
階段に消えたユークの後ろ姿を見て、ガイアスはにやりと笑う。
「あー、クエスト一緒にやってくんねーかな。マジで」
「……無理とちゃう?」
アルフィはともかくユークが反対しそうだ。ラヴェンダーは呆れたように呟いた。
足音荒く部屋に戻ったユークは、けれど部屋に入ってきた時とは裏腹に、優しくアルフィをベッドの上に降ろした。
アルフィは抱え上げられた時からぐったりとしている。顔を覗き込むと赤い顔で苦しそうだ。
部屋に入ってきた時の契約主の荒さに驚いたのだろう。ユークのベッドの上で固まっていたジークハルトが、おずおずと傍に寄ってきた。ぐったりしたアルフィを心配したらしく、鼻をすんすんと嗅いでいる。
「……酔ってるだけだよ。大丈夫」
ジークの頭を撫で、疲れたようなため息一つをこぼす。胃の中がむかむかして、不愉快な気持ちが腹の底にたまっていた。それを吐き出すように息を吐く。
苛々した様子の主にジークがびくりと体を強張らせるが、ユークはそれに気づかない。
ガイアスに抱きしめられた姿が目に浮かんだ。形容しがたい感情が湧きあがり、険しい顔のまま立ち上がろうとすると、アルフィの口から苦しそうなうめき声が漏れた。
「……」
視線を向けると彼女は眉をしかめている。薄く汗をかいているらしい。……つまり暑そうである。
ユークは何も考えず、立ち上がりかけた体を戻し、少しアルフィの体を起こすと上着を引き抜いた。
アルフィのほっそりした肩が現れる。ついでに靴も脱がしてやる。
元のように横たえ、襟もとに手を伸ばす。少し緩めてやるとアルフィの顔が緩んだ。それに安心した時。
「……ん、」
吐息のようなそれが、ユークレースの耳を打った。
思わず手が止まる。
すぅ、と小さく寝息を立てる半開きの唇に目がいった。気持ちよさそうに目を閉じる無防備な顔。
襟元に伸ばした手。首筋から華奢な鎖骨が覗いている。わずかに赤みを帯びた白い肌は触るとすべすべして気持ちよさそうだ。横たわる小さな体は、けれどまろやかな女性特有のふくらみを持っている。
抱き寄せた体がすっぽり腕に収まったのは先ほど経験済みだ。その体が柔らかいのも。
――――服を脱がせても、起きない。
無意識に唾を飲み込んだ音に、我に返った。
自分が何を考えていたか一瞬で理解したユークレースは、その瞬間飛び退くように寝台から遠ざかる。
悲鳴こそ上げなかったが内心は絶叫していた。頭に血が上ったのを感じ、顔が酷く熱い。
「…………っ」
横たわる姿から無理やり視線をはがし、ユークはぶんぶんと頭を振った。
「、な、に、を、……」
考えて、いるんだ。
心臓がばくばくと煩かった。顔が火照っている。前髪をくしゃりと握り潰し、ユークはその場にしゃがみこんで頭を抱えてのた打ち回りたい衝動を必死に抑えた。
同時に再び浮かぶ先ほどの光景。胸の奥がじわりと暗く濁る。
「……んぅ」
背後から聞こえる小さな声に、またもやびくりと肩を跳ねさせた。
だらだらと汗が噴き出るのを感じる。
振り返りたい、振り返ってアルフィを見たい、いや何かダメな気がする。
甘い声が耳に焼きつく。
腹に当たった感触が思い出される。
ちょっと待て落ち着け頭を冷やそう。
とりあえず今はここに居てはいけない。
口元を片手で押さえたユークは、そのまま逃げるように洗面所へ駆け込んだ。
備え付けに置いてある水にかばりと手を入れ、頭に叩きつける。そこでようやくユークは上着も脱いでいないことに気づいた。
ぽたぽたと水が滴り落ち、上半身に大きな染みを作る。
「……………………なにやってんの俺」
よくよく考えたら食堂でもエライことをやらかしたような気がしなくもない。
深く考えれば今度こそのた打ち回るような気がして、ユークは途方にくれたような顔で波打つ水面を見つめていた。
「グェー!」
なんだか焦ったようなジークの鳴き声が聞こえた。
何事かと慌てて飛び出すと、アルフィの寝台がばたばたと大事になっていた。アルフィがジークを引き寄せ、むぎゅう、と抱きしめている。
ジークは逃れようと羽根を動かしたり手や足を動かしていたが、アルフィの力が思ったより強いらしく、逃れることができないらしい。それとジークもうろこや爪でアルフィを傷つけないように、むやみやたらと動かせないようだ。
「……………………」
びくっ。ジークの体が強張り、おずおずと視線がその方向へ向く。
己の契約主と目が合い、さらにびくっとした。
「……………………ハァ」
ユークレースは水を被った姿のまま、心の底からため息をついた。
鳥の声に、意識が浮上する。
と同時に、ぐらりと視界が揺れ、ついでに頭痛がアルフィを襲った。
「…………うー? なんだ、頭いた……」
我慢できないほどではないが、胃の中から微妙に不快感が上がる。気持ち悪さを抱えながらゆっくりと体を起こすと、ぬるいタオルが額から滑り落ちた。
それを拾おうとして、ふと、腕の中に固い感触があるのに気付く。
「……ジーク?」
白銀の子竜が、なぜかやたらぐったりして寝ている。呼びかけると、竜は眠そうに瞬きをして「キュー……」と弱々しく返事をした。
約束を守ってくれたらしい。……なぜか疲れているみたいだが。
「……んー、なんだ、」
体がベタベタして不快感がある。シャワーを浴びないまま寝たようだ。眉をひそめ、体の不調にさらに不快になりながらもアルフィは記憶を反芻させる。
昨日は、たしか。
「……――――起きた? アルフィ」
冷ややかな声が聞こえ、アルフィはビクリと体を強張らせた。
恐る恐る首を回すと、隣のベッドに座っていた青年が、にっこりと笑った。
……有無を言わせぬ笑みで。
「その、ユーク」
「なに?」
「……なにか、あったのか? その、……途中から、覚えて、なくて」
クエストの話をしたのは、なんとなく覚えている。
あとふわふわした体と気持ちよかったことと、あとなんだかすごく暖かいものが欲しくなったことと、それから……大丈夫だと言われて、頷いたような。
ユークは目を細めた。
目が笑っていない。アルフィは思わず息を飲んだ。なにか地雷を踏んでしまったような。
「……覚えてないんだ?」
ひくりと、口元を引きつらせる。
そしてアルフィは朝っぱらからユークのお説教と、ついでに飲酒禁止令を言い渡された。
……やりすぎたか?
酔ったアルフィがユークに抱きついて一晩明かし、ユークが延々と悶々……というのもオイシイと思ったのですが。
アルフィ隠れスキル『抱きつき魔』
隣接した対象1人のMPを減らし、HPを回復させる。
バッドステータス:泥酔 発動時のみ
ユーク固有スキル『笑顔威圧』→上級スキル『無言威圧』
周辺2マス内にいる対象の動きを封じる。上級スキルになると停止時間が長くなる。
ただし対象が自分よりレベルが低くないと効果がない。
……なんて、ね。