鶏肉の葡萄酒煮込み 4
葡萄酒が発展したとなれば当然、付け合せの料理も発展してくる。
むしろ葡萄酒は料理に使うよりもそのまま飲むほうが主流だ。
そんなわけでラヴェンダーに連れてこられたのは、営業開始直後の酒場だった。簡単な食事も出してくれるという。
ついでに言えば二階は宿屋、という一般的な場所だ。やや質は悪いらしいが「ここいらはどこもおんなじだぜ」とガイアスに言われ、勧められるがまま一室を取り、荷物を置いて食事に赴く。
その際、ユークとアルフィは旅装束を脱いで簡単な服装に着替えていた。そしてジークハルトはお留守番だ。
「む」
運ばれてきた料理を一口食べ、アルフィリアはぴくりと体を強張らせた。その様子を見て、隣に座ったラヴェンダーがニヤニヤと覗き込んでくる。
「な、言うたやろ? うまいやろ?」
「うむ。少し癖があるがコクのあるチーズが絶品だな」
アルフィが食べているのはさまざまな種類のチーズを混ぜたチーズリゾットである。ベーコンとキノコを混ぜたもので、とろとろで濃厚なご飯と塩味の効いたベーコンの組み合わせが美味しい。仕上げに振ってある黒コショウがピリッと効いて、味のアクセントになっている。
付け合せはあっさりしたトマト味の野菜スープ。良い箸休めになり、味をリセットすることに一味買っていた。
「やっぱワインと合うのはチーズってことで、このへんは良質なチーズを交易で仕入れてんだよ」
「へぇ」
「あとは香草類だな。肉とか野菜の香草焼きとかうまいぜ」
ガイアスがメニューを見ながら解説し、ユークレースが興味深そうに相槌を打っていた。
「メインがねぇのは物足りないが、ま、これだけでもうまいわな」
チーズと野菜のはさみ揚げにかぶりつきながら、ガイアスが肩をすくめた。
「でな、デザートのチーズケーキもうまいねん!」
「おぉ、それはぜひ頼んでみなければ!」
「けどな、このチーズタルトも捨てがたいねん」
「んー、アイスも美味しそうだな」
「ま、今日はおっちゃんのおごりやから、いっぱい食わんとな!」
「おい」
円形のテーブル、向かい側ではしゃく女性陣にガイアスが突っ込みを入れる。が、二人は気にせずデザートを話し合う。
アルフィの間近で見るラヴェンダーの顔はきらきらとしていて、目が合うと楽しそうに目を細めた。
思えば、こうやって同世代の女性と話すのは初めてだった。
アルフィもなんだか楽しくて、微笑み返す。
その様子を見て、ユークは密かに安堵していた。
店に入るまでアルフィは沈みがちだったのだが、美味しい食事を共にすることで緊張が解け、ラヴェンダーとも打ち解けたようだ。
隣で美味しそうに料理を食べるアルフィを見ていると、自然に笑みが浮かぶ。
「ラヴィでえぇよ」
もともとラヴェンダーも人懐こい性格だったようで、アルフィが呼び名を訂正すると嬉しそうに笑った。
そして食事中、ガイアスが「ワインがダメなら、他の酒でもいいから飲みたい」と駄々をこね、「悪酔いせんでな~」とラヴェンダーが釘を刺し、酒が注文される運びとなる。
「ガイアス様の血は酒でできとんねん」
ラヴェンダーがそうぼやくほど、ガイアスは酒好きらしい。もともとクァルエイドに来たのも葡萄酒が目当てだったからだという。
「私はいいよ」
そのままの流れで酒を勧められたが、アルフィはやんわり断った。理由を聞かれ、少しばかり躊躇する。
「……飲んだことないんだ」
恥ずかしそうに正直にそう言うと、ユークが意外そうに顔を上げた。
「俺、てっきりアルフィは酒を飲みに来たんだと思った」
「なんだその勝手な憶測は」
馬車の中、アルフィから簡単な説明を受けていたユークは酒も関連付けていたらしい。
確かに、葡萄酒煮込みが目当てだと言えば葡萄酒そのものも飲みたいのだろう、と思わなくもない。
「……ユークは飲めるのか?」
「たしなむ程度はね」
「おう、なら付き合え」
ガイアスの目がキラリと光る。
やがて運ばれてきたのは、安い麦酒と果実酒だった。比較的どの酒場にも置いている、一般的な酒の種類だ。
ラヴェンダーもグラスを掲げ、小さな酒盛りが始まる。
「アルフィもこの機会に飲んどけよ。酒飲めねぇなんて人生損してるぞ」
ぐい、とうまそうにあおったガイアスが、その様子を興味深そうに見ていたアルフィに向かってそう言った。
「それはおっちゃんだけや」
ラヴェンダーが呆れたようにそう返すが、「けどな」とアルフィに視線を向ける。
「うちらみたいなやつは、お酒も飲めるようにしといたほうがええよ。いつどこで変な輩に狙われるか分からへんから」
「……そう、か?」
「せや。慣れへん酒に酔っぱらって、そのまんま身ぐるみ剥がされてお持ち帰りぃ、なぁんてこともあるからなァ」
「うーん」
ガイアスが勝手にアルフィの前に果実酒を差し出してくる。果実の実をシロップにつけたもので、甘い味付けと比較的度数が低いことから、ジュース感覚で飲めるという。
アルフィが少し躊躇しながら、それでも決心が掴めず眉を寄せた。
「だいたいアルフィ、成人は超えてんだろ?」
ぐい、と麦酒の入ったグラスをあおりながら何気なくガイアスが問いかけた。その言葉に、目の前の酒を睨んでいたアルフィが頷く。
「あぁ。ついこの前二十歳になった」
「え」
その言葉になぜか固まったのはユークだ。アルフィが見ると、口に運ぼうとした串揚げをぽろ、と皿の上に落としている。
「ついこの前?」
「前の町に着いた時」
「えぇぇぇ!? ホント!?」
がたん、と音を立ててユークが立ち上がった。その剣幕に思わず他三人が驚くが、ユークは構わず怒ったように詰め寄る。
「なんで言ってくれなかったんだよ!」
「言うほどのものでもなかったし」
「俺なんにもやってない!」
「ブレスレットもらった」
「あれはその……違うだろ! 成人の儀っつったら祝うもんだろ普通!」
「……祝うものなのか?」
アルフィがきょとんとしながらラヴェンダーを見る。
「……普通は祝うもんやねぇ」
ラヴェンダーが生暖かく視線を返した。
「成人になるんや、ふつーの誕生日とは違うもんやからなぁ。てか、アルフィ二十歳やったんか」
「うん」
「うっわ、ホント信じらんねェ……」
首を振りながらユークがようやく元の席に落ち着いた。肩を落としぶつぶつと言っていたが、アルフィにはそこまでユークが反応する意味が分からない。
「……なにかマズいことでもしたか?」
「土地によって風習とかあるからなぁ。別に祝わなくてもお前さんは悪くねぇよ」
心配になるアルフィへ、フォローするようにガイアスが言う。
「けど、まぁめでたいもんはめでたいじゃねぇか。こんな場で悪ィが、アルフィの誕生祝もやるか」
「さんせーい。ほな、乾杯せな乾杯! グラス持って!」
「……アルフィ、そういう大事なことはちゃんと言いなね今度から。改めてこのことは話しあうとして」
楽しそうに笑うガイアスと、ノリ良く手を上げてグラスを掲げるラヴェンダーと、渋い顔をしながらもグラスを同じく持ったユークと。
三者三様の表情ながら、アルフィも含めた四人で本日二度目に合わせたグラスは先ほどよりも甲高い音を立てた。
「そんなわけで祝いの席だ。アルフィも飲め飲め、せっかく酒飲める年になったんだし」
「……結局ガイアス様はそこもってくんやねー」
ガイアスがにこやかに勧めてくるが、さて本当に良いのだろうか、とアルフィはグラスを見つめる。
余談ではあるが、一般的に二十歳は成人と呼ばれ、賭博や飲酒が社会的に認められる。
ちなみにこれはあくまで聖王都の基準であり、地方ではこの基準に沿わず十五を迎えるあたりで大人と見なされる風習もあるのだが、いつのまにか一般大衆的に二十歳が成人と広まったのだという。
だから、アルフィが今この時、お酒を飲んでも何も問題はない。
だが、アルフィにとって酒とは未知の世界だ。焼け付くように咽が痛くなるとも聞く。そしてこの世のものとは思えないほど苦い、とも。
踏ん切りがつかず、困ったようにユークを見る。
「無理しなくていいと思う」
ユークはそう答えた。彼の目の前にも麦酒があったが、すでに半分以上減っている。
二人の会話を見て、ラヴェンダーがにんまりと笑った。そして。
アルフィの方に体を寄せると、こそっと何かを囁く。
「ま、酒飲むときは彼氏はんおるから大丈夫やろ」
「……は、誰のことだ?」
「そら、目の前の剣士はんや」
「別に私とユークはそういう関係じゃなくて……」
「またまた」
ぼそぼそ。時折ユークに視線を向け、内緒話をするように声を小さくする。
「いや、ほんとに違うんだ」
「うそやん」
「違う。……良く誤解を受けるが、相棒なんだ、ただの」
「ほー」
なんだか納得のいかない顔をされたが、切り替えたラヴェンダーが首を振る。
「ほな、なおさら酒飲んどいたほうがええわ」
「そうなのか?」
「いざっちゅうとき、頼れるんは自分だけや。守ってくれる男がおらんなら、ちゃあんと護身学んどいたほうがええよ」
「そ、そうか」
「それになー、自分が酒強かったら、…………押し倒される心配ないしな」
「っ! な、なっ」
「逆に押し倒してしまえ、ってな」
「別に、そんなことしないし、する予定はない!」
「あかん、かわええわアルフィ!」
ついに耐え切れなくなったのかケラケラ笑い出すラヴェンダーと、なぜか真っ赤になったアルフィ。
アルフィはぶんぶん首を振ると、きょとんとしているユークを少し睨む。なんだか無性に恥ずかしかったのだ。
睨まれたユークは呑気に首を傾げている。ガイアスはその横で生暖かく若人を見守っている。
しかしこれで決心がついた。アルフィは目の前のグラスをがしっと掴むと、そのままぐいとあおった。
「あ、ちょっと」
一気飲みにユークが若干焦ったように腰を浮かしかけるが、アルフィはくぴくぴと飲み込み、そして。
「……意外とうまい」
「だろ~」
ガイアスが嬉しそうに破顔した。
アルフィは酒の味が思いのほか気に入り、それからはちょくちょく飲むようになった。
そして、一時間後。
なんだかふわふわしていて気持ちがいい。
空になったグラスに、ガイアスが追加の酒を注いでくれる。それに口をつけようとすると、
「いや、アルフィそろそろ止めなさい」
ユークが若干焦ったようにその手を止めた。邪魔をされてアルフィはユークを睨む。
「なんでだ」
「……う、いやあの」
涙目で睨み付けると、ユークがなんだか視線を彷徨わせた。その隙にグラスを奪い取り、くぴくぴ飲み干す。
「……あー」
「オンナの上目使いは武器やからねぇ」
にやにやとラヴェンダーがユークに言い、ユークは疲れたようにため息をついた。
「昼間もソレで危ない目にあったのに」
肩をすくめ、けれど次の酒はちゃっかり奪い取る。抵抗を見せるアルフィの前に、素早く冷たい水を差し出した。
「ちょっと休憩でコレ飲みなさい。飲まないと返しません」
「……むー」
手を伸ばしたアルフィとユークがしばらく睨みあったが、やがてアルフィが根負けして渋々差し出された水を飲み出し、ユークは小さく安堵の息を漏らした。
「ところで二人とも」
ふと、ガイアスが思い出したように話を切り出す。
「お前らも葡萄酒目当てにこの町来たんか?」
「そうだ。けど、あいにく品切れだった」
冷たいものを飲んだからか、少し意識の覚醒したアルフィが頷く。
体は相変わらずふわふわしていてなんだか暖かく、気持ち良かったのだが、冷たい飲み物が冷ましてくれたようだ。
ただ欲を言えば、ユークが遠ざけた果実酒が欲しかったのだが。
「そうか。そりゃ災難だな」
「災難?」
アルフィからグラスを守りながら、ユークが首を傾げて問う。ガイアスはユークの方を見て答えた。
「町の様子を見たろ?ありゃしばらく収まんねーわ」
「あぁ」
納得したようにユークが頷き、思い出したのか渋面を作る。
「良くないことが起こってるみたいですね。何が何だか分からないですけど」
「……んー? 兄ちゃん、ぼんやり気付いてんじゃねェの?」
ため息をついたユークに、ガイアスが片眉を上げた。
グラスに口をつけ一口飲み、ラヴェンダーがその後を続ける。
「今回は明らかに異常やしなぁ。魔法つこうた可能性あるし」
「……魔法?」
ガイアスの呟きに、ユークが首を傾げた。