炭火焼ハンバーグ 3
黒い鉄板に、じゅうじゅうと小気味よい音が聞こえる。
程よく焼き色のついた肉の塊は、はちきれんばかりの大きさだ。そこに秘伝のタレをのせて、ナイフとフォークでそっと割ると、あふれ出た肉汁が鉄板の上で弾ける。
付け合せの人参とほうれん草も鮮やかな色をしているし、マッシュポテトも綺麗な乳白色をしていて、添えられたバターが溶け出しているのがたまらない。
なにより値段の割に量が多い。まわりに添えられたごはんも、黄金色のコンソメスープも、サービスの飲み物も、通常の定食屋と比べると少し大きめだ。
「いただきます!」
「……いただきます」
語尾に音符をつけ、上機嫌に手を合わせるアルフィリアと、半分呆然とした顔で、つられたように手を合わせる旅人の青年。
少しばかり奇妙な組み合わせの二人がいるのは、裏道にあるこじんまりとした酒場だった。
「まさかキミの用事が、このハンバーグ定食なんてねぇ」
ハンバーグを切り分けながら呆れたようにそう呟く旅人の青年は、フードを外して顔をさらけ出している。フード越しで見た時も若いと思ったのだが、明るい場所で見ると若干あどけない顔立ちだった。短い青灰色の髪はさらさらとしていて、深い青色の瞳との組み合わせは、しかるべき格好をしていれば感嘆の息を漏らしてしまう美丈夫である。
しかしながら多少汚れた旅人の格好で、いささか呆れた顔をしているので、見た目よりも親近感を覚える。
「なにを言う。この炭火焼きハンバーグはガイドブックにも載る知る人ぞ知る名店だぞ。夜は酒場になるこの店は昼にしか定食を出さないが、炭を使ってじっくり焼くこのハンバーグは本格派で、店長のつてで良い肉を使っているし、何よりボリュームもある。しかも安い。
だが店構えが裏道でな。うら若き乙女が一人で入るには治安が悪いのだ」
息を吐く暇もなく力説するアルフィは、しかしながら目の前のハンバーグから視線を外さない。小さく切った欠片をフォークでさし、茶色いソースをすくって口に運ぶ。
じわ、と、肉汁とうまみが口の中で広がった。
「くぅ、やはり美味い! ガイドブックで見てからぜひ食べてみたかったんだ!」
「……うん、そうだね美味しいよ。さすが本に載るだけある」
呆れを引きずるものの、青年も目の前の昼食を堪能することにしたらしい。一口食べて顔をほころばせ、うんうんとアルフィも同意する。
「肉汁がじわっと溶けて、なにより焼きすぎないこの感じがちょうど良い! 口の中で炭焼きの甘みが広がってくる」
「付け合せの味もシンプルで、それが引き立ててるね。うん、このスープもあっさりしてて美味しい」
「うーんやっぱり正解だったな!」
にこにこと、幸せそうにご飯を頬張るアルフィを見て、青年は少しだけ眉を下げて微笑んだ。
「けどさ、俺も大概だけど、キミも変な人だよね」
「うん?」
「見ず知らずの人、しかも男だよ? を、昼食に誘うなんて。会って間もないのに護衛として着いてこないかい? ってさ」
マッシュポテトを嚥下して、アルフィは顔を上げた。そして青年を見て首を傾げる。
「そういえば自己紹介がまだだったな。私はアルフィリア・ハーゼル。観光目的で旅をしていて、明日付けで冒険者になる予定だ」
「え……と、そういうことじゃ……明日付け?」
「あいにく私も身分証を持っていなくてな。今日、冒険者ギルドで受付を済ませてきた。明日から私もしがない冒険者さ」
きょとんとする青年を見るに、その制度も良く知らない可能性が高い。
「その説明は後でしてやろう。今は美味しくご飯が食べたい」
「あ、うん……すみません」
「謝らなくていい。それに、私はにーさんの人柄を直感的に気に入った」
ぱくりとハンバーグを一口放り込み、じっくり味わってから、首を傾げる青年を見やる。
「気に入った、って?」
「にーさんは変な人だが、少なくとも悪い人じゃないだろう、ってな。これも正解だと思ってる」
「……どうしてそんなことが分かるの」
また呆れたように目を細める青年の顔をしっかり見て、アルフィは己の心情を語った。
「美味しいものを一緒に美味しいと食べられる人に、悪い人はいないだろう」
「…………」
青年が、ぽかんと呆けた顔をした。
アルフィは気にせずぱくぱくと食事をする。
「せっかくの美味しいものが冷めてしまうぞ?」
青年は何かを言いかけて、やがてゆるく首を振った。いろいろと諦めたらしい気配を漂わせ、それから苦笑を浮かべてアルフィを見る。
「ユークレース・ヴァルクレイ」
「ほう?」
「これで、見ず知らずの人じゃなくなった」
名乗る青年は、なんだか吹っ切れた顔をしてスープをすする。アルフィは口元を吊り上げた。
「改めてよろしく、ユークレース。私のことはアルフィと呼んでくれ」
「よろしくアルフィ。俺のこともユークでいいよ」
「いやー、美味かった!」
「そうだね。美味しかった」
にこやかに笑いながら宣言したアルフィリアを、同じくにこやかに笑いながらユークレースが同意する。朝食を食べ終えた二人は、酒場のドアを出て満腹感に息を吐いた。
ユークは片手を腹に当ててゆっくり撫でながら、少し意地悪そうにアルフィを見た。
「しかしさ、キミ、良く食べたね。俺でもお腹いっぱいなのに」
「うら若い女性が小食なんて誰が決めた。お前もちゃっかりテイクアウトなんかして、足りなかったのではないか?」
ユークの言うとおり、アルフィは先ほどの成人男性でさえ残す者もいるという量をぺろりと平らげている。しかしながら満腹で動けないということもなく、いたって元気そうだ。
そしてアルフィの言うとおり、ユークの片手には別で頼んだサンドイッチの袋がある。この酒場は働く男たちのためにテイクアウトもしているらしく、その中でユークは一番人気のハンバーグの入ったサンドイッチを選んでいた。
昼飯用の作りたてなので、夕飯時には冷めてしまうだろう。それなのに購入ということは、この後どこかで摘まむのではないかと、そう踏んだのだが。
ユークは意味ありげに微笑んだ。そして、
「……そうだな。アルフィならいいかもしれない」
「ん?」
「ねぇアルフィ。今から少し時間はある?」
その問いに、アルフィは一度腰にはめた懐中時計を手に取り、そして空を見上げた。
陽はまだ高く、暮れそうにない。
「予定はないが、なんだ? デートの誘いか?」
「そうだねぇ。デートでもいいかもしれないけど」
茶化して肩をすくめるアルフィに、ユークはくすくすと笑ってそう言う。
「いろいろ教えてくれたお礼と、美味しいお店を教えてくれたお礼に。……俺からも一つ、アルフィに教えてあげようと思って」
「うん? 何をだ?」
「明らかに不審な俺を、少しでも信じてくれたアルフィを、俺も信じてみようかと思って」
穏やかに返す表情は、けれどどこか真剣な目の色をしている。
茶化すのを止めてその視線を受け止めたアルフィに、ユークは、ゆっくりと言った。
「変なことはしないと約束する。少しだけ俺に付き合ってくれる?」
裏路地を抜けると、人気のない空き地がある。家と家の隙間に、四角い広間が空いていた。
置かれた木箱に腰を下ろしたユークに習い、アルフィも隣に腰を下ろす。今は陽が高いからいいものの、夜になればならず者がいるらしい、石畳には靴の跡がいくつか残っていた。
「昼間だから良いものの、あまり長居したくない場所だな」
「そうだね。でも人目に付きたくなかったから」
こう言われてしまえば、アルフィとて女性である。身の危険を感じるはずだ。けれどそう言う青年が穏やかな顔で、それでいてさりげなくアルフィと距離を置いているため、またユークの纏う雰囲気からか、危険な空気は感じられなかった。
「さてアルフィ。ここまで強引に引っ張っておいてなんだけど、キミはこれから俺が見せることを、秘密にしてくれると誓うかい?」
「いきなりなんだ。それこそ出会って間もない者にふっかける話題ではないな」
いささか呆れてそう返すアルフィに、ユークは苦笑を浮かべる。
「そうだね。でも俺も、そんなアルフィの人柄を気に入ったみたい」
……――美味しいものを美味しいと言って一緒に食べてくれる人に、悪い人はいないだろう。
先ほどアルフィの言った言葉を返されれば、ため息をつくしかない。
「……口約束にしてしまえば軽く聞こえてしまうが、それが必要とあらばこう答えよう。
――――分かった。誰にも言わないと約束する」
「……――良かった」
不思議と、アルフィに恐怖はなかった。この青年のことも、出会って間もないとは思えないくらい、信頼しきっていることに気が付いた。
いけないと内面で警告音がする。この世には悪い人間がたくさんいる。人の良い顔で、人を騙す者もたくさんいる。こんなに簡単に信じていいのかと。
……けれども、とアルフィは思う。
青年の瞳は、綺麗だったのだ。
騙されてもいいかなと、思える程度に。
ユークはおもむろに、荷物を床に置いた。
噴水の頃より持っていた鞄のうちの一つ、四角い箱でできたそれを足の下に引き寄せる。
それからかこん、と、側面のふたを開けた。
「……――お待たせ、ジーク。ごめんな、窮屈な思いをさせて」
いたわるように投げかけられた言葉ののち、ユークは促すようにこんこん、と天井を叩く。
と。
アルフィは、目を見開いた。
青灰色のかぎ爪がはい出したかと思うと、鱗に覆われた短い腕が現れる。
蝙蝠のような羽根と、長い首。口元に牙。固い鱗に覆われた尻尾。
伝説でしか見なかった、伝承でしか出てこなかった、その描写通りそのままに。
四角い鞄から、小さな〝ドラゴン〟が、ごそごそと這い出してきた。