鶏肉の葡萄酒煮込み 3
「知り合い、か?」
青灰色の青年と赤い男を見比べて、アルフィリアは戸惑いがちにそう聞いた。
赤い男は面白そうに目を細め、傍に居た青灰色の青年はアルフィを振り返る。
「覚えてない? 聖王都からクァルエイドに渡る時、馬車の護衛をしてくれた人だよ」
「……。…………あぁ」
しばらくの沈黙の後声を漏らすが、正直思い出せなかった。あまり意識して見た覚えがない。
馬車の護衛は出発するときに顔合わせがあるのだが、その時一度だけ名前を教えてもらうだけで、あとは基本的に別行動だ。馬車に乗る客側と、馬車の外で護衛をする見張り役だから、話をする機会もない。
その一度だけの邂逅で覚えているというほうが無理だ。
逆に言えば、それだけでユークレースは覚えていたというのか。
アルフィの言いたいことを察したのか、ユークが小さく首を振った。
「夜に少し話す機会があって」
「オレの仕事手伝ってくれたんだよ」
ユークの説明に付け足すように、ガイアスと呼ばれた赤い男がそう告げる。
アルフィが視線を向けると、変わらず人好きのする笑みを浮かべていた。
「ま、二回目だが改めて、ガイアス・マラツだ。よろしくお嬢ちゃん」
「……アルフィリア・ハーゼルです。覚えていなくてすみません」
「や、気にすんな」
ガイアスが差し出した手を、アルフィは素直に握り返す。ガイアスは首を横に振って手を離した。
「あと堅苦しい喋り方は止めようや。お互い同業者だしな」
「……同業者?」
「ガイアスさんも冒険者なんだよ。ランクはA」
首を傾げたアルフィに、後ろからユークが説明する。Aランク、とアルフィは呟いて、それから合点がいったように顔を上げた。
「もしかして〝赤獅子〟?」
「おー、良く知ってんなァ」
アルフィは目を見開いて、慌てたように頭を下げた。
「いや、すみません、失礼なことを! あの有名な〝赤獅子〟とは知らず!」
「まーった、待った。お嬢ちゃん、だからそういうの止めようや。苦手なんだよ」
「いや、えと」
「二つ名ってのは周りが勝手に言ってることであって、オレ自身は見ての通りしがない傭兵だ。前、兄ちゃんに仕事手伝ってもらったぐらいだしな。
オレは身分もなんにもねぇただの冒険者だ、偉くもなんともねぇのにそう言われンのはちょっとな」
苦笑するように言い含められれば、アルフィも口を噤むしかない。そうですか、と戸惑いがちに相槌を打って、それから小さく笑みを浮かべた。
「では、お言葉に甘えて」
「おぅ、そうしてもらえるほうが助かるわ」
嬉しそうにガイアスが頷くと、アルフィは笑みを深くした。
「……けれど、かの有名な〝赤獅子〟と出会えたことを、嬉しく思う。ぜひ旅の話と、冒険者としての助言を聞かせてくれ」
「んー、つっても大したことは教えられねェけどな。ま、丁寧にありがとよ」
そうしてひと段落ついた時、背後の存在を思い出してアルフィは振り返る。
話についていけないユークが、きょとんとしていた。
「……そうか、知らないんだっけな。
この人は、〝赤獅子〟の異名を持つ凄腕の冒険者なんだよ。冒険者ギルドが出した数々の強い魔物を退治してきている。ガイアス・マラツの名は、誰でも知ってる有名人だ」
「そんな大したもんでもねぇよ、Sランクに比べりゃ全然知られてねぇし。
それに名前だけ先に広まっちまったようなもんだよ。オレはただ、言われるがままクエストやってきただけだしな」
現に馬車の護衛とかもやってるし、なんてガイアスは肩をすくめる。
へぇ、とユークは感嘆の息を漏らした。
「すごい人だったんですね」
「んー、だからそうでもねぇって」
片手を横に振って否定する顔は、謙遜などではなく本気の顔だった。嫌みのない態度から、本人が心の底からそう思っているらしい、と推測する。
「それはそうと、」
この話題は終わりだとでも言うように、ガイアスが言いかけたその時だった。
「ガイアス様!」
背後から、女性の声が聞こえてきた。
振り返ると、道の向こうからぱたぱたと軽い足音を立てて小さな女性が駆け寄ってくるところだった。
女性はガイアスの横にたどり着くと、佇む三人を一瞥し、両手を腰に当てて肩をいからせる。
「なぁにナンパしとんねん! 急におらんくなったからびっくりしたやないか」
「あーすまんすまん、知り合い見つけてなー」
ボブカットに切りそろえられた黒い髪と、同じ色の黒の瞳が印象的な女性だった。小柄な体の割に豊満なバストと、袈裟がけに吊るされた無骨なボウガンが目に残る。
出会いがしらに張り上げる声はアルトの声域で、吊り上った目はなんだかネコを思わせた。
ガイアスは苦笑しながら両手を上げ、どうどう、と落ち着かせる仕草をする。
女性はくるりと反転し、呆気にとられたアルフィとユークに向き直った。
「すまんなぁ、このおっちゃんに変なこと言われんかったか? 無茶ぶりばっかやから気にせんでもええよ」
「まだ何にも言ってねぇよ」
ニコニコ笑いながらそう言う女性に、疲れたようにガイアスが訂正する。
「え、と」
アルフィは無意識にユークへ視線を向けたが、視線に気づいたユークは小さく首を振った。彼女のことは知らないようだ。
委縮した二人に気付いたのだろう、黒髪の女性がにっこり笑って名乗る。
「あぁ、驚かせてしもたか。すまんな。うちはラヴェンダー。このおっちゃんの連れや」
そして黒い色のフィンガーレスグローブに包まれた掌が差し出される。少し躊躇した後、アルフィは先ほどと同じように手を取った。女性にしては硬い手が握り返してくる。
「アルフィリア・ハーゼルだ。それとこっちは、」
「ユークレース・ヴァルクレイです。ガイアスさんとは、えぇと、顔見知りですね」
ユークも横に移動して、同じく差し出された掌を取る。ユークの名前を聞いたラヴェンダーは、その顔を見つめ、あぁ、と黒い瞳をまん丸くさせた。
「おっちゃんが言うてた、将来有望の剣士はんやね」
「え?」
「夜明け前の空の色と、その濃い部分を凝縮した色の目。間違いないわ」
握った手をそのまま、ぐいと前に引かれてユークは目を白黒させる。両手でユークの手を握りしめたラヴェンダーは、きらきらした黒い瞳でその顔を覗き込んだ。
「なぁ、今度手合せしてくれへん? おっちゃんがあんだけ人を褒めたの初めてなんよ」
「こら」
ガイアスが慌てたように止めるが、ラヴェンダーは気にせず期待するような目でユークを見上げた。
ユークは予想外の展開に焦ったようで、けれど手を無理やり離すこともできず落ち着かなげに慌てている。
急に近くなった二人の距離。
期待を込めた目で見上げる女性と、困ったようにそれを見下ろす青年。
アルフィは、なんだかもやっとしたものを感じた。
胸の奥が少しだけ不快感を覚え、その意味が分からずわずかに眉を寄せる。
それ以上見ているのがなんとなく嫌になり、アルフィは踵を返した。
「ちょ、アルフィ、」
気付いたらしいユークが声をかけるが、アルフィは振り返らずこう告げる。
「……腹が減った、ご飯食べてくる」
「え、ちょ、行くなら俺も一緒に!」
「知り合いなんだろ、話すこともあるだろうし私は席を外すよ」
なんだか変な気分だった。
ユークに知り合いがいた、自分の知らないところで。その事実が妙に癇に障る。
冷静に考えれば当たり前のことだ。一緒に旅をし出したのは最近のことだし、町では別行動を取ることもある。その間、彼は彼なりに知り合いもできるはずだ。
なんとなく、ユークにそういった知り合いはいないと思い込んでいたのだ。その事実に気づいて、アルフィは少しばかり愕然とした。
歩き出そうとしたアルフィの二の腕が乱暴に掴まれる。
驚いて振り返ると、いつのまに抜け出したのかユークが追い付いて、少し怒ったように眉を寄せていた。
「一人になるのは危ないでしょ」
「別に大丈夫だ」
「……――すみません、ガイアスさん、ラヴェンダーさん。俺たちそろそろ行くんで」
「ユークッ」
別れの言葉を切り出そうとしたユークに、アルフィが慌てて声を上げた。が。
「……メシ行くのか?」
微妙な空気を遮るように声がかかった。
少し振り向くと、ガイアスが苦笑を浮かべてこちらを見ている。
「嬢ちゃん、気ィ使ってくれんのは嬉しいが、俺たちと兄ちゃんはそこまで親しいわけじゃねぇんだ。特にこの黒いのと兄ちゃんは初対面だしな」
「……?」
「で。オレらもこれからなんだ、メシ」
肩をすくめたガイアスが、そこでラヴェンダーに視線を向けた。言葉の先を読み取ったのか、ラヴェンダーが頷いて人懐こい笑みを浮かべる。
「さっきな、このおっちゃんに頼まれてお店リサーチしてきたんよ。
――――葡萄酒はないけどな、とびきりがあんねん」
「なんだ、酒はねぇのか」
「飲んでもええけど自分で払ってな? けどなぁ、この町は葡萄酒以外にもうまいもんあんねんで、知っとる?」
ラヴェンダーは二ィと口元を吊り上げた。
「良けりゃ、オレたちと一緒にどうだ?」
ガイアスが促すが、アルフィは咄嗟に答えられなかった。ラヴェンダーの言葉に少し、いやかなり心が揺れたが、先ほどの不快感が決断を鈍らせたのだ。
その一瞬の戸惑いを見逃さず、ガイアスが一言。
「奢るぜ?」
「行こう」
内心の天秤が呆気なく傾き、考える間もなく即答した。
ユークはなんとなく、掴んだままのアルフィの腕に視線を落とした。
ガイアスさんを覚えてくれていた人は果たしているのだろうか……
間章1の『薬草茶 1』にて登場しております。
大阪弁なのですが、もしおかしい個所がありましたら教えてください。
※誤字脱字の修正と、ラヴェンダーのガイアスに対する呼び方を少し減らしました。
ご指摘ありがとうございました!