鶏肉の葡萄酒煮込み 2
「あぁ、護衛の依頼ありますよ。Bランクのクエストですが」
冒険者ギルドの受付をしている年若い男性が、肩をすくめた。
「馬車の護衛、積み荷の運搬。往復で結構いいお金になりますけど?」
「……私たちはDランクだから止めておくよ」
差し出された依頼書を、アルフィリアは首を振って断った。そうですか、と軽い調子で男性が依頼書を下げる。
「この任務、急募で金払いもいいから人気なんですけどね」
軽薄な口調で受付の男性は話した。話を真剣に受け止めてはいないらしい。
「ちなみに、アダムズ商会が依頼主のものはここにあるのか?」
念のためアルフィが問うと、受付の男性は少し依頼書をぱらぱらとめくってから「ありませんねぇ」と肩をすくめた。
「あそこは個人依頼かけてますから、ここには載りませんよ。ま、ここいらで一番大きい商会ですからあそこから受けたいって冒険者は多いんですけどね、金払いも最近良いみたいだし」
ふと違和感を覚える。
「そんなに冒険者が多いのか?」
「ここ最近は人も多くなってきましたよ。噂を聞きつけたんじゃないですかね」
「噂」
オウム返しに呟くと、受付の男性が「知らないんですか?」とでも言いたげに目を丸くした。
「最近、この先の山の中で魔物が出るじゃないですか。だから仕事も増えたんですよ」
だから話を聞きつけて冒険者がやってくるのだ、と男性が話す。
アルフィは依頼書の中身を思い返した。
村の産業にかかわる事態とあって、馬車の護衛をする依頼は多く、依頼料もそれなりに良い額が設定されている。魔物がどのようなものか知らないが、腕に自信のある者には魅力的な依頼だ。
逆を言うと、町の業者にとってはその分運搬にコストがかかるようになる。
「その魔物って、そんなに強いのか?」
自分たちだけで対処ができれば、このような事態にならなかったはずだ。
受付の男性はアルフィに対してやや面倒くさそうな顔をしたものの、やはり軽い口調で話し出した。
「ヒトの形をした魔物だと聞きますけど」
「ヒト?」
「焼けただれておぞましい外見を持つやつがうじゃうじゃ寄ってきて、生きている人間を貪り食うんですって」
目を丸くしたアルフィに、受付の男性は肩をすくめる。
「これは町の人の噂なんですけどね。昔死んだ人間がこの町に戻ってこようとしてるとか。
もともと言い伝えがあるんですよ。なんでも村とこの町を繋ぐ山で、魔王と勇者が争ったとされる場所があるんですが」
「ほう?」
意外なところに話が飛び、アルフィが軽く片眉を上げる。受付の男性は構わず話した。
「それが本当かどうかは知らないんですが、当時ひどい山火事があって、町に大きな被害が出たんですって。今は山道も整備されて問題ないようですが、当時はまだ発展途上で避難も間に合わず」
痛々しい歴史を話しているはずが、店員の男性は他人事のように話していた。他人から伝え聞いた噂話を面白おかしく話すような、嫌な違和感がある。
「で、その人たちがこれから復活する魔王に呼び出されて、現代に舞い戻って人を襲ってるって噂です」
「昔から出るのか? その魔物って」
アルフィが眉を顰めながら問いかけると、男性はとんでもない、とでも言うように首を振った。
「ここ最近いきなりですよ。初めは目撃情報しかなくてチラホラとしたものばかりだったのに、商人が襲われたって話が出て、実際何人か帰ってこない人も出ましたし。それから一気に。あとはこんな調子です」
だとすればもうすぐ魔物退治の依頼が冒険者ギルドから正式に出るのだろうが、依頼が発令されるにしても時間がかかる。
「どうやら会える時と会えない時があるみたいですが、運び屋の人たちは皆怖がっちゃって。まぁその話を聞いて、命知らずの冒険者が山に入るみたいですけどね」
いやはやまったく困ったものですよ、とあまり困った様子ではない調子で受付は肩をすくめた。
男性の口調は、今の状況を少し馬鹿にしているようだった。
「……その魔物は、町にも降りてくるのか?」
おずおずと、どこか真剣みを帯びてアルフィが問いかける。下から睨み付けると、受付の男性は一瞬ピタリと止まり、慌てて両手を振った。
「いやまさか! 山の中だけですよ!」
そうか、とアルフィは相槌を打つ。強張った彼女の顔がホッとしたように緩んだ。
その様子を、受付の男性は探るように見ている。
「……けどまぁ、おっしゃる通りいつ降りてくるか分からないから、出入り口付近に見張り台も設置されたみたいで」
受付の男性が少しばかり声色を変え、俯いたアルフィを覗き込むように屈んだ。カウンターに置かれたアルフィの手に、少しずつ自らの手を近づける。
「見張り台はギルドが管理しています。心配であれば見学することもできますよ。オレの口添えがあれば――――」
「――……で、俺たちでも受けれる依頼はありますか?」
後ろから遮るように声がかかり、アルフィの横から手を伸ばされてカウンターに置かれた。
肩越しにユークレースを振り返ると、視線に気づいた青灰色の青年がにこりと微笑んだ。
けれどあまり目が笑っていない。
「あー、残念ながらDランク依頼はないですね。皆馬車の護衛ばっかりです」
アルフィに近づいた手をさりげなく戻し、受付の男性がそう答えた。前かがみ気味だった姿勢が戻った時、わずかに舌打ちが聞こえた気がしたが、アルフィは分からない。
「そうですか」
相槌を打ちながら、ユークが体重をかけてくる。背中からアルフィに覆いかぶさるように。
妙に近い体温を感じて、アルフィはユークの腕の中で身じろぎをした。
「……ユーク、近いぞ」
「あぁ、ごめん」
悪びれた様子もなく、ユークが謝る。だがアルフィの見えないところで、鋭く目の前の男性を睨んでいた。
ユークが離れると、アルフィは小さくため息をついた。
「……他に何か御用はありますか?」
受付の男性が妙に素っ気なく聞いてくる。
どうにも先ほどから接客業としてあまり良い印象を受けなかった。このようなギルドは用事があっても長居はしたくない。
「いや、大丈夫だ。ありがとう」
後ろのユークからも妙に威圧を感じる。受けた印象はアルフィと同じらしい。
これ以上居ても良いことはなさそうだと判断したアルフィは、早々に話を切り上げた。
「まったく油断も隙もない」
後ろでユークが不機嫌そうにぼやいているが、アルフィは答えない。考え事をしていたからだ。
冒険者ギルドを出た二人は、あてもなく町を歩いていた。
ふと、俯きながらも進めていた足が止まる。ユークも気づいたようだ。
前方、大きな店構えの建物に人が集まっているのが見えた。
集まっている者たちは質素な布の服を着た、町の住民のようだった。顔ぶれは老若男女、年齢性別問わず集まっているが、みな一様に険しい顔を浮かべて何かを叫んでいる。
抗議をしているのだろうか。門の前に佇む衛兵二人に遮られ、店に押し入ろうとしている行動をかろうじて留めているようだ。
「アダムズを出せ!」
「葡萄酒を独占するな!」
「町がどうなってもいいのか!」
どうやらそういった類の言葉を叫んでいるようだ。
殺気立つ様子に眉根を寄せる。
「……なんだあれ?」
「関わらない方がいい、かな」
後ろでユークが、表情を険しくしてそう言った。
「何か町とあの店で問題があって、住民が抗議しているんだろうね。お互いに感情的になってる。あぁいうのは余所者の俺たちは関わらない方がいい」
「葡萄酒、と言ってるな」
口を結んだアルフィは、ユークの言葉に頷きながらも何かを思案するように眉を寄せた。
「……アダムズ商会、か」
看板に描かれた文字を読み、続けてアルフィは顎に手を当てて考え込む。それからちらり、とユークを見た。
「なぁ、ユーク」
「なぁに?」
「なんであの時、依頼を断ったんだ?」
アダムズ商会を名乗る男から依頼の話を持ちかけられた時。
この男は何の迷いもなく、にこやかに、けれどきっぱりと断ったのだ。あの時の商人の顔は思い出すと笑えるものがある、が。
「……受けた方が良かった?」
ユークが苦笑を浮かべて、声を低くした。アルフィに相談もせず決めたことに負い目を感じているらしい。
アルフィは首を振る。
「いや、私も断ろうと思っていた」
「そっか。良かった」
「ま、冷静に考えて胡散臭いしな」
「怪しいしね」
ユークとアルフィは目の前のアダムズ商会の店を見て、お互い顔を見合わせると頷きあう。
目の前の光景を見るに、依頼を引き受けていたらもっと厄介なことになっていたような気がする。
「それに、あの人はどうして俺たちに声をかけたんだろう? そこが腑に落ちなくて」
ユークがぽつりと零す。アルフィは首を傾げた。
「腑に落ちない、とは?」
「俺たちは、見た目そんな強そうに見えないでしょ」
ユークの剣の腕は目を見張るものがあるし、アルフィも魔法が使えるわけだし、今はユークが抱えているジークハルトという子竜もいるわけなのだが、見た目は優男とか弱い少女の二人組だ。
冒険者であることすら気づかれないことも多い。ギルドに行っても最初は胡散臭げに見られ、ランクと相まって視線は更に酷くなる。当の二人は気にしていないのだが。
「第三者視点で考えてさ。俺たちに声かけるって、変だと思うんだ」
「……ユークが達人っぽい空気かもしだしてたんじゃないか」
「なにそれ」
ユークは呆れたように笑った。
「それで、アルフィ。これからどうしようか?」
先ほどした問いを、ユークは再度問いかける。アルフィは肩をすくめた。
「……料理が食べられないんじゃ、この町にもう用はない。次の目的地を決めて出発するしかないな」
「…………そうだね。この状況がすぐ打開するとは思えないし」
ユークが一瞬だが目を細め、けれどすぐ話題を合わせるようにそう返す。
「ユークも気づいたか?」
そっと声を潜めて問うと、こくりと彼は頷いた。
「これから治安も悪くなりそうだしね。いや、もうすでに悪くなりつつあるのか」
ユークは笑みを消して視線のみで周りを見回す。それから小さく呟いた。
「……町に来る前に情報を仕入れられなかったのは失敗だったな」
「ユーク?」
「なんでもない。で、アルフィ。この町を出る?」
確認するように問いかけられ、アルフィは視線を落として頷いた。
「……仕方ないだろ、この状況じゃ」
「……。了解、でも出発するにしても今からじゃちょっと遅いね」
アルフィの答えに、ユークはほんのわずか沈黙した。が、すぐさま気を取り直して明るく言う。
だが、アルフィはその言葉を聞いてやけに暗い顔になった。
「……今からじゃ遅いよな、やっぱ」
「アルフィ?」
「……いやいや、まだ大丈夫だ。うんきっと」
こくこくと何やら自己完結したアルフィは、そのままてきぱきと方向転換する。
「とりあえず馬車乗り場行くぞユーク。最終便あるかもしれないし」
「……」
無言で返したユークは、返事も聞かず早足で先を行くアルフィの背中を見て、そっとジークの鞄を抱え込んだ。
「…………なぁんか、おかしくない?」
馬車乗り場で、本日二度目のしかめ面を晒すことになった。
「馬車がない?」
「正しくは、出払っちまってる」
馬車乗り場の主人は受付のカウンターに肘をつき、肩をすくめる。
「魔物が現れたせいでな。だいぶ犠牲者が出たんだわ、こっちにも」
はぁ、と重苦しいため息。
「物資運搬用の馬車を運転する御者はおろか、町を行き来する馬車も足らん。帰ってこなかったか、御者が夜逃げしちまってよ。今いる奴はみんな仕事に行ってる。
町を出たいなら明日にしてくれ。少ない人数でやりくりしてんだよ、こっちはな」
追い払うように受付の建物から出されたアルフィとユークは、引く馬のいない馬車が並ぶ乗り場を目の前に突っ立っていた。
ぐぬぬ、とアルフィが歯を食いしばる。
「どいつもこいつも」
「思ったより深刻な状況だね」
それでも町から外へ出る手段はまだ残っているのだ。最悪までは遠い。
明日、外からやってきてその日のうちに引き上げる馬車に乗ればいい。
だがアルフィはどうしても納得できず、馬のいない馬車の荷台を見ながら考え込んだ。
「……こんなとき不便だよな。いっそ買うか、馬車」
「は」
思わずユークは一言の発音で返すが、アルフィは振り返らない。
「前から思ってたんだ。いざという時自分たちで動けるなら楽だろうとな」
「そりゃまぁ、そうだけど。……俺たち二人旅だよ?」
ジークもいるけど、とユークはさりげなく付け足すが、アルフィはまだ馬車を睨み付けている。
「二人旅でも馬車があったほうがいろいろ楽だろう。荷物とか」
「確かにあったほうが楽ではあるけど。……そんなお金あるの?」
安いものでも馬車一台買うのに相当な金額が必要になる。それこそ、Aランク任務を一つこなすぐらいは覚悟しなければならない。
「稼げばいい」
やけにキリッとした表情で言い切られ、ユークは閉口した。
「……馬車だけじゃなくて馬も必要だよ?」
「そうなんだよなぁ……。私たちだけだから一頭でいいんだけどなぁ。どっかに落ちてないかなぁ」
「馬ごと落ちてる馬車とか絶対いわくつきだから止めなさい。というか、あぁいうのは買った後が問題なんだよ? 馬のエサ代とか。あと御者さん雇わなきゃ」
「御者?」
「馬車を運転する役の人。馬車を運転するには専門の技術が必要なんだよ?」
一般的に、馬車主あるいは馬車を操る御者は、馬を思うように操るために訓練が必要である。
馬に乗れる者が馬車も乗れるかと言われればそうではない。馬車を運転するのは難しい。
「俺できないよ?」
念のため、というようにユークはそう言い含める。
だがアルフィは、あっさりとその問題を看破した。
「馬車なら私ができる。だから御者は必要ない」
「え?」
今度は、ユークは疑問形で目を見開いた。あまりにも間抜けな声に、アルフィはユークに顔を向ける。
「なんだ?」
「……アルフィ、馬車運転できるの?」
アルフィはあぁ、と分かったように頷いた。ようやくユークの驚いている理由にたどり着いたのだ。
「昔、ちょっと習ったことがあったんだ」
「習った?」
「……昔の旅の連れに」
話すと、アルフィは懐かしそうに目を細める。
「ユークと会う前、私はずっと一人旅をしてきたわけじゃないんだ」
「へぇ?」
「旅に出た当初は連れが居た。むしろその人に付いていって旅に出た、って言った方が正しいな。その人も冒険者で、世間知らずだった私にさまざまなことを教えてくれた。
なんというか……師匠というか、恩人、かな」
ちょっといろいろあって別れたんだが、とアルフィは締めくくる。
「その人に馬車も習ったの?」
「知っといたほうがいいだろうって。馬車に乗りながら、少しだけ旅をしたこともある」
「そうなんだ」
ユークは頷いて、けれどにっこり笑って首を振った。
「でも馬車買うのはダメ」
「え、なんで」
「高い」
「これからが楽だ」
「……アルフィ、そんなにこの町から出たいの?」
ふと零したユークからの静かな問いかけに、思わずカチンと凍りついた。
「そっ、そんなことはっ」
心臓を押さえて視線を外す。両手で押さえた拍子に、手首に付けているブレスレットが金属音を立てて揺れた。
ユークが首を傾げる。その口が何かを言いかけた、その時だった。
「――――よぉ、なんか困り事か?」
側面から声がかかり、二人は同時にその方向を向いた。
ひらひらと片手を振って、ひとりの男が近寄ってくる。
大柄で、一見すると粗野に見える男性だった。ややぼさついた髪と、不精ひげの生えた逞しい顔。身に纏うのは使い古され、程よく色落ちした皮鎧と、背中に背負う鉄の大きな斧。
なによりも印象的なのが、短いが燃えるような赤い髪と、愛嬌のある笑みを浮かべた茶色い瞳。それだけで男の雰囲気が明るくなり、威圧感を緩和している。
アルフィは見知らぬ者の登場に警戒を滲ませたが、ユークは目を見開いた。
「……ガイアス、さん?」
「おー、にいちゃん覚えてくれてたんか」
名前を呼ばれた男は、嬉しそうにニカリと笑った。