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竜と食べ歩き。  作者: コトオト
間章 2
24/60

干し肉と煮干しのスープ 1






 それは、ある夜のこと。







 なにか、わずかな音が聞こえた。


 意識が緩やかに浮上して、目を覚ます。

 ぼんやりとした視界が、瞬きを何度かすると焦点が合った。

 かすかに音が聞こえる。かすれたような、小さな吐息を漏らすような。


――――……キュー、キュウ


 甲高い、鳴き声が被さった。



 ぼんやりとしたままアルフィリアは体を起こす。まとめられていない胡桃色の髪が、肩から滑り落ちた。

 ゆるやかなウェーブを描くそれの根元に手を突っ込み、ぽりぽりとかきながら周囲を見渡す。

 昨日、ユークレースと一緒に泊まった宿の一室だ。

 窓の差し込む光を見るに、まだ日の昇りきっていない明け方のようだ。毛布のぬくもりに慣れきった体が、少しだけひんやりと感じる。


 そしてかすかに聞こえる音は、隣の寝台から聞こえてくるようだった。


「……ジーク?」

 目をこすりながら呼びかけると、もぞり、と何かが動いた。

 布団の盛り上がる頭の部分から、ひょこりと尖った頭が這い出してくる。

「キュ……」

 控えめに鳴いた声の主は、日の当たる場所では銀色に光る鱗を持った、小さなトカゲのような生き物――ドラゴンである。

 くりくりとした赤い目をこちらに向け、そのままもぞもぞと毛布から体を這い出した。


 恐らく隣に、寝台で眠るもう一人の頭があるはずだ。

 ジークハルトと呼ばれる子竜はアルフィに向かってもう一度小さく鳴くと、鼻先をそのもう一人に押し付けるように背を向ける。

 はたはたと動く翼が不安定に揺れていた。


 そこで、アルフィリアはようやく気付く。

 低いうめき声が、小さく聞こえてくるのを。


「ユーク?」

 声は寝台から聞こえてくる。

 アルフィはベッドから抜け出して、ジークハルトと反対方向へ迂回するとユークレースを覗き込んだ。


 青灰色の髪の青年は、ぎり、と歯を食いしばっていた。

 閉じた目は苦悶に歪められている。そしてひどく脂汗をかいていた。

「……ッ」

 苦しそうな声が漏れる。どうやら、脇腹を押さえて蹲っているらしい。

 逃れようと動いたのか、軽く乱れた毛布からはみ出した片手が何かを探すようにふらついた。

 酷くうなされている。


 あまりに苦しそうな様子に、アルフィもさすがに面食らった。ジークがその鼻先をすりつけて起こそうとしているが、反応がない。

 こんな様子を見るのは、初めてだった。


「……ユーク?」

 僅かに躊躇したが、アルフィはそのまま手を伸ばして体をゆする。

「ユーク、痛いのか?」

 尋常ではない様子だった。何かを痛がるように体を丸め、歯を食いしばる姿。

 その口から、吐息のように言葉が滑る。

「……い、」

「ユーク?」

「……やめ、」

「ユーク」

 何かを追いかけるように、手が動く。

「……う、あ、あ、」

 助けを求めるようにうめき声を。

「ユーク!」


 起きているのか寝ているのかすら定かではなかったが、アルフィが何度か呼びかけるとユークの目がうっすら開いた。

「ユーク」

 その顔を覗き込んで呼びかける。小さく息を吐いたユークが、緩慢な動作でアルフィの手首をつかんだ。

 それから、ぼんやりとした顔のまま、何事か呟いた。


「…………――――」


 小さく呟くように滑り落ちた声は、夢の中にいるように心もとない。

 強く手首が握られる。その痛みにアルフィは思わず顔を歪めた。

「ユーク」

 仕方なく、自由な方の手でユークの顔をペシン、と叩く。

「起きろ」

 叩かれた痛みにようやく目が覚めたのか、ユークの目がゆっくりと焦点を帯びた。その青い瞳が丸く見開かれ、それから少し頭を起こす。

「…………アルフィ?」

「そうだ」

 ユークはしばらくそのまま呆けているようだった。上半身を片手で支え、アルフィの手首を握っている。

「いいかげん離せ」

 アルフィに促されて、ようやく気付いたらしい。慌てて解放された手首は、うっすらと赤くなっている。

「その、ごめん」

 体を起こしたユークが眉を下げて謝ってくる。アルフィは反対側の手で手首を隠し、首を振った。

「この程度。すぐ治る」

「……ごめん」

 だが、ユークはそのまま項垂れた。ベッドのふちに背中を預け、沈んだように俯く。そうすると長い前髪が顔を隠し、アルフィからは見えなくなった。


「気にするな。……うなされてたから、起こしたんだ」

「……うん」

「……大丈夫か? 腹あたり、すごく痛そうにしていたが」

 憔悴した様子に、アルフィは問いかけた。ユークはしばらく反応を返さなかったが、やがて大きく息を吐く。

「……アルフィ」

「うん?」

 呼びかけられたが、その後に続く言葉がなかった。そのまましばらく動かなかったユークは、のろのろと顔を上げる。

 それから、いまだ動かないアルフィを見上げた。

「起こしたね。……ごめん」

「先ほどから謝ってばかりだ」

 茶化すように肩をすくめれば、ユークは力なく笑みを浮かべる。

「……それと、ありがとう」

 視線を落とし、ユークは小さく呟いた。無意識にか押さえていた脇腹あたりをさすっている。

「助かった、かも」


「礼ならジークに言ってくれ。私も起こされたんだ」

 アルフィがそう言うと、傍らのジークがひと声鳴いた。

 それでようやく安心したらしく、今更ながらアルフィに眠気が浮上してくる。

「私はもう一度寝なおすかな。……お前は顔でも洗ってきたらどうだ?」

 ふあ、とあくびをしながら促す。ユークはしばらくそのまま俯いていたが、やがて小さく、

「……そうだ、ね」

 ぼんやりと呟き、ふらふらと立ち上がった。

 だがそのまま洗面所を通り過ぎ、おぼつかない足取りで部屋のドアに手をかける。

「ちょ、おいどこ行くんだ」

 さすがに慌ててアルフィが止めたが、ユークはくるりと振り返った。それからニコリと笑みを返す。

「ちょっと外の空気を吸ってくる。すぐ戻るから気にしなくていいよ」

 それから止める間もなく、薄着のままドアを開けて出ていった。



 声をかけようと中途半端に上げた手を、アルフィはゆっくり下ろした。

 ドアは閉められた後で、静かな空気を湛えている。


 ひとつ、アルフィはため息をついた。

「ジャスパー。キッカ」

 ふと口から滑り落ちた声にぴくりとジークが反応し、顔を上げた。その視線に顔を向ける。

「……なぁ、ジーク」

 傍らで見上げる銀色の子竜は、珍しく返事をしない。





「……――――誰のことだ?」



 銀竜は、答えなかった。






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