カスタードタルト 2
どうやって宿に戻ってきたのか分からないのだが、気が付いたらアルフィリアは通された部屋で、ぼんやりとベッドに座っていた。
本日は一人部屋のようだ。お金に余裕がある時で青年の方が宿を取った時はだいたいそうである。
「……」
なんだかぼんやりとする。ぐるぐると思考が回っているが、何を考えているのか、何を考えたいのか、自分が何をしたいのか、よく分からない。
思い浮かぶのは先ほどの光景だ。
青灰色の青年が、柔らかい女性と歩いていく姿。
「……」
なんだか分からないが、もやもやしている。思わず眉を寄せ、目を伏せた。
「……べつに、いいじゃないか」
なんだろうか。なんだろう、この気持ちは。
ふと。
青灰色の青年が頭の隅で苦笑した。
――――ほんと、色気より食い気だねぇ。アルフィ
む、と眉を寄せたアルフィは、そのまま枕をばしん、と叩く。
「偉そうなこと言って。べつに良いじゃないか美味しいもの食べたいんだし」
むむむ、とますます眉を寄せ、更にばしばしと叩く。柔らかい枕が不恰好にへこんだ。
なにか釈然としない。なにか非常に納得できない。
何故こんなに気になるのだろう、とアルフィは思う。
「ふん。お前だってネコ嫌いのクセに、ネコ見ると逃げるクセに。この前だって小さなネコ型の魔物見かけた途端、固まって動けなくなるし」
キラーキャットという魔物がいる。文字通りネコに良く似た魔物である。普通のネコに比べて爪や牙が鋭く長く尖っていて、種類によっては毒を持つものもいる。しかし性質も普通のネコにとても似ているので、接し方さえ間違えなければそんなに怖い魔物ではない。
森でたまたまキラーキャットの集団に遭遇した時のユークは、なんというかいっそ哀れといえるくらいの状況だった。冷静に考えれば笑えてくる。
「ふん。ばーか」
意味もなく罵倒して、それから気付く。
なにを、こどもみたいなことを。
さきほどから考えがまとまらない。アルフィリアは今更ながら恥ずかしさのあまり頭を抱えた。
コンコン、とノックの音が響く。
アルフィはのっそり顔を上げた。
しばらくして、またコンコン、と叩かれる音。空耳ではなかったらしい。
仕方なくふらふらと足取り重く扉に立つと、ドアをゆっくりと開ける。
「アルフィ、入っていい?」
蝶番の軋む音と共に、青灰色の青年が顔を覗かせた。
しばし考えたあと体を避けると、ユークレースが部屋に入ってくる。外套などを着ていないので、一度部屋に戻ってから来たらしい。
ジークハルトのカバンと、四角い紙箱を持っている。
「何しに来たんだ」
「あー、うんまぁ。ところでアルフィは早かったね」
なにか誤魔化すようにそう言われ、アルフィはわずか視線を落とす。
「……誰かさんと違って用事もなかったからな」
「ふー、ん?」
答える声が、少し棘を含んでしまった。俯いたアルフィに訝しげな声がかかる。なにか首を傾げるような沈黙があったが、構わずアルフィはその横を通り過ぎ、己のベッドに腰かけた。
「……ユークは、遅かったな」
「え、そう?」
ユークは瞬きをしながら窓の方へ視線を向けた。まだ日は高い。
「……調子悪いの、アルフィ?」
「……なんでだ」
「……うーん?」
荷物を下ろす音を聞こえた。それきりユークは何も言わない。アルフィも口を開かず、ただベッドに座って俯いていた。
ふと、木の板を見下ろしていた視界に、銀色の足が入り込む。
カバンから出してもらったらしいジークハルトが、のそのそとアルフィの傍へ近寄ってきていた。アルフィの足先で「キュ?」と首を傾げている。
赤い色の目が、くりくりとアルフィを見上げた。
どこか心配そうな仕草に、アルフィは苦々しく笑みを浮かべた。
先ほどからなにか、変だ。こうしてジークに心配されてしまうほどあからさまに。
もやもやとする不快感。ユークの顔を見たとき、なんとなく抑えきれなくなったそれ。
らしくないのは自分も分かる。
手を伸ばしてジークの頭を撫でてやると、珍しくジークはそのままだった。固い感触のどこかに、優しいぬくもりがある。
「キュ」
「……べつに、なんでもない」
そう。なんでもないのだ。
「……それならいいんだけど」
いつのまにか傍に立っていたらしい。言葉を引き継いでユークが答えた。
中腰にかがんで、顔を覗き込まれる。
「顔色は悪くないんだけどな」
わずかに眉を寄せてそう言われた。その青の瞳から顔をそむける。
「……さっき、見かけた」
「え?」
「……女の人と一緒に居たところだ」
ぽつりとそう言って、アルフィはその先を詰まらせる。なんと続けるべきだろうか。
どこに行っていたかと? 何を話していたのか、と?
そんなもの、聞いてどうする。
「………………………………あー……、おんなのひと、ねぇ」
だいぶ長い沈黙を経て、ユークがようやく声を上げた。該当したらしい。
「見てたのアルフィ? 声かけてくれればよかったのに」
「なんか、楽しそうだった」
「…………そう?」
ものすごい訝しげな顔をされた。
「道聞いたやつじゃないかな、たぶん」
そう言って、がさがさと何か音のするものを差し出してくる。今まで後ろ手に持っていたものだ。
顔を上げると、それは四角い白い紙箱だった。ほのかに甘い匂いがする。
「おみやげ」
疑問にユークの顔を見ると、青年はにこりと微笑んだ。そして自ら、紙箱のふたを片手で開ける。取っ手を外すと、手のひらに収まるくらいの大きさの、中心が黄色くて丸く茶色いものが三つ入っていた。
「タルトなんだって。今、この町の女の子の間で流行ってるって聞いてさ」
アルフィ、好きそうだと思ったから。
そんなふうに言って、ユークはもう一度箱をアルフィに差し出した。
「でもアルフィが帰ってきてて良かった。冷めても美味しいけど、やっぱりできたてが一番だって言うし」
甘い香りのするそれをしばらく見つめ、その先のユークを見る。
反応が薄いアルフィの姿に、ユークの顔が引きつった。
「……え、と。嫌いだった? こういうの」
考えてみれば、オンナノコと出かけたにしては帰ってくる時間が早い。
「……私のためにか?」
「え、あぁ、うん。まぁ」
アルフィは首を振る。それから首を横に振って、顔を上げた。
「そうか。――――ありがとう。美味そうだな」
素直にそう言うと、ユークはホッとしたような顔をした。
一口食べてみると、甘いクリームのコクが口の中で広がる。カスタードクリームのようだった。周りの生地はサクサクと香ばしく、食べ進めていくとしゃり、と何かが口に当たる。
りんごにしては歯ごたえが柔らかく、甘さがくどくない。
「洋ナシとカスタードクリームのタルトなんだよ」
疑問にはユークが答えた。同じものを口に運びながら。
「あんまり甘さがくどくなくていいね」
手に付いた欠片を舐めながらユークはそう言う。その膝の上で同じように食べていたジークが、同意するようにひと声鳴いた。
「うん、美味しい」
なめらかな味と、ほのかに暖かいパイ生地がまたいい。思わず顔を綻ばせると、ユークも笑った。
その顔を見ながら、思う。
先ほどまで感じていたもやもやがなくなっているのを感じ、アルフィは内心で首を傾げた。
食後に入れたお茶を飲んでいると、なんだかユークが居心地悪そうに身じろぎをした。
備え付けの椅子と小さなテーブルに向かい合って座っていたので、その様子が分かる。
「なんだ?」
「う、いや」
こちらを気にしていたので促すと、ユークはびくっと体を強張らせた。眉を寄せると、今度はユークが気まずそうに視線を逸らす。
なにか、顔についているのだろうか。
アルフィがひそかに気にしていると、ふと、ユークの膝の上に丸くなったジークが動いた。
「あ、おいっ」
がさごそとユークの懐に首を突っ込んだかと思ったら、ぴょんと降りて、てふてふとアルフィの前に歩いてくる。その口にくわえられているものを見て、アルフィは首を傾げた。
ジークは、その尖った口に小さな袋をくわえていた。それをアルフィに向けて首を伸ばしてくる。
「それはユークのだろう」
ユークの懐から取ってきたものだと示唆するが、ユークはなんだか諦めたような顔で言った。
「……いや、アルフィ。受け取って」
「ん?」
ジークがアルフィの足元に来て、さらに首を伸ばす。背伸びをするような恰好が辛そうなので、アルフィは手を伸ばして袋を取ってやった。かさ、という音と硬質な感触がする。
「ジーク、お前な」
ぎろ、と青い目が睨み付けてくるが、ジークはどこ吹く風、とでも言うようにそのままベッドに歩いて行ってしまった。
手元に残された袋。アルフィが顔を上げると、ユークは何故かそっぽを向いている。
「……えーと、うん」
「……?」
「……あげる、それ」
耳が赤くなっているみたいだ。
アルフィはそっと袋を開けてみる。手のひらに中身を滑らせて落とすと、そのまま目を見開いた。
「……――これ、」
アルフィが思い描いていた、銀の鎖のブレスレットだった。
蒼い石がきらきらと光っている。ドラゴンを透かす仕掛けも、留め具の赤い石もそのままで、間違いない。
「なん、」
「……思ったより、剣の料金が安かったんだ」
ユークレースがアルフィの言葉を遮り、言い訳のように話し出した。
「だから、その、……なんか、結構気に入ってたのかな、と思って。考えてみれば、アルフィって自分のためにお金使わないでしょ」
アルフィはユークを見るが、彼自身はこちらを見てはいなかった。視線を落とし、頭をぽりぽりとかいている。
「俺は剣とかでお金使ってるけど、アルフィは食べ物にお金使ってるし。食べ物って、俺ももらってるし。自分のためだけにお金って使ったことないなって、思って」
だから、その。と前置きして。
「……――今までの、お礼も兼ねて」
手のひらに視線を落とす。
少しだけ冷たい鎖の感触がある。
「……なんだ、それ」
口から滑り出たのは、そんな言葉だ。
「礼も何も、私はお前に何かをしてやったつもりはない。気紛れに過ぎん」
ブレスレットに視線を落としながら、意識もせず勝手に滑り落ちる声。
「こんなもの、もらう義理はない」
「……そうだよね」
なんだか落ち込んだようなユークの声が聞こえる。しょぼん、と青年は肩を落とした。
「……返してくるよ」
何気なく伸ばされた手から思わず体ごと引いてしまい、ユークがきょとんとした。アルフィはぷいっと顔を逸らす。
「そんなの露店に失礼だろう」
「え」
「い、一度買ってしまったんだし、仕方ないからもらっといてやる。勘違いするなよ、仕方なくだからな!」
勝手にまくしたてたからか、息が切れて顔が熱くなった。ユークの手から守るように両手でブレスレットを包み込み、胸の前で握りしめる。
「ブレスレットだから、邪魔にもならないだろうし!」
それから、ふと、口ごもって。
「い、いちおう礼は言ってやる、けど、な」
しばらく中空を彷徨っていた青年の手が、ぽとんと力なく落ちた。そのままユークはずるずると、なぜか床に座り込んでしまう。
肩が、小刻みに震えている。ついでに口元に手を当てて俯き、顔を真っ赤にしていた。
「ふ、く、ぷ、くくく」
「な、なんで笑う!」
「だって、く、くくく」
言い訳を募ろうとしたらしいが、漏れ聞こえる笑い声を押さえるのに必死らしい。手の甲で額を押さえ、蹲っている。
「笑うな!」
「く、ぶっ、はっ、はははは、あはははははっ」
やがて耐え切れなくなったらしい。腹を押さえて笑い転げるユークの姿に、アルフィは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「素直じゃなぁい」
「煩いッ!」
それ以来アルフィリアの手首には、袖口に隠れて銀色の鎖が揺れている。
時折顔を綻ばせながら手首を撫でているのを、青年も銀竜もこっそり知っていて、顔を見合わせて笑うのだ。