はちみつあげパン
日の光が降り注ぐベッドの上で、ころりと寝返りを打つ。ぽかぽか暖まる温度を背中で感じつつ、すりすりと、気持ち良さげにシーツに頬ずりをした。
いつものフードがない状態なので、体全体でぽかぽかとした暖かさを受け止めることができる。そのまま羽根をたたんで仰向けになり、ころころと背中を転がして暖かさを堪能する。
一通り転がった後、一回転して腹ばいの状態になり四肢を大の字に放り出して寝そべり、くあーっとあくびをした。
銀色の子竜ジークハルト。
種族は希少種マスタードラゴン。持ち得る特性は〝破魔〟〝炎〟〝風〟。
好きな食べ物は肉料理。嫌いな食べ物は苦いもの。
趣味は、ひなたぼっこ。
本日、ジークハルトはお留守番である。
ジークの主人である青灰色の髪の青年ユークレースは、先ほどジークの頭を撫でてから「少し出てくるよ。良い子で待っててね」と言い残して部屋から出ていった。
旅の相方である胡桃色の髪の女性アルフィリアは、そもそも部屋に着いた段階で、役割分担になっていた薬品だとかカンテラの油だとかを補充する日用品の買い出しに出かけている。ユークが出かけたのは、例えば武器の手入れをする油脂を買いに行くとか、少し街を回るための散歩とか、そういった他愛もない用事を済ませるためである。
つまり、決して二人とも危険をはらむ用事ではない。
そのことが分かっているから、そしてユークが連れて行かないと判断した時点で、お留守番という役割を担うことは決定した。
ジークはおおっぴらに外を歩けない。それでもユークは専用の四角いカバンに入れたり、フードを被らせてたくみに服で隠しながらジークを連れて行くのだが、今日はユークの寝台の上に当たるお日様の光がいたく気に入ったらしく、寝そべりながら機嫌よく尻尾をぺしん、ぺしんと動かしていたのだ。
光が当たれば、普段はくすんだ灰色に見える鱗も本来の色を取り戻してキラキラと銀色に光る。
その様子に苦笑したユークが、内心で予定を変更したのをジークハルトは知らない。
そんなわけで、ジークは誰も居ない宿の部屋で、『入らないでください』の札を付けたドアに守られ、思う存分至福を味わっていたのである。
蝶番が音を立て、ドアが開く。昼下がりの日の光がさんさんと差し込む宿の一室に、胡桃色の髪を後ろでゆるく三つ編みにした女性が紙袋を抱えて入ってきた。
「おや、」
部屋に入った途端、女性は新緑のように鮮やかな緑色の瞳をすいと滑らせ、片眉を上げる。
「今日はキミ、お留守番か。珍しい」
ドアを閉めて、アルフィは寝台の竜に声をかける。返事はなかったが、それを気にせず少女は重そうな紙袋を部屋の中央のテーブルに置いた。
軟膏などを入れているのか、紙袋からがちゃがちゃと音が響く。
「ユークは出かけているのか?」
紙袋の中から物を取り出しながらアルフィが問いかけると、ジークは目を瞑ったまま「クアー」と返事をした。ねむいらしい。
それを肯定の返事ととらえたアルフィは、特に何も言うことなく購入してきたものの整理に入る。固い入れ物が軽くぶつかり合う音と、荷物を探る布のこすれあう音がしばらく続く。
ジークはだらんと四肢を投げ出したままうとうととしていたのだが、ふいに鼻先をかすめた匂いに顔を上げた。甘くて香ばしい、食欲をそそる匂いに「キュ?」と首を傾げる。
くんくん、くんくん。空気の中の匂いの元を探り、鼻をひくひくさせた。
「おや、気付いたかね」
ジークの動きを予想していたのか、驚くこともなくアルフィが振り返った。
「ふむ。キミのリクエストに答えて、特別に見せてあげよう!」
特にジークは何も言っていないのだが、アルフィは特に気にすることなく別の紙袋を手に取った。白いそれをもったいぶるように開け、「じゃんっ!」と楽しそうにジークの鼻先に突き付ける。
「この地方のジャンクフード、はちみつあげパンだ! 小腹が減った時のおやつにちょうどよいのだよ!」
棒状に細長くきつね色をしたあげパンにはちみつをかけて軽くあぶると、表面に砂糖の粒ができて黄金色に光る。アルフィの手の中のそれは、日の光に照らされてきらきらと粒子が舞っていた。
白い袋の中身は四本あり、ひとつひとつ油紙に包まれ、持ち運んで食べることができるようだ。
「この地方の子供たちは屋台でよくこれを買うらしい」
おぉ、とでも言うようにジークの赤い目がこんがり色をしたあげパンに釘付けになった。羽根がピンと伸び、きらきらとした目をアルフィに向ける。
だがアルフィは唇を尖らせると、鼻先の甘い香りがするそれをひょいと退けてしまう。
「なんだ、やらんぞ? これは私のおやつだからな」
がーん。口を開けて青ざめた子竜は、そのまましょんぼりと頭を垂れてしまった。しおしおと元気をなくすジークを見て、アルフィはふん、と鼻を鳴らす。
「当たり前だ。私の金で買ってきたんだ。そんな都合のいい話があるか」
しょぼーん。縦線でも入りそうなほど目に見えて落ち込んだジークは、そのままぽてりと元のように顔をシーツに落とした。しかしその顔は先ほどのねむねむとした顔ではなく、どことなく恨めし気にアルフィを見る。
アルフィは我関せずとでも言うように、あげパンの入った袋を抱えて自らの寝台に戻った。その横に放り投げていた軟膏を、広げていた荷物の中に戻し。
「……だが、」
ぴくん。ジークの耳が片方立つ。
「このあげパンは四本セットなんだ。食べられないこともないが、四本ぜんぶ食べるとなるとさすがに夕飯が食べられなくなってしまうし」
ぴくん。もうひとつの耳も立つ。
「今日の夕飯はガイドブックにあった魚料理のおいしい店、予約したし」
ぴくぴくぴく。耳が動く。
「……揚げたてが一番美味しいらしいからな。待つ必要もなかろうて」
くるりと振り返り、期待を込めてきらきらとした目を向けるジークを見据え、アルフィは苦笑した。
「一本だけだぞ? お前の主人もだ。一本ずつしかやらんからな」
それでもいいよ、とでも言うように、キュイーッとジークが鳴いた。
アルフィは部屋の中央にあるテーブルの荷物を退けて、食べやすいように油紙をひいて広げてやる。するとジークは嬉しそうに、ぱたぱたと小さな体を浮遊させ、テーブルに着地した。
「いつも思うが器用だな。その小さな羽根でよく飛べるものだ」
羨ましそうにアルフィはそう呟くが、ジークは気にせずはちみつあげパンにかぶりつく。
さくさくする食感と、香ばしい香り、ほんのり甘い味が広がった。
「うまいか?」
アルフィも向かいの椅子に座り、取り出した一本をさくさくと食べ始める。
「うん。やはり評判の店を聞いてよかった。胃にもたれる心配はなさそうだ」
口に広がる味に、アルフィの顔もほころんだ。同意するように食べかすをつけたジークがキュイ、と鳴く。
「あぁ、良いよ。食べているときは大口を開けて喋ってはいけない。それからそんなに急いで食べるな。誰も盗らないんだから」
「キュイー」
「そうそう、それでいい。しかし食べ続けると喉が渇きそうだな。お茶でも入れるか、お前も飲むか?」
「キュウッ」
「うーん。ミルクティーなど与えていいのか、爬虫類に」
「ギャウ! キュッキュウッ!」
「ん? ……あぁ、まぁお前雑食だものな。しかしお茶はストレートにしてやろう。そのほうが合うと思うぞ」
「キュ」
一方的だがそれなりに成立している会話をしつつ、アルフィとジークはおやつの時間を楽しむ。
開け放たれた窓から気持ちの良い風が入り込み、カーテンを優しく揺らした。
「しかしお前さんと会話をする機会などなかったな。いつもユークが間に入っていたから」
「キュウ?」
すでに三分の二ほど平らげたジークが首を傾げる。赤い瞳がくり、とアルフィを捕えた。
「案外、成立するものだな。会話も」
「キュー」
同感だ、とでも言うようにジークが鳴き声を上げる。
「お前さんとユークはいつも一緒だものな。そういえば、今日は一緒に出掛けなくても良かったのか?」
「キュ」
「……恐らく肯定を示す意なのだろうが、さすがに私では理由まで察することができん。ふむ、ユークは私に言えない、お前さんにも言えないような秘密の場所にでも行ったか」
「キュウ?」
「いろいろあるだろう。娼館とか」
「ギュ、グェ!」
「ははは、冗談だ。そんなにぎょっとするな」
しかしなぁ、と意地悪く目を細め、アルフィは続ける。
「ユークも立派な男だ。私たちに黙ってそういうところに行ったとて、私は怒らんよ。お前さんの主人にもそう言っとけ」
「キュー……」
「……うむ。お前さんが人語を話せれば、ここでユークの女性遍歴など聞き出すのになぁ。お前さんずっとユークと一緒だったんだろう? いろいろ知ってるんじゃないのか?」
「キュー、キュウ」
少しだけ考えるように首を傾げ、それからこくりと頷くジークにアルフィは笑う。
「いろいろ大変だったんじゃないのか? あいつ鈍感っぽいから」
「キュー」
「それは肯定ととらえていいのか?」
「キュ」
「頷いたな。やっぱりそうか。うむ、本当に惜しいな。人語を話せるようになる魔法でも開発されればいいのにな」
くすくすとお互いに笑いながら会話を続けていると、食べ終わったジークがキュイ、と鳴いた。
「おや、もう食べ終わったのか。早いな。……物欲しそうな目で見るな、これはやらん」
「キュー」
「ほら、口の周りが汚れている。拭いてやる、動くなよ」
「キュイッ」
「ありがとう、でいいのか?」
「キュ」
「こちらこそ。……しかし遅いな、お前さんの主人。せっかくのあげパンが冷めてしまうぞ」
呆れたように扉を見るアルフィと一緒に、肯定するようにジークが鳴いた。
「まぁ、冷めたら暖めてもらえばいいか。お前さんのブレスなんかちょうどよさそうだ」
「キュー、グェ!」
「…………いやすまん冗談だ。だから吐くな、うっかりどこか燃やしたらどうする。
それにな、お前さんの炎じゃ、あげパンも燃やしてしまうぞ?」
「ギャース!」
「そんなことはしない? だがな、こういうのは火加減が大事でな……。素直に宿の亭主に頼んでオーブンを貸してもらうか、冷えたパンを我慢して食してもらうかしかないぞ」
「キュー!」
「いや自分がやる? うーん、ユークが早く帰ってきてくれればいいな。でないと黒焦げパンを食べる羽目になりそうだ」
さて。
ユークレースは部屋の前の扉に寄りかかり、必死に笑いをこらえていた。
木でできた宿屋は、素泊まり朝食付きで破格の値段だが、そのかわり壁が薄い。特に大きな騒音のない時間帯は、部屋の中の会話もわずかに聞こえてくる。
扉にもたれかかるユークの腕の中には、剣を手入れする油脂と、お土産のお茶の缶。先ほど街を歩いた際、アルフィが好きそうだと思い買ってきたものだ。
アルフィは美味しいものに目がないが、同時にハーブティーも好きなのである。地方の珍しい茶葉があると、こっそり買っているのをユークは知っている。茶葉はかさばるが保存が利くので、量が多くなければ荷物に入れても問題ない。また野宿の際、アルフィお気に入りのハーブティーも振る舞ってくれたりもする。
お茶を飲むと言っていたからこのまま部屋に入って差し出せば、アルフィは喜んで入れてくれるだろう。それに揚げたてというはちみつあげパンも捨てがたい。
しかし。
穏やかな笑みを浮かべながら、ユークは思いを反芻する。
ジークは、実は非常に気難しく、滅多に人に懐かない。ジークの元はマスタードラゴン、気位の高い上級魔物だ。ユークと仲がいいのは、それほど長い時と、厳しい経験を、一緒に潜り抜けてきたからだ。
かつてユークの仲間として一緒にいた者たちにも、すべての人にジークが懐いたかと言われればそうでもなかった。時には知らずにジークの怒りを買い、ユークが間に入ってなだめることもあった。
けれど、ジークはアルフィに対して警戒をしていない。それはユークの顔を立てている理由もあるが、自ら歩み寄ろうとしてくれているからだ。
おそらくジーク自身の判断で。
竜は非常に忠誠心の高い生き物であり、一度契約主と認めた者へ生涯の忠誠と、己の力を分け与える。
己の立場すら主人を優先する。内心心を許していなくても、主人が対立しないならばそれに従う。
その特徴が分かっているからこそ、実はいつも少しだけ心配していた。表面上はジークもアルフィに対して敵愾心など抱いてなさそうだが、本心はどうなのだろうか、と。
だが、これなら安心できそうだ。
アルフィリアは、自分が信じようと思った人間だ。
だからジークも少しは認めてくれたらしいと思うと、素直に嬉しい。
扉の中から呑気な会話が聞こえてくる。
早く部屋に入らなければと思いつつ、もう少し、この二人を仲良くさせてやりたい。
もう少し、もう少し。ユークレースはそう思い、部屋の会話に耳を傾けた。
ジーク語録
肯定・好意・信愛・愛情・ポジティブ・「はい」→ 「キュ!」「キュー」「キュイ」
否定・警戒・嫌悪・威嚇・ネガティブ・「いいえ」→ 「グェ!」「ギャー」「グルル」
なので、ユークと喋る時は基本的に「キュ~」なのです。
ドラゴンの鳴き声的に「グル~」のほうが発音しやすいのですが、信愛を示すために声を作ってます。
そして今更ですがジークハルトはオスです。
……本編に記述してなかったような気がする。えぇと、すいません。こんなとこで。