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竜と食べ歩き。  作者: コトオト
第2章
17/60

白ご飯のおにぎり 9


 奥を必死に進むリコリスは、やがて開けた場所にたどり着いた。

 リコリスが首を回すほど広く、大きな穴が開いて、水が入り込み湖のようになっている。どこか亀裂が入っているのか、淡い光が差し込んで、その空間だけ浮かび上がらせているようだった。もし光に助けられ、脇に木くずの山があることにリコリスが気付いたなら、そこが獣の巣の跡ということが分かったかもしれない。


 しかしリコリスは泉の傍の岩場に、小さな生き物が噛り付いているのしか見えなかった。

 慌てて近寄ると、自らが水に濡れるのも構わずリコリスはネコの傍に寄り、その体を抱き上げた。洞窟の水は氷のように冷たくリコリスは怯んだが、それでも手を伸ばした。

 冷えた体はリコリスの腕に収まる。リコリスが腕を回してようやく抱きかかえあげられるネコ。


「……ナァ」

 ほんのり暖かな体を抱きしめ、リコリスは口元に笑みを浮かべた。茶虎の毛並みを持つネコは大人しくされるがままになっている、が。



 突如首を回したかと思うと、身を捻ってリコリスの腕から逃げだした。その体を岩場に着地させると同時に、泉に向かって毛を逆立てる。

 リコリスがその状況を理解する間もなく、泉が大きく波打った。――そして。








 ある程度森に入ったアルフィリアたちは、ユークレースの懐からジークハルトを外へ出す。直接地面を這って首をめぐらせ、慎重に歩を進めるジークの姿を、アルフィもユークも何も言わず追いかけた。その先、日が落ちて赤い光に包まれていく。

 ユークが小さく呼んで、立ち止まったジークを抱き上げた。その鼻先に拾った木の枝を差し出すと、ほどなくして小さな光が灯る。

 簡単な灯篭の完成だ。

 歩き出そうとした時、後ろにいたアルフィが足元に視線を落として息を呑んだ。


「……ボアの蹄だ」

 足元に刻まれた足跡がある。それは歩む方角へ行けばいくほど増えていく。

「大丈夫」

 ユークが前を見つめたまま答えた。

「木がなぎ倒された跡がない。獲物を襲う行動をしてないんだ」

 だから大丈夫だとそう告げた時、ジークが高い声を上げた。


 岩場に裂け目ができていた。ほの暗い闇をたたえたそこは、下へ向かってゆるやかに空間が伸びている。

 人が入れそうなほどの洞窟だった。








 ぬらり、と。泉から黒いものが顔を出す。小さな丘ほどあるだろうか、山がこんもり出来上がって水しぶきを上げて〝それ〟は姿を現した。

 丸い、黒い球体のようなものだった。泉の中から出てきたにも関わらず、静かな音で岩場を濡らす。

 頭の真ん中にあるひとつ目が、ぎょろりと覗いてリコリスを見据えた。

 泉に伸びる黒い木の幹のような足が、わずかな光でてらてらと動く。


 リコリスは凍りついた。

 悲鳴を上げることすらできなかった。ただカタカタと小刻みに震えが走る。

 先ほど遭遇した大ボアなどとは比べ物にならない大きさ。圧迫感。


 リコリスが今まで見たこともないようなものが、そこにいた。


 大きな丸いものが泉から顔を出している。その周りには黒い球体から伸びた触手がうねっている。ぎょろりと向くたった一つしかない目。

――――これは、この世界に居てはならないものだ。その異形の姿が許されるはずがない。


「あ……あ、」

 リコリスは目を離せない。


 やがてその触手の一つが、リコリスに向かって手を伸ばす。

 うねりを上げて、それが幼い少女を捕まえようとした瞬間。














――――青灰色が割り込むと同時に、少女の小さな体がすくいあげられた。





「ジークッ!」

 リコリスを抱きしめたユークレースが、背後に向かって鋭く叫ぶ。同時に飛んできたジークハルトが、小さな羽根を広げて咆哮を上げた。

 その口が開かれると同時、ジークの口から灼熱の炎の塊が飛び出す。それは空中の触手を襲うが、異形は一瞬ひるんだもののすぐ別の触手によって叩き消された。

 だが、その隙を逃さずジークは立て続けに炎を出す。暗い洞窟が赤く照らされ、背中に熱を受けながらユークはリコリスを抱き上げて陸地へ走った。


 陸地にはアルフィリアが待っていた。転がるように退避したユークの体をリコリスごと受け止める。たたらを踏んだものの、バランスを崩すことなく動きを止めることができた。

 その足元に、濡れた体のネコが転がり込んでくる。

 ユークは短く礼を言って体を離すと、抱いたリコリスに視線を合わせた。


「……怪我は?」

 リコリスは呆然としているようだった。唇が青く、震えている。焦点の合わない目が彷徨い、それからユークを見た。

「……おに、ちゃ?」

「……そうだよリコリス。よく頑張ったね」

 震える体を抱きしめ、ユークは安心させるように笑みを浮かべる。

「もう大丈夫だよ。間に合ってよかった」

 頭を撫でたぬくもりに、気が抜けたのだろうか。突然がくりと体の力が抜け、リコリスが倒れこんだ。

「……気を失ったようだ」

 難なく受け止めたユークの肩越しにアルフィがリコリスを覗き込んで、小さく伝える。ユークは了解したというように頷く。

「そうだね。……俺だってびっくりしてるもん」

 ユークが鋭く見据えた先。泉に浮かび上がる、異形の魔物。



 岩場に佇み対峙する銀の子竜とは比べ物にならないほど大きな化け物。

 うぞり、と触手が立ち上がる。炎の威嚇に誘われたのか、不気味な目がぎょろりと向いた。



「……クラゲか」

「……タコじゃない?」


 姿かたちは知っているものに似ているが、あまりにも巨大すぎて不気味だ。ぬらぬらと光る水しぶきが冷たく洞窟を冷やす。

 クラゲもどきはこちらを見るものの、ジークに気圧されてか触手を伸ばしてこない。だが時間の問題だろう。


「なんにせよ、ここに居てはいけない部類のものだ」

 ユークからリコリスの体を受け取り、アルフィがぎゅっと眉を寄せた。自身のダガーが先ほどから赤く震えっぱなしだ。できれば逃げ出したいところだったが、洞窟の入り口で帰れと言うユークを無視して強引にここにいるのだ。唇を噛みしめ、恐怖を押し殺す。

 かくいうユークは比較的冷静に対峙しているが、その頬に一筋の汗が流れたのは誤魔化せなかった。ただ目の前を睨み付け、腰に差した剣をためらいなく抜いた。

「……さて。大人しく逃がしてくれるかどうか」


 異形のモノを相手にして、真正面から戦う真似はしない。ボアのようにある程度周知された魔物ならまだしも、アルフィですら見たことのない魔物だ。対処法も分からないまま挑むなど無謀で、この状況ではそう判断することすら、当たり前すぎた。

 アルフィも軽口を挟まず、リコリスの体を抱いたまま後ずさる。と。


 クラゲもどきが動き、触手の間からぬらりとした大口を開けた。ぽたぽたと落ちる雫。空中を細い手足が舞う。

 ジークハルトが威嚇するように咆哮した。だがそれに構わず、触手が動いた。




 炎が空間を彩り、じゅっと焼け付く音を立てて水蒸気を起こさせた。かいくぐって伸びた触手はユークが叩き落した。

 だが数が多い、剣を振るいながらユークもじりじりと後ずさる。リコリスを抱えたアルフィは背を向けて、洞窟の通路へ退避した。逃げるのではない。リコリスを安全な場所へ移すことが最優先事項だからだ。



 触手の腕がどこまで伸びるか分からないが、泉の中にいるのであれば伸びてこないであろう場所で、アルフィは一度腰を下ろす。そのままゆっくりと力の抜けた体を横たえた。青ざめた顔は見るからに痛々しい。

 いつのまにかついてきた茶色の虎猫が、その横でぶるりと体を震わせた。

「……ナァくんか?」

 問いかけるが返答はない。だがリコリスの傍は離れなかった。

 微笑んでその頭を撫でさせてもらう。何かを感じたのか、虎猫はされるがまま頭を差し出す。


 背後で破裂音が轟いだ。

 驚いてアルフィが振り返る。岩の崩れる音がする。

「ユーク……!」

 腰を浮かしかけ、アルフィは一度躊躇した。リコリスを寝かせておくわけにはいかない、が。

 素早く周辺の状況を確認する。あたりに気配はない。音もしない。

 その間もジークの咆哮が轟く。そして。


―――――ゥ、ヴォォォォぉぉぉぉぉぉぃぉぁぅォォォ!


 ジークの咆哮と重なり、低い地響きが洞窟を揺るがした。

 思わず耳を塞ぎたくなるこの声は、恐らくかの者の雄叫びなのだろうか。


 アルフィは腰に差したダガーを引き抜いてリコリスの隣に置いた。

 そして、素早く印を結ぶと何事か口の中で囁く。数種類の印を刻むと、不思議と洞窟内に風が吹いた。それは柔らかく消える。

 アルフィは顔を上げ、座ってこちらを見上げる虎猫を見る。

「一時的だが音の壁を作った。少しの衝撃なら弾き返せるだろう。……リコリスを頼む」

 そして踵を返した。





 触手は鞭のようにしなり、立て続けに襲い掛かった。

 目視で追い切れるはずもない。それでも足を動かし、ユークは咄嗟に地面を転がる。岩場で体が痛いが、そのまま一回転した。

 頭上で岩の崩れる音。

「……逃げさせてよ頼むから」

 引きつり笑いを浮かべ、そのまま立ち上がる。異形のモノはぎょろぎょろと目線を動かしている。

 動こうにも行く手を阻む触手が思うより先へ進ませない。ジークハルトが前線で威嚇しているからこそユークがこうして動けるが、それだとジークを残していかなければならない。

 今はまだ大丈夫とはいえ、弱体化したジークはいずれ炎すら出せなくなる。

「どうしたもん、かね!」

 太い脚が伸びて頭上を襲う。跳躍して躱し、側面より飛んできた脚も叩き落した。

 剣で切り付けるも、太い軸のものは切り落とせない。なにより数が多い。それに剣で戦うには、ユークの剣幅はあまりにも細すぎる。

「……っ」

 不規則な動きに息が乱れてくる。ユークは咄嗟に腰に差した鞘を取った。そして構える。

 二刀流となったそれで、回転するように周りの脚を弾き返した。


「ジークっ!」

 弾き返すと同時に叫ぶ。すぐさま咆哮が聞こえた。その炎が、触手を差し向けた目に向かって吐き出される。

 がら空きだったはずの目だが、叩き落した触手がすぐさま炎を弾いた。

 水蒸気が空間を覆う。視界が一時的に真白くなり、それが一瞬だけユークの視界を奪う。


 それが隙となった。



「……――――ユークッ!!」


 脇腹に軽い衝撃が走ったかと思うと、ユークの体ごと柔らかい何かが覆いかぶさる。咄嗟に身を捻って受け止めたユークは、背中から岩場に倒れこんだ。

 瞬間、破裂音。風を切って鞭が空を切る。

 倒れこんだ時、ごつごつとした石に背中を打ち付けユークが眉を顰めるが、その衝撃よりも腕の中のものが大事だった。痛みをこらえてユークが体を起こす。


「アルフィ」

 俯いて歯を食いしばったアルフィがそこにいた。一度大きく息を吐き出し、強張った表情のまま顔を上げる。

「……っ、…………無事か?」

「……とりあえずは」

 一度言葉を区切ったアルフィは、首を振って体を起こした。

「アルフィ、なんでここに」

 目を細めてユークが問う。戻ってきたことを叱咤するようだった。責める青の瞳に、アルフィは肩をすくめてみせる。

「なに、ジークだけ活躍させるのもアレだからな」

「……?」

「対人、および人の体格より一回り大きいくらいならユークの敵ではないだろう。だが明らかに今回は戦いづらい、違うか」

 正論なのでユークは何も言わず、けれどアルフィの言いたいことも掴めず目を細めた。


 ユークは緊急事態であればあるほど表情が無くなるらしい。目を細める仕草は自分の分からないことがあった時、相手の真意を見極めるための表情だ。

 これが青年の癖なのだとアルフィは理解する。常に笑顔を浮かべていた、穏やかな青年の裏の顔。


 ジークの咆哮が響く。アルフィは顔を上げた。

「ここいらでひとつ私も活躍させてもらおうか」

「アルフィ?」

「ああいうのには私のほうが相性が良いよ」

 説明を求める目線を感じながらも、アルフィはゆっくり体を起こした。


 岩場に立つ細い姿に、ぎょろりと目が覗く。



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